女の恋は上書き式!(紹介文に注記あり)

透峰 零

お前に未練はない

『山本先輩が好きです。お手伝いしてください。具体的には、彼の好みのタイプとか教えてください』

 直球すぎるメッセージを送り必殺の上目遣いをすると、相手はさすがに虚を突かれたようだった。

 普段が浮世離れしている分、驚いた顔はなかなかに新鮮である。

 神坂真由美はそんなことを考えながら、相手からの返答を待った。メッセージの相手は想い人――ではなく、その相棒である先輩である。

 先輩というのはあだ名のようなものだが、誰も彼の名前を覚えられないので仕方ない。

 真由美が見守る前で、何食わぬ顔でスマホをポケットに仕舞った彼が答えた。

「お安い御用だ、調べとく」

 さすがに年齢不詳の既婚者は経験が豊富である。顔色ひとつ変えずに答えるものだから、すぐ隣にいる件の想い人はまったく内容を予測できなかったらしい。戸惑ったように二人の間で視線を往復させている彼を横目に、真由美はにっこりと笑う。

「やったぁ! ありがとうございます。楽しみにしてますね!」



 ◆◇◆◇



 好きになった理由に、特にドラマチックなことはなかった。きっと、彼自身覚えていないだろう。

 伝えたところで「そういえば、そんなことあったね」とかあの朴念仁は言うに決まっている。

 きっかけは、この部署に配属になって歓迎会を開かれた時のことだ。

 宴もたけなわ。真由美への質問も少し減ってきたので、手洗いに立ったのがいけなかった。そこそこ大きくて洒落た店だったので、手洗いは別室で複数の個室があるタイプで混んでいた。しばらく中で待ってから用を足し、出たところでレジ前でたむろしていた一団と出くわし――目が合った一人は、数年前に最悪の別れ方をした元彼だった。

「あれ、もしかして真由美?」

 まさかこんなところで会うなんて思っておらず、咄嗟に反応ができなかった。その一瞬が致命的な隙となり、相手のペースに持っていかれたのも痛い。

「なんでこんなとこにいるの? って、そっか。お巡りさんでも酒くらい飲むよねー。ってか、驚いたよ。すごい偶然。まぁ、同じ都内だしそんなこともあるか。俺も会社がこの近くでさ。あ、言っとくけど別に狙ったわけじゃないから」

 聞いてもいないのにベラベラと己のことばかり喋る自分勝手なところは、まったく変わっていない。くそ、公務員でなければ一発ぶん殴るのに。こっちだってお前に未練なんてないわ。

 心中で毒づいていると、一緒にレジ前にいた連中の一人が「誰? 元カノ?」と彼に尋ねてきた。

「そう。ほら、例の運転にめっちゃうるさかった女」

「ああ、あの」

 笑いながらのやり取りで、別れた後も自分のことはネタにされているらしいと真由美は悟った。無視して席に戻りたいところだが、彼らがいるせいで手洗いから出る狭い通路が完全に塞がっている。

「別にうるさくないでしょ。スマホ弄りながら運転すんな、スピードを出しすぎるなって、普通のことじゃない」

 彼と別れたことについては、仕方のないことではあった。

 高校卒業後すぐに警察学校に入校し、価値観から何から叩き直された真由美と違い、相手は大学生の遊びたい盛り。免許も取り立てで、はしゃぎたい気持ちもあったのだろう。だから、真由美が「鬱陶しい」と振られても仕方のない話ではあった。

 当時のことを出来るだけ思い出さないよう、つとめて冷静に言った真由美に、元彼は大袈裟に肩をすくめてみせる。

「はいはい、そうですね。俺が悪うございました。その節は、どうもご迷惑をおかけしてすいませんでした」

「ってかさ、お前マジで馬鹿。横にお巡りさん乗せてるのに、ながら運転とか普通するか?」

 嗜めている仲間も、本気で怒っているわけではないらしい。笑いながら言っていることが、その証拠だ。

「別にあんたに謝ってほしいわけじゃない。というか、どうせまだやってるんでしょ」

 真由美の皮肉も、酔っ払いには通じなかった。酒で顔を真っ赤にした男はヘラヘラと笑って答える。

「ちょっとだけね。でもまだ一応無事故。点数稼ぎご苦労様でーす」

 点数稼ぎ。

 その言い方に、頭の芯が熱くなったのがわかった。


 ――あんた達に何が分かるんだ。

 思わず、そう言いたくなる。


 警察学校を卒業しての真由美は、大半の警察官と同じく交番勤務だった。

 管轄区域のパトロール、酔客の相手、地理案内、遺失物の受理……そして、事故現場への第一臨場。

 最初に見た死亡事故現場は、いまだにふとした瞬間に思い出してしまう。大型トラックがバイクを巻き込んだ事故で、ライダーは即死の悲惨なものだった。

 トラックの運転手からは、多量のアルコールが検知された。目の前で出てきた数値が信じられなかったのを、今でも覚えている。

 真由美と一緒に臨場した先輩は、その現場が原因で警察官を辞めた。

「うるさい」

 こっちは、あんた達が教習所で見せられるビデオのブラックアウトした「その後」を見せられるんだ。しかも、画面越しではなく現実として。

 モザイクもかけてもらえないし、処理するためには目を逸らしてはいけない。場合によっては、駆けつけた被害者遺族に説明することだってある。

 あんた達にとっての「ちょっとしたこと」が原因で、理不尽に消えていった命が幾つあると思っているのだ。

 真由美の低い声に、元彼は驚いたようだった。だが、すぐに小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「怖い怖い。相変わらず、見た目によらず真面目だよな。そうやって可愛げがないから、すーぐお一人様になるんだぞ」

 ほっとけ。なんで私が好きな格好してるだけで、中身まで勝手に判断されないといけないんだ。

 そこまで考えて、けれど声には出せない。複数の男に囲まれて怖かったとかそんな理由ではなく、「自分達のやっていることは、この人達には届かないんだ」という、無力感にも似た悲しさが不意に込み上げたせいだった。

 真由美が黙り込んだことで生まれた沈黙。それを埋めるように、背後で水の流れる音がした。ついで、ガチャリという扉の開く音。

 真由美越しに、洗面室から出てきた人物を見たであろう男達の目が軽く見開かれる。つられて振り返った真由美の目に映ったのは、窮屈そうに身を屈めて男性用の扉からと出てきた大男だった。

 百九十はあろう上背と、それに見合う肩幅と分厚い胸板。全体的に短く刈り込まれた色素の薄い髪は、なかなかに迫力があった。身に纏っているのが柄シャツとかではなく、黒いスーツだというのがまた凄みを煽る。

 一見すると中々に恐ろしいが、真由美は彼の正体を知っていた。今度の配属先にいる先輩の一人である。歓迎会の冒頭で自己紹介されたが、残念ながら名前は覚えていない。数名しかいない部署だが、すぐに覚えれるほど真由美の記憶力は優れていないのだ。

「失礼ですが」

 ゆっくりと歩いてきた黒スーツの彼が、真由美の隣で足を止めて口を開いた。

「別に彼女は点数稼ぎではなくて、本当にあなたのことが大切だったんだと思いますよ。僕ら、けっこう悲惨な現場を見るんです。交通課の中には、それが原因で辞める者もいるくらいですから」

 怒るわけでもなく、ただ淡々と事実を述べる彼の言葉は全て真由美が言いたかったことだった。

 元彼はポカンとした間抜け面で「ええと……」と狼狽えている。それをどう取ったのか「失礼」と黒スーツが慇懃に頭を下げた。

「僕は彼女の同僚です。驚かせてしまい申し訳ありません。なにせ、トイレの個室まであなたの声が響いてきたので。気になって、つい」

 丁寧な言葉だが、暗にデカい声で話していることを指摘され、元彼の顔が酒気以外の要因で朱に染まった。だが、さすがに筋骨隆々の大男に突っかかるほどの勇気はないらしい。自分より背の低い女は酒のつまみ程度に揶揄うくせに。

「それと、通路が狭いので通して頂けるとありがたいのですが。彼女も、今日の主賓なので早く席に帰らないといけませんし」

 レジ前でたむろする迷惑さも重ねて言及され、男達の間に気まずそうな空気が広がる。「あ、いえいえ。すいませーん」とひょこひょこと頭を下げた彼らは、次々と扉をくぐって外に出ていった。

「ええと……」

 あっという間に開けた視界に、真由美は呆気に取られてしまった。やはりでかい男と女では威圧感が違う。真由美が同じことを言ったとて、元彼は絶対に逃げはしなかっただろう。少し虚しい気もするが、こればっかりは仕方ないのかもしれない。

 先輩の方は特に気にすることもなく、すでに通路から少し離れたところにある手洗い場所に向かっている。

 お洒落な店にありがちな、繊細で小さな蛇口や手洗いボールと、大きな背中がひどくアンバランスで、なんだか真由美は妙な気分になった。

「あの……ありがとうございます」

「いや、こっちこそごめんね。友達同士の悪ふざけかなって思ってたら、出るタイミングを逸しちゃって」

 そこで、困ったように彼は眉を寄せた。

「……というか、余計なことじゃなかった? もしかして、いつもああいいうノリだったり――」

「しません! むしろすごい助かりました」

 きっぱり言い切ると、彼は安心したように笑った。そうすると、途端に人懐っこい大型犬のような顔になる。

「なら良かった。僕のせいで神坂の友人関係が悪くなったら申し訳ないからね」

「名前、覚えててくれたんですか?」

 真由美の問いに、彼は体の割に小さな目をしばたたかせた。

「そりゃ、今日の主役だしね」

 当然のように返されて納得するも、そうなると自分が覚えていないのが申し訳ない。

「すいません。実は私、まだ名前覚えきれてなくて……」

 歯切れ悪く告げれば「そりゃそうだよねー」と彼は笑った。

「僕は山本。まぁ、あんまり気にしなくていいよ。この部署、どうしても名前覚えられない人もいるし」

「はぁ、そうなんですね」

 さらりと告げられた言葉の真意を掴み切れず、真由美は曖昧な返事をした。この時は「よほど名前を覚えるのが苦手な人がいるんだなぁ」と考えていたのだが、まさか「名前を覚えてもらえない人」という意味だったとは。

 真由美の反応に大した興味も見せず、山本はポケットからハンカチを取り出した。白と黒の鳥が幾何学的に配置された特徴的な絵には見覚えがある。

「エッシャーですか?」

「え、ああ。うん」

 真由美の問いが、己の持つハンカチについてだと気がついたのだろう。畳んだそれを、彼は再び広げてみせた。

「外見がゴツいから、「意外」ってよく言われるんだけどね。結構こういうの好きなんだ。でかいからって美術館に入館拒否はされないし、自分が好きなら良いかなって最近は開き直ってる」

 照れたような言葉で完全に落ちた。真由美と元彼との会話を意識したのなら大したものだが、多分そういう器用なことができる人物ではなく、これは本心なのだろう。

「……私、正式配属が楽しみになってきました」

「そ? なら良かった。かなり変わった部署だけど、頑張ってね」

 さりげないアピールは、さりげないが故にあっさり流された。


 ――とりあえず、先は長そうである。

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