朝起きたら猫美少女になっていた男の話
石喰
朝起きたら猫美少女になっていた男の話
「タマ子」
と、俺は呼びかける。安アパートの一階、ベランダの物干しスペース。コンクリートのひび割れから生えた雑草に朝露がついている。昇ったばかりの太陽が弱々しい光を水滴に反射させている。
にゃあ。と声がして、塀の脇からタマ子が姿を表した。すらりと細く、毛の短い三毛猫。町内会の有志が世話をしている、いわゆる地域猫だ。避妊手術を受けており、その目印に耳の先端に切れ込みがある。
「今日はサバだよ」
タマ子は理解しているのかいないのか、目を細めてにゃあと鳴いた。俺は猫用のサバ缶を開けて、タマ子用の皿の上に中身を出す。タマ子はおいしそうに食べた。
毎日終電まで働いて、朝も早くから出勤。疲れが取れる間もない毎日に、タマ子の顔を見るのだけが癒やしだ。
タマ子は食べ終わると俺の顔を見る。
「もう終わり」
そう言うと、満足そうに口のまわりをぺろりと舐めて、タマ子は塀の向こうへと去っていった。俺は支度をして、今日も気の乗らない仕事へ向かう。
*
世の多くの中小企業がそうであるように、我らが
とはいえ、経営陣に人手不足を解消しようという考えがないわけではなく、求人を出してはいるらしい。問題は、募集しても人が来ず、あるいはようやく採用したと思ったら別の誰かが辞めていくということである。
「魅力のない会社だからしゃーない」
と、
「PBとOEMばかりで、他社の言いなりに仕事をするだけだし。買い叩かれて利益は上がらないし、失敗したら責められる、上手くやってもご褒美はなくて、当然って顔をされる」
佐倉場はため息をつきながらそう言った。入社したばかりの頃はのんびりした女子だという印象だったけれど、営業部で八年を経てすっかり擦れてしまった。ただでさえ雰囲気の良くない川井川フーズの中でもとりわけ空気が重いことで有名な営業部だ。
「それはそうと」
佐倉場は澱んだ目で俺を見て言った。
「あんた最近ヤバくない? 目の下、隈できてるよ」
「……あー、
と、俺は答えた。
「炎上寸前って聞いたけど」
「それは本当。明日までに最終サンプル提出だけど多分間に合わない。スケジュールが厳しいのに要求がやたら細かいんだよ」
「間に合わないって、ここ居ていいの?」
「気分転換」
実際、ほとんど手詰まりに近い。限られた条件下で先方の要求に答えられるような手は思いつかない。昼飯でも食べて何かアイデアが湧いてくるのを待っているというのが現状だ。
今回の案件を持ってきた山松原商事は業界最大手の商社。最大手だけに額だけは大きく、川井川フーズの上層部はほとんど即断で受けたらしいのだが、山松原は要求がやたら厳しいことでも有名で、そのしわ寄せは開発部の末端の俺のところに押し寄せている。毎日終電まで残業して試作品を作り続けている。
佐倉場がさっさと食べ終わって立ち上がる。
「お先」
「おう。外回り?」
「うん、神奈川を一巡りしてくる」
じゃあね、と手を上げて佐倉場は店の暖簾をくぐって出ていった。あいつの取ってくる案件は額としては小さくても、スケジュールに余裕があって裁量の余地がある、現場的にはありがたいのが多い。というわけで開発部での評判はなかなかに良い。
俺はしばらくひとりでサバの骨をしゃぶりながら現状を打破する方法を考えていた。しかし結局、昼休みが終わるまでに良いアイデアは思い浮かばなかった。
*
今日も終電まで仕事をして、帰宅。
シャワーを浴びて部屋着に着替えたところで、ベランダの窓を擦る音がした。窓を開けると、暗闇の向こうからタマ子がにゅっと顔を出した。タマ子はこうやって肉球で窓を擦って俺を呼ぶ。
「今日はカリカリな」
ドライフードを袋からスプーンで掬って皿に入れてやると、タマ子はカリカリと音を立てて食べ始めた。めまいは少しずつひどくなってきていた。タマ子が食べ終わったらさっさと寝てしまおう。
タマ子は俺の気持ちを察したのかどうか、皿に入れたぶんを食べ終わるとおかわりを要求することもなく満足そうに口の周りを舐めた。
「閉めるよ。俺疲れてるからもう寝るよ」
俺はタマ子を半ば追い出すようにして窓を閉めた。電灯を消すとめまいは急にひどくなってきた。目の前に見える薄暗い室内の風景がぐにゃぐにゃと歪んだ気がした。俺は倒れるようにベッドに寝転がり、掛け布団もかけずに意識を失うようにして眠りについた。
*
目覚まし時計の音が聞こえる。深い眠りの奥から意識が戻ってくる。目を開ける。カーテンの隙間から早朝の薄明かりが漏れている。
俺は目覚まし時計のアラームを止めて起き上がった。昨夜のめまいはすっかりなくなり、頭痛も収まっていた。おまけに体が軽い。さっさと寝たのが良かったのだろう。
ベッドから出ていつものようにトースターに食パンを入れ、冷蔵庫からバターを取り出し、牛乳をコップに注ぐ。トースターがチンと鳴ったらパンを皿に取り出し、バターを塗る。そして椅子に座る。いつもどおりのルーチン。
だが、違和感があった。椅子に座ったときに、お尻の下に物が挟まっているような感触。そういえばズボンもゆるい気がする。寝相が悪くてズボンに大きな皺ができたとか、ゴムが緩んでしまったとか……いや、時間はないので考えるのは保留。さっさとパンを食べる。
皿を洗う。歯を磨く。顔を洗う。違和感。
目の前の鏡を二度見する。
「なんじゃこりゃ……」
と、ひとりごちる。声が高い。
正直なところ驚いてはいるのだが、いろいろな驚きが複雑に交錯して何とも反応しづらい。とりあえず頭から生えている猫耳を触ってみる。表面は短い毛で覆われてふわふわしている。触覚もある。ひねってみたらちょっと痛い。痛覚あり。つまり本物。
おまけにさらさらの髪の毛は肩まで伸び、目は大きく、ほっぺたはもちもちしている。目つきが若干鋭いところに本来の顔の面影が残っているといえるかもしれない。
つまるところ、俺は朝起きると猫耳美少女になっていたわけだ。
もしやと思ってズボンとパンツを下ろしてみたところ、お尻の尾てい骨のところから猫尻尾が生えていた。こちらも猫耳と同じで本物。
それ以上の重大事は、股間の男性器がすっかりなくなり、女の子のそれになっていることである。まあ、独身彼女なしなので性的な問題はないにしても、これを受け入れるのか? いや、受け入れざるを得ないのは間違いないのだが。どうしよう。
催してきたので試しにトイレで座って用を足してみる。立って致すのは難しそうだが、座ればいいだけなので実用上は大丈夫そうだ。そのうち生理の問題が出てきたりするのだろうか、と頭をよぎる。
部屋に戻るとベランダの窓を揺する音がした。タマ子だ。こんな姿で出たらびっくりするだろうな、と思いつつ、カーテンを開けて窓を開く。しかし、
「どひゃーっ」
と驚いたのは俺のほうだった。
目の前に立っていたのは三色メッシュのショートボブがよく似合う、小柄な美少女だった。切れ込みのある猫耳と猫尻尾つき。あと全裸。
「ええー、あ、あ!」
俺は言葉にならない声を上げながら、物干し竿にぶら下げたままになっていたバスタオルをもぎとり、美少女の体に巻き付けた。
美少女はバスタオルを不思議そうに眺めて、
「朝ごはん」
と言った。
耳の切れ込みと眠そうな目は見覚えがあった。
「タマ子?」
「そう」
と、美少女は答えた。
なんてこった。俺もタマ子も猫耳美少女になってしまったってわけだ!
「この体、めんどい」
美少女であるところのタマ子はバスタオルの裾をひらひらさせながら言った。まあ俊敏な猫に比べたら人間の身体は動きが鈍いだろうな、と思うが、問題はそこではない。
これからどうするか。元に戻る方法を考えないといけない。すぐに戻れないとしたらどうやって生きていくかという長期的な問題もあるし、今日が提出期限の
俺はとにかく目の前の問題から片付けることにした。まずは会社に行く。美少女になったタマ子をそのまま放っておくわけにもいかないから、一緒にだ。
「朝ごはんは?」
とタマ子がたずねた。
「会社に行く途中で買う。一緒に来てくれ」
まずは着替え。普段着ているスーツは体が細くなったぶん、猫尻尾をズボンに収納することができた。猫耳はニット帽を被ってごまかすことにした。タマ子には俺の私服を着せる。他に良い帽子がないので猫耳はそのままだ。ちょっと変わった女の子ってことにしておけばそう不審でもないだろう(自信はないが)。
というわけで着替えて二人で家を出た。途中のコンビニに立ち寄り、タマ子の好きそうな朝ごはん、ということでツナパンを買ってやる。
「食べられるか?」
猫がパンを食べられるのかどうか心配だったが、
「うん。おいしい」
人間の姿になっているので人間の食べ物も大丈夫なのかもしれない。
電車に乗る。奇異の目で見られるのではないかと思っていたが、満員電車の中でこちらをじろじろ見てくるような人はいなかった。でもまあ、みんなきっと意識の端では(変なやつがいる……)と思っているに違いない。タマ子は雪崩のように押し寄せる都会の人波を見て目を丸くしていた。
*
電車を乗り継ぎ、さらに駅から徒歩十分で会社に到着。既に鍵は開いていて、事務室で
「おはようございます」
と俺は美少女の声で言った。傘原部長が中年太りの丸顔を上げてぽかんとした。
「んんん? 誰?」
と、当然の反応。
「
「武木って……開発の武木君? えっ? ええっ?」
「諸事情あってこんな姿になってしまいましたけど、間違いなく武木です。ほら、このスーツ、いつもの俺のですし、社員証もちゃんと持ってます」
俺は傘原部長の席まで行き、社員証を見せた。
部長は顔の前で手を振った。
「いやいやいや。武井君の親戚の子とかでしょ。冗談でもこういうことしちゃいけないよ。ここは会社なんだから」
と、信じてくれる様子がない。それもそうか、と思う。猫耳丸出しのタマ子もいるし。
「まあ、しょうがないです。とりあえず
タマ子を連れて事務室を出ていこうとする俺に、傘原部長が立ち上がって追いすがる。
「駄目だって。ここで待ってなさい。家の人の連絡先は?」
「連絡先っていっても、俺のスマホの番号しか……」
「もう武木君のふりするのやめなさい」
「いえ、ふりではなく……」
と言い合っているところに事務室の扉が開く。
「はよーございます……んん?」
入ってきたのは
「傘原部長の……お子さんですか?」
俺とタマ子を見て佐倉場は行った。たしかに見た目的にはそれくらいの年齢ではある。
「いやそれがねえ。武木君の親戚の子みたいで、武木君のふりをして入ってきちゃったんだよ。彼、そういう悪ふざけをするような人じゃないと思ったんだけどねえ」
「いえ、ですから武木本人です」
と俺は反論する。
そのやりとりを見ながら、佐倉場は頬に手を当てて、ふむ、と頷いた。
「山松原のサンプル、置き場は?」
「開発室入って右側の試作品棚の上から二段目。黄色いラベルをつけてある。知ってるだろ」
営業部員は試作品を持って得意先へ行くことも多いので、開発室の中の置き場はだいたい把握しているはずだ。むろん佐倉場も。
「山松原の要求は?」
と、佐倉場が続ける。ああ、口頭試問か。
「
佐倉場が頷いて傘原部長に言う。
「部長、この子、武木本人っぽいです」
「えー、本当?」
「社外秘の情報を知ってることもそうですし、喋り方の癖が武木そのものなんですよね。たかが冗談でそこまで仕込まないと思います」
「はあ、なるほど」
傘原部長は半信半疑という感じだ。
佐倉場は俺に向かって言う。
「私は武木本人として接するけど、それでいい?」
「うん、ありがとう。素晴らしい同期をもって俺はうれしい」
「どういたしまして。で、そっちの子は?」
と、タマ子を指差す。
「いつも世話してる地域猫のタマ子。こっちは猫が人間になってしまったっぽい。放っておくわけにもいかないから連れてきた」
「ひょえー。そうなんだ」
佐倉場は少し身を低くしてタマ子の顔をのぞきこんだ。
「こんにちは、タマ子ちゃん」
「こんにちは」
と、タマ子は答えた。
「かわいい」
佐倉場が頭をなでると、タマ子はうれしそうに目を細めた。
その後、続々と社員が出社し、みんな同じように驚きの声を上げたが、佐倉場がうまく説明してくれたおかげで俺は本人と認められ、タマ子も社内に置かれることになった。
*
「
開発室でサンプル作りの追い込みをしているところへ、
「午後じゃなかったんですか?」
「予定変更らしい。嫌がらせ込みだな。サンプルのほうは?」
「まだです。ちょっとは良くなりましたが」
今のところ一番良さそうなサンプルの入った皿とレシピを部長に差し出す。部長はそれを受け取り、レシピをざっと流し見ながらサンプルを口に含んだ。
「うーん……正直、よくやったとは思う。だけどこれでOKとならないのは間違いないな。とはいえなあ。このレシピからどう変えたらいいのか……」
部長はうつむいてしばらく無言で考え込んだ。そして、
「ともかく今日はなんとか延ばせないか粘る。それしかないな。引き続き頼む」
そう言って、足早に出ていった。たしか今日は経営会議に参加しないといけないとか言っていた。部長のヘルプは期待できそうにない。
部長と入れ替わりでタマ子が開発室に入ってきた。どうやら事務室では女性社員を中心に大人気のようで、タマ子もご機嫌だ。
「
いつの間にか俺のことを武木と呼ぶようになっている。まあ、別にいいけど。
「カレーならあるけど、猫には辛くないかな」
「わかんない。食べてみる」
そう言うので、炊飯器に残っていたご飯を皿に少し盛り、「
「人間はこれで食べるんだ。できる?」
スプーンを貸してやる。
「うん、できる」
タマ子は初めてとは思えないくらい器用にスプーンでカレーライスを食べた。そして予想通りに顔をしかめた。
「辛い」
「そりゃそうだ」
「もっと辛くないの作って」
「十一時の打ち合わせが終わってからな」
俺は次のサンプルの材料を混ぜながら言った。するとタマ子はそれを見ながら、
「自分でやってみたい」
と言った。
「自分で? あー、うん、どうしようかな」
少し考えて、しかしまあこんな状況だし、猫の手を借りてみるか、と思った。ダメ元だ。
「じゃあ機械の使い方とサンプルの作り方を教えるから、やってみて」
「うん」
俺が教えると、タマ子は元が猫だとは思えないくらいすんなりと理解して、すぐに試作を始めた。そして猫だけに魚介の風味には興味があるらしく、いろいろな魚介エキスを試している。
「サンプルができたらこのレシピ表に書き込む。わかる?」
「わかる」
人間の体だからなのか、数字も理解して、下手くそな字ながら書き込んでいる。
どうやら戦力になりそうだぞ、と少しばかりの期待をしたところで、焼岡部長が入ってきた。十時五十五分。
「山松原、来たぞ」
「はい、すぐ行きます」
俺は試作品サンプルとレシピ表を持って立ち上がった。
タマ子は集中して試作中だ。後は任せておいても問題は起きないだろう。
「ところでこの格好で大丈夫なんですかね?」
と、俺は自分の猫耳を指さした。
部長はなんでもないというふうに、
「むしろいいんじゃないか。情報量を増やして相手を幻惑する」
と言った。なるほど。
*
なるほどと思ったが、実際にはそんな幻惑は通じなかった。
「で、サンプルはできたんですか?」
「一応、こういうものが」
と、俺は持ってきた「
「こんなの、商品にできないですよ。こちらの要望に全然届いていない!」
「申し訳ありません」
部長と俺は深々と頭を下げた。しかし当然、謝ったから許してくれるということにはならない。担当者氏は畳み掛けてきた。
「今日が最後って言いましたよね? 御社、約束も守れないんですか? できるって言うから任せたのに、話にならない」
できるって言ったのは俺じゃなくてたぶん営業本部長かその上の担当役員なのだが、怒られるのは現場の俺。会社とはそういうものだ。俺と部長がこうして取引先に怒られて、さらにこの案件がポシャれば営業本部長と役員にも怒られる。頑張っても怒られてばかり。
「もうできないって結論でいいですね? こっちもあちこちの関係先を待たせてるんです。これ以上延ばして迷惑をかけるわけにはいかない」
担当者氏はそう言って荷物をまとめ始めた。部長が立ち上がって引き止める。
「あと少しだけお待ちいただけませんか。あと一度だけ、チャンスをください」
「あと少しってどれくらいですか? 前回もそう言ってちょっと待って、その結果がこれじゃないですか」
「まったくその通りでございます。ですから、少し、ええと……」
部長の言葉が消え入りそうになる。さらに何日も待ってくれなどとは言えない。
「せめて今日いっぱいだけでも……」
まあそれが待ってくれる精一杯だろうなあと、頭を下げている部長を横目で見ながら思う。でも今日いっぱいかけて試作したところで大幅に良くなる見込みもなかった。
「今日いっぱいって、それで何かできるんですか」
と、担当者氏は言った。さすが最大手の担当者ともなるとそのあたりの感覚はしっかりしている。実際、ほとんど何もできない。
もう、言えることは何も無いように思われた。この場で降参するか、今日いっぱい残業してわずかな望みにかけるか。
「ええ、まあ、その……」
万事休すと思われたそのとき、会議室のドアが突然開いた。
入ってきたのは小柄な三毛猫美少女、タマ子である。二人目の猫耳美少女登場とあってさすがの担当者氏も表情がぴくりと動いた。
「できた」
と、タマ子は言った。カレーの入ったサンプル容器とレシピ表を持っている。
まさか、と俺は思った。
「失礼します」
そう言って立ち上がり、タマ子の耳元でささやく。
「カレーの試作品?」
「うん。すごくおいしい」
実際、タマ子が差し出した容器の中にあるのは、そうおかしなものではなさそうだった。
俺は会議室の戸棚からスプーンを取り出し、タマ子の作ったカレーをひと舐めしてみた。その瞬間、驚きで背筋がぞっとした。おいしい。おまけに、先方の要求を完全に満たしている。魚の風味もトロピカルな風味もしっかりとして、それがきちんと調和している。
「レシピ表見せて」
「はい」
タマ子が見せたレシピ表の原材料と配合量から、頭の中で原材料費を計算する。大雑把に言って、ギリギリだけどなんとか範囲内に収まりそうだった。
「武木、大丈夫か?」
部長が言った。俺は部長のほうを振り向いて答える。
「大丈夫です。それより、できました」
俺はスプーンを添えて、タマ子の作ったサンプルを部長と担当者氏の前に差し出した。
二人とも半信半疑の顔だったが、一口舐めると、
「ほう」
「うまっ」
どちらともなく驚きの声をあげた。
「え、これ、いいじゃないですか。いいですよ。いけますよ。いやあ、びっくりだなあ」
担当者氏はそんなことを繰り返した。
「そちらの方が作ったんですか?」
と、タマ子を指差すので、
「ええ、彼女はレシピ開発のスペシャリストでして、ギリギリまで考えさせておりました。なんとか結論が間に合ったようでよかったです」
と、俺はとっさに嘘をついた。猫が作ったレシピですなんて言ったって信じてもらえないし、素人に作らせたなんて知れたら信頼を失ってしまうだろう。
「御社、すごい人材がいらっしゃるのですね」
担当者氏はタマ子と俺、二人の猫耳美少女を交互に見ながら複雑な笑顔を見せた。
*
「タマ子、すごいな」
と、俺は言った。
「あのレシピ、どうやって思いついたんだ?」
「うん?」
と、タマ子は首をかしげた。
「サバ食べたかったからたくさん入れた。あとはおいしい感じにした」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
おそるべき、猫の舌。
「ああいうの得意」
だそうである。
*
タマ子の「魚が食べたい」というリクエストに答えて、今日も「
「ところでさ、二人ともこれからどうすんの」
と、佐倉場は言った。
「どうって?」
「その格好。いつまでも猫耳美少女じゃ困るでしょ」
言われてみて、自分がすっかり慣れてしまっていることに気づく。そういえば店に入ったときに店員がちらちらとこっちを見ていたのを思い出す。
タマ子は焼き魚定食のサバをおいしそうに食べている。俺は刺身定食。
「あー、でもどうしたらいいかわからないしな」
「病院に行ってみるのはどう?」
と、部長が行った。
「病院でわかりますかねえ」
「動物病院は?」
と佐倉場が言う。
「余計にややこしくなりそう」
とはいえ、何もしないわけにもいかない。
部長が言う。
「いいよ。今日はお手柄だったから、二人とも休んじゃっていいよ。病院でも動物病院でも行っといで」
「はあ」
というわけでタマ子と一緒に会社近くの病院に行ってみたのだが、
「こんなのわかるわけないでしょ。朝起きたら猫耳美少女になってたなんてどんな医学書にも書いてないよ」
と、医者はあきれた顔をした。
「ですよね。そう思います」
俺も同意せざるをえない。
「とりあえず今日は早く寝たらどう? 疲れてるんでしょ」
「はい、そんなところですかねえ」
「いや、そんなところじゃなさそうだけどね。他に言えることがない」
と、医者もさじを投げた。
二人並んで病院を出て歩く。せっかく休みをもらったことだし、早めに家に帰ろう。
「サバ食べたい」
というタマ子の希望により、スーパーでサバを買い、今晩もサバを食べた。
*
翌朝。目覚まし時計のアラームが鳴るよりも早く、顔に妙なざらざらとした感触があって目を覚ました。まだ太陽の光は入ってきていない時刻。俺は床に毛布を敷いてその上に寝転がっている。ベッドは人化したタマ子に譲ったのだ。
俺はざらざらしたものの正体をたしかめようと手で触れた。もふもふしている。両手でそれを掴んでみる。やわらかくてよく伸びる。そしてそれは「にゃあ」と鳴いた。
「タマ子?」
俺は起き上がった。俺の傍らに、猫に戻ったタマ子がいた。
電灯をつけ、洗面所へ行って鏡を見る。三十歳の男の顔だ。猫耳はない。
ズボンを下ろしてみる。尾てい骨の位置に猫尻尾はなく、股間には男性器がついていた。完全に元に戻っている。
タマ子が追いかけてきて「にゃあ」と鳴き、ズボンを下ろしたままの俺の足に頭をこすりつけた。俺は一旦ズボンを上げ、しゃがんで頭をなでてやる。
「昨日は助かったよ。ありがとう」
タマ子は何も言わずにこちらを見た。
「カリカリ食べる?」
俺がそう言うと、タマ子はまた「にゃあ」と言った。
皿を置き、ドライフードをスプーンで掬って入れてやった。
カリカリを食べると、タマ子は元気よく外に出ていった。またいつもどおりの日常が始まる。
朝起きたら猫美少女になっていた男の話 石喰 @ishibami
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