第10話 第七部、「絶望の果てに」

私は、声をあげたりはしなかった。ただ静かに、自分が咲かせ続ける思いの花を寄せ集めて、胸に抱いた。いとおしむように、慈しむように、優しく花びらを撫でた。


ライラック色のシラー。花言葉は「変わらない愛」。たとえ私が嫌われていたとしても、私は両親が大好きだった。今まで偽った笑顔しか見せなかったけど、本当なら、ガラス越しでもいいから縋りたかった。


オレンジ色の鬼灯。花言葉は「偽り」。ずっと自分をだましてた。泣いちゃダメ、感じちゃダメ。全部全部、好きになりたかったな。泣く私も、感情豊かな私も。


蛍光ピンク色のハマナス。花言葉は「悲しくそして美しく」。どれだけの悲しみに満ちた人生でも、最後の今となっては、どれもが美しい思い出だと思える。今なら、この両手いっぱいの涙の花を、好きになれそうだから。


本当に、本当にたくさんの花が咲いてはシーツに落ちていった。ルリタマアザミ、オキナグサ、ヒガンバナ、コルチカム。色とりどりの私の感情が、満開の花を咲かせてはシーツに落ちる。


ああ、綺麗。たくさんの花が、いつしかベッド一面を覆って、床にまでこぼれ始めている。なんだかうれしかった。次第に、重く張り詰めた心が軽くなっていく。それと同時に、咲き誇る花もまた、種類を変えていった。


デイジー、カルミア、サンザシ、白いカスミソウ。紫色のカラー、サラサドウダン、アルストロメリア。夢や希望に満ちた花が咲き誇っては、絶望や悲しみの花を覆いつくしていく。部屋いっぱいに満ちる芳しい花の香りは、呼吸するたびに私の肺を満たしていった。


そうして、しばらく泣き続けていると。胸元が、開いていく感触がする。病院に支給された、前開きのパジャマのボタンの隙間から、何かが這い出て伸びてくる。


それは大きな、太い茎だった。心臓に根をはり、私の涙を養分に咲く、私の命の花の茎。百合のような、薔薇のような、不思議な蕾が、次第に茎の先にできていく。咲いたらきっと、私の顔よりも大きな花が咲く。そう思えるくらいに、大きい蕾が育っていった。


私は涙の花を咲かせながら、じっと私の命が花開くのを待った。怖くはない、苦しくもない。ただ、やっと解放される。ここから、自由になれる。むしろ花が咲くのが待ち遠しかった。


私の命は、ゆっくり、ゆっくりと花開いていく。蕾は綻び、花びらは次第にその形を整えて。そうして咲いたのは。


真っ白な花びらを、薔薇のように幾重にも重ねた、大輪の百合の花。


この世には存在しない花だった。けれど、今まで私が咲かせたどんな花より大きくて綺麗で、儚い花だった。私自身が花だったなら、こんな花になりたいと思えるような、そんな花。


私の命そのもののこの花に、花言葉をつけるとしたら。もし私なら……


「咲き誇る幸福な命」


そう名付けたい。





満足そうに眼を閉じ、大輪の命の花を握りしめるように胸の前で手を組んで、私は事きれた。そのシーンを最後に、走馬灯は途切れる。スクリーンは、砂嵐に戻ることなく、星空の光が強くなって、辺りがいっそう明るくなる。


走馬灯の上映が開始した時のように、どこかからぶーっとブザーの音が鳴った。


そして、私が走馬灯を見ていた東屋の柱。まだともっていなかった六本の柱が、一気に光をともす。


ライムグリーンの「決意」をともす柱の隣に、トパーズの鮮やかな「矜持」がともる。その隣の柱には、橙色の「気丈」がともった。ショッキングピンクの「自責」が輝く柱の隣には、血のように紅い「焦燥」がともる。その隣には、深い藍色の「追想」が輝いた。そのさらに隣には、柔らかな乳白色の「希望」がともる。


そして最後の一本は、桃色のオパールのように煌めき、一際美しく輝く「幸福」の色で眩しいくらいに染め上げられた。


その桃色は、どこか私の命の花を思わせる、優しい色だった。


全ての柱に光がともった走馬灯映画館には、はじめのような静かな美しさはない。けれど、私の色に染まったその色とりどりな東屋は、この世界でただ一つ、美しく輝いていた。私は、東屋の中から、一歩外に出る。


すると私の足元の少し先の地面に、黒も溶かし込めそうな深い藍色のインクが垂れていた。藍色は、私の「追想」の色。どこか懐かしい、思い出を脳から呼び覚ますようなその色は、こんな字を形作っていた。


「上映終了、一度きりの思い出をどうぞお大事に」


私はその言葉に大きくうなずく。思い出したくもない、なんて最初は思っていたし、とても誰かに誇れるような人生じゃなかったかもしれない。でも、それでも、私が生きた、たった一度きりの、大切な人生だから。


「うん、大丈夫。もう忘れない。捨てない。全部全部大切な、私の想いだもの。」


誰に言うでもなく、地面のインクの字に応える。すると、インクの字がまた形を変えた。


「それでは、いってらっしゃい」


そうして、地面がパカリと割れる。鏡のように凪いだ水面が割れて、その隙間から階段が伸びていく。星空に一直線につながる、透明なガラスの長い長い階段だ。


きっとこの先が、私が行くべきところなんだろう。


私はそっと足を持ち上げ、迷いなく一段目を上った。


満天の星空に、階段が行き着く方角を目指すような一筋の飛行機雲が伸びていく。

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走馬灯映画館 鉄 百合 (くろがね ゆり) @utu-tyu

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