サレ妻王太子妃は実家に帰らせていただきます!~あなたの国、滅びますけどね???

越智屋ノマ@魔狼騎士2重版

私は、朝一番に夫であるディオニソス王太子殿下の執務室を訪ねた。


ノックの返事がないのに激しい物音が聞こえているから、断りを入れて入室してみる。執務室のソファで、殿下は愛妾のアイシャと睦び合っていた。


……朝から、お盛んなことで。


私がわざとらしく強めにドアを閉めても、殿下は見向きもしない。

アイシャはわざとらしく「きゃぁ」などと悲鳴を上げて、私をちらちら見ながら殿下にぎゅっと抱きついている。


こんな風景はとっくに見慣れているので、私はさっさと用件を伝えることにした。


「殿下、政務が滞っておいでです。今日は午前中に王領ファティマでの灌漑事業の方針策定、午後は財務部のメルクト大臣との面談、そして来月のアラヴァ王国使節団の歓迎式典についての確認が――」


「ヘレナ。お前は本当に無粋な女だ! このアイシャの百分の一でも可愛げがあれば、少しくらいは相手をしてやってもいいのに」


殿下が動くとアイシャは嬌声をあげる。甘い声でもっととねだるアイシャの姿が下品すぎて、私は眉をひそめずにはいられなかった。


――私と殿下は、白い結婚だ。


政略で結ばれた私たちの婚姻に愛情が芽生えることはなく、というか私を一目見た瞬間から「この女はツンとしていて気に入らない」と思っていたそうだ。

前に本人から直接言われたから、間違いない。


ディオニソス殿下が夜伽に私を呼ぶことはなく、男爵家の出身である愛妾のアイシャばかりを可愛がっている。

『ばかりを』というのは少し間違いで、実際には気に入った女官にちょくちょく手を出しては後宮内に『妾』枠の女性を増やしている。

要するにこの男は好色家だ。

しかも当てつけのように、私には白い結婚を貫いてくるから本当に性格が悪い。


(……まぁ、こんな男と通じるのを想像しただけでも気持ち悪いから、個人的には「白い結婚」で助かるのだけれど)


「ですから、殿下。睦び事なら寝室でどうぞ。その間のご公務は、私が代わりますので」

「お前は本当につまらん女だ!」

乱れた着衣を直しもせず、殿下は私を罵倒し始めた。


「お前のような高慢ちきな女は一生抱いてやらん! 魔法が使えるくらいで、図に乗るなよ!?」

「図に乗ってなどいませんが」


私の母国であるキリア市国では、国民すべてが上位魔法の使い手だ。一方で、こちらの国で魔法を使えるのは人口の僅か3%ほど。そんな事実は勿論知っているが、別に奢るようなことではない。


「父上からの命令がなければ、お前など絶対に妃にしてやらなかったのだからな! それに、お高くとまっていられるのも今だけだぞ?」


今だけ、とはどういうことだろう?


「聖教会の教義によって一夫一妻が定められているが、結婚後3年経っても子が成されなかった場合に限り二人目以降の妻を娶って良いことになっている。つまり、お前の居場所はじきになくなるのだ! 覚悟しておけよ?」


高笑いをする殿下と、蔑みの視線を向けてくるアイシャ。

……さすがに、少しはイラっとくる。


「ふん。悔しくても言い返せないだろう? お前のような女は、どこにも居場所はないのだ! 小国の王女に過ぎないお前には、この国では誰一人とて味方はいない!」


無感情を装いながらも、私の胸の中の怒りは確実に増大していった。


「キリア市国のような弱小国家から、この大セルグト王国へ迎えてやっただけでも光栄に思え! この屑王女」


ぷっちん。

という音が、どこかで聞こえた。

どこから? 

決まっている。私の頭の中からだ。

もはや我慢の限界だった。


「……帰ります」

「は?」

手に持っていた書類の束を丁寧に執務机に置いてから、私はくるりと踵を返した。


「待てヘレナ。どこに行くつもりだ」

「無論、実家へ。あなたとは離婚です」


殿下は吹き出して、嘲りの目で私を見やった。


「実家? 離婚? ほう、プライドの塊のようなお前に、そのような生き恥を晒す度胸があったとは驚きだ!」

「生き恥ですか?」

「そうとも! 妻としての責任を放棄して実家に逃げ帰るなど、無能な妻の際たる行動ではないか!」


ふぅ……、と私は溜息をついた。


煩わしいことに、このあたりの国には古くから『そのような価値観』が根強く存在している。

王侯貴族の婚姻は、国と国、家と家を結んで地位を盤石にするためのもの。にもかかわらず私情で婚姻関係を解消するなど、愚の骨頂だと考えられているのだ。

その結果、事実上は関係が破綻している夫婦でも、離婚に踏み切るケースは極めて稀だ。


だが私は今から、そのレアな事例のひとつになりたいと思う。


「生き恥を晒すのは、私ではありません。むしろ殿下、あなたのほうですわ」

「何?」

「生き恥どころか、おそらく生首を晒すことになるかと存じます。いわゆる『晒し首』ですね。あと幾ばくかの余命をお愉しみくださいませ」


「お、おい貴様! 何を言っている……!?」


殿下を無視して、私は執務室を出た。

ディオニソス殿下は「おい!」と叫んで私の肩を掴もうとしてきたが――


「ぎゃあ!!」

殿下の手が私を捕えることはなかった。

執務室の外で控えていた私の護衛騎士――エディンズ・ラクロワが殿下の腕を捻り上げていたからだ。夜闇のような漆黒の髪と、黒曜石に似た瞳。鋭いながらも色香の漂う美貌は、幼いころから変わらない。エディンズは私の幼馴染で、私の輿入れのときに護衛役として母国から随伴してきた魔法騎士である。


「きっ、貴様! この、騎士風情が……!! 痛いぞ、放せ、放――」

「あら、助けてくれたのね。ありがとうエディンズ」


私が淡く微笑みかけると、エディンズは眉ひとつ動かさず精悍な面立ちで尋ねてきた。


「ヘレナ。母国にお戻りになるとは、誠でございますか」

私を『王太子妃殿下』ではなく『姫』と呼んできた訳だから、私の本気具合をすでにしっかり伝わっているようだ。


「ええ。今からキリア市国へ戻って父上に報告します。この国の国王には、まぁ――あとで父上から使者で伝えてもらいましょう。直接話しに行って、引き留められると面倒だから」


「仰る通りかと。姫の帰国を阻止するために、軟禁などの妨害措置を講じてくる可能性もありますので」

「そうね。……でももしそんなことになっても、あなたが助けてくれるでしょう?」

「無論です。姫のご許可を戴けるのであれば、このエディンズは如何なる敵からも貴女をお守り致します」

「頼もしいわ」


私がゆったり手を差し出すと、エディンズはその場にひざまずき、私の手の甲にキスを落とした――王族への口づけは、魔力供給を受けるための儀式である。


「馬車の手配は面倒だから、あなたの転移魔法で国まで帰ります」

「御意」


私から大量の魔力を譲渡されたエディンズは、その場に転移魔法陣を展開した。私と彼の足元に、深紅の光の緻密な円形模様が完成してゆく。

「荷物は、すべて捨てていきます。輿入れのときに連れてきた侍女やメイドも、全員同時に帰還させてね。可能かしら」

「まったく問題ございません、ヘレナ姫」


唖然としているディオニソス殿下に、私は熱のない声で告げていた。

「それでは、殿下。ごきげんよう」



そして私とエディンズは、大セルグト王国の宮廷から姿を消したのだった――


   *




「ふん! あの女、許せん!! 転移魔法を見せびらかして消えるとは……実に忌々しい」

王太子ディオニソスは、鼻息荒く父親である国王のもとに報告をしに行った。



「父上! ヘレナの奴め、離婚をするとかほざいて、キリア市国へ魔法で帰ってしまいました!」

居室でくつろいでいた国王は、ソファから転がり落ちる勢いで体勢を崩した。


「あの生意気女は、私の名誉を傷つける気なのです! キリア市国に訴状を送り、ヘレナの不敬による賠償金を請求しましょう! 応じなければ宣戦布告を!! あのような小国、滅ぼすのは訳ないでしょ――」



「この馬鹿者が!!!」




父親から怒鳴られて、ディオニソスはぽかんとしていた。

「ヘレナ妃を出戻らせただと!? き、ききき、貴様……、なんということを仕出かしてくれたのだ! ヘレナがいなくなったら、この国の魔力供給が途絶える! となればすぐに、国防も農産業も、その他すべてが壊滅するぞ!?」

「はい……?」


「キリア王家の血をひく者は、存在そのものが『良質な魔力供給庫』なのだ!! 病死した先代宰相が、キリル王家の遠縁だったのは知っておろう!? この国では古来、希少なキリル王家をお迎えして魔力の供給を図ってきたのだ。王太子のクセに、なぜそんなことも知らんのだ貴様は!」


青筋を立てて怒鳴り散らす国王に、ディオニソスも事の深刻さを理解し始めた。

(……そういえば、子供の頃に家庭教師から聞かされた気もするが。面倒だから適当に聞き流していた)



「国家予算の4割もの結婚支度金をお渡しして、ようやくヘレナ王女をお迎えしたというのに!! 我が王家の血筋にヘレナ王女の血を加えれば、この国は安泰だと思っていたのに! この愚か者め、『ヘレナ王女は役に立つから、粗末に扱うな』と釘を刺しておいたではないか!」


「そ、粗末になんて扱っていませんよ? 無理やり行為に及ぶようなことはしませんでしたし、暴力をふるうような真似だって一度も――」

「馬鹿者が!!」


国王は王太子を錫杖で打ち据えてから、衛兵を呼んだ。


「衛兵! 衛兵!! ただちに王太子ディオニソスを捕縛して牢屋にぶち込め!! キリア王家に誠意を示さねば、大変なことになる!」

「はい!? ちょ、待ってください、父上 ……おい待てお前たち、本気で私を投獄する気か!? やめ、」

「大臣、大臣はおるか!? ただちに特使をキリア市国に派遣せよ! 最大級の謝意を伝え、賠償金を支払った上で再度の縁組を――」

「父上――――!!」




国王はすぐさまキリア市国に特使を派遣した。しかし……すべては、後の祭りだった。




          ***



    


キリア市国を一望できる王城のバルコニーで、私は柵にもたれて景色を眺めていた。

視線を街並みに投じたまま、後方で控える護衛騎士のエディンズに声を掛ける。


「……あの国、滅びてしまったわね。内乱が起きて、王族関係者は一人残らず処刑されたと聞いたわ」


私が去った直後から、大セルグト王国では魔力の枯渇現象が起きた。

魔術師が魔法を使えなくなり、国防や医療など、さまざまな面で支障が生じたらしい。魔力は動植物の体内を巡って生命力を賦活させる働きもあるから、急激な魔力枯渇は農耕や畜産にも大打撃をもたらした。人体内の魔力も途絶え、生命力が衰えて流行り病にかかる者も増えたそうだ。


私が出戻ったあと、大セルグト王国の国王はキリア市国に特使を送り、全面的な謝罪を行ってきた。しかし私の父であるキリア市国王は、それを受け入れなかった。


大セルグト王国中が大混乱に陥り、内乱によって王族は処刑された。もちろん王族につながる妾なども同上だ。かなり惨いことが当然のように行われたと聞いている。


しかもその後も暴徒はとどまらず、周辺諸国にも被害をもたらしている。


「……こうなってしまうのが分かっていたから、あの国で生きていこうと思っていたのだけれど。民の苦しみを思うと、やるせないわ」


「姫のせいではありません」

即答した彼の声は淡々としていて、しかし私を気遣ってくれているのが伝わってきた。

「……ありがとう」

エディンズの優しさが、本当は嬉しい。

彼はラクロワ公爵家の次男で、本来ならば一介の護衛騎士で留まるような人物ではない。数多く寄せられてくる縁談の一切を断って、独身を貫いて私を支えてくれている。


「あなたには、いつも迷惑をかけているわね。私の護衛なんか、もうしなくてもいいのに。あなたの実力なら、王国騎士団の団長にだってなれるのに」


「その件なのですが――。ヘレナ姫。私は来月よりしばし、あなたの護衛の任務から離れたく思います」

「え……?」


思わず、不安な声が漏れてしまった。

エディンズは真っ直ぐな瞳で私を見つめている。


「大セルグト王国の治安維持にあたる『連合国軍』の、最高司令官の任務を国王陛下より賜りました。その任務を見事果たした暁には、私への公爵位の授与を――とお約束いただいております」


「父上が、あなたを公爵に? それってつまり……」


いつも冷静なエディンズの目は、熱を孕んでいる。

「ヘレナ姫。この戦いが終わったら、どうか私と結――」


彼が言い終わる前に、私は彼の唇にそっと人差し指を当てて言葉を止めた。


「言ってはダメ」

「……?」

ふしぎそうな顔をする彼に、私は悪戯っぽく囁いた。


「前に本で読んだことがあるの。東の国では、『この戦争が終わったら……』と言って求婚するのは縁起が悪いそうよ。だから、あなたが言うのは、ダメ」


私は、彼の胸に身を寄せた。

「口で言わなくても、分かる。子供の頃から、あなたの瞳は正直だから」

「ヘレナ姫」


私はそっと背伸びして、彼と一瞬の口づけを交わした。



1年後。無事に帰還した彼と、私は最高の夫婦になったのだけれど……そのお話はまた、別の機会に。




   ▼▼▼▼

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 ===

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 ▼

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