鏡の文字

高黄森哉


 私の入居したアパートはいわゆるいわくつきだった。ここに入った、九人の人間が自殺をしているのだ。だからこそ、ここにしたのだが。安いのである。


 入居してから、様々なことがあった。


 例えば、鏡を見ていると、小さな傷跡を見つける。透明な、ひっかき傷だ。九人のおかげで安くなったぜ。我々に感謝しろ、という意味だろうか。彼らには、管理人に謝って欲しい。


 例えば、生活していると、目線を感じることがある。それは、なんとも言えない目線だった。たまらなくなり、その部屋には、しばらくはいらないでいる。その部屋から、微かに、ベッドがぎしぎしと軋む音が聞こえてきた。


 例えば、私がうるさくしていると、隣から、どんっと音が聞こえる。しかし、ここは角部屋ではないか。だから、内側から、どんと鳴らされているとしか考えられない。怖いので、音量を上げた。


 例えば、シャワーを浴びていると視線を感じる。振り返ると、誰もいない。フェイントをかけて、振り返ったこともあった。ちらりと、視界の端に女性の脚が見えた気がした。最近、浴室のドアに、入浴中と、書いて吊るすようにしている。


 例えば、私が例の鏡に向かって、ぶつぶつと愚痴を言っている時、後ろを見るな、と赤い文字が現れた。気のせいではすまされないそれは、口紅である。振り返るが誰もいない。もしかしたら、ウシロムキニナルナ、と言いたかったのかもしれない。


 例えば、テレビを見ている時、肩を掴まれる感触があった。それは、意識すると、ふわりと消えてしまったが、肩こりに悩んでいたので、揉んでくれたのかもしれない。気になるのは、その手がごつごつとした、男の手だったことだ。


 そんな生活に慣れてきたとき、さて、九人はどうして死んだんだろう、とふと考えてみた。こんなにも、明るい人間たちは、一体どうして自殺なんか。その時、鏡のひっかき傷が目に留まった。


 九人のおかげで安くなったぜ。


 この部屋で自殺したのは、九人。ならば、この文字は一体、誰の視点なのだろう。その文字は、俺のおかげ、と解釈することもできる。とにかく、この部屋には、十人目がいるらしい。

 

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鏡の文字 高黄森哉 @kamikawa2001

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