エピローグ

「愛莉さん……。もう一度あなたに会いたい。穏やかな時間の中で話がしたい」


 話……。電話……。


「スマホ……」


 沖田はスマートフォンを取り出して、通話アプリを開いた。羽衣石のアイコンをタップする。最近ではもっとも頻繁に連絡を取り合っていたので、彼女のアイコンは一番上に表記されている。まだ間に合うかもしれない。

 わずかな手順でさえ操作するのももどかしい。沖田は電話のアイコンをタップした。


「………………」


 コール音が聞こえた。

 繋がる?

 一条の光が期待へと昇華し、心臓が大きく波打った。コール音に連動して、鼓動が速くなり息苦しくなる。

 今どこにいるんだ? まだ現代にいるなら、なぜ黙って姿を消したんだ? 会いたい。会って話がしたい。

 焦燥を抱いてコール音を聞いていた時、奇妙なことが起きた。耳元で鳴り続けるコール音の他に、着信のメロディが背中から聞こえた。


「出ないの?」

「ん~……。例の彼からなんだけど、もう四回目なんだよね」

「例の彼って、ストーカーの?」

「ストーカーじゃなくて、混線して繋がるって言ってるけどね」

「え?」


 驚く沖田をよそに、二人のやり取りは続いた。


「そんなの嘘。どっかでアイリンのアドレスを知って、付け狙ってんだよ」

「そーゆー感じじゃないんだよねぇ……」


 沖田が振り替えると、二人の女子高生が並んで歩いていた。一人はスマートフォンを片手にスクリーンを凝視し、もう一人は横から覗き込んでいた。


「切っちゃいなよ。気持ち悪い」

「でも、毎回くどくないっていうか、言ってることは妙にリアルなんだよ」

「ああっ……」


 沖田は目を見張った。聞き覚えのある声。そして印象に残っている蝶の意匠を凝らしたポニーフック。スマートフォンを持っている少女は、羽衣石愛莉だった。

 顔立ちは大人になりきる前の幼さを残しているし、高校の制服を来ている。沖田が知っている羽衣石とは明らかに違うが、間違いなく彼女だった。

 沖田はふらふらと彼女たちに近づいた。羽衣石の着信メロディは鳴り続けている。二人の前に立ち塞がるように止まった。


「なにこいつ。キモくない?」


 羽衣石の友人らしき少女は眉を潜めて一歩退いたが、沖田の目には羽衣石しか映っていなかった。羽衣石は黙って沖田を見返している。

 沖田が発信を切ると、彼女のスマートフォンの着信メロディも止まった。


「なに? あんたなんなの?」


 友人は騒ぎだしたが、羽衣石には察するところがあったようだ。自分のスマートフォンと沖田のスマートフォンを交互に見ている。


「あなた……」


 彼女は気づいたと確信した。この数日、混線により何度かやり取りした相手が、自分であることに気づいてくれたのだ。五年後の羽衣石と現在の羽衣石。使用しているスマートフォンまで同じ時間を共有したから、こちらにも頻繁に繋がったのだ。

 先日、沖田は彼女ともう少しで接触しそうになった。本来ならば、あの時が出会いの日になっていたはずなのだ。そして、現在の羽衣石が事件に巻き込まれることとなり、それでも沖田は殺される結果となった。病室で羽衣石が言っていた「今度は助けることができた」とは、このことだった。羽衣石は沖田を助けるために、敢えて出会いのタイミングをずらしたのだ。


「あ……」


 どのような言葉を掛ければ良いかも決まらず口を開きかけた時、沖田の脳裏に一つの疑問が浮上した。

 羽衣石は、沖田の命を救うべく未来からやってきた。しかし、もうすべてが解決している。この状態で出会ったら、彼女が過去に旅立つ理由がない。自分のために奔走して、あまつさえ危うく死ぬところだった彼女はどうなる? 命を賭して尽力してくれた羽衣石愛莉は存在しなくなる。

 彼女がこうなると気づかなかったわけがない。それでも彼女は未来から旅してきた。記憶や経験が改竄されても、沖田を助けるために来てくれたのだ。自分が去った後、沖田が自分を見つけてくれると信じて。

 羽衣石が残した笑顔が脳裏を過る。


「嬉しかったから」


 感情の波が一気に押し上がった。目が熱くなり、どんどん涙が溜まった。喉に酸っぱい痛みが走り、上手く声が出せなくなった。胸の高まりが限度を超えて、肩を上下させるくらいに呼吸が苦しくなった。


「マジでヤバくない? 警察呼んだ方が良いんじゃない?」


 友人の嘲罵が耳に流れ込むが、まったく気にもならなかった。とにかく、彼女に話し掛けなければならないとの思いが、沖田の全身を満たした。

 声を、声を出せ。愛莉さんは言ってたじゃないか。最初は引くくらいキモかったって。もっとスマートに話し掛けなくちゃ、相手にしてくれない。


「あの、俺……俺の名前は、沖田昌宏っていいます」


 喋りながら、ついに涙が溢れてしまった。喜びと寂しさが入り交じった涙だった。

 止めないと。顔面を腫らした見ず知らずの男に話し掛けられただけでも不気味なのに、その上いきなり泣き出すなんて、誰だって気持ち悪いと思う。涙を止めなければ……。

 しかし、どうしょうもなかった。拭っても拭っても溢れてくる涙は、止めようがなかった。

 彼女は信じてくれるだろうか。ここから、未来に消えた絆を取り戻すことができるだろうか。


「信じられない話だけど、聞いてくれないか……」


 沖田は何度も吃りながら、これまでの経緯を必死に喋り続けた。



〈了〉

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明日みる夢 雪方麻耶 @yukikata

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