気の向くまま流されたい

 忘れられない約束がある。それは彼女と俺の最初で最後の約束だ。

「いつか天才的な役者になって二人で主演を飾ろう。あなたが主役で私がヒロイン。絶対に絶対に忘れないで。約束だよ?」


 俺の生涯の好敵手ヒロイン水瀬水月との大切な約束。その言葉を形を感情を役者の舞台で忘れたことはない。その約束のために生きてきた。

 だが忘れてなくとも、かなえたくてもかなわないものがある。今の俺は夢をかなえる資格などない罪人だ。水月との約束を捨ててでも償う必要のある罪がある。にげずに向き合うべき罰がある。


 とっくの昔にあの頃の夢は捨てたが、きっと忘れない。今となっては…思い出だが…。



 _____ピピピピッ


 携帯電話のアラームが部屋に流れる。目を開けると偏屈な世界。そんな世界が色づく日は来るのか、わからないことだらけの現実と甘くない朝日に対面する、それが俺の目覚めだ。今日から夏休みが明け、学校が始まる。

 ため息が出るほど退屈で白黒それが俺の生活で、いつも眠る前にもう目が覚めなければどれだけ楽なのだろう、この退屈な日々が終わるのだろうと考えるが、いつも通り変わらない朝が来る。逃れられない呪縛とでも言うのか、日々を生きることは何かを失うことよりも恐ろしい事なのではないか。いつもそんな考えが頭をよぎる。

 くだらない思索をしながらも、俺は部屋を出て顔を洗い、トイレを済ませた。その後もう一度部屋へ戻り制服に袖を通しネクタイを締め、ズボンをはいた。その後朝食をとるために一階のリビングへと階段を駆け下りる。


 その時ちょうどポケットに入れた携帯電話の着信音が鳴った。誰からの着信だろうかと一般的な思案をする必要はなく、いつも通りあいつだろうと携帯に目をやるとやはりあいつの名がはっきりと大きく表示されていた。


 鬼灯ほおずき檸檬れもんだ…



「………おはようございます。犬神いぬがみ咲人さくとですが、どうした?れもんお嬢様?」



「……ち……う」



「ん?どうした?」



「……ちっがーーーーーーう!!違う違う違う!!れもんお嬢様じゃなぁぁぁあい!」


「…いや、れもんお嬢様はれもんお嬢様だが?」



「だ、か、ら!!いつも言ってるじゃない。お嬢様じゃなくってれもんって呼びなさい!!わたくしをばかにしているのかしら?」


 いつも通りのれもんお嬢様の甲高い声に耳を傷める。夏休みの間は電話が鳴る頻度は少なかったのだが、やはり夏休みが明けたということでいつも通りの日常が戻ってきたのかと嘆息をこぼすがこのお嬢様にそんな怠けた態度をとるわけにはいかない。寝起きのスイッチを入れ替えれもんお嬢様のモーニングコールにつきあう。



「いや、いやいや。そういうわけにもいかないんだよ…俺をあの名門私立高校に通わせてくれてるのも、演技のことで何とかしようとしてくれているのも、れもんお嬢様のお父様のおかげなんだから。」



「____ッ。そんなっ…些細な事気にしなくていいのに。これはわたくしのわがままですわ。ただわたくしが昔のように名前で呼んでほしいの………だめ?」



「……だっ、だだだ、だ…め…だ!!」


 れもんのかわいらしい声音に屈しかけるが何とか理性をもって自分を押しとどめる。こいつのかわいさを受け入れてはダメなのに、ついつい気をひかれそうになってしまう。


そんなことではだめだ。彼女は俺の恩人のご令嬢であり、俺は彼女の付き人という仕事を与えてもらっているのだから。信用が無ければ辞めさせられるかもしれない。



「…そんなことより、今日もお迎えの電話か?」



 お迎えというのは彼女の身体的特徴に起因する。



「はい。そう…ですわ。いつものことでしょう?さっさと迎えに来なさい!!!!!」


 横暴でこちらの意思など無視した勝手な命令のように聞こえるかもしれないが、俺はこの仕事に責任を持っている。彼女に命令された以上従わない道理はないのだ。

「なるべく早く迎えにきなさい!」そういわれて俺は朝食を食べる暇なく家を出ることになった。


「行ってきます」


 それだけ家族に伝えて俺は駆け足で家を出た。

 いつも通りお嬢様の家へ向かう移動手段はロードバイクだ。

 風をきりながら俺が通る道はいつもと変わりない通学路。春頃は桜舞う美しい河川敷も九月の今となれば見慣れた風景に過ぎず、日々の生活への慣れ。まさに自分の感受性が廃れ、新たな風景でなければ感動を感じられなくなった自分を呪った。川沿いの道をまっすぐに下ると豪邸ばかりが立ち並ぶセレブの空間が口を開けて俺を歓迎する。ここはいつでも変わらない。むしろそれが安心するのだが。


 俺の家から20分ほど自転車を走らせるとお嬢様の邸宅が見えてくる。まさに壮観といえるほどの大きさを誇る彼女の家の大きさ。俺はいつも通り気おくれしながらも自分の身長の二倍は有にあるであろう大きさの門のそばに自転車を止めた。そして門の向こう側に投げかけるように彼女を呼んだ。



「おーい。おじょうさまー!!おーい。おーーーーーい!!」



 俺がインターホンを使わずお嬢様を呼ぶのは、いつも彼女は自分の庭で犬と戯れているからだ。新学期の始まる涼やかなこの日でさえもお嬢様の行動は変わらないらしく、笑みをこぼしながら愛犬のブルームとかわいらしく戯れていた。彼女の右手には緑色のゴムボールが握られ、お嬢様の愛犬ブルームはそのボールを見た瞬間目の色を変えてはしゃぎだした。お嬢様がボールを持つ右手を振り回すとそれを追うようにしてクルクル回る愛犬はさながらボールの魅力に取りつかれ、ボールがなくては生きられないと叫んでいるように見えた。


「さぁ!ブルーム!このボールをとっていらっしゃい!ほーーらーー!!」


 れもんお嬢様が投げたボールはお嬢様の邸宅の敷居を越えるほど遠くへ飛び、偶然俺の足元へ転がってきた。酷いコントロールだと笑いながら足元のボールを見つめる。そうしてふとくだらない考えが頭に引っかかる。…これを拾うと俺はお嬢様の犬と言うことになるのだろうか。


 _______ワンワンワワーン


 お嬢様の愛犬が駆け足で鳴きながら俺の元へ駆けてくる。ボールに取りつかれた犬は俺のことなど目にも留めず一直線に俺の足元のそれに噛みつき戯れだした。そうしてお嬢様の目線は自然と俺の方へ向いた。バチっと目はあったのだが、彼女は一向に俺の方へと視線を向けない。何か機嫌を損ねることをしたか思案にふける。夏休みあんまり会えなかったからだろうか?それとも彼女は目が不自由だからただ認識されていないのか?いや、きっとあれだ…名前の件だ…。

 あれは、しょうがないと言ったのにまだ怒っているのか。だが、あいつのことだ納得などするはずがない。仕方ないがここは俺が折れることにしよう。俺はれもんにしっかりと声が届くよう口の周りに手を当ててメガホンのようにし、今度は俺を無視できないように、彼女を悲しませないように大声を張り上げた。



「おーーい!れもん!!早く来てくれ!!れーもーんーー」



 れもん。彼女の名前。なに、大したことじゃない。下の名前で女の子を呼ぶなんて昔は普通のことだった。平常心、平常心。

 れもんと下の名前で彼女を呼んだ時の表情が、ダックスフントのブルームと戯れていたときの表情よりも柔らかくなって、女神のように微笑んで、そんな表情の彼女を見たせいで俺の心は珍しくも乱されてしまった。


 先ほどの緩み切った表情を慌てて引っ込めて、

 ツーーーーーンなんて効果音が聞こえそうなほど頬を膨らませて顔を背けながら庭を歩くれもんお嬢様。俺が彼女の名前を呼んだことで上機嫌になったことなどお見通し。むしろバレバレだというのに、そのことを俺に頑張って隠そうとしている可愛いお嬢様。



 ………………………そんな彼女の右手には使用人が寄り添い左手には杖が握られている。



 彼女は…あの子は、俺のせいで、右足と片目が不自由な体になってしまった。歩けないほどではないものの正常な高さほど足は上がらず引きずった歩き方をする。


 右目は義眼。そのことをコンプレックスに思っているのか彼女はいつも眼帯を外さない。完璧を求めるがゆえに彼女はいつしかその目を隠すようになった。

 だから杖と寄り人が必ず歩行に必要なのだ。


 俺は彼女への責任から逃げられない。逃げようとも思っていないが、きっと罪が許される日を待ち望んでいる自分がいることにも気づいている。罪は消えてなくならないから罪というんだ。償わなければ罪は消えないのだ。


 自死も考えたがそんなことで許されるほど軽い罪ではない。きっと俺が一生をかけて償っても償いきれない。彼女の身に残った身体障害は常に彼女の人生に付きまとう。


 彼女の…れもんお嬢様の身の負担が少しでも軽くなること。一生をかけて彼女を支えることが俺のいまの夢であり、この平凡変哲な白黒の世界を生きる唯一の理由だ。

 それは昔の夢を捨ててでも叶えなければならない、大切な大切な俺の目標だ。


 ただ


 …俺は未だ自分の罪に対する罰を探している。

 未だ捨て切れていないあの頃の夢の詰まったガラス瓶。その曖昧な夢の形の行く末を決めてしまえば償える罪を名残惜しそうに眺めることしかできないでいる。 



「ふっ、ふん!!いまさらわたくしのこと名前で呼んでも遅いですわ。謝っても許しませんから!!」



 拗ねたようにとがらせた唇が太陽光に反射してプルンと輝いている。ドリルのように巻かれた金髪は彼女を尚更気高く見せ、右目に施された眼帯は俺を威嚇するように存在を主張するデザインだ。



 太陽の化身のように見目麗しいこのお嬢様は見た目こそ厳かな雰囲気を醸しているが、俺と彼女の付き合いは長くお嬢様の本心というのか素の部分というのだろうか。


 その部分を知っている俺にとって彼女は愛らしい以外の言葉で表しようがないほど完璧なお嬢様だ。


 俺のほうへ近づいてくるお嬢様。俺は負担を掛けまいと自分から彼女の方へ歩み寄る。そして寄り人の家政婦さんからその任を変わってもらい彼女のもう一つの目としての役目を始める。俺が彼女の右手をつかむと同時にその顔から笑みが溢れた。近くで見るお嬢様の笑顔は余計愛らしく、言うつもりのない本心がふと零れ落ちた。



「…やっぱりれもんは笑った顔が一番可愛いな」



 思わずお嬢様を名前で呼んでしまった。本来許されないことだが彼女を見たときの本心とお嬢様がツンと俺の方を見てくれなかったので、機嫌を取るように彼女を下の名前で呼んだ。



「_____えっ。ななななななんですの。突然!そ、そそそそんなお世辞を言ってもわたくしは嬉しくなんて!嬉しくなんて!ないんですからね!!」



 突然零れ落ちた言葉だったのだが、れもんの口角が嬉しそうに上がっていくのが見てとれた。



「…俺がお世辞を言わないってことを一番知ってるのはれもんだろ?」



「なら…本当に、わたくしのことかわいいって、思ってくださるの?」



 不安げな声が俺の耳に届く。なぜ彼女はいつまでも自分に自信が持てていないのか、理由は明確だろう。ならば、俺がやるべきことは一つだけ。彼女の自信なさげなその不安に満ちた目を自信で溢れさせたい。



「ああ。そうだよ。俺は!れもんのことを!本当に可愛いと思っている。れもんの全てを俺が独占したいぐらいだ」



 流石にキザすぎる俺の本心。自分の顔の温度がみるみる上昇する。絶対に今顔が赤い。

 だが、言いたいことはこれだ。彼女は魅力的だ。それを伝えたかった。



「なななっ、何を…そんなに真剣に…」



 俺の真剣な眼差しにけおされたのか、お嬢様は動揺して顔を紅潮させる。あわあわと行き場をなくした栗のような口。体を震わせながらどうにか俺の視線から自分の表情を隠そうとしている。


それを覗き込むように俺が女神のような少女に顔を近づけると、彼女はもう回らない角度にある首をさらに回した。その反動でれもんは体のバランスを崩したらしく庭の芝生に倒れそうになった。

すかさず俺は自分が彼女をからかいすぎたことを後悔しながらも彼女をかばうようにれもんの頭の後ろと腰に腕を回した。そして勢いそのまま彼女と自分の位置を反転させ自分が芝の上に倒れられるように位置を調整する。そうしてドスっと芝の上に寝転がるような姿勢で倒れた。


 目の前にはできすぎた彫刻を思い起こすれもんの顔があった。やっぱり彼女の顔は赤い。だけどどことなく不安を感じさせる。



「ごめんなさい!!わたくしが突然倒れそうになったりするから。怪我はない?どうしましょう、お父様に連絡をしなければ……いやこの場合救急車でしょうか…それとも家のものを呼んで応急処置?」



 自分の脳の処理速度を超える出来事が起こった時慌てすぎて、何をすればよいのか分からなくなってしまう彼女の癖は治っていないらしく俺の体の上にまたがったまま四苦八苦している。



「ははははっ。大げさだよれもん。俺がれもんの顔を覗き込んだのがいけなかったのに。俺が悪かったよごめんな」



「…そう、ですか?そう…そうですわね!!元はといえばあなたがわたくしの顔をじっと、嘗め回すように見てきたことが…原因ですわ!」



 出来事を冷静に処理できればれもんのいつもの調子が戻ってきたらしい。やっぱり彼女は笑顔が・・・かわいい。

 そう思うとどこからともなく笑いがこみ上げる。



「ふっ…ふふふ…ははははっ。ほんとにかわいいなぁれもん」



「まっ、また言って………。も…もも、もういいですから!!許しますから!!そんなに褒めないでください!恥ずかしいですわ…嬉しいのですが…もうやめてください」



「はははははっ」

「ふふふっ」

 二人してこの大切な時間を笑い合った。

 キラキラ輝くこの時間。なにより彼女とともに同じ時間を過ごしている感覚が…彼女の姿を俺の視界にとらえたその瞬間に俺の世界は色づく。白黒ではなくなるんだ。と再び確認する。

 俺はその感動を忘れないよう、胸の内のポケットの奥底に大切にしまった。




 れもんの寄り人として俺たちが通う帝釈院ていしゃくいん学園への通学路をゆっくりとしたペースで進む。彼女の右手を包むように優しく握りながら彼女のペースに合わせる。



「つかれてないか、れもん。疲れたらいつでも背負ってやるからな」



「___ふふっ。わたくしをなめないでください。この程度の道一人でだって歩ききれるんですから!」



「そうか。れもんは1人でなんでもできるもんな。余計なお世話だった。」



 後悔が頭をよぎる。彼女との心理的距離が近い。心配がすぎるあまり過保護になっていた自分に苛立ちを覚え肩を落とす。

 それを見てとったのかれもんが俺の肩に触れる。


「もう。冗談ですのに…。

 あなたが私の役に立とうと頑張ってくれてるいことは当然理解しています。なぜそんなにも親身になってくれるのか、理由も当然わかっています。わかってる……。わかってますわ!!でも、あなたにあまり負担を掛けたくないの。わたくしを負担だと思ってほしくないの・・・」




 彼女にも彼女なりの意地とプライドがある。そういう事だろう。何も考えず無条件に彼女に優しくすることはかえって彼女自身も傷つけることになる。俺はわかっていたはずなのに…



「ごめん。でもな、れもん。困った時はいつでも言ってくれ。俺はお前の役に立ちたい。」



 すっかり馴染んでしまったれもん呼び。それに気づいてか、また彼女は顔を明るくする。よほど俺に下の名前で呼んで欲しかったらしい。


 れもんは小さく首を縦にふった。





 …そうして俺は気がつかないふりをする。れもんが「わたくしに親身になってくれる理由を知っている」と言ったその言葉に気がつかないふりをする。



 その後、

 事故も事件もなく無事学校についた。ふと周りを見渡すと1学期のころには度々見かけた視線が無くなっていた。彼女の付き人として生活している俺を訝しげに見つめる視線だ。夏休みの間に何かあったのだろうかと考えをめぐらせるが一向に答えに辿り着かず、そうこうしているうちに俺とれもんが暮らす教室へとたどり着く。

 その扉の上には1-Dと大きく書かれている透明なガラス板。木造の古臭い教室は歴史を感じさせると表現すれば良いのか、はたまた古臭いと宣えばよいのか。預かっていたれもんの鞄を彼女にわたし教室の敷居をくぐると皆一斉にこちらの方へ視線を送る。


「おはようございます」

「おはよう!」

「れもんちゃーーーーーん!会いたかったよー!!!」


 など様々な挨拶に迎えられながられもんを席に座らせ、俺は自分の席へと向かった。そこには人だかりができていて、何やら二学期のはじめに開催される体育祭について友人たちが話し合っているようだ。



「うーーん。やっぱり女子には学ランを着てほしいよな」



「___はぁ。やれやれ、あなたは何もわかっちゃいない。私はいまあなたに心底失望しています。ほんとうにあなたは何もわかっていないのですね。うちのクラスの女子は間違いなく学年一のレベルを誇る美女ぞろい。彼女たちに似合うのはもちろんへそ出し体操服だと思うのですがね!!」



「いやいやいや、違うね。へそ出し体操服はもちろん見てみたいが、だがしかしだ!!彼女たちの性格を考えてみろ体育祭の日はへそ出し体操服が正装になるだろう?なら・・・だ!おれは彼女たちにはダンスの時くらい違う衣装をまとってほしい。それがおれの、いや俺たち男ののギャップ萌えへの絶え間ない探求心をくすぐるんだよ」



 なんて訳の分からない会話を展開していた。俺の机の周りを牛耳るこいつらは俺の友人二人だ。いや友人と書いて変態と読むべきだろうか。彼らの会話を聞いてほかの男子たちも自分の性癖を暴露するがごとく様々な意見を出し合いさながらディベート大会のような盛り上がりを見せていた。


 あほだ。こいつら本当にあほに違いない。だけど・・・俺もそのあほの一人なんだよ!



「突然の乱入失礼するぜ」


 そういって視線をこちらに集める。


「まずは一つ言わせてくれ。お前らは本当にあほだ。へそ出し体操服?確かにあれはエロい。いつもは見えない女の子の三大秘部へそが合法的に見れるんだからな!ぶかぶか学ラン?あれもエロい!男が彼女にしてもらいたいランキング上位に入り込む彼シャツなるものを連想させるからな!結論両方エロイんだよ。ならどうしたらいいのか?答えは一つだろう?」



 男たちがかたずをのむ声が聞こえる。喉ぼとけがひっそりと上下運動を行い彼らの顔には冷や汗が浮かんでいる。



「「答えは?」」



 男どもの欲望の声を現すかのように彼らの返答が一致する。

 血走ったまなこが俺を射るかのごとく鋭くて、彼らの拳は限界を超え力強く握りしめられる。その拳には男たちの象徴でもあろう青白い血管が浮かび上がっている。彼らをもてあそぶように俺は答えをゆっくりと口に出す。


「答えは………」



 そこまで言って俺のことを刺すかの如く力強く見つめていた彼らの目線が他へ移ったことを確認した。それは俺の背後を見つめていた。だけど理由は明白であった。俺たちの会話より優先度の高い視線などきっとあいつがいるに違いない。俺の前の席に座っているあいつが来たのだ。今を時めく天才女優水瀬水月が。



 そういえば会話に夢中で気が付かなかったが教室中で彼女に対する挨拶が響いていた。



「___はぁぁぁぁぁ」



 彼女の吐く息が俺の首筋をなぞる。それだけで水月のため息の深さが感じ取れた。

 俺は振り返ることができなかった。振り返らずともあいつの表情を容易に想像できたからだ。



「またくだらないこと話してる。いつまでたってもあんたは子供なのよ。そんなに私に叱られたいの?」



 こいつが怒っているときそれは決まって俺が彼女以外の女性の話をしていた時だ。その時のこいつの表情はきっと・・・



「「ひぃ。鬼・・・・・・・・・」」



 そうこいつらの言うように鬼のような____ってそんなこと言ったら俺が殴られる。

 後悔するも手遅れ。彼女の握りこぶしは俺の頭めがけて振り下ろされていた。




「な…ん…ていった?私が鬼?ほんとにそう思うの?ほんとのほんとのほんとに?」



 俺を威圧する声。実際のところ俺はお前が鬼だなんて言っていない。だから俺は弁明することにした。



「いや、俺はお前のことを鬼だなんて言ってない、いってないから!!」


「ふーん______。じゃあ、あんた以外のそいつらが言ったってこと?」



 究極の選択である。

 ここでこいつらを売れば俺は怒られずに済む。

 必死に水月に弁明をして言い逃れができれば彼女に殴られずに済む。だが、果たしてそれでいいのか。友を裏切ってまで得た幸せに意味はあるのか。否、あるわけがない!

 俺は覚悟を決め言葉を紡ぐ。



「___こいつら・・・じゃない。俺が勝手に言ったことだ。」



 覚悟を決めて友をかばった。後悔はない煮るなり焼くなり好きにしてくれ。俺は何にも代えがたい友情を手に入れた。失うものは何もない。


 恐る恐る水月を見つめる。すると彼女の顔には何やら底知れぬ笑顔が張り付いているのが見て取れた。笑顔だ、笑顔なのだが、そこには形容し難い闇が垣間見える。彼女の顔をじっと見た後、そんな俺を嘲るかの如く彼女は口を隠しながら笑った。


「__ふふっ。ホントはあんたが言ったんじゃないのはわかってたんだけど、そんなやりきったかのような顔してどうしたの?周りを見てみたら?」


 そういって彼女は手を広げた。お手上げだとでも言いたげな表情をして俺に周りを見るよう促す。

 緊張する。何があるというのか?俺の周りには頼りがいのある友人たちが___



「___いない?」



 俺の周りには先ほどまでいたはずの大勢の友人たちの姿が消えていた。雲隠れでもしたのかと教室全体を見回すと、各自自分の席へ戻ったようで。そこから俺へ向けたヤジが飛んできた。


「水瀬さんが鬼だなんて。酷いこと言うやつとは友人でいられないね・・・」


「その意見に私も同感ですよ!水瀬さんは女神きっと先ほどの鬼のような姿は見間違いのはず・・・」


「さっさと怒られろ!・・・いやそれは少し羨ましいな…無関心されろ!!」



 など口々に俺へのヤジが飛び交う。俺は一瞬にして状況を理解した。裏切られたのだ。クラスを見渡したあと、再び水月の方を振り返る。そこには先ほどと変わらない笑顔…



「___キッチリ説明してね。咲人…。」



 いつもより一トーンほど低い彼女の声。そこかられもんが水月を止めに俺へ加勢してくれるまで彼女の俺への尋問はやむことがなかった。

 あいつら…許さねぇからな!!!!!





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