御暮山

ヤマダ

御暮山

 聞いて欲しい話がある。電話でそう切り出したNさんの声は妙に含みがあった。

 彼女とは仕事の知人といった間柄だ。不意の連絡に、はて、と思い悩んでいると彼女もそれを察したのだろう。続く、Yさんぐらいにしか相談できなくて、の言葉でピンとくる。

 類は友を呼ぶ、という奴だろうか。普段から不思議な話や怪談を集めている身からすれば、話が向こうからやってくるのは不謹慎だが有り難いことである。あくまで相談役として真面目な声色で了承の返事をし、直接会う約束を取り付けた。

 数日後に喫茶店で会ったNさんは、笑顔の中にもやや陰りが見えた。軽い世間話の後でお互いに飲み物を注文する。私も信じられないのだけれど、と浮かない表情でぽつぽつと本題に入っていった。


 数ヶ月前、病気で入院している祖母のお見舞いに行った時のことです。高齢のため術後の回復が思わしくなく、入院期間も長引いていました。祖母の家には小さい頃はよく家族で遊びに行っていたのですが、今ではお正月やお盆に挨拶に行く程度になっていました。それでも、一人暮らしの彼女が入院してからは着替えを持ってお見舞いに行ったり顔を合わせる頻度は増えていました。 

 祖母は病床のせいかやたらとやせ細って見えて、点滴のチューブが繋がる筋の浮いた腕が痛ましかったです。それでも孫に会えるのが嬉しいのか、よく来たね、といつも穏やかな笑顔で出迎えてくれました。

 お見舞いを渡し、家族の近況などを話している時でした。祖母が窓の外をぼんやりと眺めながら零したんです。

 お山に帰りたい、と。

 驚きました。祖母の故郷が山なんて初耳でしたから。

 ただ、母曰く長患いのせいで少しばかり認知症気味ではあるとも聞いていましたので、変に驚いたりはせず、どんな場所だったのと話を続けます。

 祖母は懐かしそうに目を細めて、幼い頃の思い出話をしてくれました。


 祖母は東北地方のとある村に住んでいたそうです。魚の泳ぐ澄んだ川と田園風景の広がる自然豊かな土地で、大きな山に見守られながら幼少期を過ごしました。その山は御暮山おくれやまと呼ばれ皆から親しまれていました。茶碗を伏せたような柔らかな丸みを帯びた姿で、赤い夕焼けに染まる姿はとても美しかったそうで。

 田舎の小さな学校で学び、兄弟と大自然の中を駆け回り健やかに育ちました。両親は山の麓で米や野菜を作り生計を立てており、祖母も畑仕事をよく手伝ったそうです。山から流れる川の水や、栄養豊富な土のおかげで美味しい農作物が収穫でき、村の人々は御暮山の恵みに感謝しながら暮らしていました。

 おくれ様、という独自の風習ができたのも自然な流れだったのでしょう。

 御暮山の土を使って家族の人数と同じだけの泥人形を作り、仏壇に供えて無病息災を願うのだとか。人形も凝ったものではなく、それこそ山に似せて伏せた腕の形に整え、目と口代わりに点を三つ。ちょんちょんちょん、と打つ程度の簡単なものだそうです。秋の収穫に向けて、病や災いから逃れられるように山の加護を願うのだとか。夏の始まりに作って、収穫が終わる秋の中頃に感謝と共に再び山へと埋め直すのが習わしだったと祖母は懐かしむように教えてくれました。日常の一部であり、自分たちを守ってくれる神様のようなものだったのでしょうね。

 ある夏の始まりのことです。夜中に寝苦しさを感じ目覚めた祖母は、一緒に眠る兄弟を起こさぬようにそっとお手洗いに向かいました。お手洗いは縁側沿いの長い廊下の先にあるため、明るい月が御暮山の稜線を白く縁どる景色を良く覚えていると言っていました。

 その帰り道、祖母は何かに呼ばれた気がして仏間へと向かいました。差し込む月明かりを受けてぼんやりと浮かぶ、仏壇のおくれ様たちが妙に気になって仕方がなかったそうです。祖母には何故か、飾られたおくれ様が悲しそうに見えたそうです。

 まだ作られて間もないおくれ様は水気を含みしっとりと冷たく、一つ手に取りしげしげと眺めてから思いつきました。どこにも行けないから悲しんでいるのではないか、と。山はずっと同じ場所から動けませんからね。おくれ様も同じだと思い至ったそうで。そこで、祖母はねんど遊びの要領で、土を軽くつまみ小さな手足をこしらえました。寂しそうだった顔も不思議と笑みを浮かべて見え、そのまま安堵して再び眠りに着きました。

 次の日の朝、畑仕事のために起きた祖母は、すぐに違和感に気づきます。全く見知らぬ部屋に自分が寝ているのです。

 昨日まで住んでいた木造家屋はなく、その当時に都会方面で流行していた文化住宅の中に自分がいてそれは慌てたそうです。服も野良仕事用のもんぺは見当たらず、スカートやズボンと言った履いたこともない洋装がタンスにしまわれていました。

 そうだ、と部屋の窓から外を見てさらに愕然とします。御暮山が影も形もなくなっているのです。山どころか畑も水田も消え、似たような家々が連なる町中の風景がそこにはありました。もちろん、仏壇を探したところで、飾られていたおくれ様も見当たりません。

 部屋に戻って寝ていた兄弟たちを無理矢理に起こしてみるも、何を寝ぼけてるんだと呆れられる始末。両親に、おくれ山がなくなった、おくれ様がいないと訴えても、同じ反応でした。

 ただ、御暮山の名前を出した時、家族の顔から一瞬だけ表情が消えるんですって。何の感情も読みとれない、無の顔。その後、ぱっといつもの調子に切り替わって、何を言っているんだ、ずっと町で暮らしてきただろうと笑うんです。

 その様子が心の底から恐ろしかったそうで、御暮山の話はもう口にはできなかったそうです。

 そのまま町での慣れない暮らしが始まりました。祖母も兄弟たちと近くの学校に通い始めたのですが、初めて会う学友たちは昨日まで当たり前に一緒にいた存在として接してくるので気味が悪い。父もスーツを着て会社で働き、母も専業主婦として家に留まり、農作業に精を出していた姿が信じられない気持ちでした。

 まるで家族が別の何かになってしまったような不安が拭いきれず、祖母は早くに実家から離れたそうです。


 Nさんは一息つくように、注文したアイスティーを口にする。正直、不思議な話だとは思ったが彼女が神妙な表情のままであることの方が気に掛かった。

 認知症気味であれば、まことしやかに記憶をすげ替えるのはままあることだ。彼女もそこを心得た上で祖母の思い出を聞いていたはずなのに、だ。

 まだ何かあるに違いないと話の続きを待っていると、Nさんは意を決したように続ける。


 私も、祖母を疑う訳ではありませんが半信半疑でした。どうして母にも話せなかったことを孫の私に伝えるのか分かりませんし、認知症気味だとも聞いていましたから。ただ、そう言うときは否定をせずに話を聞くのが大事だとも聞きかじっていたので、大変だったねと応じました。祖母も、ようやく誰かに話せてほっとした様子でした。

 それから数日後、様態が悪化し祖母は亡くなりました。今思えば自分に迫る死の気配を少なからず感じていたからこそ、俄かには信じがたい思い出を私に聞かせてくれたのでしょうか。

 祖母の葬儀が終わり、家族で遺品の整理をしている時のことです。一人暮らしの上に、入院中に何度か掃除に訪れていたので片付け自体の苦労は然程ありませんでした。母と一緒に服や雑貨を仕分けしながら祖母の思い出をたくさんしました。それでも御暮山やおくれ様のことは、なんとなく聞く気になれませんでした。

 寝室のタンスの小さな引き出しから、それは現れました。ガーゼのハンカチや薄手のストールの一番下に、隠されるように紛れた不自然な紙切れ。新聞紙の一部でした。全国紙の記事の切り抜きで、写真に僅かな説明が添えられた何の変哲もないものです。

 問題は内容です。目にした瞬間ぎょっとしました。

 腕を伏せた形の山を背景に映るにこやかなスーツの男性と、観光大使らしき襷を掛けた女性。そして、彼らに挟まれるように立つ、目と口の箇所に点を三つ配置しただけの素朴な顔をした着ぐるみ。

 すぐにそれが御暮山とおくれ様だと気づき、肌が粟立ちました。祖母の話は実際に体験したものだったと思い返し、一気に血の気が引きざわざわとした胸騒ぎに襲われます。これを母に見せる訳にはいかないと、そのまま咄嗟に持ち帰りました。ただ、改めて読んでみると妙なんです。

 相続手続きに必要で取った祖母の戸籍謄本では、出生から学校の寮に住むまでは東北地方の都会に住んでいたと記録が残されていました。しかし、記事は九州地方のある県を示しています。おくれ様は御暮山に由来した風習から生まれたキャラクターのようで、町興しのために作られたとあります。しかも具体的な場所や日付まで分かっているにも関わらず、インターネットで調べても該当する情報が一つも出てこないんです。

 それだけじゃありません。この記事どころか、御暮山なんて山自体が存在しないんです。正式名称ではなく愛称だとしても、今の時代でここまで正体不明なのは変な気がして。

 祖母がこんなに複雑ないたずらをするとは思えませんし、何か良くないことを知ってしまったのではと気味が悪くて仕方がないんです。


 Nさんが手帳から取り出したそれは、例の新聞記事だった。確かに、裏側には中途半端な評論の一部が不自然な形に切り抜かれており、世に出回った新聞には間違いないだろう。 

 発行された日付こそ無いが、御暮山の豊かな自然と農作物を紹介するPRイベントが開かれたというのがわかる。地方の小さな催しだろうが、記事にもなっているのに一つも痕跡が見つからないというのは不可解すぎた。

 私はNさんから切り抜きを預かり、何か手掛かりが掴め次第連絡をすると伝えて別れた。Nさんも、話を聞いて貰えたのと怪しい品が手元を離れたせいか幾分表情が明るくなっていた。何度も感謝を述べる彼女に、僅かに心苦しさを覚えた。


 実は、Nさんから話を聞いた時点で一つだけ心当たりはあった。

 塊忌くれいみ、と言うものをご存知だろうか。簡単に言えば、土地を使った呪術の一種である。

 その土地の土を使い、人形を作る。それを器にして先祖の霊を取り憑かせ、自らが被るはずの厄を肩代わりさせる。時期が来たら人形を同じ土地に埋めて土に還す。 

 これを毎年繰り返すことで、厄の身代わりとなり人形のまま生き埋めにされた霊たちの怨念の濃度が高まる。呪いの念は土地を穢していく。穢れは土の養分や川の水に混じり生き物にも蓄積し、土地全体を蝕んでいく。

 人形に手足がないのは、この呪縛から逃げられないようにするためだ。只ひたすらに苦しむ中で自然と助けを求め、それを受け取った誰かが手足を付けて動ける器が仕上がれば完成である。土地はそこに住まい育んできたあらゆる生命を食らいつくし、痕跡も残さず消える。

 御暮山自体が、塊忌みにより生まれた存在なのだろう。おくれ様という風習が外から悪意を持って伝えられたものか、伝えられる内に意味が抜け落ちてしまったものなのかは定かではない。本来は村の人々と共に犠牲となるはずのNさんのおばあさんが生かされたのも、手足を与えてくれた者への感謝などでは決してない。怪異として語り継がれるための、目撃者の一人に過ぎなかったのだ。語り部の役割を背負わされたのだ。

 こうして、おばあさんからNさんへとバトンは託され、受け取った私が更にここに書き残すことで御暮山は怪談として生き続けるのである。


 後日、Nさんには御暮山は存在せず、詳しいことは何も分からなかった。力になれずに申し訳ない、とだけ連絡した。彼女も残念だと口にしつつ、声には安堵の色が滲んでいた。

 今もどこかに御暮山があるなんて、知らない方が良い。

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御暮山 ヤマダ @yamaroda74

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