女神の歯車

ももも

女神の歯車

 知性と創造性こそが力の源。

 火の付け方、汚水の浄化法、作物の実らせ方、病気の治療、服一つとっても人の歩みが見られる。

 どのようなことを出来るか創造をめぐらせてきたからこそ、文明は築かれてきた。

 創造性という点で私は弟を超えることはないはないだろう。

「だからこそ、ひとかけらでも彼に魔力があれば」

 つぶやきながら、手にした自動時計をなでる。

 雄鶏たちの鳴き出す明け方だった。

 鐘楼しょうろうのらせん階段へと視線を向けると塔全体が揺れ、やがて鐘の音が響き渡った。



 魂は女神の息吹から作られる。

 けれど時折、ため息からこぼれ落ちた魂が生まれてしまうことがある。

 彼らは魔力を一切感じられないために女神の加護を持たぬものと呼ばれ、弟もまた欠けた魂の持ち主であった。

 魔力こそが身分を語る言葉であり、生活の基盤である以上、加護なきものに対し世間の目は冷たい。

 世間体を気にする両親は捨て子同然に弟を大聖堂へとやり、鐘撞きの仕事につくように決めた。

 貴族の生まれながら最下層階級となった境遇とは裏腹に、弟は素直に成長した。

 ひとえに彼の親代わりであった大聖堂の副司教のおかげであろう。彼は読み書きだけでなく、神学、論理、天文学や薬草学などの教育を弟に親身に施した。

 そうした成果もあり、弟の興味は万物すべてに向けられ、あくなき探究心が尽きることはなかった。大学から借りた本を渡すとたいそう喜び、寝ずに写生をしていた。

 何より弟の興味を引いたのは時計塔の構造だった。

 鐘撞きとなった加護なきものたちの鼓膜が、鐘の響きで破れてしまうのは宿命であった。

 ただでさえ魔力を通じて女神の意志を感じることができないのに、音も失えば万物に宿る女神に近づく術がなくなってしまうという同情から、一世紀以上前に考案されたのが機械式時計塔である。

 鎖を引き下げるとおもりが吊り上げられ、錘の重さで歯車を動かし鐘を鳴らす仕組みにより、鐘撞きは音を失う恐怖から解放された。

 鐘を鳴らすのは女神の祈りへの場の誘いであるため、錘のような命なきもので行うのは女神への冒涜であり人の手で行うべきである、という批判が当時はあったそうだが、何より利便性が上回り、今では各都市に普及している。弟の仕事は主にこの時計塔の整備であった。



 北塔の部屋の入り口をノックすると、ドアはすぐに開いて、弟が顔を出した。彼は私を見ると顔をぱっと輝かせた。

「今日もお勤めご苦労さん。ほら、頼まれていたものだ」

「ありがとう、兄さん!」

「一体、今度は何をするつもりだ? 手に入る一番大きな水晶玉が欲しいと言われたから買ってきたが、あまりに重くてここまで運ぶのにずいぶん苦労したんだ。きちんと説明するまで渡さないよ」

 弟は一瞬むくれたが、背後の戸棚から羊皮紙を引っ張り出し部屋の隅にある大きな机に広げた。

「説明するからはいって」

 日が射さない部屋の中には、簡素な調度品の隙間をぬって書物や無数の紙片が海のように広がっており、棚には鳥の模型や動物の頭骨がいくつも並ぶ。机の上には蝋燭の火で熱せられ蒸留器がボコボコと音を立てている。そのそばで、振り子が揺れていた。さながら錬金術師の部屋だ。

 弟は暇さえあればこの部屋にひきこもり、実験とやらを繰り返していた。実験に使うからと魔法堂の器具をよく欲しがったが、加護なきものの立ち入りは基本的に禁じられていたため、代わりによく買い付けていた。

 数々の実験を経て弟が作り出したものの一つには自動時計があった。

 機械式時計塔を見て、思いついたと弟は言う。

「日に三度鳴らされる鐘の音の代わりに、誰もが時を運べるようなものがあれば便利だと思ったんだ」

 弟に丸みを帯びた手のひらサイズの銀製の品を渡され、言われるままに固いネジを回し終えた瞬間、歯車が生きているかのように動き出した時の衝撃は忘れられない。

 生きとし生けるものに魂を与えられるのは、女神ひとりだけだ。

 けれど目の前の物体は魂を欠いているのに、止まることなくずっと動き続けていた。

「なんだこれは」

「時計塔の仕組みを応用したものだよ。渦巻き状に巻いたバネを引っ張って生まれた力で四つの歯車を回転させて、中にある振り子を往復させることで動いている」

 弟は得意げであったが、私は見てはいけないものを見た気分であった。時間は女神の支配するものだ。それをこのような無機質な塊で置き換えようなど冒涜ではないだろうか。それに魔力を込めるようにネジを回す動きは、加護なきものが魔力を使えると錯覚させる。そんなものを作ってしまう弟の姿に哀れみを感じた。もし彼が普通の人であったら、このようなものに時間を費やさず、真っ当な道を歩んで歴史に名を馳せる偉大な魔法使いになったかもしれない。視線を感じ顔を上げると、弟が不安そうに私を見ていた。

「何か、兄さんを怒らせるようなことをしてしまった? ごめん。僕、魔力がないから何が禁忌なのか分からないんだ」

「いいや、今までこんな奇怪な物を見たことのないからびっくりしただけだよ」

「本当? 大学の先生にそう言ってもらえるなんて嬉しい! あのさ、兄さんがよければなんだけれど、他の先生にも見てもらったりできないかな? まだ改良の余地があると思うから、いろんな意見が欲しいんだ」

「いいとも」

 厄介な、と心につぶやいたが何くわぬ顔でうなずいた。そして大学へ持っていったところ、たまたま大学を訪れていた元王太子の目についたのだった。



「自動時計のおかげで、僕が見えざる大学に誘われたことは知っているだろう? あそこでは僕では考えつかないような数々の実験が行われているんだ。そして今から兄さんに見て欲しいのは、その中の一つだよ」

 苦虫を噛み潰したような私の顔は、弟には見られなかっただろう。最近、弟は大学とは名ばかりの怪しげなクラブに頻繁に出入りしていた。ただの加護なきもの同士の集会ならばいい。だが例の元王太子が後ろ盾となっているのが非常に厄介であった。

 第一子として生まれた元王太子が廃嫡されたのは、お身体の弱さゆえとの理由だが、真相は加護なきものとして生まれたためではないかともっぱらの噂であった。加護を与えなかった女神への恨みから、魔女に傾倒しているという話もある。

 魔女と疑われ裁判にかけられ、絞首刑となったものは数多い。弟が何かよからぬことに巻き込まれないだろうか。いっそ、弟が怪しげな連中と付き合っていると両親に打ち明けてしまおうかと考えもするが、あの両親のことだ。弟を軍隊にやるかもしれない。戦線に送られる加護なきものの使い道など、ただ一つ。弾除け以外ない。成人して間もない弟をむざむざ死地にやるなどできやしない。弟の将来に対する不安だけが募っていくばかりであった。

 私の心配をよそに、弟は嬉々として準備を始めた。

「今から兄さんが買ってきてくれた、その大きな水晶玉を手も使わず持ち上げてみます」

「へぇどうやって?」

「こちらを使います」

 鈍い音を立てて机に置かれたのは、どこか時計塔を思わせる奇妙な器具であった。三脚のような木製のフレームが円筒ガラスを中心で支え、ガラスの上部には真鍮の金具が取り付けられている。床には両手でようやく持てる大きさの球形の金属の塊が転がっていた。

 水晶玉を受け渡すと、弟はガラスの底にピッタリとはまっているコルクに器具を使って錘のように引っさげた。そして床にあった金属の球を持ち上げ円筒ガラスの上に乗せて嵌めると、金具の一部をいじり始める。

 これから何が始まるのかと見ていると、空気が抜ける音とともに円筒ガラスの底のコルクがガラス伝いにするすると上に登っていき、ぶら下がっていた水晶玉も一緒に引っ張り上げられた。

 我が目を疑った。そんなはずがない。あの水晶玉は小さな子供ほどの重さがあるのだ。ひとりでに持ち上がる訳がない。

「魔法が使えるようになったのか?」

「いいや、あいかわらずさっぱりだよ」

「では、一体何をしたんだ?」

 弟の言うとおり、器具からはなんの魔力も感じられなかった。

「空気ばねを使ったんだ。まだ仮説の段階と言われているけれど、空気にはバネのような性質があるんだって。この円筒ガラスの中を真空にすることで、ガラスの外側から圧がかかって水晶玉と一緒にコルクを持ち上げたんだ。すごいだろう? 僕も初めて見た時はびっくりした。今、この原動力で他に何かできるか考えているところ」

 驚いたどころではなかった。

 頭をもたげるこの感情は、自動時計を見た時に抱いた遥かにこえる、恐怖であった。女神の意志なしに物質が勝手に移動するなどありえない。小石が地面に落ちるのは、女神のいる宇宙の中心へと向かっていくからだ。それが自然の摂理だ。

「見えざる大学では、このような力を研究してどうする気だ?」

「僕らは解明したいだけだよ。真空の性質、宇宙の構造、物質の本質。既存の知識では説明がつかないことが多すぎる。僕には魔法が分からない。でもこうした方法さえ知っていれば誰もが再現できる実験から得られる知は普遍だ。そうした知を一つずつ積み上げて、今まで知られていなかったこの世界の法則を証明していきたい。自然のあらゆる変化も生命も体も歯車のような部品や法則によって働いていると思うんだ」

 あまりに異質な思想だ。この体が法則によって動くというなら人間の魂はどこに存在する? やはり弟はよからぬ道に進んでいると両親に忠告すべきだ。たとえ軍隊に入れられてしまっても伝手はある。細かな計算ができると経理へ回してもらおう。

「ああ! しまった!」

 弟の声に我に返り、視線をあげる。机の器具を動かしながら慌てふためいている。見れば円筒ガラスにヒビが入っている。亀裂はだんだんと大きくなっていった。

「危ない! 離れろ!」

 とっさに防御魔法を唱え、そばにいた弟の腕をつかんで地面に引き倒す。次の瞬間、爆発する音が聞こえた。魔法障壁にガラスの破片がパラパラと降り注ぐ。しばらくたってから体をおこし部屋を見渡すと、机の上にあった円筒ガラスが粉々に砕け散り、床に落ちた大きな金属球はへこみ、惨憺さんたんたる有様になっていた。

「一体、何が起きた?」

「ガラスの中の空気を抜きすぎた。加減を間違えたら爆発するから注意しろって言われていたのに……。ごめんなさい。一つ間違えれば大怪我するところだった」

 弟はさっきまでの意気揚々さが嘘のように様変わりして意気消沈していた。その姿にふと、頭をよぎる光景があった。

 生き別れた弟を探して、この大聖堂を初めて訪れた日。

「兄さんって呼んでも、いいですか?」

 おずおずと尋ねた弟の不安で泳ぐ目をみて、思わず抱きしめた。

 あの日から弟はずっと私を慕ってくれた。頭はいいのにそそっかしくて、あっと驚くことをやってしまうこの子を守ってやらねばならない。それが兄の努めだ。

「〝真理は汝を自由にする〟」

 うなだれる弟の額をコツンと叩いた。

「真理の追求こそ女神さまが求めること。お前のやっていることもまた女神さまに近づく道だ。ただ誰も歩いたことのない道に失敗はつきもの。それにお前が何かとんでもないことをしでかすのは昔からだ」

「ありがとう、兄さん」

 弟は安堵をにじませた笑顔をして言った。

「借りてきたやつなのに壊してしまった。とりあえず箒とチリトリ持ってこよう」

「魔法の方が早い。ここは片付けておくから、さっさと謝ってこい」

「ありがとう、そうする!」

 弟は颯爽と立ち上がるとマントを羽織り、足早に部屋を出ていった。

 弟の後ろ姿を見送ると、気力を取り戻すように息を吐き、部屋中の魔力探知を行う。予想通り、魔力は感じられない。あの爆発も、私の預かり知らぬ何かの力によるものだ。

 だが私に感じ取れないだけに違いない。そもそも女神さまは計り知れず不可解で、無限な存在だ。この力もまた逸脱したものではなく、今まで発見されていなかっただけのこと。物質とは異なる無形の存在があのガラスの中に満ちていたに違いない。

 真空というものがどのように使えるのか私には理解が及ばないが、弟ならまた思いもよらぬ物を作り上げてきそうだ。初めこそ人はこの力を恐れるかもしれないが、使える物だと分かったらいずれ受け入れていくだろう。機械式時計塔が生まれた直後に批判されたのも一時のことで、すぐに便利さを享受してしまったように。けれど心をざわつかせるこの感情はなんだろうか。

 なんともいい知れぬ不安を抑えるよう魔法を唱えると、体の中を温かな力をかけていく。女神の意志を感じるこの瞬間こそ、世界は慈悲深く見守られているのだと実感する。

 弟にとっては魔法もまた、何かの法則によって歯車のごとく動くものに見えるのだろう。魔力の感じられない加護なきものに、感覚が語りかけるものを理解しろというのはむずかしい話だ。

 それにもし本当に弟の言うとおりであったら、この温かなものは体のどこかにある器官が発するただの熱だというのか?

 だとすれば女神さまの意志など、どこにもないことになる。自然も歯車、生命も体も歯車。まさしく異端の発想だ。いたるところで歯車がグルグルと回り続ける信仰なき世界を想像してぞっとした。

 恐ろしい考えを振り払うように、その場にひざまづき祈りを捧げる。

 女神さま、これからもあなたの教徒として生きて祈りを捧げ、心の信仰を守っていきたいのです。

 けれど体の震えはおそまりそうになかった。一度芽生えた疑念は消えることなく私の心の中でずっと渦巻いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女神の歯車 ももも @momom-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ