第7話 エヴァンジルの庭

 

 国境くにざかいにあるその教会には孤児院があり、かつてたくさんの孤児達が住んでいた。戦争孤児となった彼らは、そこで畑仕事をしたり、聖書を読んだり、読み書きを習ったりして過ごした。

 いずれは住んでいた場所に戻り、失った家族の夢を叶える。


 時が流れ、孤児という言葉すら日常で聞かれなくなった今。

 教会は様々な国の人達が、宗教も国も言葉も関係なく、ただ『見てみたい』の望みだけで観光に訪れるようになっている。

 添乗員が伝える。


「この国は、悪政に立ち上がった隣国の民衆のために力を貸し、戦後には、ここに戦争孤児のための孤児院を建てました。初代の院長は当時の第三王女ジャクリーヌだと言われています。そして、孤児院が建って、15年後には教会が建てられ、戦没者の魂が健やかになるように祈り続けたそうです。このジャクリーヌ王女は、希望の光を纏う聖女と呼ばれ、今も敬虔な信者は彼女を称えるために、ここに訪れるそうですよ。ステンドグラスに描かれている女性が、その髪の長いかたがジャクリーヌだと言われています。見るもの全てを魅了すると言われるほど綺麗な方だったそうですよ。では、皆さま、次は庭園へ向かいます」


 ぞろぞろと続く観光客は様々な髪の色をしていて、カメラとスマホを片手に、添乗員に続いた。


 広がる庭で目を惹くのは、まず中央にある大きな樫の木。そして、変わったところで言えば、野イチゴが自生させてある。


「イチゴは誰でも自由に食べて良いそうですよ。あ、お腹に自信のある方だけにしてくださいね」

 添乗員が、イチゴを見つめる若い夫婦に伝えた後に、皆に続けた。


「この庭は庭師の名前『エヴァン』と福音を意味する言葉から『エヴァンジルの庭』と呼ばれています。聖女ジャクリーヌがもたらした福音。彼女が両国の平和を本当の意味でもたらしたと言われています。それが希望の光とされているのだそうです」


 しかし、説明を聞きながら写真を撮る観光客が、彼の名前と庭の名前を覚えることはない。


 ただ、太陽に輝く平和の中で、誰もが隣りにある相手を憎まずにその庭にいる。同じように庭を歩き、同じように語らい。子ども達が走り笑い。

 手伝ってもらえば感謝し、ぶつかれば謝る。


 皆が同じ場所に立っていた。



『お前は本当に鈍くさいなぁ』

『兄さま、それは可哀想ですよ』

『だってさぁ』

 十歳になった弟は、必死に踵をあげて兄たちに追いつこうと、木にしがみついていたが、全く体が登っていかない。


 そんな上の兄弟の様子を見ていた王様が立ち上がり、弟の足を支えてやる。

『慌てるな。ゆっくりで良い』

『はい』と答えた弟は、もう一度、兄たちを見上げて片手を伸ばす。次の枝にあと少しで手が届くのだ。

 王妃は生まれたばかりの末の弟を両腕に包みながら、三つの妹が二歳になる弟に追いかけられて笑う姿に、頬を緩める。


 太陽の光が、全てをつつみ、輝きを滲ませた。


 大きな樫の木が一本。その周りを囲む三名は、白い花束を持っている。

 しゃがんだ一人は女性で小さな我が子二人の肩を抱き、もう二人は男性でその木肌に触れながら、雄大に広がる枝葉を眺めた。それから、男性二人は女性に向かい、『姉さま、兄さま達はここにいらっしゃるのですね』と呟いた。


『ゆっくり、慌てない。でも、必ずここに来るから。待っていて下さいね』



 教会の屋根にある尖塔の窓には、そんな庭を眺めているふたりがいる。


「本当に素敵なお庭ですね。それなのに随分と時間を掛けてしまい、申し訳ありませんでした」

 長い髪のジャクリーヌの足元に跪いたエヴァンが、その頭を垂れた。

「いいえ。妹と弟たちの姿、しかと目に焼き付けました。このご恩に報いるには一生を掛けても足りぬことでしょう。しかし、ご恩に報いるためにも、この庭がこのままあり続けられるよう、これからも私めにその役目を努めさせてくださいませんか?」

 ジャクリーヌの微笑みは、正しく清らかな聖女のものであったそうだ。


「よろしくお願いします」


 彼らの見た過去、そして未来に祝福と輝きの光を。


 彼女にもたらされた福音は、今の平和を伝えるものだったに違いない。





 ~ワルキューレ~死神と呼ばれた王女とエヴァンジルの庭~

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死神と呼ばれた王女とエヴァンジルの庭 深月風花 @fukahuka

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