第五十三話 椿の門
しーん……と静かな空気。その空気に交じって噴水の水温が聞こえる。
私は目を覚ました。
上体を起こして、腕を天井に向け、うーんを伸びをして体を覚醒させる。
「ふぁあ~」と大きな欠伸を一つ。朝の新しい空気が肺に入ってくる。
ここ数日悪夢に悩まされ、寝ても体調が悪い日が続いていた。だが今日はなんとも目覚めが良く、体調も万全。悪夢を見ていた期間が嘘のようだ。
(頭痛もしないし、今朝は良い夢も見れたな……)
今朝見た夢は、死んだパパに抱きしめてもらう夢。
大きな体で小さな私の体を目一杯包み込み、強く、けど私を潰さないような力加減で優しく抱きしめてくれる。少し海の匂いがして、温かくて……。
(パパ……)
センチメンタルになっちゃダメ。今は門の塔の攻略中なんだから。
そろそろコウを起こさないと。
今日まで心配かけちゃったし、私が朝ごはん作ろうかな。
◆
「ミキ! このスープとっても美味しいよ!」
「ほんと? お口に合ったみたいでよかった」
今朝は少し早起きしたミキが朝食を作ってくれた。
昨日まで体調があまり良くなさそうだったので、無理をさせてしまったかなと思いながらも、作ってもらった者は有難くいただくとする。
「ミキ、今日は体調どう?」
「とってもいいよ。 それに今朝の夢、とってもいい夢だったの」
「ほんと? それなら良かった」
ミキが見た夢の内容が気になるが、ミキが見たのならミキの中だけに仕舞っておくべきだろう。それが一番だ。
僕はそう思いながら、丁寧に皮をむかれたリンゴを一口齧る。……甘くて瑞々しい。
「もしかしたら、昨日の門で――悪夢の虫だっけ?――あれがどっか行っちゃったのかな」
「ずっと陽だまりで眠ってたし、そうかもしれないね」
「でも、”悪夢の虫”ってなんだろうね? いつどこでついちゃうんだろ」
「確かに……。ここに来る前にもうちょっと調べればよかった」
「でも、そんな虫がいるなんてナナパ先生は一つも言ってなかったし、調べようがなかったじゃない」
「そうだけど……。まぁそうだよな……」
”悪夢の虫”については、銀の門で銀龍さんに教えてもらったのが最初だ。
ナナパ先生は門の塔に詳しいとは言え、ここは未知なる世界。彼がいくらここのことを知っていようと知らないことはまだまだあるということだ。
新しい何かが生まれれば、古い何かが消え、古い何かが再び生まれることもあれば、新しい何かがあっという間に消えてなくなる。
門の塔とはそんな場所なのだ。
僕たちは急いで朝食を終え、身支度をし、次なる門の前へ向かった。
ここは門の塔の三階。三つ目の門、”椿の門”の前。
門の前はそれなりに人が並んでおり、少し賑わっているようだった。
並んでいる人の荷物や服装を見る。僕たちのような攻略者と観光者が半々と言ったところだろうか。
なんでもこの”椿の門”。ガイドブックによると、雪景色の綺麗な庭が見られるらしい。そのため観光者の間でも人気の門なのだと記載されていた。
僕たちは列の最後尾に並び、辺りを見渡す。詩を見つけるためだ。
あっ! とミキが指さした場所は、椿の門の上部。そこには赤褐色の木板が掲げられていた。
冬の庭 雪の中
白に映える 赤き花
その愛は 慎み深く
君を見る あゝ 見えなくなった
椿の門の詩は、また恋の詩のようだった。
この詩人はどこまで想い人のことが好きなんだとも思わなくはないが、何か門の中でのことで伝えたい話を恋の詩でうまく隠しているのかもしれない。意図はゆっくり読み解いていくとして……。
次は門番の話だ。
椿の門の左側に突っ立っているボロボロのローブを着た門番。
手には柄の長いランタンを持ち、そのランタンからは赤い光が輝いている。
「首ごと落ちても その美しさ」
門番は、女性の声で、どこか寂し気な声色でそう言った。
「詩と門番の話、全然違う感じ……じゃない?」
ミキは首をかしげながらそう言う。
「僕も思った。詩は恋の詩なのに、門番はちょっと怖い感じだよね?」
「そうだよね? ここから考えなきゃいけないのかー」
「今はまだピンと来ないだけだよ。中に入ればすぐにわかるかも」
僕たちがそう話している間に列は進み、順番が回って来た。
椿の門の扉は、詩が書かれていた木板と同じように赤褐色だ。
その表面には椿の木が彫刻で掘られており、それはそれは美しい。どこかの洋館の大広間の扉と言われたら信じてしまう程の出来栄えだ。
僕たちはその扉を開け、中へ入った。
中はまたあの薄暗い松明が壁にかけられた通路だ。
でも今回はいつもと違う。中はとても気温が低く、一瞬で肩を縮めてしまうほど寒かった。
「寒い……」
「寒いね……。今のうちに防寒具を身に付けておこう」
僕たちはサコッシュからマフラーやニットのベストなどを取り出し、身に付けた。
ライの赤いマフラー……。これからもお世話になりそうだなと思いながら、首にくるりと巻く。この前洗濯したところだからか付け心地が上がっているような気がする。
冬支度を終えた僕たちは通路を進み始めた。
コツコツと足音が響く中、僕たちの白い息が目立つ。
松明の火が元気よく燃えている場所はなんともないが、松明から離れた場所の壁には小さな氷柱のような物がいくつかぶら下がっている。その光景がより寒さを物語らせている。
手を擦ったり、息を吐きながら「寒いね」なんて会話しながら通路を進んで来た僕たちの目の前に白い光が見えてきた。
通路からやっと出られるらしいが、できれば通路より暖かいと嬉しいななんて望みは叶うわけもなく、その先は一面銀世界。通路より寒い場所に出てきた。
ここは”冬の門”の間違いじゃないか?なんて叫びたくなるほど、一面、雪、雪、雪……。
寒さも尋常じゃなく、何か温かくなるようなスープが欲しくてたまらない。
「うぅ……寒い……」
ミキは自身の肩を擦りながら震えている。
「早いとこ出口を見つけよう……。スープでも用意しておけばよかった」
「朝作ったの、残しておけばよかったね」
「ごめん! あまりにも美味しくて僕がいっぱい飲んじゃったから……」
今朝、ミキが作ったスープがあまりにも美味しく、僕は何杯もおかわりをして飲み干してしまったのだ。
おかげで少しだけトイレが近いのはミキには秘密だ。
「コウったら……」
ミキはクスクスと笑う。
「そ、そんなに笑わないでよ……」
「だっておもしろいから……うふふっ」
僕の顔はこの雪景色には似合わないほど紅潮しているだろう。
せめてこの寒さで熱を冷ましてはくれないものだろうかと思うが、そう簡単には冷めそうになかった。
寒い寒いと言いながら、たくさんの踏まれた雪の痕跡を追うと、そこには庭があった。
庭と言っても、この辺り――テルパーノ周辺――や、僕の故郷バーオボで見るような庭ではなく、どこか異国情緒溢れるような、寂しいようなでもどこか温かくも感じる……そんな雰囲気に庭だ。
えっと、こういう庭をどこかの本で一度見たことがある。
どこだっけかな……えっと確か……。そうだ! ジャプニーナの文化に関する書籍だ!
形が不揃いな大きな岩が、どこか不規則にでも整理されたように並べられ、岩の周辺に緑色の鮮やかな苔が生えており、またその周りに白い砂利が敷き詰められていて、その砂利はまるで波打つ波紋を描くように、そして流れては押し寄せるように凹凸を描いている。
こういった庭のことを”枯山水”というのだと、その書籍には書いてあった。
「不思議な庭だね」
ミキは、庭を見てそう言う。
「確か、”枯山水庭園”っていうんだ。ジャプニーナの庭だってちょっと前に読んだ本に書いてあった」
「”枯山水庭園”……。何か意味があってこういう並びになってるのかな?」
「確か、大きな岩は”島”を、白い砂利は”海や水”を表現しているんだったかな」
「だからどこか不揃いなのね。でも、コウに言われてからこのお庭が島とか海に見えてきたかも……」
この枯山水庭園を造った人がどういった表現をしたのかはわからないが、僕たちはどこか遠くの山の上から海に浮かぶ島々を眺めているような、そんな気がしてくる。そして、不思議とさざ波の音、ユラユラを空を泳ぐウミネコの鳴き声、時折吹く潮風を感じる。
本当に不思議な庭だ。
「あれ? 庭園の奥に生えてる木って……」
「椿だよ! あの赤い花は間違いなく椿だ!」
ミキに言われて気づいたが、庭園の奥側に濃い緑色の葉を持った木がいくつか並んでいる。まるで庭園を取り囲むように。
雪景色の中の枯山水と椿の木。この濃淡がなんとも趣があって面白い。
「こうやって全体を見ると、また違った雰囲気に見えてくるね」
「うん。今度はなんだかこの世じゃないような……」
「ミキ、怖いこと言うね。……僕もだよ」
先ほどまで見えていた大海に浮かぶ島々は、今ではどこかこの世のではない場所に見えてくる。
大きな岩は善良の神々、苔やうねった砂利は無数の人々。その周りを取り囲むように立つ椿の木々は、庭園の外の世界からその光景を眺める何か。その何かはわからないが、椿の木に咲いた花が見下ろすように少し下方傾いている。頭に雪を積もらせ、今か今かと待っている。そんな風に見える。
この庭園を造った者は、たくさんの意味を持たせたのか、それともたった一つだけの意味を持たせたのか。
見る人や見る角度、季節や時刻などで様々な顔を見せる。造った人がそこまで考えていたのなら関心する他ない。
そろそろ寒さも限界に近付いてきた。
門番の話と詩を照らし合わせ、謎解きをして出口を見つけなければならない。
「首ごと落ちても……白に映える赤き花……」
「椿の花のことかな?」
「どうして椿の花?」
「普通の花って花びらが散っていくでしょ? でも椿の花って頭ごと落ちるんだよ」
「そうなの!?」
「う、うん。これも昔読んだ本に書いてあったから本当に見たわけじゃないんだけど……」
椿は他の花と違って、花ごと地面に落ちる。花弁と雄しべが繋がっているため、そうなるらしい。これも本から得た知識なのだが。
「でも、詩の言う通り、椿の花があの砂利の上に落ちたら幻想的だよね……」
「それだよ! ミキ!」
「えっ? 何?」
「椿の花をあの砂利の上に落とすんだ!」
「それがどうしたの?」
「まぁ、少し見てて」
僕は腰から自分の杖を取り出す。
杖先と、少し遠くにある一つの椿の花に意識を集中させる。
「えいっ!」
僕が杖を振ると、小さな赤い閃光が椿の花目がけて飛んで行く。
僕が放ったのは通常攻撃魔法だ。先日ミキに簡単だからと教わったのだ。
「あ! 椿の花が!」
僕の魔法は見事椿の花に命中し、椿の花は白い砂利の上にぽとりと落ちた。
「よし! うまくいった!」
その椿の花が落ちた砂利は突然渦を作り始めた。海に円を描き、グルグルと回っている。
「僕先に行くよ! ミキもすぐついてきてね!」
「あ、コウ! どういうことなの?」
僕はミキの言葉を無視して、渦へ飛び込んだ。
「ちょっとコウ! 置いていくなんてひどいじゃない!」
あの薄暗い通路にミキの声が響く。少し耳が痛いくらいミキは声をあげる。
「ごめんって。ミキならすぐ真似出来るだろうって思ってね」
「もう……。それでどういうことなの?」
「どうって?」
「とぼけないでよ!」
「ほんとにごめんって。 詩と門番の話だよ。椿の花を砂利の上に落とす。それがヒントなのかもって思ったんだ」
「それだけ? もしかしたら雪の上かもしれないって思わなかったの?」
「それも一瞬思ったけど、ほら、庭園の砂利の上に椿の花が一つもなかっただろう? それで確信に変わったんだ」
「だったら言ってくれればよかったのに」
「”百聞は一見に如かず”って言うでしょ。実際に見てもらったほうが早いって思ったんだ」
「本当にそれだけなの?」
ミキは目を細め、ジーッとこちらを睨んでくる。
「ミキには隠し事ができそうにないな。寒かったから早めに抜けたかったんだ」
「私だってとっても寒かったよ!」
ミキはプリプリと文句を言いながら通路を先へ進んでいく。足音がいつもより大きい。
「本当にごめん。次からはちゃんと言うからさ」
「次同じことしたらスープ作ってあげないから!」
それだけは困る! と前を走っていくミキを追いかける。
そしてあの薄暗くて寒い通路を抜けた。
門の塔へ戻ってきてもミキの怒りは収まりそうにない。
今日の晩御飯は飛び切り美味しい肉料理を作ってあげよう。体の温まるスープも一緒に。
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