ケイの目覚め

「ケイ::::」


 ふいに後ろから名前を呼ばれ、振り向く。


 わたしは、目を疑った。


 わたしがもう一人、立っていた。穏やかな微笑みをたたえて。


 一瞬、鏡かと思ったが、今のわたしがこんなに笑えるわけがなかった。


「ケイ::、大丈夫だよ」


 柔らかくて、、懐かしいニオイ::。


 昔から大好きだった、あの子の香り::。


「::アイッ!」


 妹の名前を叫んでいた。


 あの時から、すごく成長していた。わたしと同じくらいに。


「安心して::。あの人がいるから、きっと大丈夫だよ」


 目を細めて、彼女がささやく。


「待って、アイ! わたし、ずっと謝りたかった::。たくさんひどいこと言ったことも::、連絡を返さなかったことも::、本当は、ずっと一緒にいたかった!」


 涙で視界が滲む。


 アイが行ってしまう。


 なんとしてでも食い止めたかった。


 これを逃せば、きっともう二度と会えない。


 だって、アナタはもう::::








 目がさめた。


 どれだけ泣いていたのだろう、両方の目尻から耳元にかけて、生暖かい涙の帯ができていた。


 わたしは、病室のベッドの上にいた。


――――そうだ、病院に来たんだった::。


 救急室に運ばれて、診察された後、検査をうけて::。


 その後からの記憶がなかった。必死に思い出そうとしていたその時、病室の扉がコンコンとノックされ、体格の大きな女性の看護師が入ってきた。


「失礼しま~す。あら、坂木さん、目が覚めた? お腹の痛みはどう?」


 その見た目と立ち振る舞いから察するに、かなりのベテランのようだった。


―――痛み?


 そういえば、あの捻れるような、お腹の痛みは無くなっていた。


「あの、今どういう状況なのか::」


 普段と同じように、ベッドの上で上半身を起こそうとした瞬間、下腹部に鋭い痛みが走った。


「っっつ::」


 痛みのあまり、思わず背中が丸まる。


「だめだめ、坂木さん。まだそんな大胆に動いちゃ。手術が終わったばかりなんだから、しばらくはゆっくりと動かないと」


 看護師が、やれやれといった様子でわたしを見ている。


「わたし、手術うけたんだ::::」


 そういえば、救急室で診察をしてくれた医者が緊急手術の話をしていたのを、かすかに覚えていた。


「先生に一度しっかりお話をしてもらった方がいいわね、ちょっと待ってて」


 そう言って、出て行こうとする彼女を呼び止める。


「あの::、おトイレに行きたいんですけど」


「おしっこ? おしっこなら、管が入ってるから、そのまましてしまって大丈夫よ。お腹の痛みが強くなってきたら、ナースコールしてね」


 そう言い残して、ベテランナースは去ってしまった。


 なんてことだ、このむず痒いような下腹部の違和感は、私の知らない間に入れられた管のせいだったのか。


 とりあえず、今自分の置かれている状況をしっかり説明してほしかった。そう思っていると、程なくして例の医者が病室に入ってきた。


「坂木さん。目が覚めたようだね。痛みは大丈夫?」


 この前と違ってメガネをしていなかった彼は、あの時よりもずっと若々しく見えた。


「痛みは、動かなければ大丈夫です。あの::、いま私はどういう状況なんでしょうか?」


「そうか、坂木さんは途中で意識を無くしてしまったからね。そうしたら、面談室で話そうか。車椅子には乗れそう?」


「多分::」


「分かった。少し待ってて」


 そう言ってその医者は、車椅子を取ってきてくれた。


 私をそれに乗せると、彼は病棟の廊下の一番奥にある小さな部屋に私を連れていき、電子カルテを開きながら、話しだした。


「それでは改めまして。外科の名東です。今回あなたの手術の執刀を行いました。これからあなたの主治医を担当します。よろしくお願いします」


 彼は小さくを頭を下げ、ふわりと笑う。


「::よろしくお願いします」


 私も頭を下げた。


「そうしたら、まず坂木さんの体の中で起こっていたことを説明します」


 私が頷くと、彼は白い紙にスラスラと手慣れた手つきで、人間の内臓を表しているのであろうイラストを書き、再び話しはじめた。


「あなたの大腸のここ、S状結腸という部分に大きな腫瘍ができていて、それが大腸の通り道をせき止めていました。そのせいで腸の中に便が大量に溜まってしまって渋滞を起こす、いわゆる腸閉塞という状態になっていました」


「::はい」


「それで、腸がパンパンに膨れ上がってしまって、お腹の痛みや嘔吐の原因になっていたんです。そのままでは腸が破れてしまう恐れがあったので、便の逃げ道を作るために緊急手術をして人工肛門をお腹に造りました」


―――人工肛門?


 私は彼に背中を向け、着ていた術着の前を開いて恐る恐るお腹を確認する。おへその横に見たことの無い透明な袋がついていた。その中には、丸いドーナツ状のピンクの何かが見えている。


 どう見ても内臓だった。急に気分が悪くなった。


「坂木さん、大丈夫?」


「大丈夫です::、続きをお願いします::」


 か弱いオンナだと思われたくなかったので、必死に平静を装った。


「今回の手術はあくまでも、腸閉塞を解除するためのものです。今後、状態が落ち着けば再び手術をして大腸の腫瘍を取り除き、人工肛門もお腹の中にもどす予定です」


 すごく難しい話だった。とてもすぐには理解できないと思い、それよりも先に確認しておきたいことがあった。


「その腫瘍というのは、::癌なんですか?」


 彼は少し間をおいて、表情を変えることなく続けた。


「今後、詳しい検査をしていくことで明らかになると思いますが、その可能性は低くないと思います」


―――結構はっきり言うんだ::


「先生」


「はい?」


「実は::、以前、私の妹がこの病院でお世話になったんです。わけあって絶縁状態だったんですが::、大腸癌だったと聞いています。いろいろ治療を頑張ったみたいですが、二年前に亡くなりました::」


 そう言うと、彼は静かに目を閉じ大きく息を吸った。そして開いたその瞳は、哀しさや懐かしさ、愛おしさなど様々な感情を表す色をたたえているように見えた。


「あなたの双子の妹さん::、坂木アイさんは、僕の患者さんでした」


 衝撃だった。


 そんな偶然があるのかと思い、言葉が出なかった。


 私が黙っていると、彼は再び話し出した。


「彼女もあなたと同じように、大腸に大きな腫瘍ができていた。そして腸閉塞の状態で救急室に運ばれ、僕が緊急手術を行い人工肛門を造った」


 絶望的だった。何もかもが同じなんて::。


「::アイだけじゃなくて、私の母も大腸癌で亡くなったんです::。そんなことって::」


 そう言った私に彼は小さく頷くと、


「あなたやアイさんの病気は、お母さんからの遺伝によるものなんです」と言った。


―――意味が分からない::。


「::わたしも、病気で死んでしまうんですか::」


 気づけば、そう聞いていた。


 声だけでなく、足も震えているのに気付く。


 彼の返事を聞くのが恐ろしかった。


 顔を見ることができずに下を向いていた私の両肩にそっと手を置くと、彼は言った。


「あなたはアイさんと違って、病気がそこまで進んでいないんです」


―――どういうこと?


 視線を上げると、彼が優しく微笑んだ。


「アイさんはすでに癌細胞が全身に広がってしまっている状態でした。もう根治が望めない状態だったんです。でもあなたは違う。CTで見る限り、腫瘍はおそらく大腸にとどまっている」


「::そうなんだ」


「だから手術で根治を目指せる」


「::」


「これから一緒に治療を頑張っていきましょう」


「::はい」


 涙が出ていた。


 それが、根治が期待できる事に対する安堵からなのか、同じ病気で亡くなってしまった妹への罪悪感からなのか、それともこの医者から感じられる、えも言われぬ安心感からなのか分からなかった。


 彼は私に微笑みかけると、


「しかし、やっぱりそっくりだ。顔も声も仕草も」


 と懐かしさを噛みしめるようにつぶやいた。


「そうだ、アイさんの話をしましょうか。あなたにならきっと彼女も許してくれる」


「::はい、お願いします」


 私がそう言うと、彼は自らの記憶をひとつひとつ引き出しから丁寧に取り出すかのように、落ち着いた様子で話し始めた。


 アイがとても人懐っこかったこと。


 弱音ひとつ吐かずに抗がん剤治療を頑張ったこと。


 私達の母も大腸癌で亡くなったと聞き、遺伝性の癌であったと気づいたこと


 治療をやめてからはアイと一緒に住むようになり、かけがえのない時間を過ごせたこと。


 病気が進行し、苦痛が強くなってからは緩和ケア病棟に入院し、最後は鎮静剤を使用したこと。


 そして、その翌日に彼に手を握られながら、アイは静かに最期を迎えられたこと。


 話を聞き終えた時、彼女と絶縁状態となっていた事が心から悔やまれて、私はまた泣いた。


 ただ彼女がこの先生に支えられながら、悔いの無い闘病生活を送ることができたという事が知れて、少し救われた気がしたのも事実だった。


-----これから私は、アイと同じ病気とたたかっていく。アイが愛したこの先生と一緒に。


 きっと、アナタが巡り会わせてくれたんだよね。


  アイ、見ていてほしい。わたしも頑張るから。



「でも、坂木さん。あ、それじゃ、ややこしいかな。ケイさんでいいかい?」


「呼びやすいように呼んでいただければ」


「アイさんが言ってたけど、ケイさんは見た目はそっくりだけど性格は全然違うっていうのは本当?」


そう聞かれて、言うべきかどうか迷っていた事をはじめに伝えておくことにした。


「それは、昔からいろんな人に言われてきました。性格だけじゃなくて、たぶん男性の好みもそうです。だって、私が先生にゾッコンになる未来なんて、全く想像がつきません」


彼は一瞬、ひどく驚いた様子だったが、すぐにアハハハと大声をあげて笑った。


「いやあ、ケイさんはなかなか手強そうだな! あなたの信頼を得られるように精一杯頑張ることにするよ。これからよろしくね」


彼は右手を私に向かって、突き出した。


「はい、よろしくおねがいします」


私はその大きな手を握った。

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ヤサシイキス haru-po @haru-po

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