19 寿命




表のドアのベルが微かに鳴った。


西村川が気配を感じて店を見ると人影が見えた。


「あら。」


彼女が近寄るとぼさぼさ頭で傷だらけの男がうずくまっていた。

身に付けていたのは簡素な鎧のようなものだ。

彼は何かに恐れている様にぶるぶると震えていた。


彼女はうずくまっている小柄な男に近寄り

その背中に手を添えて静かに言った。

そこには大きな切られた傷があった。


「大丈夫?」


それを聞いて彼の震えが止まる。

しばらくすると男は顔を上げた。

少年だ。


「ここはどこじゃ?」


彼の顔は泥だらけで傷もある。


「ここは服屋さんよ。」


男は周りを見る。


「服……、なんかよく分からんが……、」


どうも身に付けている物や髪形を見ると

現代の人ではないらしい。


「何だか珍しいお客様みたい。」


西村川が呟く。

彼女は立ち上がると深々と頭を下げた。


「いらっしゃいませ、服をご用意出来ますよ。

お選びになりますか?」


と彼女は微笑みかけた。

それを見て男はぽかんとしている。


「あの、わし……。」


彼女は彼の近くに椅子を持って来た。


「お座りになりますか?」


彼は一瞬きょとんとしたが、

彼女が同じ椅子を持って来て近くに座ると、

彼もそれを見て座った。

彼はボロボロになった腹当はらあてを身に付けて半分に折れた刀を持っていた。

それを西村川が見る。


「戦をなさっていたの?」

「あ、ああ、青野原で……、」


彼女は彼の様子を見る。

かなり昔の人のようだ。

青野原と言えば現代では関ヶ原と呼ばれる所だ。


「そう、大変だったのね。」


と西村川は彼に微笑みかけた。


「ならまず体を清めましょうか。

ずいぶん泥だらけですもの。

せっかく新しい服を着るなら綺麗にしましょう。」


と彼女が手を伸ばすと男が身を縮めた。


「だめだあ、あんたみたいな綺麗な人、

わしに触るとよごれるぞ。」


それを聞いて西村川が驚いた顔になるが

すぐにくすくすと笑い出した。


「私は何ともないわ、洗いましょう。」

「だめだあ、だめだよう、」


男は真っ赤な顔になる。


「わしが恥ずかしい。」


彼女はそれを聞いて口元を押さえて笑った。


「分かったわ、他の方に綺麗にしてもらいましょう。

少し待ってね。」


と西村川が優しく言うとすぐに子羊が現れた。


「お呼びですか?」

「ええ、このお客様の体を綺麗にして欲しいの。」

「えっ?」

「お客様は紳士なの。子羊さん、お願いします。」


二人の会話を若い武士はきょとんとして聞いている。


「どっからこの人来たんじゃ?」


子羊は男を見て部屋の奥へと行くよう手を差し出した。


「どうぞ、こちらにおいでください。」


ぽかんとしたまま彼は子羊に連れられて行く。

しばらくするとバスローブを着た少年が現れた。

顔立ちもすっきりとして見える。

まだあどけない様子だ。


「では俺はこれで。」


子羊が帰る前にマダムに近寄り言った。


「背中の傷が致命傷だったようです。一応塞ぎました。」

「そう、ありがとう。」


体を清めた事で少年も少し落ち着いたのだろう。

周りをきょろきょろと見ていた。


「ここは家か?見た事ないけど。」


彼は表の扉のガラスを見て言った

人影が行き交っている。


「上のも明るいなあ。」

「あれは電灯と言うのよ。眩しいでしょ。」

「ほあ……。昼間みたいじゃな。」


感心したように彼が声を上げた。


「ところであなたはどこから来たのかしら。

何か憶えてる?」


少年が首を傾げる。


「うーん、ちょっと前に戦が始まるから来いと言われてなあ、

わしのおっとうは元々足軽だったから

行かにゃならんと村長むらおさに言われた。」

「さっき着ていた腹当はお父様の物?」

「うん、そうだあ。どこにある?」

「そこにあるわよ。」


裁断台の隣の棚の上に彼がさっきまで身に付けていた腹当があった。

それも綺麗になっていた。

その横には折れた刀も置いてある。


「さっきの兄様が洗ってくれたんじゃろか?」

「そうよ、大事なものでしょ?」

「ああ、ありがとう。」


と素直な顔で彼は笑った。


「でも戦争は嫌よねぇ。」


西村川が少し眉を潜めて言った。


「うーん、嫌だけどやらにゃならんし……、」


彼は少し口ごもる。


「丁度稲刈りの時期だったからなあ、

わしが村を出て多分すぐ稲刈りだったろうけど、

おっかあ一人で出来たんじゃろうか……。」


彼の顔が暗くなる。


「お母様がいらっしゃったの?」

「ああ、村長はみんなで手伝うと言ったから

大丈夫だと思うけど、

わし、早くおっかあの所に帰りたい。」


すると彼の顔からすうと表情が消えた。


そしてぼそりと言った。


「……違う、わし、切られた。」


西村川は黙って彼を見た。


「わし、戦なんて本当は嫌じゃった。

だから逃げ回ってたんじゃ。

でも誰か来たから刀を振ったら折れた。

そして逃げようとしたら背中を切られた。」


それがあの傷なのだろう。

彼はゆっくりと顔を押さえた。


「わし、ずっと家に帰りたかったんじゃ。

おっかあ一人でずっと心配だった。

おっかあは無事か?生きてるか?

飯をちゃんと食べてるか?

探しても探しても家に帰れん……。」


彼はそう呟くとしばらく動かなかった。

西村川は彼を見ている。

やがて彼女がそっと彼の肩に手を添えた。


「じゃあ、綺麗な着物を着てから家に帰りましょうか。」


少年ははっと顔を上げる。


「帰れるんか?」

「多分ね。」


すると少年は実に嬉しそうに笑った。

西村川は倉庫の奥に彼を誘った。


そこには桐タンスが何竿もあり、

その引き出しには着物が沢山あった。

彼女はそれをいくつも引き出して彼の前にならべた。


「こちらが小袖でこちらが直垂ひたたれよ。どれが良いかしら。」


彼は驚いてそれらを見た。


「すごいのう、武士が着るものみたいじゃ。」


西村川がくすくすと笑う。


「あなたも武士でしょ?」

「そうかのう、でもわしは農民で良いよ。」


少年がふっと笑う。


「人殺しは嫌じゃ。農民が良い。米を作って畑をして。

米が実ると田んぼが金色になる。

あれは本当に綺麗じゃ。

稲刈りが終わるとみんなで祭りをするんじゃ。」


西村川が一つの着物を出す。


「ならこの黄色の直垂はどうかしら。

綺麗な稲のような色よ。」


彼がにこりと笑う。


「そうじゃな、綺麗だな、これが良いなあ。」

「では着替えましょうね。」


すると少年がもじもじとする。


「その、あんたさん、綺麗過ぎて裸になるの恥ずかしい……。」

「あらあら、大丈夫よ、気にしないで。

多分私はあなたのお母様と一緒ぐらいの歳よ。」

「そうなのか?そうは見えん。」

「そう聞いたら少し平気になったでしょ?」

「うん、まあ……。」


彼は少しはにかみながらバスローブを脱いだ。

西村川が背中を見ると傷跡はどこにもなかった。

他の傷も綺麗に無くなっている。

健康な少年の体だ。


やがて彼は着物を身に付けた。


「そしてこれもいるわね。」


と西村川が彼におり烏帽子えぼしを被せた。

そして彼女は姿見を彼の前に持って来た。


「すごいのう、この板は。」


彼は鏡を見て驚いている。


「よく見えるでしょう、

ほら、体を動かして色々見てごらんなさい。」

「武士じゃ、格好ええのう。」

「立派な若武士よ。素敵だわ。」


彼は嬉しそうに自分の姿を見る。


「すまんな、ありがとうな、えっと、」

「マダムと呼んでちょうだい。」

「マダムか、美しい名前じゃ。本当にありがとう。」


西村川は店の裏口を開いた。


するとそこには延々と続く田園の景色があった。

田の稲はちょうど収穫前か。

光の中で黄金色に輝き、風に揺れて美しい波を描いている。


少年がそれを見るとぽかんとした顔になった。


「ここは……、」

「収穫前みたいね。すごく綺麗だわ。」


彼はそこを見た。

そして遠くで誰かが手を振っている。


「おっかあ……。」


彼はそう言うとだっと走り出した


風が稲を揺らす。

光が溢れる。


遠い昔の景色かもしれない。

だが爽やかな風が店内に入って来た。

そして少年は黄金色の中で姿を消した。


西村川はそれを見てそっと扉を閉めた。


「帰りましたか。」


西村川が振り向くと子羊がいた。


「帰ったわ。珍しいお客様だったわね。」


マダムがちらと裏扉を見る。


「そうですね、400年以上前ですか。」

「家に帰りたくて彷徨った末にここに来たのよ。

あの子、人を殺めていなかったから。」


西村川が棚に置かれたままの腹当と刀を見た。


「置いてっちゃったわね。」

「売りますか?年代物ですよ。」

「だめよ、それにお金なんて私達には意味はないし。」

「そうですね。」

「あの子は農民が良いと言っていたからもう必要ないのよ。

でもあの子のお父様の遺品らしいから

丁重に処分しましょう。お願い出来るかしら。」

「分かりました。」


と子羊がそれを持って姿を消した。


西村川がため息をつく。


「南北朝の頃の服なんて全然分からなかったけど

あれで良かったかしらね。

すごく適当だったけど。」


西村川が裏の扉を見た。


「あの子は喜んでいたし、まあ良いか。」


裏口から少年が出る時に彼はおっかあと言った。


西村川にはそれは分からなかったが、

彼は何かを見たのだろう。


もしすると彼の母親も少年が戻るのを待っていたのかもしれない。

霊体の寿命は400年程と言われる。

そうなると少年はここに来なければ自然と消えていただろう。

ぎりぎりのタイミングだ。

そして彼の母親は少年より少し長生きをしたはずだ。

彼女の魂が残っていたとしてもそろそろ消える頃だ。


彼が店に来たのはもしかするとその母親の思いなのかもしれない。

実りの地で少年をずっと待っていたのだ。


そして今日二人は再会した。


争いのない豊かな場所で。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る