第五十四話 イスカと生き物②

「また門の塔へ行かれたのですか?」


 レウテーニャ魔法大学校の教師兼教頭のナロメ・レスピナスは、赤いピンヒールパンプスをコツコツ鳴らし、魔法で浮かび上がらせた本の山を近くのキャビネットへ置いたあと、学長のイスカ・ロローへ話しかけた。


「うん。 行ってきたよ~」


 この人はサラリと認めてしまうんだな、と思いながらナロメは次の作業へ入る。

 門の塔への出入りは基本的に観光者か攻略者だけだ。攻略者は一度入るとよほどのことがない限り出てはこないし、もう一度入ろうと思えば莫大な入塔料を払わねばならず、再び入ろうとする者はほとんどいない。観光者であれば入塔料は比較的安いがそれでも入塔料はバカにならないので、何度も入ろうする者は物好きくらいだ。

 ではなぜ、イスカはそう何度も入ったり出たりしているのか。


「よくそう何度も門の塔に入られますよね」

「だって、珍しい生き物がいるし」

「……こちらとしてはこの無駄に溜められた仕事を全て終わらせてから行っていただきたいのですが」

「ごめん。ごめんて。でもさ、本にしか載ってないような魔法生物の情報聞いちゃったら居ても立っても居られないんだよね~」


 この男は魔法生物のことしか頭にない。学長という立場をいい加減理解していただきたい。

 ナロメは胸のあたりに沸々と煮詰められたこの怒りという感情を必死に抑え込み、別の話題を振った。


「……あのお二人、コウさんとミキさんにはお会いしたのですか?」

「会ったよ~。赤の門の前でね」

「赤の門ですか」

「うん。ナロメっち、赤の門ってどんな門か知ってる?」

「いえ、存じ上げません」

「中に国があるんだよ。”赤の国”っていう国が」

「国、ですか?」

「うん。その国ってのがちょっと血の気の多い国でね。二人のこと、中でサポートしてあげようと思ってたんだけど、僕一人守りきるのに精いっぱいでさ。入ってすぐ見失っちゃったし。今頃無事だといいけど……」

「お二人なら大丈夫でしょう」

「えらく自信がある言い方だね」

「お二人は私の教え子ですから。教え子のことを信じてあげなくて誰が信じてあげるんです?」

「まぁそうだけど……って! サラリと自分一人の教え子って言ってない? 僕の教え子でもあるんだけど!」


 ナロメは、背後でギャーギャー叫んでいるイスカを無視して書類の目を通していく。

 コウとミキの無事を耳にして少し安心したのか、仕事が捗る。


「もういいよ~。ナロメっちに新しく保護した子見せてあげないんだから! フンだ! フンフンだ!」

「いい歳して子供みたいに拗ねないでください」

「いいも~ん! 子供だも~ん!」

「……めんどくさ」

「今何って言った? ねぇ! 何て言った!?」


 ナロメはまたイスカのことを無視し、書類を再度確認していく。

 めんどくさくて仕事を一切しないこの男に無言の呪文でもかけてやろうか、なんて思いながら。


「いいも~ん! 僕今日はもう仕事しないも~ん! 動物たちのとこ行っちゃうも~ん」

「どうぞご勝手に」

「うっわ! 本当にいいの? 三日は出てきてあげないんだから!」

「だからご勝手にどうぞ」

 

 すると、イスカは学長室にあるクローゼットの前まで歩いていき、

「ほんとにいいんだね? いいんだね?」

 何度もナロメへ確認する。


「さっきから言っているでしょう。ご勝手にどうぞと」

「わかった! フン! 泣いてお願いしてきても出てきてあげないんだから!」


 そう言ってイスカは、クローゼットの中へ消えてしまった。


「はぁ~。うるさいのがやっと消えた」


 ナロメはそう言いながら、室内にあるティーポットとカップに向かって杖を振る。

 ティーポットは宙に浮き、まるで踊るように一杯の紅茶をカップへ注ぐ。そのあと、カップはナロメの元へゆっくりとやってきて、ナロメはそれを手に取る。そして、紅茶を口に含んだ。


「ふぅ~……」


 今日はテルパーノでも随一の茶葉を取り扱っている”太陽色のペンギン”のアールグレイか……などと思いながら、窓の外の青空を見る。


「紅茶の趣味はいいのに……」



 ◆



「フンだ! ナロメっちなんてもう知らないんだ!」


 クローゼットの中の階段を降りて行くイスカは、未だ子供のように独り言を言っていた。


 イスカの学長室にあるクローゼット。一見ただのクローゼットだが、イスカが魔法で作った魔法のクローゼットだ。

 何も知らない者が開くと、ただ服がかけられているのだが、杖を一度振れば秘密の動物保護部屋へ向かうことが出来る。

 このことを知っているのは、教頭のナロメとイスカの弟であり杖職人のリーウ・ロロー、他は数人程度だ。

 

「ミルニャちゃんモフモフしよ。癒してもらおっと!」


 コツコツと階段を下りた先には、この世のどこでもないとても広大な草原が広がっている。

 右側には大きな湖、左側には生い茂った森、背後には厳しく聳え立つ山、天には青く見下ろしてくる空。


 イスカが一番大事にしている場所だ。


「さーて、ミルニャちゃんはどこかな?」

 

 辺りを見渡して、ミルニャこと魔法生物の”ビグナネコ”を探す。

 ”ビグナネコ”とは、とても体の大きい猫のような見た目をしている。よく人に懐く心優しい動物なのだが、如何せんその体の大きさで器物の損壊や、自身の意志とは関係なく人に危害を加えてしまうため、一部の国では殺処分が行われていた。そのため、世界的にも数が少なくなっている。

 イスカのクローゼットの中にいるミルニャは、ハンターに狙われていたところをイスカが保護した。

 それからミルニャはイスカのことを気に入り、クローゼットの中に居座っている。


「ミルニャちゃーん! どーこー?」


 イスカがミルニャの名を呼ぶと、森のほうから何やら大きな音が聞こえてくる。

 その音がどんどん近づいてきたと思えば、イスカは何か大きな衝撃を受け、ふんわりとした何かに包まれた。


「わっ! ミルニャちゃんか! びっくりするじゃないか!」

「ニャフー!!」


 ミルニャの頬ずりを受け癒されていると、今度は上空に何やらキラキラしたものが飛んでいる。

 あれは魔法生物の”星鳥”だ。


「やぁ! ホッシーも元気そうだね!」


 イスカに”ホッシー”と呼ばれている星鳥は、上空を旋回しながら大きな鳴き声を上げる。


 イスカのクローゼット内にいるこの星鳥も、イスカが保護した個体だ。

 彼もまたハンターに狙われ、翼を怪我して飛べなくなっていたところをイスカが保護した。

 星鳥は数が少なくその生態こそ不明な点が多いものの、黒い羽毛に中に星空のようキラキラとした斑点が美しく、羽根一枚でも大きな戸建ての家が一軒や二軒建つほどの値段で取引されている。


 ミルニャの拘束から離れたイスカは、地上に降り立った星鳥の様子を確認する。


「うんうん。怪我の具合も良くなってきたね。相変わらず羽根が本当に美しいね、君は」


 イスカの言葉を理解しているのはわからないが、星鳥は自信満々といった表情をしながら翼を広げる。

 その美しい翼は、この地上のどこを探しても、こんなにも美しい星空はないだろう。


「君とのお別れも……近いかもしれないね」


 イスカは寂し気な表情でそう呟く。


 イスカの魔法生物保護活動は、あくまで”一時保護”に留めている。

 今現在保護しているのは研究の一環もあるが、魔法生物を狙うハンターたちから守るためや、怪我の治療など、それぞれ理由がある。


 ビグナネコのミルニャのように、イスカに懐いてここへ居座っている者はそのまま居てもらうこともあるが、星鳥のような動物は、怪我の治療が終わり経過が良好であれば、元の世界へ返すようにしている。

 もちろん、自分の元へ置いておいたほうが安全なのは確かだ。

 でも、それでは動物たちの本当の幸せになっているのかとイスカは思う。自然の世界で、自然な形で、自然の中で生を育み、次の世代へ繋いでいく。それが本来あるべき姿だからこそ、イスカは一時保護という形を取っているのだ。



 森のお口にある、薄暗い湿地帯へやってきたイスカはある魔物を探していた。

 

(さてさて、次は、キちゃんだ)


 ”ナキちゃん”とは、イスカが先日門の塔の森の門で捕獲した”亡骸の魔物”のことだ。

 亡骸の魔物は、その名の通り、全身が人間の亡骸でできている。本体は実体がなく、亡くなった人間の体の一部を繋ぎ合わせ、実体を作っていく。完全な体にかるまでに百年かかると言われている。


 湿地帯の奥のまた気味の悪い場所までやってきた。

 クローゼットの中はずっと日が射していて昼間なのだが、ここはずっと雲がかかっておりまるで夜になったのかと錯覚してしまうほどだ。

 墓地のような場所まできたところで、イスカの背後から大きな剣が襲い掛かってきた。


「うわお! 危ない!」


 咄嗟に避けたイスカの目に入ったのは、亡骸の魔物だった。


 すぐに呪文で弱体化させ、腕や足を捕縛する。


「今日も色々見せてね。ナキちゃん」


 まずは頭だ。

 イスカはズボンの後ろポケットからナイフを取り出し、その頭――と言ってもほとんど頭蓋骨だが――を解剖していく。

 頭蓋骨の割れ目からうまく中を覗くと、ほとんど腐ってしまっている脳みそだったものがそこにあった。


(なるほど。こうなると脳はほとんど機能していないだろうな。彼の思念体はやはりどこかに本体があって、そこが脳のような役割を担っていると……)


 紙と万年筆が魔法によって動き出し、イスカの頭上でメモを取っていく。


(この脳みそはいつ頃の物だろう……。さすがに性別まではわからないな。またどこかで別個体を捕まえなくちゃいけないか)


 脳のことは一旦これでおしまいにして、次にイスカは胴体を調べ始めた。


「おっと。動かないでね、ナキちゃん。痛くないから」


 いや、ほぼ死体みたいなものだし痛みはないか、などと考えながら、イスカは胴体にナイフを入れ解剖していく。

 とは言っても、表面の皮膚はほとんど腐っており、ほとんど中は見えているのだが。


 暴れる亡骸の魔物をなんとか解剖していき、胴体の見たい部分を覗き込んでいく。


(やっぱり内臓もほとんど腐ってるか、無いよね)


 人間にはある臓器のほとんどがなく、あっても腐っていて機能していない。ただそこにあるだけ。

 これじゃ臓器の形をしたアクセサリー同然じゃないか、腐ってるけど。などとイスカは思った。


(やっぱり別個体を捕まえて検証しないとだな。また門の塔に入らなきゃね……メモメモ)


 


 湿地帯から離れ、草原へと戻って来たイスカは、他の動物たちの面倒を見ていた。


「ユニたん、体調は良好そうだね。本当に君の鬣は綺麗だなぁ」


 イスカの言う”ユニたん”とは、魔法生物の”ユニコーン”のことだ。馬のような見た目をした伝説上の生き物で、おとぎ話にもよく出てくる。真っ白な毛に絹糸のような鬣と尻尾、白い蹄で歩くその姿は眩い。その美しさゆえに、多くのハンターたちから狙われているのだ。

 イスカの元にいるユニコーンは特に珍しい個体で、他の毛色は普通のユニコーンと差異ないが、鬣の色が真っ黒だ。たぶん突然変異でそのようになったのだと思われるが、普通のユニコーンでも珍しいのに変わった鬣のユニコーンともなれば、魔法生物のマニアやハンターたちがこぞって欲しがるというわけだ。

 そして彼はイスカと出会ったとき、ハンターに狙われ酷い怪我を負わされていた。そのため額の角の先端が折れてしまっている。そのときに折れてしまったのだろう。


「君もほんとは元の場所に帰してあげたいんだけど、群れが見つからなくてね……」


 ユニコーンは群れで行動する。

 このユニコーンが元いた群れの行方を今追っているところだが、残念ながら情報がないのだ。どこか別の場所に移動したのか、ハンターたちに殺され群れそのものが無くなってしまったのか……。


「あ、君を探してたんだ。やっと見つけたよ」


 ユニコーンのことを考えていて、足元に居るその魔法生物に気が付かなかった。

 彼は魔法生物の”赤尾の猫”。赤の門にしか生息していない貴重な生き物だ。


「君の事を調べさせてもらうよ」


 イスカは赤尾の猫の体を触る。

 毛質や骨格などはほとんど普通の猫と変わりなく、体の大きさが普通の猫の3倍ほどある。


「ごめんね。尻尾を触らせてね」


 イスカは赤尾の猫の尻尾を優しく触る。

 ”赤尾の猫”という名の通り、尻尾の毛が赤毛でフワフワと柔らかいのが特徴だ。


(普通の猫に比べて長いな。動きは猫と同じ感じだが……)


 そこから足の裏、お腹周り、顔、髭など入念に触ったり、目視などしていく。


 ”赤尾の猫”は、今いるこの世界ではあまり知られていない。主に赤の門の中にいるためだ。

 その生態こそ謎が多いため今回は研究の一環として保護したが……。

 イスカは怪訝な顔色を浮かべる。


(まさか、赤の国が今にも戦争を始めようとしているとはね……)


 赤の国は元々血の気の多い国だが、イスカが5年前に入った頃は戦争の影はなく、とても平和な国だった。

 だからこそ、赤尾の猫へ危害は及ばないと考えて、あのときは落ちていた髭だけを拝借して出てきたが。


(戦争を始めるってことは、お金も必要になる……そうなれば……)


 赤尾の猫のような髭や毛が高く取引されてるような生物は、ハンターに狙われやすくなる。

 これは赤の国も同じだ。


 そのために赤尾の猫を一匹ここへ連れてきたことは、イスカにとって不服だった。

 本当は赤の国で静かに過ごしてもらうほうが幸せだし、門の塔の中の生物を連れて来てしまうことで生態系が乱れかねない。だが、今回だけは致し方なかった。



 赤尾の猫を念入りに調べ上げたあと、イスカは近くに落ちていた星鳥の羽根を拾い上げた。

 

(まだナロメっちいるのかな……)


 ナロメにあんな捨て台詞を吐いたあとだ。クローゼットの中から出てくるのは少し気が引けるが、ナロメなら気にしないでいてくれるだろう。

 そう思ってイスカはクローゼットから出ることにした。


 階段を上り、ゆっくりと扉を開く。

 辺りを見渡し、様子を窺う。


「よしっ!」


 丁度授業だったのだろう。学長室にナロメの姿はなかった。


 物音を立てないようクローゼットから出て、杖を振る。これでクローゼットは普通のクローゼットになる。

 そして、そのクローゼットの近くにある全身鏡へ近づき、また杖を振る。


 イスカは全身鏡の中へ入った。



 ◆



 テルパーノのとある路地の奥の奥。

 薄気味悪いこの店は、杖職人のリーウ・ロローが営んでいる。


「そろそろ、カエデの木材仕入れとかなきゃな~」


 リーウが木材の在庫を確認していると、店先から何やら物音がした。

 物音の主を確認しにいくと、見慣れた姿がそこにあった。


「やぁ~。兄さんじゃないか~」


 見慣れた姿とは、リーウの兄のイスカだ。


「リーウ。ホッシーの羽根、持ってきたよ」

「お~。ありがとう~」


 イスカは星鳥の羽根をリーウに渡した。


「それで、その羽根をどうするんだい?」

「決まってるじゃん~。杖の芯材に使うんだよ~。魔法生物の素材は貴重だから~なかなか手に入らなくってさ~」

「ふんっ」


 イスカはリーウの杖を作る腕はテルパーノ、いや世界一だと思っている。

 だが、魔法生物の素材を使った杖にだけは納得がいかないのだ。


「兄さん~、もしかして機嫌悪い~?」

「魔法生物の素材を使った杖ってのが気に入らないだけだよ」

「ふ~ん。ほんとはナロメと喧嘩して機嫌が悪いんじゃないの~?」

「喧嘩などしていない!」

「へ~。さっきナロメから”兄さんが来たら仕事しろって言って”って、鳩メールが来てたよ」


 ナロメはイスカの行動を読んで、先に手を回しておいたのだろう。

 相変わらずだな、とイスカは舌打ちした。

 

「学長さんは学長さんらしく~早く学校に戻りなよ~」

「うるさい! 小言を言うなら、さっきの渡した羽根! 返してもらうぞ!」

「い~や~だ~」


 イスカよりもずっと背の高いリーウの手に届くはずもなく、イスカはまたその事実に苛立ち、拗ねて学校へ戻っていった。

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門の塔 小望月待宵 @matsuyoi-k

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