少年少女、カップルパフェ1

 例の熊型ADAが収監されたのを見届けてから二時間後。

 もう放課の時間だったが一応学校に電話を入れてから、香凜は一人暮らしのアパートに帰宅していた。

 手には包帯がぐるぐると巻かれている。

 咄嗟のことで仕方なかったとはいえ、手をこんな風に怪我してしまったのを今さらながら少し後悔した。

 とても物を持ちにくいし、スマホの操作がすこぶるやりにくい。


 リミッターを解除したのは久しぶりだった。

 能力を前回使ったのはいつだっただろうかと記憶を辿る。

 確か、昨年の夏に中四国ブロックで合同演習を行った時が最後だ。

 何事もなく平穏無事に退屈な毎日を送り続けていたが、こんなことが起こるとは。

 香凜は、決して事件が起きて自身の力をこれ見よがしに誇示することを望んでいるわけではない。

 むしろ、何も起きず平和に過ごしていけるならそれに越したことはない。無風のまま、静かに「普通に」暮らせればそれでいいと思っていた。

 ただ、半年以上まったく使用していなかったにも関わらず、必要な時に自分がきちんと能力を使えるということが確認できたのはひとつの収穫ではあった。


 そんな風にぼうっと考えながら、香凜はビニール袋を手繰り寄せた。帰り道にハンバーガー屋に寄り道して買って帰ったものだ。

 中の商品を次々に取り出した。

 フィッシュバーガー、照り焼きバーガー、ダブルチーズバーガー、ベーコンレタスバーガー、ポテト二つ、コーラ、そしてコーヒー。

 机の上に並べたそれらを眺めて、何から食べようかと悩みながら無意識に手がポテトに伸びていた。

 三本つまんで口の中に放り込む。丁度良い塩加減と、カリカリ過ぎもシナシナ過ぎもしないサクサク感に満足した。

 好みのポテトだ。今日は当たりだな。

 そんなことを思いつつ照り焼きバーガーの包装を剥いた。

 食べる順番のことを考えるのはもうやめていた。どうせ全部食べるのだから。


 翌日。

 いつもどおり登校した香凜の目に、なんだか見覚えのある人の姿が映った。

 校門に、昨日助けた少年が突っ立っているのだ。

 生徒達がぞろぞろと門をくぐっていく中で一人だけ立ち尽くしているその様子はなんだか奇妙に見えた。

 門に近づいたところで、少年の表情が変わった。香凜の方を見て、何やら目を輝かせているようだ。

「あ、あのっ!」

 少年に声をかけられた香凜は、とりあえず立ち止まってみる。

「き、昨日はありがとうございました!助けていただいて、か、感謝してます!」

 口をぱくぱくさせながら噛み噛みで必死に話している。

 彼は単に人との会話に不慣れであがっているだけなのだが、香凜はそんなことを知る由もない。

 香凜のことをADAだと知った上で話しかけてくる人は、ごく一部を除いて大抵はビクビクしたりオドオドしているものだ。

 一回り二回り歳上の成人男性に怯えながら話しかけられた時なんかは「客観的に見たら、大の大人が小さな女の子相手に萎縮してる様子は随分と滑稽だろうな」と冷静に分析しつつ内心呆れたものだった。

 今回もそれに似た類のものだろう。適当に当たり障りのない返答をすればそれきり関わってこないはずだ。

 そんな目算のもと、香凜はとりあえずの返事をすることにした。

「……なんであんなところにいたのかは聞かないけど……無事なら良かった。今回はたまたま運が良かったけど、本当に危ないから今後は気をつけた方がいいよ」

 そう言い少年の横を通り過ぎようとした時、

「ぼ、ぼくは一年三組の流川徹といいます!」

 少年、徹に自己紹介された。徹はそのまま続けた。

「き、き、昨日、ADAの力をこの目で直接見ることができて、か、感動しました!あの、良ければ、貴女のことについてお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか!」

 一体これは何だろう。下手くそな新手のナンパだとでもいうのだろうか。

 今までに経験したことのないパターンに遭遇し、香凜の思考が一瞬止まった。徹と視線がぶつかったまま、しばらく真顔で固まってしまう。

 校門で立ち止まっている二人を避けるようにして他の生徒が通り過ぎていく。向けられた奇異の視線が痛い。

 何とかしてこの場を切り抜けたい。しかし無視して去るのも可哀想だ。どうしよう。

 香凜がそんなことを考えていると徹は

「も、もう学校が始まってしまうので、また放課後に会いましょう!」

 そう言って慌てて一礼した後、一年生の下駄箱の方にそそくさと走って行ってしまった。

 一方的に自己紹介され一方的に約束を取り付けられてしまった。こちらはまだ何も言っていないのに。

 帰りにまたここで待ち伏せされているかと思うと気が重い。

 そうだ、帰りは裏門を使ってしまおう。

 そう計画しながら香凜は校舎に向かった。


 教室に一歩足を踏み入れると、クラス中の視線がこちらに向き、ほんの一瞬の静寂が生まれた。

 そしてクラスメイトはそれを取り繕うかのように、また元どおり友達との会話を再開した。

 自分の席につくと、どこからかヒソヒソと話す声が聞こえた。

「ねぇ、昨日のあの騒ぎ、結局奥村さんが片付けたらしいよ」

「お母さんが言ってたんだけど、めっちゃデカい熊の化け物だったんだって」

「普通の熊でもヤバいのに化け物の熊を素手で殴り殺せるってどうなってんの? 怖ぁい」

「熊よりよっぽど化け物じみてるよね」

「ちょっと、そんなこと聞かれたらアンタも殴り殺されるよ」


 聞こえてるし。

 殴り殺したわけじゃないし。

 ただ気絶させて捕獲しただけだし。

 そんな文句を頭の中で唱えつつ、小さくため息を吐いた。相手には聞こえないように。


 アンタも殴り殺される───散々な言われようだ。ADAでもなんでもない人間だって人を殺すことはできてしまうのだから、香凜がその気になれば確かに人間の一人や二人を殺すことなどわけはないだろう。

 だが香凜はそんなことはしないし、したいと思ったこともない。

 香凜は他人にちやほや持て囃されたいとは露ほども思ってないし、ましてや自分の力を行使して他人を支配したいなどという願望も持ち合わせていない。

 それどころか、この力を疎ましく思うことの方が多かった。

 なぜ自分はこのような形で生まれついたのか。

 こんなものがなければ「普通の女の子」として「普通の日常」が送れたのに。

 化け物としてではなく、人間として扱ってもらえる何でもない日々を、香凜は望んでいた。

 そんな望みを知る人も、叶えてくれる人もこのクラスにはいないということを、香凜は知っていた。

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