ホントのキミ

昼星石夢

第1話ホントのキミ

 ここはメタバース、その名も「スカイバース」

 サービス提供から数年で、日本のユーザー数は人口の三分の一にのぼる。

 空をイメージした世界で、ときおり飛行機まで飛んでいる。ライブなどのイベントに参加したいときは、ひこうき雲が消えないうちに飛行機をタップする。中央には巨大な入道雲。この空間のルールを司る管理者であり、シンボル的な存在だ。規約違反者は落雷の演出で追放され、自由で安全な交流のために、この雲がセキュリティゲートの役割を果たす。

 今日も己の存在を誇るように、モクモクと立ち上り、治安維持に目を光らせているようだ。

 会話は音声か入力で、好きな自動音声に変換されて聞こえる。あちらこちらから街中の雑踏にいるかのように声が聞こえる。

 久しぶりにスキンを変えよう。自分のアバターはまだ、桜の花びらが散りばめられたワンピースを着ている。「スキン変更」から白のレース模様が可愛いワンピースに着替える。それからお気に入りの麦わら帽子も。青いリボンも付けようかな……。楽しい作業で気を紛らわそうとしても、やっぱり溜息がこぼれる。その途端、現実世界に引き戻された。

 自室の硝子窓からも、似たような入道雲が見えた。でも、反射して映る自分の顔はひどい有り様。せっかく期末テストが終わって夏休みが始まろうとしているのに。

 とにかく誰かと話したい。だけど、こんな中途半端な時間には、ログインしている知り合いは少ない。現実世界の彼らのことは知らないけど、まだ仕事や家事に追われている頃だろう。

 ざっと今スカイバースにいる「友達」に目を通す。趣味の友達や勉強仲間以外で、この人とはゲームの話だけだし、この人は、たぶん、画面の向こうがおじさんだから……。

 そうやって気分と話の内容から、一人にしぼられた。

personaペルソナ」を私の部屋、メタバース上の個人空間に呼び出す。十秒ほどで、「許可」が表示され、アバターが現れた。ガッチリした体型の、恋愛シュミレーションゲームに出てきそうな見た目をしている。なぜか勇者の格好をしている以外は。

 でも不思議と何でも話せるのは、ペルソナさんだけだ。

「ペルソナさん! 聞いてください、もう私、ショックでこれからどうしたらいいか」

「何かあった」

「実は親友が転校することになって、それは前からわかってたけど、今日、お別れだったんです。それでほんとにいなくなっちゃって……」

 自動音声に変更された声が詰まる。「それじゃあ、元気で」なんて、柄にもないことを言った親友の顔がフラッシュバックされて。

 ペルソナさんのアバターからは反応がない。ラグだろうか。私は一人で喋り続けることにした。

「その子とは幼馴染で、小さいときは、私のほうがお姉ちゃんというか、しっかりしてるって言われてて。あ、その子、女の子なんですけど、男勝りなとこがあって、よく男子と遊んでたりしたんです。それで喧嘩に巻き込まれて、普通逃げません? でもあの子は一緒になって仲間と戦ったり、仲裁したり。私が大事にしてた物をとられたときは、返せって、怒ってくれたり。当時は一緒に遊んでた一つ上の兄より全然強かったし、かっこよかった。でもほら、大人から見たら、荒々しい子に映っちゃって。よく私と比べられてたな。私はただぼーーっとしてただけなんですけど」

「そんな……」

 やっとペルソナさんが喋った。フリーズ状態は解けたらしい。ペルソナさんからしたら、全く関係ない話で迷惑だろうか。いつものように、私の部屋のアイテムを一通り見て回り、本当に飲めるわけでもないのに、紅茶を淹れ、応接セットのソファに座る私と自分のアバターの前にカップを置いた。

「その子……スカイバースは?」

「ああ、何度か聞こうと思ったんですが、私は現実と仮想空間は分けたいタイプで。でも、聞かれたら教えるつもりでした。だけど、言ってこなかったし、やってないんじゃないかな。他のSNSで必要なやりとりは事足りますから」

「そっか。でも、会いにくくなるなら、聞いてみてもよかったかも」

「確かに……。いや、やっぱりあの子とは会って話したいかな。学校でもスカイバースで遊んでる子達が多いけど、同じくらいトラブルも多くて。自動音声だからか、ニュアンスの誤解とか、課金の差で一緒に遊べなかったり、そういうくだらないことで仲が悪くなったりしたら嫌だから」

 数秒おいて、ペルソナさんのアバターからたくさんの花が飛び出して、ニコニコと笑う表情になった。嬉しいときなどに使うボタンを押したようだ。

「今は? かっこいいとは思わない?」

「え? そりゃ、女の子だし。それに、学年が上がるごとに、控えめになって。あ、これはあくまで外から見るとってことですよ。私とは男子と行動することが減った分、一緒にいる時間が長くなって、私からみるとあまり変わらない。相変わらず、面白いこと言って笑わせてくるし、授業中はしょっちゅう寝るし。でも、昔より口数が減って、よく考えてから話してるのが伝わってきて。あと怒るときも、静かに怒るんです。だから大人だなって」

 ペルソナさんは向かいのソファから立ち上がると、私の目の前にやってきた。流石に話しすぎたかもしれない。全然話足りないのだけど。話題をペルソナさんにも被せることにする。

「ペルソナさんのアバター、私すごく好きです。実はその子と私、文芸部なんですけど、その子が書いてた小説の主人公を勝手に想像してて、それがペルソナさんのアバターとほとんど一緒なんですよ!」

「本当? それは、驚いたな」

「それって、何かのキャラですか?」

「い、いや……、オリジナル、なんだ」

 歯切れが悪い。あまりいじってほしくない話題だったかな。

「そういえばペルソナさんって、学生ですか? こんなこと言うと引かれちゃうかもしれないですけど、学生割りって多いじゃないですか。だから安いうちにってことで、その子とよく美術館とか、テーマパークとか行ったんですよ。でもがっつきすぎって、その子が言って、喧嘩になったことあるんです、どう思います?」

「あのさ」

 スピーカーの音量はそのままのはずなのに、ひと際大きく聞こえて、ビクリとする。

「その子のこと、本当はどう思ってるの?」

「はい?」

「いや、不思議に思って。だって、他にも友達はいるだろうし、好きな子だって……いるかは知らないけど、これからできるかもしれない。別にその子にこだわる必要もないだろ?」

 汗が額を伝うのを感じる。エアコンが効いていない。一瞬何も考えられなくなる。ペルソナさんの言葉にショックを受けたから? 自分の感情がわからなくなったから? いや……。

「ペルソナさん、それは私にも、親友にも失礼です。私は親友を他の誰とも比べずに、二人の関係において好きなんです。たぶんずっと忘れないぐらい。これからも」

 一気にそう言ってから、はっとして、

「でも話しすぎちゃって、うんざりしちゃってたならごめんなさい!」

 と付け加えて、シャツの袖で現実の汗を拭う。

 乾いた笑い声がして、ペルソナさんのアバターもお腹を押さえて笑う仕草をした。

「何ですか?」

「いや、ずっと忘れないのか、たぶんなのか、どっちかなって」

「あ……」

 かっこつけたことを言っておいて、なんていい加減なんだろうと、自分で恥ずかしくなっていると、改まった声がした。

「ずいぶん聞いてあげたから、今度は僕が話してもいい?」

「あ、はい」

「僕には好きな人がいたんだけど、気持ちを伝えないまま、引っ越してしまってね」

「そんなの、今からでも言っちゃえばいいのに」

「キミみたいにはっきり言えるといいんだけどね」

 うっ、と口ごもる。ペルソナさんは褒めてくれたのか、なじったのか、自動音声ではわからないけど、ずけずけ言うのは私の悪い癖だ。

「僕はトランスジェンダーなんだ」

 聞こえた声に顔を上げる。ペルソナさんのアバターは変わらず私のアバターの前で小刻みに揺れている。どう答えればいいのかわからない。私自身はそういうことを全く気にしないタイプだけど、ペルソナさんは当事者で、だから軽はずみなことは言えない……。

「だから、キミに気持ちを伝えられなかった。ここならって、ストーカーみたいな真似もして、でも結局、スカイバースでも言えなかった」

 唖然とする。え? え? と繰り返し同じ文字が頭に浮かぶ。

 何も言えずにいると、再び声がした。

「その麦わら帽子、昔、僕がいじめっ子から取り返してあげたものと似てるね」

 ただ、二体のアバターを見つめた。言葉がでない。声にならない声しか――。

 その時、ペルソナさんが、ゆきこが部屋から出ていった。

「待って!」

 私はゆきこの何を見ていたのだろう。親友なのに、想いに少しも気づけなかったなんて。

 追いかけて、個人空間を出る。勇者姿のゆきこが入道雲のほうへ走っていた。

 待って。伝えたいことができたから。

 ゆきこは巨大な入道雲に飲み込まれ、もう見えない。

 絵の具で塗ったような、そんな青空は私の届けたい想いすらも飲み込んでしまったのだろうか。

「待って!」という声もきっと今は届かない。

 昔は、辿っていけばどこまでも行けそうな気がしたひこうき雲も、今は私を置いてどこかへ飛んでいくだけになった。

 被っていた麦わら帽子を脱いで遠くの空を見上げる。

 そこに大きく存在していた入道雲と、目が合ったような気がした。

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