やっぱり秘密にする。

銀色小鳩

やっぱり秘密にする。



 あまり夫に隠し事をしていないと思っていた私であるが、そうでもないな、都合の悪いことはやっぱり言ってないな、……と自分を省みている。

 本当に後ろめたいことは言わないようだ。実感してしまった。


 先週、私は強烈に夫に対して後ろめたい気分になった。


 高校時代の部活仲間で会うのは、初めてではない。何回も会っている。後ろめたいと感じたことはない。その中に好きだった子がいても。

 それでも今回、夫にわざわざ事前にそれを言ったのは、よく考えたら「今回は、少しだけ、後ろめたかった」からかもしれない。

 その後ろめたさの正体は、たぶん、「私が自分から動いた」ことにある。


 この部活の皆で会うとき、私が自分から集まろうと言い出すことはなかった。高校時代に好きだった彼女に関しては、近づきすぎると地獄を見るという刷り込みが完了しているので、自発的に近づこうとしなかった。

 しかし、コロナの自粛が終わって、しばらくしても集まる気配がなく、今回初めて、自分から自発的に、皆に連絡を取って集まろうとした。その気持ちの中に、「好きだった彼女はどうしているかな」といった、多少の下心があって、その気持ちをもったまま「集まりましょう」の発信をした。ここに後ろめたさを感じたわけだ。


 久々の飲み会の時、私は念入りに化粧して、直前で千八百円もする、すぐに落として失くしてしまいそうなノンホールピアスを買ってつけ、現地に三時間前に着いた。完全に浮かれている。

 いや、芝居仲間と久々に会ったときも、念入りに化粧して浮かれていた、行動は一緒だ。でも、なんとなく、自分の中に浅はかさを感じたよね……。


 実は一度だけ、彼女に個別でメールを送ろうとしたことがある。一昨年のことだ。家族で行こうと舞台のチケットを取ったが、子供の急な体調不良か何かで行けなくなった。勿体ないからチケットをただで譲る相手を探していた。明日とか明後日とか、直近の舞台だったから、すぐ渡せる、近所にいる人を中心にラインを回した。夜だったので誰からもすぐには返信がなかった。

 その時に、ふと彼女が浮かんだ。


 この舞台は、高校時代に彼女がハマっていた漫画を舞台化したものだった。

 住んでいる場所も県をまたいでいるし、ほんの数日後の舞台だし、郵送しても間に合わなさそうだ。連絡したところでこんなにすぐの舞台では、チケット送ってほしいとは言わないだろう。だけど……、

 チケットを口実にすれば、「この漫画好きだったから、もしかして行くかなと思って」とかなんとかいって、連絡をとることができる。

 いきなりメールを個人的にしたら、「壺でも売られるのか」と怖がられそうだけど、彼女に対してこの舞台なら、連絡してもおかしくない。

 いやいや、でも。


 彼女にメールを打つのは、他の友達からの返事が全滅してからだ……最後にしよう。どうしても誰も行く人がいなかったら、最後にメールを送ろう。

 そう思って色々な人にラインを送ったが、友人たちからの返事はなかった。私は彼女の、もう使われていないかもしれないメールアドレスに、文章を打ち始めた。


 体中が熱くなった。本当に、全身が。

 どれだけ体熱くなってるんだ。この心理状態で連絡取ろうとするとか、浮気じゃないだろうか? 

 いや、久しぶりすぎてこうなっているだけだ。チケットを送るだけで、会わなければ良い。


 心臓がばくばくしてきて、メールを打つのをやめた。

 代わりに高校時代によく相談に乗ってくれた友人に、何十年かぶりに連絡をとることにした。初めてカミングアウトした友人だ。そういえば、この人に、ありがとうを伝えたいなと思っていた。いい機会だ。


 結果、久々の友人は、車を飛ばしてすぐに来てくれた。観に行くと言ってくれ、チケットを受け取ってくれた(後で、お礼といって色々頂いてしまったりして、かえって申し訳なかったような気がする)。

 色々と話をした。この時、高校時代いろいろ話聞いてくれてありがとう、とやっとこの友人に言えた。


「実はAちゃん(好きだった子)がこの漫画が好きで。もう全く連絡を取っていなくて、誰からも行くって返事なかったら、連絡しようと思ってた。メール打ち始めてたよ」

 そう言ったら、友人は、

「ええ!?」

 と目を丸くした。

「連絡しなよ! 絶対連絡したほうがいい!」

 彼女はチケットを真剣な目で突っ返してこようとした。あまりに必死な目をするものだから、その時の友人の顔は脳裏に焼き付いてしまった。本当に親身になってくれる人だったんだな、と今さらながら思う。

「いやいやいや。助かったって。メール送ろうとしたら、体中熱くなっちゃって、やばいなと思ったからやめたの。助かったよ。ここまでになる時点でダメだって」

「うーん、そうかぁ……」


 そんなやりとりがあったのが一昨年の半ば。

 去年末になって一気に「このまま友達と疎遠になりたくない」という気になったけれど、この時の事があるから、気分的に後ろめたかったのだと思う。


 久々に会った彼女は、普段使いのセーターをラフに着て、昔とあまり変わらない空気をまとって現れた。

 そして、難病指定の、ある疾患を持つようになっていた。

 この7年間は闘病生活で、鋭い痛みに耐えて過ごしていたらしい。一度手術して良くなったが再発し、外出もままならなかったのが、やっと少し良くなってきたところだ、と言った。

「痛くて、人によっては死を選んでしまう場合もあるらしい」

 と話す彼女は、それでも明るく昔のままで。ただ、

「また再発したら無理だ~~」

 と言った。


 ラインの時ですら、下手すると彼女に対してだけ根掘り葉掘り近況を聞いてしまいそうだったり、それを抑えようとして冷たい反応を返しそうだったり、そういう自分をかなりコントロールしているのを感じていたが、会ってみると、そんな話を聞いていてさえ、彼女だけに興味が集中しているように見えないように、皆になるべく話を振るようにと、私はコントロールに努めていた。

 彼女の状況を全然知らなかった、という思いと。そういう近況を全く話さないままもうすぐ十年も経とうとしていたのか、という思いと。こんなに自分はもう落ち着いて反応を返せるようになってるんだな、だいぶ作為的にコントロールするようになったな、という自己発見があった。


 飲み会の後、場所を移して、コーヒーを皆で飲みにいった。彼女が喋りながら、私に普通に笑いかけた。その一回の「笑いかけ」だけで、私は年甲斐も無くきゅんとした。

 私が一番話せると言ってくれていた彼女、「昨日と今日、あなたと一回も話さなかった……」と、あり得ないことのように呟いてきた彼女、脳裏に色々な事が一気に思い出された。本当に、ほぼ毎日一緒にいた。

 ちょっと目を合わせて至近距離で笑いかけられたら、もう、それだけできゅんとするのだ。この人と、あんなにずっと毎日一緒に過ごしていたんだから、そりゃ、好きになったのは仕方がないことだったんだ、と納得した。

「最近、昔の日記を読み返したんだよ」

 言おうと思っていたことを、みんなの前で、口に出した。

「いつの?」

「高校のときの。メンタル不安定な時期ではあったけど、だいぶあなたを振り回していたなって思ってさ」

 謝ろうとしたところ、本人からは「そう?」というような反応が返ってきた。他の人からは「そういう、日記とか昔のものが残ってるのっていいねぇ」なんてことを言われた。

 ひとしきり、あんなことがあった、と共通の話題で思い出せるものを話に上げて。十年近く会っていないにも関わらず、皆のノリが全く変わらない。その事がとても嬉しく。

 このまま年を取って、そのうち老眼や病気の話から終活の話とかに話題が移っていくのかなぁ、などと思いつつ、また頻繁に集まろうよ、と言いあって、解散することとなった。


 化粧室に寄るというので彼女だけいったんサヨナラしたのだが、他の人たちと歩いていると、

「追いついた!」

 彼女が、後ろから私の名前を呼んで軽い体当たりをしてきた。

 ポーカーフェイスのままのつもりだったが、内心、そうだ、そうだよこういう生き物だった……! と感じた。猫にいきなり絡まれて内心喜ぶ猫好きのような軽い嬉しさがあった。


 この年齢になって、きゅんとしてしまったことだとか、そういうことを考えると、次はまた皆で集まるのみ、一対一ではやっぱり会わない、と思っていたのだが、皆で別れたあと、一日して、考えがぐらついてきた。


「あなたに、何度も連絡しようと思っていた」

 というライン。

 会ってから言われた、

「一年に五回くらい、あなたにメールしようとしてた」

 という言葉。

 

 他の人とは会っているからだろう、私だけ育児で忙しかったから会えなかった時があり、一番疎遠になっていたからこその言葉だろう、と思っていたのだが。

 他の人に対しても年賀状のやり取りだけだった、ということがわかってから、私はずっとそのことを考えていた。


 一年に五回も、連絡しようとしてくれたこと。他の人ではなくて、私に。その連絡しようとした時、ちょうど闘病のさなかであったかもしれないこと、「再発したらもう無理だ」という言葉。社会人になってから会う人間と違って、昔のノリで話せる、昔の友人が、本当に貴重であること。

 何回も連絡しようとした、という言葉に対しての私の返事が、「えーっそうなんだ?」とか「皆で会えてよかったよ~」でしかなく、「連絡してよ」でも「連絡するよ」でも「遊ぼうよ」でもなかったこと。


 冷たくないか?

 わからない。冷たいぐらいじゃないと、ダメなのかもしれない。コントロールしない素のままでは、彼女に特別な反応を返しすぎてしまうのではないか。


 この九年間で、出産の時とか、駅のホームで失神した時とか、うっかりしたら死んでいたことなんて、私にもあった。そろそろ成人病の面でも危ない。

 そろそろ誰が会えない状況になってもおかしくないのだ。


 二日、三日、四日、とぐるぐる迷って、なんとなく夫に対して後ろめたい気分になりながら、個別の連絡を送るか、考えた。

 正直、吐き気がした。自分の中に下心を感じたからだ。


 私の側に多少気持ちがあったとしても、向こうから見ればただの友達だ。いきなり冷たくなることがある、ただの友達。一時期一緒にいた、ただの友達。メンタルが不安定で、自分にやたらとくっついてきたと思ったらいきなり離れていくことがある、ただの友達。


 もしこれが男女であったら。向こうにもその気があるかもしれない、と感じたうえで二人で会うのだったら、浮気になるんだろう。

 私たちは女性同士だし、お互い既婚だが、私の気持ちからして、万が一、向こうにその気があれば即、魔が差すであろう。浮気をするのって、こういう流れなのかもしれないな……、と思う。

 が。向こうはただ友達と連絡を取りたいだけであり、私が彼女の事を恋愛対象として好きだったことを、知らない。カムアウトすらしていない(気づいているかもしれないが)。

 そして、一番には、彼女には同性愛に対するトラウマがある。

 どんなに好きになっても、私は、彼女にだけは、恋愛として近づかない。どんなに好きになってもだ。その気持ちが万が一育ったら、全部文章に昇華する。好きになればなるほど、私は彼女とは絶対に恋愛関係に発展しようとは思わないだろう。

 友達でいることが、恋愛感情を出さないことが、私の彼女への愛情だからだ。


 気持ちが復活したところで、今はもう、距離がある。すぐに距離が取れる。冷静になれるのだ。今ならちゃんと「友達」を、「軽い、距離の遠い友達」を、やり直せるかもしれない。


 彼女に、ラインを送った。


 こないだ楽しかったね! 何回かメールくれようとしてたと言ってたので……

 朝や夜も基本マナーモードにしてて、それで起きるとかないから、いつでも大丈夫、連絡くれたら大喜びだよ!

 病気大変だったのもほんと、知らなかった。きついとき電話とかくれたら折り返すよ。愚痴やくだらないラインでもいいよ、送ってくれたら嬉しい。

 みんな元気でいたいね。久々に全員で敢えて、本当に嬉しかったな。

 定期的に集まって、またみんなで美味しいもの食べよう。


 彼女からは、あそぼ―って連絡しようとしょっちゅう思ってた、というのと、四人でなくて二人で会ってもいいしね、という返事が返ってきた。

 予定を合わせてお茶でもしよう、そうしよう! というところで、会話は止まっている。予定のすり合わせの連絡を入れようと思っている。


 一対一で会うことは、彼女にとっては、友達との交流である。

 私にとっては、言葉で表すのが難しい何かである。

 夫にとっては、どうなんだろう。


 言わないほうが誠意がないのか、言うほうが思いやりがないのか、ぐるぐると考え、決めた。

 高校の時に好きだった彼女と一対一で会うことを、私は、夫には言わない。

 

 彼女にも言わない。私は「友達」をやるのだ。どんなに感情が変な方向に走ろうと、友達をやる。それが出来ないなら会わない。

 恋愛感情が含まれていたというだけで混乱した高校時代、恋愛感情も大事だったけれど、恋愛以外の他の気持ちだって、いがみ合った時期のことだって、ただの会話だって、大事だった。

 彼女が私を友達だと思っていてくれた、その気持ちのほうを大事にしたい。私の感情はどうでもいい。恋愛はどうでもいい。


 そこまで思うこと自体が、もう恋愛感情なのかもしれないけれど。

 私は、この気持ちを、二人には秘密にする。

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