わたしのわたし

後藤文彦

わたしのわたし


 いつも通りの夜、いつも通りに帰ってきて、いつも通りの部屋に入ると、そこには何とわたしがいる。わたしたちは一瞬互いに見詰め合い、

「ひょっとして例のやづが?」

と同時に発しながら笑わずにはおれなかった。だってこれは、わたしが日頃強迫的に何度も想像実験を繰り返していた状況そのものなのだから。つまり、わたしがいつも通りに部屋に帰るとそこにはわたしがいて、わたしがいつも通りに部屋にいるとわたしが帰ってくる。しかしそれぞれのわたしにとっては自分自身がわたしであり、相手は他人でなければならない。互いの記憶を辿っていくと、生まれてから今朝起きて顔を洗い紅茶を飲んだ辺りまでは完全に一致しているが、その後どこで分離したのかがまるで分からない。分離した瞬間の明確な不連続点というものはなく、いつの間にか定性的に分化しているのだ。 でもそんなことは全然重要なことではない。これは照れ隠しの誤魔化し笑いなのだ。既にわたしの鼓動は極値に達し、自分の考えていることに紅潮してしまうのをどうにもできず、同じく紅潮しているわたしと見詰め合っていた。 完全なる共感者が出現したのだ。その人の前では自意識の電源を「切」にして、内面を晒し切って、甘えたり、泣き崩れたり、抱き着いたりしていい人が、やっと現れたのだ。生まれて初めて孤独から解放されるのだ。愛情を貪れるのだ。んだよ。いいんだよ。これは相思相愛なんだから。対象が誰かということは、大して重要なことではない。同じことを考え見詰め合って泣いていたわたしたちは、ほぼ同時に走りだし思い切り抱き締め合った。わたしの苦しみをわたしは知っていて、わたしの苦しみをわたしは知っている。わたしはわたしを慰めてあげたいと思い、わたしはわたしを慰めてあげたいと思う。嬉しいよ。からからに渇き切っていた筈の胸の中が、急激に潤っていぐよ。何かが満ちていぐんだよ。んだよ。こいづだったんだよ。わたしたちは愛し合っているんだ。助かった。やっと楽になれだね。本当に助かったよ。何年も持続してきたついさっきまでの苦しみが、ようやぐ停止したよ。なんだが白げるね。こんなにも楽になれるなんて。実はこれが普通の状態なんだべね——愛し合ってる人だぢにとっては。へー、そうが。そうだったのが。こんなにも有意な「格差」があったんだ。知ゃねがったね。白げるよまったぐ。世界が変わった。わたしも遂にこっちの世界の住人になれだんだ。こんな幸福感は久しぶりだね。少なくとも幸福という言葉バ覚えて以来、ようやぐその意味が分がりそうだよ。 ははははは。ほんとうに助かったよ。

 こうしてわたしたちの充実した共同生活が始まった。それはもう、実に楽しい毎日であった。そりゃ子供時代のかくれんぼの楽しさには匹敵しないかも知れないけれど、今のわたしたちに享受できる最大限の楽しみの中を、わたしたちは浮遊していた。

 こんなわたしたちのしあわせに、ある朝 危機が訪れた。誰かが玄関の戸を叩くのでわたしの方が出てみたら、そこに突っ立っているのは何と、わたしたちの母さんだ。

「あら、母さん。今ちょっと友達が来てで、そいづが何ともわたしにそっくりなんだよ。びっくりするよ。ほら、……**さんの友達の◇◇でがす。お邪魔してした。いやー、わたしも初めて**さんバ見だ時は驚ぎしたよ……」

「あんだ、いってえ何 言ってんのや?」

わたしたちの会話はまるで噛み合わなかった。これはどうやらわたしたちを見た母さんがおかしくなってしまったようだ。悪いことをした。

「んだごって一緒に病院さ行ぐべ」

と母さんが言い出したのをいいことに、わたしたちは母さんを精神病院へ連れていった。ところが、どういう訳か患者にされたのはわたしの方だった。どうもわたし以外の人にはわたしの方だけが見えてわたしの方は見えないらしいのだ。わたしたちにも最初は信じられなかったけど、わたしとわたしと が会話しているところを撮ったビデオを見せてもらったら、確かにわたしだけが一人で喋っているようにしか見えないのだ。これはもはやわたしの精神がいかれたことを認めない訳にはいかないだろう。それならそれでもいいさ。わたしたちはある実験を思い付いた。考えてもみれば、わたしたちは今までいつも一緒にいて離れてみたことはなかった。だから、見えるわたしの方は病室に残り、見えないわたしの方が病室を出て散策しても本当に誰も気付かないのかどうかを確かめるのだ。実験は成功した。更にわたしたちは、医者が母さんに話している衝撃的な治療法のことを知ってしまったのだ。

「……お宅の子供さんの脳内には一部ニューロン細胞体が不自然に密集してる部位があってっしゃ、この部位がもう一つの自我感バ発生させでっか、あるいはそう錯覚させでる可能性が濃くなってきした。つまり、その部位バ切除してしまえば回復する見込みがあるっつうごどっしゃ。尤も、も少し慎重に調べでみる必要性はあっぺげっとも……」

そういうことならこっちにも考えはある。わたしの目的はわたしがしあわせになることだ。病気の治療が妥当性を有すのは、その病気がわたしのしあわせを阻害する方向に機能している場合のみにしかない。発病前より発病後の方が百倍も千倍もしあわせだとなれば、病気の治療を阻止するまでだ。は、は、は、治ったふりなんて簡単っしゃ!

 翌朝わたしは目を覚ますと同時に叫びだした、

「大変だ、わたしが見えねぐなってしまった!」

わたしはベッドの下や冷蔵庫の中を本気でわたしを捜し回り、医者連中にわたしがいなくなったと思わせることに成功した。その後の検査でも、前もって見えないわたしの方が医者側の動向を偵察していたので、どう対応すれば治ったと解釈されるかの見当は付いた。わたしたちは見事に治ったふりを演じて退院することができた。助かった。

 こうしてわたしは今もわたしとしあわせを暮らしている。


いつも通りの夜

いつも通りに帰ってきて

いつも通りの扉を開けると

そこには何と

わたしがいる

そういうごどが

とわたしたちは同時に言い

いいんでね?

とわたしが言うと

んだね

とわたしが言う

ははははははは

ははははははは

とわたしたちは笑いながら

ぴったりとくっついて

長椅子に掛ける

ゴルトベルクが流れていて

趣味いいごだ

とわたしが言うと

んだがら

とわたしが言う

そうしてわたしたちはそれ以来

ずうっとそうしている










           了








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