夢独歩

@mikumaru39

第1話 十九ノ夢

ああ、もう起きないといけないのか。

 そうやって目を擦りながら開くと、時計の針は午後四時ぴったりを指していた。

 まずい、このままではバイトに遅れてしまう。

 私は急いで着替え、スマートフォンと財布を手に玄関へ向かった。いざ外に出てみると、灼熱の太陽の光が私を襲ってきた。

「そういえば、今は夏だったな」 

 そう独り言を呟きながらバイト先への道を急ぐ。

 私は大学に入学してすぐに駅の近くの飲食店でバイトを始めた。中高一貫の女子校に通っていて、バイトをすることは校則で禁止されていた。所謂、進学校というやつである。

 中学、高校と充実した毎日であったが、進学校に通っていたので当然親からの期待も厚く、高校三年間は楽しんでいたものの、いつも生活の何処かに勉強が影を潜めて私のことをじっと見ていた。そういった面では若干の息苦しさも感じていたのだと、今になって思う。

 というわけで、大学入学をしてすぐに始めたこのバイトが人生で初めてのバイトなのである。

 バイトの仕事自体は特にこれといった問題もなく上手くいっていた。昔から人見知りな性格であることもあって、友達もそれほど多くなく、人と話すのが苦手であった。だから接客業には向いていないと自分では思っていた。でも、いつまでも苦手なことから逃げるわけにはいかなかった。二年後には就職活動を控えているし、この人見知りな性格も直していかないといけない。そう思ってあえて接客業を選んだ。

 こういう種類の仕事を選ぶと大体同じような人間が集まってくる。今まで性格のおかげで人間関係に苦労したことないような人たち、私と真逆の性格をしている人たちだ。特にその中でも苦手なのが、人の気持ちなんか考えていなさそうな言動をする男である。そういう男は大体、初対面にもかかわらずいきなり連絡先を交換させ、バイト終わりに二人で飲みにいかないかと話を持ち掛けてくる。私が人見知りで人付き合いが苦手なのをいいことに、そこに付け入ろうとしてくるのだ。やんわりとその誘いを断っても、何度も何度もしつこく誘ってくる。その粘り強さを、どうして大学のレポートに注がないのかといつも疑問に思う。もちろんそういう人たちばかりではないということは私もわかっている。でも、私の周りにはそういう人たちが集まっていた。

「よお」

 と後ろから声が聞こえてきた。「げっ」と私は思った。私が苦手な一個上のバイトの先輩、良介先輩だ。この人に最近しつこく下心丸出しの飲みの誘いを持ち掛けられてうんざりしているところだった。ただ、顔だけは良かったので遊ぶ女の子には困っていないらしい。なんで私なんかに構うのか理解できなかったし、できればあまり関わりたくなかった。

「おはようございます。良介先輩」

「おはよう。今日はシフト一緒なんだな」

「そうですね。一緒に頑張りましょう」

 淡白な返事を返して、バックヤードに入ろうとした。

「なあ、今日バイト終わったあとに時間ある?」

 と、しつこく話しかけてきた。

「今日は課題しなきゃなんで無理ですね」

「じゃあさ、よかったら俺の家に来ない?課題教えるよ」

「いや、一人でできるんでいいです」

「そう言わずにさ」

 何か先輩が言っている気がしたが、聞こえないふりをしてバックヤードに入った。

 その日の仕事自体は上手くいっていた。ただ、その日の夜までに出さないといけない課題が残っているのが唯一の懸念点だった。バイトが終わってから家に向かって課題に取り組んだとしてもギリギリ間に合うかどうかで、仕事中の頭の中はそのことでいっぱいだった。


 仕事中にも関わらずあいつはしつこく話しかけてきた。

「歩美ちゃんって彼氏いるの?」

「いないんだったらさ、別によくない?」

「課題、バイト終わってからじゃ間に合わないでしょ?俺も家ここからすぐのとこだからさ、課題終わったら帰ってもいいからそこで課題しない?」

 正直断り続けるのも面倒臭かったし、何より課題が間に合うかどうかがその時の一番の重要事項だったので、適当にOKしてしまった。今思えば、仕事中のやらないといけないことを考えながら課題のことも考えて、なおかつ先輩の対応もしないといけなかったため、私の脳のどこかがおかしくなっていたんだと思う。普段なら絶対OKしないはずのに、その日に限ってOKしてしまった。

「あんた、本当にあいつの家に行って大丈夫なの?」

 仕事の手を止めて振り返るとそこに、私と同じ時期に入った同い年である明美が立っていた。

「大丈夫よ。あいつしつこいし、1回くらい行けば満足するでしょ」

「そっちのほうがダメなんじゃないの」

「でも課題、家帰ってからじゃ間に合わないしさ」

「そういう問題じゃないでしょ。もっと危機管理意識持ちなよ」

 ――そういうあんただって昨日先輩と飲みに行ってたじゃない

 頭の中で明美への文句を垂れながら、私は仕事に戻った。


 そうこうしているうちに店が閉まる時間になり、私たちは後片付けを済ませて帰路に着いた。

「今日は何もトラブルなくてよかったな。この間なんてお前、客に難癖付けられて大変だったもんな」

「その話は言わない約束ですよね。できればあんまり思い出したくないんですよ」

「だってあの時のお前の顔、正直言って面白かったんだよ」

 なんでこいつが遊ぶ女の子に困っていないのかが分からない。私は頑張って作り笑顔をしていたが、心のダムは崩壊寸前だった。いつ大氾濫を起こしてもおかしくないが、課題のためだと思ってなんとか我慢した。

 その後は先輩から続けざまに投げられてくるボールを淡々と打ち返しながら家に向かった。真夏の灼熱の太陽の光は、まだ私のことを襲っていた。


「お邪魔します」

 そう言って家に入った私の目に飛び込んできたのは、思ったよりも綺麗に掃除された部屋だった。部屋の隅にお酒の空き缶が少し積まれているのは気にしないことにしよう。

 ――意外とちゃんとしてるじゃん

「適当なとこに座っててよ。今飲み物持ってくるから。お茶とサイダーどっちがいい?」

「サイダーでお願いします」

 そう言って床に敷かれていた、いかにも女の子と選びましたみたいな可愛い水玉模様の座布団に座り、部屋の中を見回した。ちょっとした作業をするための簡易的な机、クローゼット、小物などが置いてある棚など、小綺麗な光景が広がっていた。私の中の良介先輩はもっとがさつで、部屋の掃除なんかしない人のイメージだったので、これはちょっと意外だった。棚の上には小物などが置かれていたが、1つだけ女の子とのツーショットが入っている額が立てかけてあった。

 ――あれはだれだろう

 そう思ってよく目を凝らしたが、ぼんやりしてよく見えなかった。

「何見てるんだよ」

 あまりにも目を細めて同じとこを見つめていたため、先輩が話しかけてきた。私は頬を若干赤らめながら

「いえ、何でもないです」

 と答え、先輩が持ってきたであろうサイダーを一口飲んだ。それは私が思っていた味と少し違っていたが、不審な行動をとってしまった恥ずかしさからあまり気にならなかった。

「それより先輩、先輩も課題しなくて大丈夫なんですか」

「俺は明日やるから大丈夫」

「そうですか。」

 返事だけして、私は課題に取り掛かった。

 思ったよりも課題は難しくて少し作業に難航してしまったが、何とか日付が変わる前に終わらせることができた。夏真っ盛りの夜で蒸し暑かったので、もう私のコップは空になっていた。先輩の方を見てみると、スマホを触りながら誰かと話している様子だった。

 ――これで私への興味も無くしてくれたかな

 なんてことを思っていると、課題を無事に終わらせて安心感と、バイト終わりの疲労感からか、だんだんと眠くなってきた。

 ――今日はもうこのまま寝てもいいや

 私は明美に言われたことなんか忘れてそのまま寝てしまった。途中、上半身裸の先輩に起こされた気もしたが、頭が回らなかったのか、よく覚えていない。


 眩しい赤い光が私の瞼をノックしているような気がしたが、鬱陶しく思ってそれには応じなかった。そうやって光に向かって駄々をこねていると、先輩の声が聞こえてきた。


「歩美、もう起きる時間だぞ」 

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