第五十二話 朝の門

 ここは門の塔の三階。

 一昨日兎の門をクリアした僕たちは、ここで朝を迎えた。

 

 だが、今日はいつもと違う。

 今現在の時刻は早朝の四時頃。

 今日はどうしても早起きしなければならない理由があった。


「ミキ。ミキ……、起きてる?」


 僕は隣で眠っているミキに声をかける。


「……うーん。コウおはよう」

「よく眠れた? 今日は朝の門に行くから早めに起きないと……」

「そうだった! うっ……」

「どうしたの!?」

「ちょっと頭が痛くて……」

「本当に? もう少し眠っておく?」

「ううん。 今すぐ起きるよ。ただの頭痛だから……あとでお薬作って飲む」

「わかった。無理はしないでね」


 僕はミキの体調不良が気になったが、言いたいことを胃の中に収め、目の前の噴水で顔を洗うことにする。


 三階の噴水は上半身が人間の女性、下半身が魚になった人魚の像が中央にあり、その像が天に捧げるように両手に持った水盆から水が出ている。

 

 人魚と言えば、セイレーン……。ふと、ミキの姉のミナさんや、僕の武術の臨時講師をしてくれたイリニヤさんのことを思い出す。

 お二人は今日も酒場セイレーンで仕事なのだろうか。そして、元気にしているだろうか……。


「コウ、今日の朝ごはんどうしようか」

「あ、うん。一緒に考えよ!」


 門の塔の外のことを考えるのは一旦やめにして、僕は急いで顔を洗い、ミキと食料棚へ向かった。



 門の塔三階、二つ目の門。”朝の門”。

 早朝のこの時間でも攻略者たちが列を作って、中へ入るのを待っている。


 というのも、この朝の門はその名の通り、”朝にしか開かない門”なのだ。

 ただ朝と言っても、朝日が出る早朝からお昼前ではなく、朝日が水平線から顔を出す時間から約二時間ほどの短い時間だけ。その間に入れなければ、次の日。その次の日も入れなければ、また次の日。何度も入る機会を逃した者はもちろん、今日初めて朝の門へ入ろうという者もいるわけで、早朝のこの時間、門の前は攻略者でごった返すのだ。


 僕たちはその情報をガイドブックで手に入れていた。


 ――朝だけの門。早朝でなければ入れない。中のことより入るまでが大変。朝の日ざしが眩しく美しい。


 ガイドブックのこの文章を読んだあと、僕たちはまずリサーチをした。

 朝の門のことを話している攻略者の話を盗み聞きしたり、時には情報共有と称して相手が知っている朝の門の情報と、こちらが持っている別の門の情報を教えてあげたり。一日を費やして朝の門の情報を集めたのだ。


「コウ! もう並んでる!」

「ほんとだ! 早く並ぼう!」


 僕たちは約30人ほど並んだ列の最後尾へ並んだ。

 このくらいの人数なら朝の門が開いている間に中へ入ることができそうだ。


「早起きして良かった~」

「ほんとだね。なんとか間に合って良かったよ」

「みんな朝早くから並ぶのね」

「朝の門の情報を知っているのは僕たちだけじゃないってことだね」


 列に並んだ人の持ち物を確認すると、皆どこかに血証石や杖や武器を持っている。

 どの人も攻略者ということだ。


「早く入って先に進みたいな~」

「ミキ、その前に詩や門番を確認しなきゃ」

「そうだった」

 

 この待ち時間の間に門の詩や門番の話のことを調べておこうということになった。


 まずは朝の門の詩だ。

 だが、何故か詩が見つからない。


「詩……。やっぱりないよね」

「うん。普段なら板みたいなのがあるはず……だよね」

「困ったな」

「それとさ」

「うん」

「列、全然進んでないね……」

「言われてみれば……」


 ミキに言われてやっと気が付いたが、列が進んでいなかった。

 しかもあまり進んでいないのではない。全く進んでいないのだ。


「門がなくなっちゃったなんてことは……ないよね」

「まさかぁ!」

 ミキは少し大きな声で言った。

「でも、全く進んでないんだよ?」

「そうだけど……。――あっ」


 そう僕たちが話しているときに、列が進み始めた。

 どうやら、たった今朝の門が開いたらしい。


「開いたね。やっぱり時間決まってるんだ」

「あっ! コウ見て! あそこ!」


 ミキが指さす場所へ目をやると、そこには板金が門の上に掲げられていた。さっきまでそこには無かったはず……。門が開いたと同時に出現したのだろうか。門の塔には時折驚かされる。

 そして、詩の内容はこうだった。

 


  日ざしの中で きみは笑う

  朝日は優しく 君を照らす

  君が 傷ついても

  君が 涙を流しても

  朝はまた 来る

  開けない夜は どこにもない



 まるで、想い人のために詠ったような詩だった。

 この詩を詠った人にはそういう相手が居たのだろうか。想い人に何か大変なことがあって涙を流したとき、励ましの言葉を伝えようとしているのだと僕は思った。

 だが、ここは門の塔。この詩の意味はただの恋の詩だけではないことは確かだ。”朝の門”に関する何か意味があるのだろう。


 次に、門番だ。

 朝の門の左側にボロボロのローブを着た門番が立っている。

 僕たちは門番の声に耳を向けた。


「朝の日ざし 焼き殺す」


 その声は若い女性の声だったが、どこか忌々しい、今にも誰かを呪い殺しそうな声質で背筋が凍りそうになった。

 門番の手には柄の長いランタンがあり、そのランタンからは淡い黄色い光が見えた。


 朝の門が開いてから列はスムーズに進み、いよいよ僕たちの順番だ。


 朝の門の扉を見る。

 その扉は鉄製の扉だ。とくにこれと言った装飾はなく、いかにも重そうで黒光りした扉は威圧感がある。


「行こうか、ミキ」

「うん」


 僕たちは朝の門へ入った。



 あの薄暗い通路をコツコツと足音を鳴らして進む。

 壁にかけられた松明がたまにパチッと音を立てる。


 この通路ももう慣れたものだなと思いながら進んでいると、ミキが口を開いた。


「実はね、今朝も悪夢を見たみたいなの」

「本当? どんな悪夢だったの?」

「うーん。それが、内容までは思い出せなくて……」

「そっか」

「なんかさ、前にコウが悪夢の虫に憑かれてたこと、あったじゃない?」

「あったね。あのときは銀龍さんに焼き払ってもらったけど」

「もしかしたら私もそうなのかなって……」

「……! じゃあ、今日は引き返して銀の門に……」

「ダメだよ。せっかく朝の門に入ったんだし、先に進まないと」

「でも……!」

「私は大丈夫だから。それに、どこかでまた銀龍さんみたいに虫を焼き払ってくれる龍が出てくるかもしれない。それまで私頑張るよ」

「……わかった」

 

 このとき僕は自身の無力さに無性に腹が立った。

 何か魔法や、それこそ回復魔法や魔法薬学でミキの悪夢を治せたら……。あの七日間講義の間にもっと勉強しておくんだったと後悔の念に駆られる。だが、今更後悔しても遅い。門の塔は、それほど厳しい場所なのだ。


 通路を抜けた。

 そこには、森のような場所に囲まれた小さな広場があった。

 その広場の中央には、天から降り注ぐような形で陽だまりがあり、何か特別な雰囲気を醸し出している。


 罠はないかと思い、警戒して周辺を見回ったあと、もう一度陽だまりの近くへ戻る。

 朝の門には、この広場と深い森しかないらしい。


「なんだか眠くなってきちゃった!」

 ミキは大きなあくびをしてそう言う。

「急にどうしたの?」

「あの陽だまり見てたらさ、気持ちよさそうって思って」

「じゃあ……寝る?」

「うん! でも、コウはどうするの?」

「僕は……魔法の練習でもしてるよ」

「わかった!」


 ミキは「それじゃ、おやすみ!」と言ったあと、サコッシュから枕を取り出し、ものの数秒で眠ってしまった。


 今朝は朝が早かったし眠たくなる気持ちもわかるなと呑気に思っていたが、ミキは悪夢のことがあってここ数日はあまり眠れていなかったのだろうか。今日は頭痛がすると言っていたし、睡眠不足だったのなら言ってくれればよかったのに……。


 天から降り注ぐ優しい陽ざしに照らされたミキの寝顔を見る。


 あまりにも気持ちよさそうで、無防備で……。なんだか小さな子供のように見える。


 その微笑ましい光景を背に、僕は魔法の練習を始めた。

 水の魔法、火の魔法、氷の魔法、雷の魔法……。渾身の魔力を込めて近くに立つ木に向かって放つ。七日間講義のときはどうなるかと思ったが、門の塔へ入ってからたまに練習したり、ミキにコツを聞いたりして随分と使えるようになってきた。魔法が得意なミキに比べたらまだまだだが、イリニヤさんに教えてもらった剣術がなくても杖一本で戦えるくらいにはなってきたと思う。

 僕が弱ってるとき、ミキは率先して動いてくれた。僕だってミキが弱っているとき、自信を持って守ってあげられるくらいにならないと。

 

 杖を持つ手に力が入る。


(まだだ……)


「ポーウ!」


 杖の先から出現した複数の火の玉が、遠くに立つ木に向かって飛んで行く。

 だが、先ほどまでと様子が違う。何かがおかしい。


「しまった!」


 集中して魔力を込め過ぎたのだろうか。火の玉がいつもより大きく、飛んで行く勢いが凄まじい。

 このままだと木が燃えてしまう! と思ったその時だった。


「ルーガ! チーウ!」


 呪文が聞こえたかと思うと、僕の背後から水の玉と氷の刃が飛んできた。その水の玉と氷の刃のおかげで、僕の火の玉は瞬く間に消滅していった。

 後ろを振り返ると、陽だまりで眠っているはずのミキが杖を構えていた。


「ミキ、起きてたの!?」

「たった今起きたとこだよ」

「あ、その。ごめん。……ありがとう」

「いいよ。でも、さっきのはちょっと危なかったね」

「やっぱりミキみたいには上手くいかないや」

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ。今さっきだって失敗したし、こんなんじゃミキのこと守れやしない」

「コウ……」

「僕がもっと強くないと……」

「コウはもう十分強いよ。それにさ、ほんのちょっと前から魔法を使い始めたのに、もうレウテーニャの上級生たちに追いつくくらい使えてるんだよ? そこは自信持って!」

 ミキはそう言いながら僕の肩を優しく叩いた。


「……うん」

「オッケー! ――それはそうと、スッキリした~!」

 ミキの顔色を見ると、今朝よりもかなり血色が良くなっているように見えた。かなりよく眠れたらしい。


「よかった。元気になったみたいで」

「うん! お昼寝――いや、朝寝かな?――ですごくいい夢も見られたし、本当に気分いい!」

「ほんと? じゃあ、悪夢の虫はいなかったのかな?」

「そうかも! でも、なんだか悪いものがどっか消えちゃったみたいに今は体も頭も軽いんだ!」

「よっぽどいい時間を過ごせたみたいでよかった」


 そう僕たちが話していると、陽だまりの向こう側に何か影のようなものが開くのが見えた。


「あれ? あれって……」

「出口だよ!」


 陽だまりの向こう側に出現した何かに近づくと、そこには鉄製の扉があった。

 やはり出口が出現したようだ。


「これでクリアってこと……だよね?」

「うん……たぶん……」


 恐る恐る、その開いた出口を覗く。

 中はあの長い薄暗い通路だった。


「出口みたいだ。行こう」

「うん!」


 僕たちは出口へ入った。



 コツコツと鳴る足音が、通路の壁という壁に当たって反響する。

 壁の松明がゆらゆらと動き、怪しい雰囲気を醸し出す。


「コウさ、さっきの事だけど」

「さっきって?」

「私のこと守るとかどうとかってやつ。あれってどういうつもりで言ったの?」


 僕はこのとき、自信の顔や耳に熱を帯びるのを感じた。

 

「あ……いや、えっと……」


 僕が言葉を濁していると、ミキは悪い顔をしてこちらを覗き込んでくる。


「一瞬プロポーズでもされてるのかと思っちゃった!」

「プ、プロポーズ!?」

「ンフフ~。冗談!」

「ビックリさせないでよ……」

「でも、守ってあげたいって思われてるのはちょっとだけ嬉しい!」

「……」


 僕は今、とても変な顔をしていると思う。

 そのことを隠すためにミキよりも早く歩き、出口へ向かった。

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