18 フランス人形




扉のベルが鳴る。


ちょうどトルソーに出来上がったばかりの服を着せていた

西村川が振り向くと、

そこには焼け焦げたドレスを着た若い女性が立っていた。


彼女は綺麗だがぼーっとした顔をしていた。


彼女が身に付けているドレスはロココ調の雰囲気だ。

所々焼けているが軽やかなリボンで作られており

目にも鮮やかな色をしている。

髪型も縦ロールの豪華な様子だが所々ぼさぼさになっていた。

足はドレスが焼けてしまったからかむき出しになっており、

それも黒く焼けている。

幸いにも顔には煤がついているだけだが、

彼女には何か大変な事が起きたのだ。


「まあ、なんてこと、可哀想に。こちらにいらっしゃい。」


とマダムは慌てて椅子を持って来る。

だが女性はぽかんとしているだけだ。

西村川はその女性の手を持ち椅子に座らせた。

そしてその足を確かめる。


「あら、あなた、」


その足を見て彼女は女性を見上げた。


「人じゃないのね。」


女性ははっとして彼女を見た。


「あ、はい、ワタシは人ではありません。」

「お人形さんみたいね。」


人形と言われた女性の足には関節がなかった。

椅子に座っているが膝辺りで曲がっているだけだ。


「でもこうやってお話が出来るのね。」

「ええ、そうですけど……、」


彼女は周りを見渡した。


「ここはどこでしょうか?」


不思議そうな顔で彼女は西村川を見た。

ぱっちりとしてまつ毛の長い愛らしい瞳だ。

どことなく愁いを帯びている。


「ここは服屋さんよ。

どうしてあなたはここに来たのか分からないけど、」


西村川が彼女の足を見た。


「痛いの?」


彼女は首を振る。


「ならこの足を直させてもらっていいかしら。」


そしてドレスも見る。


「ドレスも可哀想。綺麗にしたいわ。」

「良いんですか?」

「良いわよ、このままでは私が我慢出来ないのよ。」


と西村川がウインクをした。


「じゃあ、悪いけど床に横になってくれる?」


とマダムが言うと彼女は素直に横になった。


「あなた、お名前は分かるかしら。」


少し人形は考えた。


「ワタシは……、梅子、梅子です。」

「まあ、日本人の名前ね、見た目はフランス人形なのに。」

「松子お姉さんがそう呼んでたの。」

「そう、私は西村川よ。マダムと呼んでいただける?」

「はい。」


マダムが梅子の足を取り、持ち上げた。

所々焦げている。

足は筒状になった布に綿が詰め込んである。

中心には針金だろうか、それが芯になっていた。


「痛いかしら。」

「いえ、全然。でも変な感じがします。

直りそうですか?」

「大丈夫よ、すぐ出来るわ。」


と彼女が言うと奥から同じような生地を持って来て

すぐに裁った。

そしてミシンで縫うと太い針金を入れて綿を詰めだした。

梅子は起き上がってそれを見ている。


「すごいですね。」

「小さなお人形さんだともっと早く出来るわね。

でもあなたはなぜか大きいから、

少し時間がかかるわ。」


と西村川が力を込めて綿を詰め込む。

しばらくすると彼女が足を持ち上げた。


「ほら出来たわ、芯も入れたから歩けるわよ。」


とマダムが言うとまた横になった梅子にそれを取りつけた。


「左右の色が少し違うけど良いでしょ?」

「全然構いません。ありがとうございます、マダム。」


姿見を梅子が見て嬉しそうに言った。


「ところでさっき松子さんとおっしゃったけど、」

「松子お姉さんですか、」


梅子が嬉しそうに笑った。


「とても優しくて素敵なお姉さんです。」

「お人形のお姉さんなの?」

「いえ、人です。ワタシを買ってくれたの。」




日本が高度成長期に入った頃だ。


梅子はある家庭のスタンドピアノの上にいた。

ガラスのケースに入り明るい色のドレスを着ていた。


そのピアノを一人の女性が弾く。

バッハだろうか。

梅子はそれを見る。


その女性の腕前はかなりのものだ。

そしてとても楽しそうに弾いている。


梅子はそれを見るのがとても好きだった。




「松子お姉さんがお店でワタシを見て

梅子にそっくりだと言って買ってくれたの。」

「梅子さんって?」

「戦争の時に亡くなった松子お姉さんの妹さんと言ってたわ。」

「あら……。」

「赤ちゃんの時に死んじゃったって……。」

「可哀想にね。」


梅子が手を出してその指を動かす。


「ワタシはいつもピアノの上にいたの。

お姉さんはいつもピアノを弾くのよ。

綺麗な曲ばかりでワタシはそれを聞くのが大好きだったわ。」

「お上手だったの?」


梅子は嬉しそうに頷いた。


「ええ、バッハと言っていたわ。

楽譜も見せてくれたの。

全然分からなかったけど。

へいきんりつぐらあびあって教えてくれたわ。」


西村川は彼女を見た。


梅子は人形だ。


だが様子を見るととても可愛がられていた感じだ。

そしてそれ故に魂が入ったのだろう。

大事にされた物には稀にそのような事が起こる。


「お姉さんはお話もしてくれたのよ。

むかしむかしって。

桃太郎とか浦島太郎とか、人魚姫の話もしてくれたわ。」


松子にとっては人形の梅子は死んでしまった妹の

代わりだったのだろう。

とても大事にされたのは間違いない。

だがどうして今はこのような焼け焦げた姿なのか。


西村川は彼女のドレスに触れた。


「このドレスも新しくしましょうか。焼けてしまっているし。」


梅子ははっとドレスを見た。


「あの、同じものってできますか?

松子お姉さんはこの色が好きと言っていたから。」


マダムは頷いた。


「安心して。同じ色の布を探すわ。」


彼女は梅子のそばに寄った。


「でもどうして焼けてしまったの?大事にされていたんでしょ?」


梅子の顔が暗くなる。


「あの、捨てられちゃったんです。」

「あら、大変。」

「ずいぶん前に松子お姉さんがいなくなって……、」

「もしかしたらお亡くなりになったの?」

「よく分かりません。」


松子は話を聞くと戦争経験者だ。

今存命とすればかなりの高齢者だ。

梅子はいなくなったと言ったが

死んでしまっていても不思議ではない。


「お姉さんがいなくなったらワタシは屋根裏部屋に動かされちゃって。

それでこの前気が付いたらガラスケースからも出されて

ゴミ袋に入れられてしまいました。」

「あらまあ……、」


彼女は廃棄されてしまったのだ。

古い人形だ。仕方がないと言えばそうだろう。


だが彼女には魂があった。

だからここに来たのだ。

純粋な清らかな魂だからだ。


「気の毒だったわね。」

「人形ですから……。」


彼女は運命を受け入れているのだろう。


「そうね、ここは人用の服ばかりなのよ。

人の服ならすぐご用意出来るけど、

人形の服は無いのよ。」


梅子が彼女を見る。


「だから今から作るわ。そっくりなのをね。」


梅子の顔がぱっと明るくなった。


「お願いします。」


西村川が布を出して来る。


「オーガンジーとかサテンとか、その辺りよね。軽く見える生地で。

オーガンジーのリボンも沢山いるわね。

つるつるの化学繊維よね。ナイロンでもいいかしら。

金糸に銀糸、レースに、ビーズに、

ともかくひらひら、ふわふわ、可愛く、可愛くね。」


マダムも女性だ。

そのようなものは大好きだ。


「あの、ワタシも何かお手伝いした方が良いのでしょうか。」


遠慮がちに梅子が言う。


「あなたは良いのよ、モデルとして立っていて欲しいわ。

服のデザインが見たいし。

それにモデルとしてはあなたは超一流よ。

スタイルも良いし、顔も可愛い、そして微動だにしないから。

絵画のモデルでも全然問題ないわよ。」


梅子がにっこりと笑う。


「ところで梅子さん、松子さんの妹さんにそっくりと言う話だけど、

その梅子さんの写真は見た事はあるの?」

「写真ですか。何度か見せてもらいました。」

「あなたみたいに二重のぱっちりした目の赤ちゃんだったの?」

「いえ、お姉さんと同じで一重の切れ長の目をしていました。

小学生ぐらいのお姉さんが梅子さんを抱いていました。

写真館で撮ったものみたいです。」

「あら、」

「すごく可愛い赤ちゃんでした。いなくなって可哀想ですね。」


マダムは微笑んだ。


「あなたは本当に優しいわね。

とても大事にされていたのね。」


梅子が遠くを見た。


「そうです。

お姉さんは時々ピアノからワタシを降ろして

ケースを拭いてくれました。

そんな時に梅子さんの写真を見せてくれたり、

絵本を読んでくれたんです。

だからワタシは色々な話を知っているんです。」

「そうなの。凄いわね。」


梅子が笑う。


「でもお子さんが大きくなって家を出て、

しばらくしたら松子お姉さんがピアノを弾かなくなっちゃったんです。

そうしたら子どもさんが戻って来て、

お姉さんがいなくなって……。」


梅子が俯いた。


「そうしたらお葬式が済んだってみんなが話していました。」


それはいつの話だろう。

かなり前か少し前か。

人形の梅子には時間の感覚はあまりないだろう。


「その後、梅子さんは仕舞われちゃったのね。」

「そうです。」


マダムが布を持ってミシンに移動をした。

彼女は両手にふんわりとした布を山の様に抱えている。


そしてしばらく軽やかなミシンの音が響いた。


どれぐらいミシンの音が続いたのか。

やがて彼女は立ち上がり梅子のそばに来た。


「今度はその髪の毛を綺麗にしましょう。」


マダムは櫛を持った。

コテも取り出し髪を整えながら器用に髪を巻いて行く。


「ありがとうございます。

でもマダムってなんでも出来るんですね。」

「あなたがお人形さんだからよ。

素材がほぼ布。私の得意分野よ。」


梅子の髪が整うと彼女はそこに真っ赤な

オーガンジーのリボンを結んだ。


「鏡を見てごらんなさい。」


姿見の中には綺麗な巻き髪で鮮やかなリボンを付けた松子がいた。

大きな目がきらきらと光っている。

そして小さな唇の色と髪飾りの色がよく似合っていた。

マダムは顔や腕の煤が付いたところを丁寧にはたき、

何かの粉をはたいた。


「普通のファンデーションよ。まあまあ綺麗になるでしょ。

そしてドレス。」


彼女はミシンから裾が大きく膨らんだドレスを持って来た。

引きずるほどの大きさだ。

梅子から焼けた服を丁寧に脱がして

マダムが新しいドレスを着せるとそれは彼女の体に沿って膨らみ、

まるで本当のフランス人形のように見えた。


「なんて綺麗……。」


梅子が鏡の中の自分を見た。

昔の自分が戻ってきたようだった。


梅子は古くなる自分の姿を自覚していた。


時間の流れははっきりとは分からない。

ただ松子が歳を取り姿を変えて行ったのは分かっていた。

そして自分も少しずつ色褪せたのも。


だが人がいなくなるのはよく分からなかった。

ずっと松子はいたからだ。

いずれまた姿を見せると思っていた。

松子の子がいつの間にかいなくなったのは分かっていたが、

あまり興味はなかった。


ケースを拭く時に松子が梅子を取り出した時に

ぼそりと言った。


「結婚しちゃったから出てっちゃったのよ。

古い家だからお嫁さんが一緒に住むの嫌と言ったから

仕方ないわね。」


あれから何年経ったのか。


梅子さんは戦争で死んでしまった。

だけど一度も会った事はない。

松子お姉さんは生きていたけど姿が見えなくなった。

お姉さんの子どもは家を出て姿が見えなくなった。

そしてお葬式が済んだ。


梅子は全てよく分からなかった。

だが鏡の中の自分の姿を見ると

そんな事はどうでも良くなった。


「可愛いわねえ、綺麗ねえ。

昔はこんなお人形がいっぱいあったわ。」

「そうなんですか?」

「そうよ、どのお家にもあったわよ。

タンスの上とか飾ってあったわ。」


梅子がふふと笑って少し後ろに下がった。


そして貴族の女性がするように腰を少し低くして会釈をした。


「マダム、本当にありがとうございました。

とても綺麗でワタシは嬉しいです。」


マダムがにっこりと笑って裏の扉を開けた。


そこには昔のこじんまりとした日本家屋の部屋があった。

まさに昭和の部屋だ。


梅子の顔がはっとなる。


「懐かしい?」

「……、ええ、松子お姉さんの家みたい。」


彼女の目が留まる。

スタンドピアノがあり、その上には空のガラスケースがあった。


「あれ、ワタシの場所。」


梅子が笑いながら西村川を見た。

マダムは笑って頷く。


それを見て梅子がしずしずと裏扉から出て行った。


そしてピアノの前で姿が消えた。






「お父さん、そう言えば昔ピアノの上に人形があったよね。」


古い家の中で娘と父親が物の整理をしている。

家具は殆どない。

がらんとしいる。


「ピアノ?あー、ばあちゃんが弾いてたものか。」

「そう、ひいばあちゃん。

80過ぎてもひいおばあちゃん弾いていたじゃない?

それでピアノの上にフランス人形があったでしょ。」

「よく覚えてるな、盆正月ぐらいしかここに来なかったのに。」

「それで人形よ。どこにあるの?」

「あれなあ……、」


父親が難しい顔をした。


「この前捨てちゃったよ。」

「えっ!」


娘が声を上げた。


「なんでよ。」

「なんでって、あれちょっと気持ち悪かったから、

ずいぶん前に屋根裏にあげちゃったよ。

それでこの前処分した。」

「気持ち悪いって、なんで捨てちゃったの?

今ああいうの昭和レトロで流行ってるんだよ。

オークションで売ろうと思ったのに。」

「ごめん、ごめん、早く言ってくれれば取っておいたけどなあ。」

「もう、何でもかんでも捨てちゃって。」

「仕方ないだろ、この家も古過ぎて壊すしかないし。」

「あーあ。」


何もない部屋に外から日光が差し込んでいた。

埃が光りながら浮き上がる。


「確かにばあちゃん、あの人形に名前を付けて

可愛がっていたけどなんか気持ち悪くてさ、

ピアノの上からずっとこっちを見てる感じがしたんだよ。

俺が小さい時はピアノの部屋に入るのがちょっと怖かった。」

「梅子さんって呼んでたよね。」

「ああ、松子ばあちゃんの妹らしい。戦争で死んじゃったんだと。」

「ああ、ずっと前にひいばあちゃんが写真を見せてくれたよ。

写真館で撮ったって言ってた。

でも戦前にあんな写真が撮れたって

ひいばあちゃんってお金持ちの子どもだったんじゃない?」


父親がふふと笑う。


「そうだよ、戦争がなかったら俺もお前も

良いとこの子どもだったかもしれんぞ。

でも戦争で全部焼け出されたんだとさ。」

「そうなの?」

「だからばあちゃん、ピアノが弾けたんだよ。

戦争前にピアノを習っていたんだとさ。

それで大人になってからどうしても弾きたくて

ビアノを買ったんだってよ。」

「あの人形も?」


父親がふと遠い目をする。


「そうかもな。昔あんな人形が流行ったんだよ。」




まるで目に星がある少女漫画のような顔立ちの

愛らしい人形だ。

衣装は派手な色のリボンで作られたドレスだ。

少しばかり俯いて愁いを帯びた表情をしている。


決して安くはない。

少しばかり値が張るものだ。


それでも女性達はそれを買った。


戦争から立ち直った日本が徐々に豊かになる時に、

その豪華な衣装を着た人形に人々は何を見たのだろうか。


もっと良くなる未来を見たのだろうか。


そして松子は遠い所で別れた少ししか生きられなかった

自分の妹の面影を見た。

優しく話しかけて可愛がった人形には魂が宿り、

松子と時代を過ごした。




「ちょっとかわいそうな事をしたかな。」


父親は少し寂し気に笑った。


「もう捨てちゃったんなら仕方ないよ。

多分ひいばあちゃんの所に行ってるよ。

売っちゃうより良かったかも。」


娘は父親を慰めるように言った。


「それよりここを更地にするのいつ?」

「一週間後だよ。その後新しく家を建てる。」

「兄貴が結婚して住むんでしょ?」

「ああ、多分もうすぐ嫁さんと一緒に昼ご飯を持って来るぞ。」

「わー、ちょっと緊張する。」

「何回か会った事あるだろ?」

「あるけどさ、やっぱりねぇ。」

「それはお互い様だ。お、」


その時玄関で音がする。


「来たぞ、昼飯だ。」

「こんにちは、だよね。」

「お姉さんと言ってやれよ。」

「……、そうだね。」


賑やかに二人が入って来る。


そして娘が言った言葉を聞いて、

やって来た女性が嬉しそうに笑った。






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