17 三角関係




表の扉のベルが激しく鳴る。


西村川がそちらを見ると

扉を開けたままで女性が立っていた。


「あらまあ、」


西村川がその女性に近づき扉に手を掛けると、

外を歩いている人と目が合った。

西村川はにっこりと笑って扉を閉めた。


目が合った人は何を見たか。


一瞬だけ店の中が見えただろう。

だがそれはすぐに消える。

その人はこんな所に服屋がと思うが今は何もない。

ビルとビルの間のただの隙間だ。

自分は疲れているのだろうと感じるだろう。

その人はその日は早く帰って眠るはずだ。

健康のためには良い話だ。


西村川は入って来た女性を中に引き入れた。

酒の匂いがする。


「ずいぶん飲んだみたいねぇ。」


女が西村川を見下ろす。

彼女は背の高いまるでモデルのような美貌を持つ女性だった。


「そうよ、すごーく飲んだのよ。悪い?」


少しばかりろれつが回っていない。

西村川は苦笑いをして椅子を持って来て彼女を座らせた。

そして奥からコップに入った水を持って来る。


「飲みなさい。」


西村川は優しく言って彼女にコップを持たせた。

酔っぱらった彼女はそれを口元に持って行くと一瞬動かなくなった。

そして一気に飲み干し、ぽろぽろと涙を流し出した。


「お山の水じゃない?どうしてここに?」

「ここでは手に入るのよ。」


彼女はワーッと泣き出した。


「ホントもういや!お山に帰りたい!」


彼女は子どものように泣き出した。

西村川はどうしていいのか分からずただ黙って見ているだけだ。


そしてまた扉が激しく開けられた。

ベルがちぎれそうな音を立てた。


「ここにいたのか、お前!」


また女性だ。

扉が開けられたままずかずかと中に入って来た。

扉はそのままなので通る人がまたぎょっとした顔をしている。

西村川が慌てて扉に近づき愛想笑いをしてそれを閉めた。

多分今見た人も自分は疲れているのだろうと思うだろう。

入って来た女性も強い酒の匂いがする。


後ろからどたばたと音がするので振り返ると

座っていた女性と入って来た女性が

取っ組み合いのけんかをしていた。


後から来た女性もなかなかの美貌だったが、

今はお互いの髪を引っ張ったり、蹴り合ったりしている。

二人とも美しさの欠片もない。


やがて二人の姿が徐々に変わり、

お互いの体毛が散らばり出した。

そして牙をむき出して相手の体に噛みつく。


二人は狐の物の怪だった。

顔と手足が狐になり相手の体に噛みついている。


その時、二人に水がかけられた。


「いい加減にしなさい!」


バケツを持った西村川が怒った顔で二人を見た。

お互いの体に噛みついたまま、狐は目だけ西村川を見た。

そしてゆっくりと離れた。


「お山の水じゃない?」

「私、さっきこれ飲んだ。」

「飲んだの?」

「うん。」


後から来た狐が西村川を見た。


「お水っていただけるの?」


西村川がバケツを差し出す。


「少し残ってるわ。」


西村川が少し怒った声で言った。

狐はバケツを受け取りそれを飲んだ。


「美味しいわ。」


西村川は腕組みをして二人を見下ろした。

水を飲んだので酔いは醒めたのだろう。

怒りの気配を感じたのか二人はおずおずとその場で正座をした。


「どう言う事なの。」


二人は俯き加減でお互いをちらちらと見る。


「とりあえずここを綺麗にしなさい。」


西村川は低い声で言った。




二人の女性は西村川に言われるまま部屋を掃除し始めた。

結構な毛が飛び散っていた。

片付け終わると再び彼女達はそこに正座をさせられた。


「お客様の服は汚れなかったから良かったけど、

それが傷ついたらタダでは済まなかったのは理解出来るわね。」

「「はい。」」


もう酔いの気配もない。

確かに彼女達はまずい事をしたのだ。


「ここは物の怪のあなた達もお客様だから

来てもらうのは全く構わないけど暴れるのは困るわね。

あなた達はお名前はなんとおっしゃるの?」

「あたしはすすきです。」


後から来た彼女は黄金色の毛を持つ狐だった。


「でもあたしはどうしてもこの女が許せなくて

追っかけて来たの。」


彼女はじろりともう一人の狐を見た。

彼女は濃い色の毛をしていた。


「私はつるばみよ。」

許せないも何もあの人が私の方が良いって言ったのよ。」

「そ、そんな事いう訳ないでしょ、嘘つき!」


二人は唸り出す。


「止めなさい、ようするに痴話喧嘩でしょ?

ここでする必要があるの?

とりあえず私の事はマダムと呼びなさい。」


二人は西村川を見て頷いた。

そして薄が言う。


「あたしは橡が入って行ったから来たのよ。」

「仕方ないでしょ!ここが見えたから!」


その時、扉のベルが鳴る。


皆は扉を見た。


するとそこには顏の濃い伊達男がいた。

ちょい悪系だろう。

かなり派手な背広を着ている。

彼が現れた瞬間二人の女の狐顔は元の人の顔に戻った。


そしてすぐに立ち上がると男のそばに行き、

それぞれ彼の腕を取って文句を言い出した。


「この女に言ってよ、あいつより私の方が良いんでしょ?」

「バカ言わないでよ、どれだけあたしが助けたと思ってるの?」


二人の間でもみくちゃにされながら男は少しばかりにやにやしている。

それを西村川が嫌そうな顔で見た。


「ねえ、お二人さん。」


彼女は露骨に嫌な声で言った。


「この男のどこが良いの?」


女二人がはっとする。


「どこって、お金持ちだし。」

「私には色々と買ってくれるし、」

「あたしも買ってもらったし!」


二人はぎりぎりとお互いを見ている。

それを見て男がにやにやしながら言った。


「申し訳ない、レディ、

このようにお騒がせしてしまって。

なにしろ私はもてるんでね、レディもよろしければ、」


西村川の顔からすうと感情が消える。


「私の事を分かっておっしゃっているのかしら、

命が惜しければそれで止めた方が宜しいかと思いますよ。

大狸様。」


男に縋り付いていた二人がはっとする。


「狐じゃないの?」

「とてつもない大狸よ、

若い女の子を騙してずいぶんと面白可笑しく生きているみたい。

暇過ぎるのかしら。

私にも粉をかけるなんてね。なびくと思ってるの?

狸風情が。」


マダムがゆっくりと腕組みをして狸と呼ばれた伊達男を見下した。

それを見て彼の顔が青くなる。


「いやいや、冗談ですよ、レディにそんな失礼な事、」


彼はほほと笑ったが、

西村川が彼の前で指を鳴らすと姿が変わった。

そこにいたのは真ん丸なよく太った一匹の狸だ。

毛艶がやたらと良い。


タヌキは真っ黒な目をきょろきょろとさせて周りを見て

慌てて表の扉から飛び出していった。

通りすがりの人の悲鳴が所々から聞こえる。

街の狸は今時は珍しくはない。

それでも見た人はしばらく話題に困らないだろう。


残されて二人はぽかんと立っているだけだ。


「しっかり騙されたみたいね。」


西村川が言うと二人とも腰が抜けたみたいに座り込んでしまった。

彼女は奥に入るとコップに水を入れて持って来て二人に渡した。


二人はそれを黙って受け取り、ゆっくりと飲んだ。


「ずっと狐だと思ってた。」

「あたしも。」

「私は少し前にこの街に来たの。

それであの人と会ってすごく気前が良くて……。」

「調子が良いのよね。」


西村川が彼女達を見た。


「あの男が物の怪というのは分かっていたんでしょ?」


二人は頷く。


「あたしも街暮らしは長いんだけどやっぱり寂しいのよね。

なかなか物の怪っていないのよ。

だからどうしても離れにくくて……。」

「私も一緒かも。ずっと一人だったから。」


西村川がため息をつく。


「それで男を取り合って酒の勢いで

文句を言ってやると言う話だったのね。」


二人は俯いて頷いた。


「でも二人とも狐だと思っていた人が狸だとは知らなかったと。」


二人は頭を抱えた。


「街に居すぎて嗅覚が鈍ったみたいね。」


二人の姿は一瞬で狐に戻った。

西村川が裏扉を開ける。

そこには森の景色が広がっていた。


「行きなさい、そしてお山で少し頭を冷やしなさい。」


二匹は顔を合わせるとぱっと走り出した。

そして中に入ると薄が振り返って西村川を見た。


「また街に行ったらこの店に来て良い?」

「ケンカしなきゃね。」


二匹の狐はぴょんぴょん跳ねながら森の奥に消えた。

彼女は扉を閉めた。


「まあ、あの二人は良いわ

悪い男、狸に騙されただけだから。」


マダムは表の扉を見た。


「問題は狸よね。絶対に何かやらかすわね。

それに若い女の子を騙すのもだめだけど、

この私を落とせると思っている傲慢さ……。」


マダムは立ったまま、

その後ろに何かしら得体の知れない何かが湧き上がって来た。

どす黒いものだ。


「軽々しく話しかけられると思ったか。」


それはいつものマダムではなかった。


「お呼びですか。」


子羊がいつの間にか部屋にいた。

彼は周りを見渡す。


「物の怪ですね、狐二匹と古狸ですか。この狸は鬱金うこん殿ですね。」

「知ってるの?」

「ええ、この街では有名です。

スペシャル・ターメリックと言うホストクラブをやっています。

はっきり言って評判が悪いです。」

「やっぱりたちの悪い狸なのね。

そう、じゃあしばらく配達をさせてちょうだい。」

「配達ですか?」

「サーベラスに頼んでひと月ぐらい見張りをさせてね。」

「サーベラスですか、大変ですよ。」

「構わないわ、代わりに私が柱に服を献上するから。

心を込めてお作りますとお伝えして。

サーベラスには毎日甘いお菓子を献上するわ。」


子羊がじっと西村川を見た。


「何があったんですか。」


西村川がにやりと笑う。


「この私をナンパ出来ると思ったのよ。

思い上がりも甚だしいわ。

もう二度と悪さが出来ないよう骨の髄まで思い知らせてやる。」




翌日、配達には狸がやって来た。

後ろに三つ首の犬を携えて。


狸は大きなおなかを抱えつつよろよろと歩いて、

何も言わずおどおどとコンテナを置いた。


西村川はそれをにやにやと見ながら

その場で三つ首の犬に甘い菓子を与えた。

犬はしばらくここで眠るだろう。

その間狸はただ黙って犬が目覚めるまで待っているしかない。


それは多分一月ほどで終わるが、

最後には見違える程彼は痩せているだろう。

そして二度とこの店には来られない。

彼はとてつもない不敬を働いたのだ。


そしてオーナーが突然消えたスペシャル・ターメリックは

あっという間に閉店をした。

不渡りを出してオーナーが夜逃げをしたと言う噂が立った。


そしてその後に出来たのはインド料理屋だ。

仕事場が無くなったホスト達がお金を出し合って作った店だ。


幸いにもシェフに恵まれたようで

ナンの美味しい店だと評判になった。

ホスト達もそこでフロアスタッフとして働いている。


オーナーと違って彼らは真面目な者ばかりだったようだ。











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