猫道にて
暇崎ルア
猫道にて
あの日、猫道を通ろうと思ったのは図書館に行きたかったからだ。借りていた小説が返却期限を過ぎていて、カウンターまで行って返す必要があった。
大通りに出ると五分ぐらいかかるけど、裏道である猫道を使えば二分ぐらいで着く。
いつでもそこに行けば猫がいる。だから「猫道」。祖母がつけた愛称だという。
建物の外壁と民家の玄関に挟まれた細い道。中程まで行くと曲がった標識が一本立っている。
少し早足で通り抜けようとした。猫道は静かで良いところだけど、人通りが少なくて危ない場所という意味でもある。
時刻は夕方、季節は春。それでも少しずつ暗くなり始めていた。早く行かなくては。
「おい」
誰かが私を呼んだ。この道の途中には神社へ続く階段がある。神社は神様がいるところだ。まさか私は神様を怒らせたのか。期限内に本を返さなかったから。
「こっちだよ。あんたの顔の下」
言われた通り、視線を下げると混じりけのない漆黒の毛並みの黒猫がいた。
標識の前、ちょこんと前足を二つ揃えて座り、耳をピンと立ててこっちを見ている。
「猫がしゃべってる」
「悪いかよ、猫だってしゃべるって。悪いけど、別の道通ってくれる。好きな子と待ち合わせしてるんだよね、今」
「そうなんだ。がんばって」
「待てってば」
いきり立った猫に進行を塞がれる。シャーっという威嚇の声つきで。怒らせた。
「話は最後まで聞けよな。人間が通ったら、あの子が怖がってここに来られないの」
「通るのは一瞬だよ。ずっとここにいるわけじゃないからさ」
「それでもダメ。そろそろ来る時間だから」
周りを見渡す。他の猫はいない。
「あんたには見えないよ。あの子はシャイだから隠れてるんだ。あんたがいるからここまで来られないの」
わかった、と言うしかなかった。猫の恋路を邪魔したいわけじゃないし。
「ありがと。後であんたの家の前にまたたび置いといてあげるから」
「いいよ、気持ちだけ受け取っとく」
人間にはまたたびの良さはよくわからない。
「てか、私の家知ってるんだ」
「猫のネットワークはあんたが思ってる以上に広範囲なんだよ」
その日は結局、酒屋がある別の道を通って、図書館へと向かった。猫の恋愛もなかなか大変なんだな、と考えながら。
数週間が過ぎた。今年中学生になった姪っ子がやってきて、地元の有名なケーキ屋に行くことになったが直前まで来て思い出す。
「あ、ここはダメだ」
「なんで?」
「猫に通るなって言われたから」
姪っ子の怪訝な目。何か変なものでも食べた? って言いたそうに。
「前言われたんだよ」
「夢でも見たんじゃなーい?」
彼女の言う通りだった。進入を止める猫なんて出てこなくて、何事もなく猫道を通り抜けてしまった。猫一匹いなかった。
あの黒猫と再会は果たせていない。好きな女の子と会えたんだろうか。恋は成就したんだろうか。猫道を通るたびに彼を思い出す。
猫道にて 暇崎ルア @kashiwagi612
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