【プロローグ2】流川徹

 ほんの出来心だった。

 流川徹るかわとおるは、住宅街の中を足音をできるだけ消してそろそろと歩いていた。

 きっかけは自治体と警察からのメールで、学校からほどほどに近い住宅街に異常な生物が現れたことや、危険なため地域住民は即避難すること、それ以外の者は屋内待機を厳守することを通達する速報メールが届いたことだった。


 徹は昔からオカルト、都市伝説、超常現象、UMAなどの類に夢中だった。

 雑誌やネットを読み漁りテレビや動画を見ているうちに、自分の目でこれまでに見たことのないとんでもないものを目撃してみたいという思いが募っていった。

 しかし現実はそう都合よくいかない。十五年のこれまでの人生で、そんなものには一度も出会えたことがなかった。

 幽霊を見たことがあるとか動物の声が聞こえるとか、そういう不思議な経験は少々あったものの、友達にそんな話をしたところで「ヤバいイカレ野郎」の烙印を押されるのみだった。

 それでもこの世に存在する不思議に対する好奇心や情熱は徹の中から失われることはなかった。


 そんな徹は、この春に入学した高校に、異常発達生物、通称ADAエイダの人型が生徒として在籍しているという話を耳にした。

 人型ADAなんてそうそうお目にかかれるものではない。まして同じ高校の生徒とは何という巡り合わせか。徹は内心歓喜した。


 しかしだからといってすんなりとADAとお近づきになれるわけではなかった。

 徹は内向的で、今で言うところの〝コミュ障〟というやつだ。

 人の噂話からそのADAについて〝三年生らしい〟〝女子生徒らしい〟という情報を盗み聞きしたのみで、それ以上のことは分からない。

 全校集会で体育館に集まった人混みの中からそれらしい人を探そうとしたが、外見上なにか突出した人がいるわけでもなく、何の収穫もなかった。

 もちろん三年校舎に行って「ADAはどこですか?」などと聞いて回るような真似もできやしない。

 まあいい、これからの高校生活の間に絶対見つけ出してやるぞ。

 そう意気込んで興奮していた矢先に今日の出来事である。

 気付けば学校をこっそり抜け出して住宅街に足を向けていた。


 見つからないようにコソコソしておけば大丈夫。物陰に隠れてちょっと観察するだけだ。

 そんな浅慮のもと無計画に住宅街をうろついていた時、突如としてそれは現れた。

 黒い巨大な塊。それは熊の姿をしていた。

「あぇ?」

 反射的に間抜けな声が漏れていることに徹自身気付かない。

 その生き物は猛烈なスピードで一直線にこちらに向かってきていた。

 熊は全力疾走すると時速六〇キロの速度で走るという。

 それがどのくらいの速さなのかいまいち見当がつかなかったが、目の前のソレはさらに速いスピードで迫ってきているように感じる。

 突然のことで足がすくんで動けない。仮に動けたとしても今さらどうしようもないが。

 と、その時、黒い生き物の後ろにもうひとつ黒い物体が見えた。

 黒髪に黒いセーラー服を着た少女。

 遠方で点のように見えたその少女は、まるで弾丸のように瞬時に目の前に飛び込んできた。

 自分がこの春入学した高校の制服。

 自分と黒い巨体の間に挟まるようにして、すっくと立ち上がる。

 身長一七〇センチの自分よりも随分背が低く、その背中はひどく小さかった。


 突如、少女が地面を踏みしめると同時にアスファルトがめくれ上がった。

 衝撃に思わず尻餅をついた。

 それから何が起きたのかは脳の処理が追いつかず理解できなかった。実際のところ少女が飛び込んできた時点で既に徹の理解を超えていたのだが。そんなことは流川自身知る由もない。

 突然少女の目の前に現れたアスファルトの壁が砕け散ったと思ったら少女は視界から消えていて、すぐそこには黒い巨体がいて、そこに少女が降ってきて踵落としをした……というのが説明できる精一杯だった。


 腰を抜かしてへたり込んだまま、しばらくぼーっとしていた。

 やがて少女がこちらに向き直り

「大丈夫?怪我してない?立てる?」

 と尋ねてきた。

 真っ黒なセーラー服から伸びるその白く小さい手のひらと手の甲の指の付け根から、つうと血が流れていた。

 見方によってはややグロテスクなその白と紅を見て、徹はいまだ呆然としつつも頭の片隅でどこか美しいと感じた。

 しばらくそのままの状態が続いたが、少女がはっとした表情をして

「ああ、ごめん。汚れちゃうよね」

 と言って手を引っ込めた。

 そんなつもりじゃないのに。

 何か釈明をしなければと思いとっさに立ち上がったところで

「君、大丈夫か?こちらへ」

 と後ろから腕を引っ張られた。見ると警察の制服を着た男性が自分を誘導しようとしていた。

 なすがままに警官に連れられパトカーに乗せられた。

 窓越しに少女を探したが、警察や迷彩の制服を着た人達に囲まれてもう見えなくなっていた。


 あの人が、同じ高校にいる人型ADA……?

 もしそうなら、また必ず会えるはずだ。

 その時に改めてお礼を言おう。

 警察に保護され移送されるパトカーの車中で、徹はそう思ったのだった。

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