エピローグ 花言葉


 私はタクシーに乗り、窓から流れる景色を眺める。

 これからはお母さんと2人で暮らせる。

 それはとても嬉しい。

 これからゆっくりと、お母さんとの時間を大切にして行きたい。

 そしていつの日か……将臣が言った『大勢の人が見て喜ぶ様な花』を咲かせる為に、私は頑張って行きたい。

 でも……私の望みは……果たしてそうなのだろうか。

 私は…………そう言った事なのだろうか……


 お母さんとの新しい生活が始まる、嬉しい門出な筈なのに……また涙が頬を伝ってしまう。

 そっとポケットに手を忍ばせて、さっき将臣がくれたハンカチを握る。


「ほら、これ持ってけ。そんな泣きじゃくった顔じゃ桜さんがびっくりするだろ」


 そんな将臣の言葉を思い出して目にハンカチを当てる。

 するとふわっと将臣の匂いが目の前に広がる。

 私は……ずっとずっと自分の気持を押し殺してきた。

 それが良い事だとずっと言い聞かせてきた。


 でも……私の望みは……私の将来は……私が決める!!


「お母さん」


「何?杏」


 私はぽろぽろ流れる大粒の涙も拭わず、真っ直ぐにお母さんを見つめる。

 そんな私を見て最初はびっくりした表情を浮かべたお母さんも、目をそらさずじっと私を見つめる。


 暫く無言で見つめ合った後、お母さんはふぅと息を付く。


「ちょっと見ない間に……大人の女性の顔になったわね。杏」


 お母さんは寂しそうに……でもちょっとだけ嬉しそうな表情を浮かべる。そして私の頬に手を当てて優しい目で私の背中を押してくれた。


「杏、後悔のない様に生きなさい」


「……はい……お母さん……ありがとう」


 そう言って私はお母さんをぎゅうっと抱きしめた後、タクシーを降りて走って行った。



 私を助けてくれた、とても大切な人……そして……心の底から大好きな、将臣の下へ。






 お店のドアが「カランカラン」と音を立てて開く。

 カウンターの外に出て叔母ちゃんと談笑していたオレは入り口に目を向けて『いらっしゃい』と言おうとするが……上手に言葉が出て来ず、入り口に立つ杏をじっと見つめる。


 くりくりと大きな瞳の中に強い意志を宿らせた杏も、真っ直ぐにオレを見つめ返す。

 

 ゆっくりとこちらに歩いて来た杏はオレの目の前に立ち、はっきりとした口調で自身の想いを吐き出す。


「私は将臣が好き。将臣の側にいたい」


「……なぁ杏……何度も言っただろ。オレみたいな奴と一緒に居るよりも……杏は広い世界に出て、」


「将臣」


 杏がオレの言葉を遮る。


「将臣は……言ったよね。私はまだ蕾だって。いずれ陽が当たる明るい世界に出て行って……やがて私の蕾は花開いて、みんなを喜ばせる綺麗な花を咲かせるだろうって」


「……そうだな」


「将臣……私は……みんなを喜ばす様な、立派な花を咲かせなくても良い……私は……私はあたなの居ない所で咲き誇っても嬉しくない!例えいっぱいの人が私を見てくれて……褒めてくれても嬉しくない!!」


 杏はポロポロと大粒の涙を流しながら、涙で一杯の目でオレを見つめる。


「私は……私はここで……小さな花でも良いから、ここで咲いていたい!!小さい花を咲かせて……それを将臣に見て貰いたい!!私は……私は将臣の側で咲いていたい……ずっとずっと……将臣に見ていて欲しい!!!」


 えぐえぐと泣きながら自身の思いの丈を吐露する杏を見て、オレはふぅと一つ息を吐いた後、ギュッと杏を抱きしめる。


「本当に……いつの間にか強くなりやがって……」


「ふふっ……将臣が……私を強くしてくれたんだよ?」


 そう言って杏もオレを力いっぱい抱きしめる。


「全く……やれやれだ……後で桜さんの電話番号を教えろ」


「えっ?」


 オレは一旦杏の身体を引き離す。


「今回は前の家出とは事情が違うんだ。きちんと承諾を得ないとな」


「お母さんは大丈夫……私の……背中を押してくれたから」


「それでもだ。こう言うのはちゃんと筋を通さないとダメだからな」


「ふふっ……意外とちゃんとしてるんだね。将臣」


 杏は大粒の涙を流しながら嬉しそうに笑顔を浮かべる。


「それと杏。居候を許す前に約束事が3つある」


「うん」


「1つ目、前と同じ様に掃除と料理をやる事。2つ目、これも前と同じ様にそれ以外の労働の対価はちゃんと受け取る事」


「うん!」


「そして最後3つ目、ちゃんと高卒認定を取る事」


「えっ?」


「オレの側にいても良いが、自分の未来はちゃんとしっかり切り開く事。その為には高校卒業の資格と同程度の物は持っていた方が良い。やれるか?杏」


「……うん!!頑張る!!」


 そして再び杏がオレにギュッと抱きついてくる。


「やれやれ……頼むぞ、ほんと」


 そうオレが苦笑していると、再びお店のドアが「カランカラン」と音を立てて開く。


「あら、お邪魔だったかしら?将臣」


 ドアの先には小首をかしげた椿が立っていた。


「また面倒くさいやつが……」


「失礼ね、昔の女に向かって面倒くさいだなんて。そんな事を言っていると、雨の日に転んで水溜りで溺死するわよ?」


 椿は全く動じること無く、ニコリと笑いながら毒を吐く。


「あら、ユリおば様。ご無沙汰しております」


 そう言って椿が叔母ちゃんに頭を下げる。


「わぁ、久しぶりね椿ちゃん!活躍はいつも見てるわよ」


「ありがとうございます」


「お休みか何か?暫く日本にはいられるの?」


「いえ……当分は日本に滞在する予定だったのですが、急遽ドイツに帰る事になりまして……将臣に首輪を……あぁ間違えた、挨拶に来たのですが……お邪魔なようなので」


 そう言ってこちらをチラッと見る椿。お前……絶対にワザと言い間違えただろ……


「そうなの……残念ねぇ」


「ユリおば様、今度帰ってきた時にはゆっくりとお話でも」


 椿は再び叔母ちゃんに頭を深く下げる。


「それじゃあ将臣、邪魔者は退散するわね。次に来る時まで、首を洗って待っててね」


 お前……首を洗って待っててねって……使い方が違うだろ……

 オレは深い溜息を付く。


「あぁ……あと……杏さん……だったかしら?」


「はいっ!」


 杏は椿を真っ直ぐに見つめる。


(ふぅん……影がすっかり無くなったどころか……立派な女の顔になっちゃって)


 椿は目を細めて杏を見つめる。


「次、私が帰って来る時まで将臣を宜しくね?」


「はい!しっかりと将臣の側にいます!!」


 そんな二人の会話を聞いてると胃がシクシクと痛くなってくる。

 後で胃薬を飲もう……


「それじゃ将臣。またね」


「おう、気を付けてな」


 そう言って椿はクルッと背を向け颯爽と店を出て行った。


「将臣」


「うん?」


「私……椿さんに負けないように頑張る」


「お、おう」


 オレはやれやれと溜息を付く。


「あらあら、モテモテね。将ちゃん」


 叔母ちゃんがニヤニヤしながらオレを見てくる。


「そんなんじゃ無いよ。勘弁してくれよ」


 そう言ってオレは肩を竦める。


「杏ちゃんも……私は椿ちゃんの事も知っているからどちらにも肩入れは出来ないけど……頑張ってね」


「はい!」


 杏は目に強い意志を浮かべ、椿が出て行ったドアをじっと見つめる。


「ふふっ……そう言えば杏ちゃん、花言葉ってご存知?」


 叔母ちゃんが優しい笑みを浮かべて杏に問いかける。


「あ、はい。お花に何かしらの意味を持たせたって言う」


「そうそう」


「あのね、柊の花言葉は『歓迎』『保護』そして……『あなたを守る』」


「あなたを……守る」


「そう。そして杏の花言葉は『慎み深さ』と……『乙女のはにかみ』よ」


「まるで、あなた達2人を表しているみたいね」


 そう言って叔母ちゃんはニコリと笑った。








 将臣の叔母さんから花言葉を聞いた私は、じっと将臣を見つめる。


 将臣の側にいるだけで、私の心は落ち着いて行く。

 将臣の匂いを感じるだけで、私はとても幸せになって行く。

 将臣に見て貰えると思うだけで、私は綺麗な花を咲かせようと頑張れる。




 私に覆い被さっていた影を取り除いて、沢山の陽の光と愛情と言う名の水をくれたこの人の……将臣の為だけに、きっといつの日か、私は小さくて可憐な花を咲かせるだろう。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今話を持ちまして、「街外れの薬屋は、日陰の花を綺麗に咲かせる」第一章杏編が完結となります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

機会があれば、楓編、椿編、そして将臣編も世に出せたらな嬉しいな、と思いますのでその際はどうぞよろしくお願いいたします。

それでは。



ゆずのゆず

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街外れの薬屋は、日陰の花を綺麗に咲かせる @yuzunoyuzu

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