20 辞令




その魔女は実に邪悪だった。


糸を紡ぎ布を織る。

その糸は毒草や闇の生き物の毛から紡がれ、布もそれから織られた。

そして染色も全て毒だ。

それを魔女は一人で嬉々と行った。


そこから作られたものは実に美しかった。

彼女の仕立ての技術が素晴らしかったからだ。

だがそれには彼女の呪いがしっかりと縫い込められていた。


美しい衣服に魅入られた者はこぞってそれを手に入れる。

だがそれらを身に付けた者は酷い運命を辿るのだ。


そして魔女はあるものの眼を潜り抜けて、

何代も生まれ変わって服に呪いをかけた。

長い時間をかけて。


だがその呪いが成就する直前にあるものは気付いた。

この呪いが世界を破壊する力を持った事を。


それが放たれる寸前に魔女は捕らえられてしまった。


歯噛みをする魔女にあるものは言った。


「純粋なる服を作れ、そしてそれを純粋なる者に与えよ。

平安に導くために。」


それはいつの話だったのか。

そしてそれはいつ終わるのか。


魔女はもう何も覚えていなかった。

そして今では自分が魔女だった事や呪いの方法も忘れてしまった。

ただ毎日服を作るだけだ。


その魔女がどうしてこの世界を破壊しようとしたのか、

それは今では分からない。

ただ面白がって呪っていただけかもしれない。


そんな感じの女だった。




「あら……、」


西村川がはっとした。


「居眠りをしてしまったわ。珍しい事。」


彼女は大きく伸びをすると立ち上がった。


眠ったのはいつだろうか。

記憶になかった。


彼女には朝も昼も夜もない。

ただただ服をいつも作っている。


疲れも何もない。

物も食べず飲み物も摂らない。


「さあ服を仕上げてしまいましょう。」


彼女は裁った布を持ってミシンに移動した。


彼女は布を縫うのは大好きだった。

少しずつ平面の布が形になる。


今縫っているのはAラインのシンプルなワンピースだ。

もう何百枚、いやそれ以上だろう。

型紙を置かなくても布を裁つことが出来る。


布を見るとどんなものを作ろうか頭に浮かんでくるのだ。

今まで作ったものや新しいデザインが浮かぶ。

なのでAラインのワンピースだけではない、

どんな服でも型紙を置かなくても布が裁てる。

間違えた事はない。

そして縫い直しもなかった。


ファッションはその時代で変わる。

それもちゃんと頭に入っている。


だが彼女が好きなのはやはりトラッドなもので

シンプルでかっちりとしたものだ。


だがそれも時が経てば変わる。


昔は中にフープを入れたドレスだ。

時には着物も縫った。


あの頃は華美なものは規制されていた。

そしてここに来る人達は美しい着物を欲しがった。

やはり人は綺麗なものが好きなのだ。


その頃の店は畳が敷かれて……、


彼女ははっとした。


どうして今日は昔を思い出すのだろう。

ほとんど忘れているのに。


彼女は椅子に座りテーブルに肘をついてぼんやりと室内を見た。


長年使っている洋裁室だ。


裁断台にはハサミがいくつも置いてある。

お気に入りの鳥の鋏がきらきらと光った。


ふと彼女は思う。

もうすぐ終わりなのかもしれないと。


その時人の気配がした。


「マダム。」


子羊だ。


「あら、子羊さん、いらっしゃい。」

「急にお伺いしまして。」


彼が頭を下げた。いつもと様子が違う。


「どうなさったの?」

「あの……、」


珍しく彼が口ごもる。

西村川が首を傾げた。


「辞令が来ました。年季奉公が明けました。」


彼女ははっとして彼を見た。


「終わったの?」

「そうみたいです。それでこれはあなたに。」


彼が胸元から封筒を取り出した。

彼女はそれを受け取り中を見た。


「驚いたわ、私も終わりだって。」

「そうですか。」


しばらく二人は黙ったまま座っていた。

そして子羊が眼鏡をはずして彼女を見た。


「あなたの素顔は初めて見たわ。」


子羊は鼻筋の通った整った顔をしていた。


「なかなかいい男じゃない。」


ふふんと西村川が笑う。


「顔なんてこの仕事をしていたら関係ないですよ。」

「まあそうね、

でもどうして急に二人の奉公が明けたのかしら。」

「多分ですが、」


彼が裏口を見た。


「会社の建物を建て直す話が出ています。

古いビルなので耐震に問題があるらしいです。

その関係で移転話もあってこんな辞令が出たのなら

間違いなく移転するでしょうね。」

「あらまあ。それなら仕方ないわね。」


西村川は立ち上がって自分の服を払った。

糸くずが付いていたからだ。


「じゃあもう止めるわ。」


だが子羊がちらとミシンを見た。

そこにはこれから縫うはずの布がある。


「あれはどうするのですか?」

「あー、そうねえ、中途半端なのもねえ。」


子羊が少しばかり恥ずかし気に彼女を見た。


「あの、お願いがあるのですが。」

「はい。あなたのお願いなんて珍しいわね。」

「私の服を作って頂けませんか?」


子羊が少しばかりほほを染めて彼女を見た。

もう仕事が無くなるからだろう。

彼の感情も解放されたのかもしれない。


「そうね。」


彼女の頭の中に彼に似合いそうな洋服が浮かんだ。

マダムはにやりと笑った。


「お願いします。」


彼は頭を下げた。


「すっごく似合う物を作るわ、任せて。」


妙な含みがある言い方だ。

少しばかり子羊は不安を感じたが、もう仕事はない。

全て任せようと思った。


「それであなたは部屋には帰らないの?」


布を裁ち始めた西村川が子羊を見て言った。


「もう帰る必要はありません。お手伝いをします。」


それからしばらく西村川はミシンをずっと踏んでいた。

何か手伝おうと子羊が近くに寄ると、


「良いわよぉ、あなたは奥の倉庫の掃除をしてくれる?」


とすぐに別の所に行かされた。

マダムが服を作っている所は子羊はあまり見た事はない。

人がいると集中出来ないのかもしれないと

彼は素直に奥に入り掃除をしていた。


やがてマダムは子羊の服を作り終えたらしい。


「ついでに私の服も作っちゃおうかな。」


と彼女はそれにも取りかかり始めた。

子羊は何も言わず倉庫の掃除だ。


やがて全ての作業が終わったようだ。


「子羊さん、こちらにいらして。」


マダムがにやにやとして子羊を呼んだ。


「出来ましたか?」

「出来たわよ。」


と彼女が裁断台に広げたのは白Tシャツと派手な色の短パンだった。

しかもTシャツには「変人」と書いてあった。

思わず子羊はマダムをぽかんと見た。


「こんなの着た事ないでしょ?」


マダムはサンダルを彼の前に出して

にやつきながらTシャツを彼の体に当てた。

子羊はあっけにとられたまま彼女を見ている。


「何か言いなさいよ。」


マダムは反応がないので少し不機嫌そうに言った。


「あー、マダムは本当に俺にはこれが似合うと思ったんですか?」


子羊が静かに言った。


「何よ、気に入らないの?」

「……、」


子羊は突然スーツを脱ぎだし、

それを丁寧にたたむと急いでTシャツと短パンを身に付けた。


「いや、気に入りましたよ。

こう言う軽いの着たかったんですよ。」


と言うと彼は満面の笑みでマダムを見た。


「変人ってそのまんまじゃないですか。

良いなあ、マダムはずっと俺の事そう思っていたんでしょ?

知ってましたよ。

でもまさかマダムがこのような服を作るなんて思いも寄らなかったなあ。

やっぱりマダムは凄いですよ。

こう言う体が楽な服が本当に着たかったんだ。」


と子羊がマダムの手を握って大きく振った。

いきなり子羊が変わったのでマダムもあっけにとられたが、

彼の反応で少しばかり嬉しくなった。


「本当に気に入ったの?」

「気に入りましたよ、首元とか足が本当に楽ですよ。

多分半分嫌味だったと思いますが、ありがとう、マダム。」

「後半ちょっと余分な事を言ったけど聞かなかったことにするわね。

気に入ったならまあいいわ。」


マダムが自分の首元を指さして子羊を見た。


「首の赤い筋が消えたわね。」


子羊が姿見の自分の姿を見た。


「本当だ。」

「笑ったからかしら。良かったわね。」


西村川が子羊に言った。


「痛々しかったものね。

もう出血もしない。綺麗になったわ。」


そして西村川が彼の首にきらきらとした糸をさっとかけた。

それは煌きながら消える。


「何をしたんですか?」

「まあ、今までのお礼よ。」


と彼女はにやりと笑った。


子羊は今まで着ていたくたびれた背広を見た。


「あれはどうしたらいいですか。」

「そうね。」


と西村川がその背広を優しく撫でた。


「今までありがとうってさよならするのよ。」


子羊が微笑む。


「じゃあ私も着替えようかしら。」

「はい、お待ちしています。」


彼女は試着室に向かいしばらくするとそこから出て来た。


西村川が着ていた服は黒いシャツに黒いスラックスだった。

胸元に一つだけブローチがつけられてそれが光っている。

すらりとしたとてもシャープな印象だ。


「あ……、」


子羊がそれを見て一言呟いて黙ってしまった。

それを見て彼女が戸惑った顔をする。


「変かしら……。」

「いえ、そうじゃなくて、」


子羊が彼女を見た。


「いつもは派手なマダムっぽい服なのに、

すごくシンプルでびっくりしました。とても格好良いですね。」

「あれは仕事着よ。中身はこんな色よ。」


と西村川がにやりと笑う。


「だって私は元々魔女なのよ。魔女は黒が似合うの。」

「魔女なんですか?昔の事を思い出したんですか?」

「ううん、全然。」


彼女は大声で高らかに笑った。


「子羊さんは昔の事は思い出したの?」


と彼女が聞くと彼は少し笑う。


「ほとんどだめですが、

自分の名前だけちゃんと思い出しました。」

「あら、そうなの?どんな名前?」


子羊が彼女の耳元に口を寄せて囁いた。

西村川がにっこりと笑う。


「それがあなたの名前なのね。

とてもいい名前よ。」


それを聞くとTシャツにサンダル履きの子羊が彼女に肘を差し出した。

彼女はそこに手を添えた。


「じゃあ行きましょうか。」

「そうですね。」


二人は表の扉を開けた。

ベルが軽く鳴る。



そして光の中で二人の姿は消えた。






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西村川衣料洋品店 ましさかはぶ子 @soranamu

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