第五十一話 兎の門

 兎の門へ入り、あの薄暗い通路を抜けた僕たちは、静かな森の中にいた。

 

 霧が少し出ていて視界が少し悪いが、悪い雰囲気はなく、むしろ落ち着くような、なんとも不思議な森だ。

 木々は深い緑を茂らせ、どこかから鳥の唄声が聞こえる。葉の隙間から零れ落ちるような日が天より注ぎ、暗いけどどこか明るいと言った感じだ。


「兎の門だって言うから入ってすぐにいるものだと思ってたけど……」

「兎いないね……」


 僕たちは少し拍子抜けしていた。

 兎の門なのだから無数の兎が僕たちを迎えてくれるのだろうと思っていたのだが、今のところ一羽もいないのだ。


「先に進むと出てくるのかもしれないし……ちょっと進む?」

「うん。そうしよう」


 方角の魔法で確認した後、僕たちは森を進み始めた。


「兎と言えば……何か思いつくものある?」

 僕はミキに質問した。


「うーん。耳が長い、毛がフワフワ、子沢山、ミートパイとか?」

「み、ミートパイ!?」

「うん。ミートパイ」

「どうして兎でミートパイなんて……」

「小さいとき、ママに読んでもらった絵本に兎のキャラクターが出てくるお話があったんだけど、登場人物のお父さんがミートパイにされちゃったってのがあったの」

「それ、子供に読んでいい絵本なの?」

「わからない。でも普通に出てきたよ」

「どんな絵本なんだ……」


 その絵本の影響でか、ミキの中では兎はミートパイのイメージが定着しているらしい。

 兎にとっては複雑だしいい迷惑だろう。


「あとは……やっぱり可愛いってイメージもあるな~」

「さっきまでミートパイって言ってたのに、可愛いってイメージもあるんだ」

「あくまでイメージの話じゃん! 美味しそうとか思ってないからね!」


 僕の揶揄いに応じているあたり、ミキは朝より元気を取り戻したようだ。

 少しだけ安心した。


 話しながら森を進んでいるとやっと一匹の兎に出会った。白い毛に黒い斑模様の兎。

 その兎は、僕たちの前に出てきて数秒鼻をヒクヒクとさせた後またどこかへ消えてしまった。


「かわいい~!」

「やっと一羽見つけたね」

「さっきの子の後、追いかけてみない?」

「どうして?」

「もしかしたら他の仲間のところに向かったかもじゃん」

「それは確かに……。行ってみようか」


 僕たちはさっきの斑模様の兎の後を追いかけることにした。



 道なき道を進み、茂みを抜け、木々の間をくぐり、なんとか斑模様の兎の後についていくと、少し開けた場所に出てきた。

 そこには、たくさんの兎が集まっていた。まるで集会でも開いているかのような集まり具合だ。


 真っ白な兎、茶色な兎、斑な兎……。

 大きいものから小さいものまでたくさんいた。


 兎たちは僕たちに気が付くと一度は警戒してどこかに隠れたりしたが、すぐに安全だとわかったのか、特に気にも留めず思い思いに過ごし始めた。


「兎可愛い……。触っても大丈夫かな?」

「どうだろう? ちょっとくらいならいいんじゃない?」

「触ってみる!」


 ミキはそう言うと、一匹の小さな白い兎にゆっくりと近づき、物音を立てないよう右手を差し出した。

 小さな白い兎はミキの右手に鼻と近づけスンスンとニオイを嗅いだ後、ミキの近くへと寄って来た。


「わーっ! 触っても大丈夫みたい!」


 ミキは嬉しそうな声をあげたあと、その小さな白い兎の背中を撫で始めた。


「思ったより警戒心があまりないね……」

「うん。……あ、他の子たちも寄ってきた」


 ミキの周りにはあれよあれよと沢山の兎たちが集まってきて、囲まれてしまっていた。

 ここが門の塔でなければ、とても羨ましい光景だ。


「ミキ、囲まれちゃったね……」

「う、うん。でも、可愛いからいいや」


 ニヘヘと砕けた笑みを見せるミキを見て、僕は少し微笑ましくなった。


 それはそうと、出口を探さなければならない。

 ここまでにそれらしい手がかりはなく、ただ兎に囲まれているだけだ。


「ミキ、そろそろ出口の手がかりを探さないと」

「そうね。……兎さんたち、バイバイ」


 ミキはそう言うと、兎たちから離れた。

 兎たちは、来るもの拒まず去るもの追わずと言った感じでミキの後を追いかけては来なかった。ちょっとは寂しそうにしてくれてもよかったのになんてミキは不貞腐れていたが、あまり追いかけてこられると出口探しの妨げになるので僕としては好都合だ。


 兎の集会が開かれていた場所からまた南西へ進む。特にこれと言った物もなく、ただ森が続いているだけ。

 ここでこのまま進むのか、来た道を一度戻ってまた別の方角へ進むのか……考え直さねばならない。


「ここまで手掛かりなしだね。ちょっと休憩しよう。それとこのまま進むかどうか……」

「あっ! また兎だ!」


 僕が声をかけた瞬間、目の前に一匹の兎が現れた。

 だがその兎はさっき見た兎たちとは違い、毛が真っ黒な兎だった。


「待って……。黒い兎って確か……」

「門番が危ないって言ってたね……」


 黒い兎はその場でじっと動かずにいる。

 これは逃げるチャンスだろう。

 

「できるだけ近づかずに逃げるよミキ」

「待って、コウ」

「どうしたの?」


 ミキが指をさす場所を見ると、黒い兎の左後ろ足付近の土が赤く染まっている。黒い兎は足に怪我を負っているようだった。


「手当してあげなきゃ」

「でも、黒い兎は危険だって……」

「でも、怪我は放っておけないよ」


 ミキはそう言って黒い兎の元へ駆けて行った。


「酷い怪我……。すぐに治してあげるからね」

 ミキはそう言って杖を取り出し、呪文を唱えた。

「大地に住まう精霊たちよ、この者を癒したまえ、ヴァリーヴァリー」

 黒い兎の足元に光が集まっていき、みるみるうちに傷が治っていく。

 そして、サコッシュからロル草を取り出し、黒い兎に与え始めた。

 

「とりあえずこれで……あとはちょっとだけ薬草食べてね」


「ロル草ってそのまま食べてもいいんだね」

「うん。動物ならこのほうがよく効くみたい。人は丸薬にしたり魔法薬にしたほうがいいみたいだけど」

「さすがミキだ」

「こんなの魔法薬学取ってたら誰だって知ってるから!」


 黒い兎の傷はミキのおかげで良くなったのか、炎症も引き、血も出てこなくなっていた。

 痛みもないようで、普通に動き回れるほど回復したようだった。


「よかった。良くなったみたい」

「そうだね。……でもどうしよう。黒い兎は危ないって言ってたけど」

「でも、この子から危険な感じはしないよね。むしろ怪我してたくらいなのに……」


 するとミキは黒い兎を抱き上げた。


「こうしても何かしてくるわけでもないし……」

「怯えてる感じもないね」

「うん。とってもいい子だよ」

「じゃあ、あの門番の言葉は……」

「あれ?」


 ミキに抱き上げられていた黒い兎は、ヒョイと地面へ飛び降りた。

 そして、少し前へ進んだ後、歩みを止めてこちらを振り返っている。

 

「ついてこいってことなのかな」

「どうする?」

「一か八かだ。ついて行こう」

「そうこなくっちゃ!」


 僕たちは黒い兎の後を追いかけることにした。

 

 道なき道、獣道と言われるような道を進み、方角が全く分からなくなった頃。日は傾き、木々の影が長くなり始めた。


 黒い兎は僕たちのスピードに合わせるようゆっくりと前へ進んでいく。

 もう少し人が歩きやすい道を選んでくれればいいものを……と文句を言いたくなってくるが、今はこの黒い兎についていくしかない。


 やっとの思いでどこかに連れてこられた僕たちの目の前には、まるでおとぎ話に出てくるような大蛇のような太く大きい気が聳え立っていた。


「ねぇ! コウ! あれ見て!」


 ミキが指さした方向へ目をやると、そこには出口があった。


「もしかして、あの黒い兎が案内してくれたのか……」

「門番の言うこと嘘じゃん……」

「確かに……」


 そしてミキは、自身の足元にいた黒い兎を抱き上げた。


「ここまで連れて来てくれてありがとう。お別れだね」


 僕もミキに抱き上げられた黒い兎の頭を撫でた。

 

「……最初は疑ってごめん。ここまでありがとう。元気でね」


 僕たちはその場に黒い兎を残し、出口へ入った。


 

 あの薄暗い通路が続く。少しジメっとしていて先が見えないあの通路。

 松明の明かりだけが奥へと続く。僕らを導くかのように。

 

「門番の言ってたこと、ウソだったのかな?」

「ミキもやっぱりそう思う?」

「うん……。だって、あの黒い子優しかったし、案内までしてくれたし」

「もしかしたらだけど、門の肥やしを作るために門番にウソを言わせてるのかも……」

「そんなこと……」

「あくまで僕の想像だから本当のことはわからないけど……」


 コツコツと僕たちの足音が響く。

 出口を見つけられたのだから喜んでいいのだが、門番の言っていたことがどこか引っかかっている。いつもならいい音に聞こえる足音も、どこか不気味に感じられてしまう。なんとも後味が悪い。


「今後はこういう門が増えて行くかもしれない。警戒しよう」

「そうだね」


 歩を進めていると、目の前に門が見えてきた。

 ここを出たらクリアだ。


「なんだか煮え切らない感じだけど……」

「クリアはクリアだよ。それに、あの黒い兎を助けたんだ。ミキは誇っていい」

「……うん!」


 僕たちは門を開き、門の塔へ戻った。

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