最終話 毎朝ありがとうだよ

「ふわぁ………もう毎日テレワが良いよ」


 俺の名は雅樹。しがない平社員のサラリーマンをもう40年やっている。

 家は千葉の端っこ。東京にある会社に出勤しなきゃならない日は朝6時に目を覚まさないと確実に遅刻する。


 二度寝は絶対に許されないのだ。特に冬、まだ朝陽が窓から差してもいないし、寝室から二階のリビングまでの道程が。寒過ぎて行きたくないのだ。


 でも階段の半ばでクルリと曲がり、リビングルームの扉にある硝子窓を見ると、つい嬉しくなってしまう。


 その硝子窓は縦こそ長いが横幅が狭い。丁度猫のひたいのようだ。そこから白い顔と両耳が茶色の顔が此方を覗いている。


 当人……いや当猫にそんな気分があるかは知らないが、まるで毎朝俺に「おはよう」って言うのを待ってくれてるようで実に嬉しい。


「やあ、くうちゃん、おはよっ」

「ニャッ」


 俺がリビングに入ると脚の周りを回るようについてくる。それはもう可愛いのだが、こっちは20分で着替えと朝食を済ませて家を出ないといけない。

 それはそれは慌ただしいのだ。


 にも拘らずくうちゃんは、絡んでくるのを止めようとしない。誤って軽い蹴りを入れそうになるほどだ。

 判っている、早くご飯が欲しいのだろう。だけど此方も時間がないのだ。


 冷蔵庫から冷食を引っ張り出し、オーブンレンジにセットしてから解凍の時間を使って面倒くさいYシャツに袖を通す。


 1分1秒でも時間が惜しいのにボタンを留めるのが面倒で仕方がない。レンジの前で着替えていると「ニャーッ」とダイニングテーブルの影から催促の声がする。


「判った判った、ちょっと待ってな」

「ニャッ」

「………此奴、絶対俺の言ってること判ってるよな?」


 俺の発言内容から「ニャ」のニュアンスが変化する。今の「ニャッ」は判った……だと思う………多分な、知らんけど。


「ほら、まだお残しがあるよ。お皿洗えないからちゃんと食べような」


 餌の皿に残されたものをすくい上げ、手から食べさせる。猫の舌はザラッとしている。

 その舌で掌を舐めつつ残り物をしっかりと食べてくれる。ザラッとした感触が心地良い。


 しつこいようだが忙しいのだ、そんな最中に皿を洗って布巾で拭いてから二種類の餌が混ざったものを二つの皿に流し込もうとするともう一猫が現れる。


 オス猫の『ラミー』だ。此奴も相当な年寄り、恐らく俺よりも………。だけど大きな目がまるで子猫のように愛らしい。


 …………けれども此奴は、やはりなのだ。俺には一切懐かない癖に、嫁や娘等が抱き上げると幸せそうに大人しくする。


 …………このスケベ野郎が。お前はご飯が欲しいだけだろ?


 ラミーは皿に流したものをホットカーペットの上に置いた途端に食べ始める。猫に「待て!」は在り得ないのだ、多分な。


 しかしはちょっと違う。皿を置いてもなかなか食べようとしない。ダイニングキッチンから戻ってきた場所は、暖かいカーペットの上じゃない。


 冷たい板の間の上なのだ。良く判らんがそこで座って。マテと言われたからじゃない。


 自分の座った場所に皿が置かれるのを。何でそこなんだ? そう思いながらいつも目の前に置いてやると食べ始める。


 でもほんの少し食べれば満足なのか、或いは飽きてしまったのか………。


 …………女心は判らぬものだ。人も猫も変わりゃしない。ま、毎朝小さな幸せをありがとう。


 あと、人間勝手なお願いだけど…………元気で長生きしような、お互いに。

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ワタシは猫よ、吾輩だなんて言わないよ(事実は小説より奇なり②) 🗡🐺狼駄@ただ今ファウナ絶好調! @Wolf_kk

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