鯨の上にある街で

季都英司

鯨の上にある街に住む少女の話

 私の街は巨大な鯨の上にある。

 何言ってんだと思われるかもしれないが事実だからしょうがない。

 誰が何のためにしらないが、ものの本によればあるとき国を追い出された人々が、巨大な鯨を見つけて仲良くなって暮らす内に、どういう流れか鯨の上に街を造るに至ったらしい。

 うん、何度聞いても意味がわからない。

 そんな意味不明な街が、どうやら近いうちに滅ぶらしい。

 理由はと言えば簡単で、鯨が死ぬからだ。巨大だろうが何だろうが生物なわけで、永遠ではなくいつかは死ぬ。そうすると街の土台がなくなるわけで、街も滅ぶというわけだ。

 鯨が大きくなるにつれてこの街も大きくなり、調子に乗って建物やら建てたり植物やら植えたりしていったもんだから、もはや言われなければ鯨の上にいるとはわからないレベルだ。

 そんな大きな街が滅ぶと発表されたもんだから街はもちろんパニック。

 人は我先にと、船とか飛行機とか(そんなものが鯨の上にあるのがすでにやばいが)で街を逃げ出していった。あっという間に街は閑散としていったが、私は街を離れなかった。

 生まれてからずっと過ごしてきたこの街が気に入っていたのももちろんある。大して夢も希望もないのに、街を出て行くのが面倒だったというのもある。

 だけどそれよりも残ろうと思った理由は、鯨のそばに一人くらい居てもいいんじゃないかと思ったからだ。

 だってそうじゃないか、遙か昔からずっとこの鯨の上でお世話になっておきながら、いざ鯨が死ぬとなったら自分のために逃げるなんてのは鯨に申し訳無いと思うのだ。

 だから私はこの街に残ろうと思った。どうせやることもないなら、最後はこの街と、いや鯨とともに過ごすのも悪くないと思うから。


 そんなわけで私は、鯨の死が発表されてから毎日、鯨に会える公園(観光地として遠い昔に造られた)と言う名の、鯨の顔付近に造られた公園にやってきては鯨と話をする日々を過ごしている。

「おはよう、元気してる?ってそんなわけないか」

「今日はお日様出てて暖かいね、いい気分だと思わない?」

「ねえ、そういえば鯨っていっつも何食べてるの?」

「昨日は誰も居ない本屋から本もらってきて、一晩中読みふけってたから眠くてさ。ちょっとここで寝てていい?」

 なんて感じでたわいもないことをひたすら話しているだけだけど、たまに鯨が私の話に応えるように吠えてくれたり、いわゆる鯨の潮吹きをやってくれたりする(なおこっちも観光地になっている)

 私の勘違いかもしれないけど、お話ができているようで楽しかった。心なしか鯨の方でも私を気にしてくれているのか、目を動かして私の方を見てくれたり、普段はそれなりに揺れることもある街だが、私が居る間は揺れなかったりと気を遣ってくれているように感じていた。

 鯨の肌をなでながら私は微笑んでいた。

 街の皆はほとんど逃げ出していて、残っているのはごくわずかだった。それも数日中に逃げる算段はついている人たちばかり。鯨のところに来る人などいなかった。白状だなと心底思う。

 そんなこんなな日々を過ごして数ヶ月。

 発表された鯨の死が迫ってきた頃、こんなことを聞いてみた。

「あのさ、あなたの上にこんな街造っていやじゃなかったの?人間たちが勝手にあなたの上に住み着いて、こんなものたくさん造ってさ。重くて騒がしくて嫌じゃなかったの?」

 応えなど無いのはわかっていた。でも最初は同情だった鯨にたいして、私は好意が湧いていた。そもそもこんな街があったことが間違いだったんじゃないかそう思えて仕方なかった。

 私は鯨にもたれかかるように目を閉じた。

「私は、あなたが大好きになった。街じゃなくてあなた自身が好きだから私は逃げないことにした。あなたといっしょにこの街の滅びに付き合うよ」

「なんでかって?うーん、逃げてもやりたいこともないしね……。それよりもあなたと話してる方が楽しいからね。あなたが死ぬときまでそばに居てあげるよ」

 そして、少しだけ照れながらこんなことを言った。

「あなたの元に、そんな子が一人くらいてもいいでしょ?」


 街は大きく揺れるようになり、建物も倒壊するようになった。鯨が体を制御できなくなってきて、街の基盤が持たなくなったのだろう。

 鯨の死と街の滅びはいよいよだ。

 私は、家には戻らないことを決め(もともと私以外には誰もいなかったが)食料とか必要なものをリュックに詰めて鯨の元にずっと居ることを選んだ。あとは最後まで鯨と一緒だ。

「来たよ。もうそろそろお別れなのかな。正直さみしいよ。自分が死ぬことは怖くないけど、あなたが死ぬことはさみしい。でも、私にはあなたの寿命はどうしてもあげられないから、あとは最期までずっとそばに居る。そして話し続ける」

 鯨はかなり弱っていて、目もあまり開かず吠え声を上げることも、もう無くなっていた。

 覚悟が決まったことで、最期まで楽しもうという気持ちが芽生えていた。

 ひたすら話した。おそらく最期の夜を寝ることもせず、ひたすら話続けた。鯨は最期まで私の言葉を聞いてくれていたように思う。

 言葉が通じるわけじゃない、錯覚かもしれないでもそれでもよかった。一緒に居られるこのときが最も素敵と感じられたから。

「私ね。将来になんの夢もなかったし、楽しいなんて思ったこともあまりなかったけど、あなたといられたこの時間は本当に楽しかった」

「最初はあなたがさみしいんじゃないかと思ってやってきたけど、今は違う。この時間をくれてありがとうって思ってる。この街を守ってくれてありがとうって思ってる」

 そういって私は鯨に強く抱きついた。涙が出ていたような気もするが見せるもんかとも思った。

「だから、最期まで一緒だよ」

 そう言ったとき、鯨が大きく吠えた。

 ここしばらくは全く声を出すこともなく、弱りきっていた鯨が。

 それは最期の声だったのだろうか。

 自分の運命に対してのものだったのか、

 街に向けてのものだったのか、

 それとも、

 私に向けてのものだったのか。

 そして鯨はゆっくりと沈んでいった。

 そのときが来たのだ。

 私は逃げもせず、ただ鯨に抱きついて最期の時をともにした。

 人生で一番充実した時間だった。

 自分が最も美しいとき、なんてものがあるなら間違いなく今このときだろうと思った。

 私はただ、幸せだった。


 目が覚めた。

 何が起こったのか。

 呆けた頭と視界で周りを見渡す。

 私は鯨とともに死んだはずではなかったか。

 周囲には海しか見えなかった。潮の香りと柔らかな風。海は穏やかだった。

 ふと、足下が波ではなく揺れるのを感じて、下をみるとそこには、

――小さな鯨がいた。

 あの巨大な鯨とは比べものにならないくらいの小ささ。それでも私が十分に乗れるくらいの大きさ。ひょっとして、

「あなた、あの鯨の子供?私を助けてくれたの?」

 確証はないがそんな気がした。本当に私を助けてくれたのだろうか?

「でも、私あの鯨と一緒に行くつもりだったのに」

 少し非難がましい口調になった。

 その途端、子鯨ががおっと吠えた。なんとなく私には怒っているように思えた。

「ごめんごめん、助けてくれたのにそれはないよね。ひょっとして、あの鯨があなたを呼んでくれた?考えすぎかな」

 それには子鯨は応えなかった。少しだけこちらを見たような気がしたが、それは肯定なのだろうか。

 しばらく何も考えられなくなり、子鯨に寝そべってただ空を眺めていた。子鯨はなにも言わずそれに付き合ってくれていた。

 私はあることを決めて勢いよく起き上がる。

「私決めた!あなたと一緒に行く!のせてってくれない?」

 子鯨はその私の宣言に少し吠えた。さきほどのよりは優しい声だ。

「きっと、オッケーしてくれたんだよね。なんて勝手かな?でもよろしくね」

 子鯨は、ふんっと一つ潮を吹いた。そして、ゆっくりと泳ぎ出す。

「それじゃ行こうよ、どこまでも!あなたの行きたいところならどこでも付き合うよ!」

 といいかけて、

「あー、海の中は勘弁。私一応人間なので」

 なんて笑いながら言う。

 子鯨は加速する。どこに向かっているかは私にはわからない。

 ふと頭によぎったことが少しだけ面白くなり、迷ったが子鯨に言ってみることにした。

「ねえ、もしなんだけどさ。あなたが今よりももっともっと大きくなったらさ。あなたの上に街造ってみてもいいかな。今度は、もっと鯨とふれあえて一緒に過ごせるようなそんな街を」

 子鯨はちらっとこっちを見て、それでまた前を見た。応えはない。

「ま、全部これからだよね。とりあえずよろしく!」


 私を乗せた子鯨は、はるか海を行く。

 どこに行くかはわからない、でも私はきっとあのとき一度死んだ。だからこの先は、きっと考えたこともないような新しいことだけを生きるのだろうと、なぜか強く考えていた。

 海に照り返る陽光と、あたたかな風がとても気持ちよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鯨の上にある街で 季都英司 @kitoeiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ