第7話 1941.04
ちょび髭はいつものごとく地図の前にいる。
覗き込むと前線は前回よりも随分と東に進んでいる。
「元の国境あたりだな。」
ちょび髭が一瞬こわばる。
「戦力が足らん。」
独ソ国境だけでなくあちこちを見てみると・・・
「中東はイギリスから奪ったか。
石油の心配は無くなったな。」
それは良いのだが
「パレスチナには進駐しないのか。」
「そんな余裕はない。」
「ユダヤ人は80万人か。
今のうちに手を打たないとイギリスの二の舞だぞ。」
ちょび髭が嫌そうにこちらを見た。
そんなことは百も承知だという顔だ。
「さっさとユダヤ人を追い出せ。」
ちょび髭の目が大きく開かれた。
『こやつ、何を言っておるのだ』
そういう顔だ。
「パレスチナはアラブ人の土地だ。
石油が大事ならアラブ人を大事にするんだ。」
「お前がユダヤ人を送れと言ったのだろうが。」
お、
お前扱いか。
「だからなんだ。
ユダヤ人に義理立てするのか?」
「収容所を作るのならわざわざ送らんでも・・・」
「おいおい、アメリカを怒らすのか?」
その言葉でちょび髭の頭が回転し始めた。
「約束の地を与えてやれ。」
私はスターリングラードを指さした。
「どうやって・・・」
「自由フランスと自由イギリスに送らせればいい。
成功しようが失敗しようがドイツは痛くない。
黒海艦隊は戦艦が1隻しかいないぞ。
それでも心配ならイタリアにオデッサとクリミヤ半島を攻略させろ。
ドゥーチェも戦果が欲しいだろう。」
イタリアは狙っていた中東をドイツに搔っ攫われてお冠だ。
ソ連の兵力は殆どがドイツに向けられている。
空き巣狙いはドゥーチェの十八番だ。
飛びつくだろう。
ちょび髭は考えている。
初めに送るのはユダヤ兵になるだろうが戦力にしろ兵站にしろ無謀すぎる。
「アメリカに援助させろ。
兵は駄目でも兵器はどうにかなるだろう。」
「どうやって・・・」
「交渉は得意だろう。
赤軍が攻めて来たのだ。
自由主義の危機だぞ。」
アメリカの富裕層は病的なまでに共産主義を恐れている。
そこを突けばどうにでもなる。
とにかくパレスチナからユダヤ人を排除しなくては、
「ほおっておけば血みどろの殺し合いが続くぞ。
百年たっても解決しないだろう。
そして責任は管理者のドイツに来る。」
ちょび髭は両腕を後ろに回した。
いやいや、考えるにはまだ早い。
一拍置いてちょび髭の意識を戻す。
「フィンランドは仕返しをしたそうだな。」
数年前の冬戦争でソ連に領土を取られている。
「レーニングラードをやったらどうだ?」
また変なことを言い始めた。
そう言いたそうだ。
「バルチック艦隊は潜水艦以外に見るものは無い。
自由イギリスに空母を出させれば難しくないぞ。」
ちょび髭の顔が紅潮してきた。
解ったな。
これで北と南に戦力を回す必要は無くなった。
例え両方ともに失敗しても、それはソ連が戦力をそれだけ回した事になる。
ドイツはモスクワだけに全戦力を集中できる。
ちょび髭が地図を見ながら「ウンウン」と首を頷き出した。
まだだぞ。
「二百万ほど、兵が欲しくないか?」
用心しながらこちらを向いた。
「占領したら白ロシアを独立させてやれ。」
「あんな劣等人種に・・・」
「人種に優劣は無い。
あるのは得手不得手であり個人差だけだ。」
不満そうだ。
「大体ソ連を降伏させられると思うのか?」
これには驚いたようだ。
目が見開かれた。
「モスクワを占領してもスターリンは絶対に降伏しない。
奥へ奥へと逃げて、
全国民を犠牲にして最後の一人になったとしても降伏しないぞ。」
ちょび髭はスターリンに会っている。
納得したようだ。
「どうやって戦争を終わらせるつもりだ?
何十年も戦い続けるのか?」
ちょび髭の表情が曇る。
「だから占領したらさっさと独立させて防波堤にするんだ。
適当なサイズでな。」
ここまでだな。
ここまで言ってダメなら、ダメだ。
すうっとちょび髭が薄くなって消えた。
また一人で地図を見ていた。
初めに動いたのはイタリア艦隊だった。
トルコはイギリスの降伏時に同盟国になっていたのでボスボラス海峡は難なく通り黒海に侵入する。
ソ連側はイタリア艦隊接近の通報を受けていたがあまりの戦力差に出撃を躊躇った。
セヴァストポリに到着したイタリア艦隊は何の通告もせず港内のソ連艦艇を砲撃、無力化した。
後に続く輸送船が陸上部隊の揚陸を始める。
気が早いなあ。
ソ連空軍が来たらどうする気だろ。
まあいいや。
とにかく動き始めた。
次はパレスチナだった。
国の色が茶色から薄紫に変わる。
どこから徴収したのか大量の輸送船がハイファやアシュドッドなどの港に入港した。
長い航海になるのでギリシアから渡った時の様に艀と言う訳には行かないようだ。
ユダヤ人を乗せてパレスチナから出港した船団はキプロスから出港した自由イギリスの艦隊に守られながら黒海に侵入した。
目的地はロストフの港だ。
だが、そう上手く行く筈も無い。
黒海の北東にあるアゾフ海に入ろうとケルチ海峡に近づいたところでソ連軍の空襲にあった。
クリミヤ半島のイタリア軍に対応するため終結した空軍が、敵艦隊接近の報を受けて行ったものだ。
一応イギリス艦隊には空母アークロイヤルがいたが、戦闘機は搭載していない。
急降下爆撃機のスキュアが交戦したがあっという間に蹴散らされてしまった。
ソ連機は扱いが難しいが高性能であり、低高度での空戦能力は特に優秀なのだ。
ケルチ海峡に入った所を狙われたら手の打ちようが無かっただろう。
しかしまだ手前だったのでイギリス艦隊は対空射撃と回避機動が出来た。
先年のツーロン沖海戦での教訓で対空砲を増設したのも良かった。
撃墜こそ難しいものの船が爆発したかのような対空射撃は攻撃意志を挫くには十分だった。
イギリス護衛艦隊を狙った爆撃機の攻撃は効果無かったが、輸送船を狙った戦闘機はかなりの戦果を挙げた。
装甲の無い輸送船には戦闘機の機銃でも脅威なのだ。
16隻の輸送船の内3隻が沈没し、沈没を免れるために4隻が浅瀬に乗り上げた。
他に4隻が浸水し、船足が落ちている。
ロストフまでたどり着けないことは明らかだ。
艦隊は引き返した。
イタリア軍のいるセヴァストポリに向かった。
地図の上には表示が出ている。
『1941.05』
そして『泥濘』の文字が消えた。
いよいよだ。
私の知っていた『バルバロッサ』は国境線にソ連部隊が展開していたがここではソ連軍はいない。
前年の失敗の後も戦力が揃うとドイツに突撃して壊滅することを繰り返していたためだ。
あるのは穴の開いた薄い戦線だ。
それに比べてドイツ軍は準備が出来ていた。
しかも北・中央・南に分かれていない。
アフリカにも西部にも兵力を回していない。
ちょっとワクワクするな。
いつものように赤軍が湧いてドイツ軍に突撃して消えた。
残ったドイツ軍は赤軍のいなくなった所に進む。
ここまでは良くあることだった。
しかし今回は違った。
今まではすぐに止まったが、そのドイツ軍はそのままスルスルと進み続けた。
周りのドイツ軍もつられる様に進み始めた。
ソ連軍が違和感を覚えた時は、もう遅かった。
全ドイツ軍が前進を始めたのだ。
所々にソ連軍がいたが余りに少数で包囲の必要もなくそのまま蹴散らしていった。
先頭に立つのは、
おお、
新型の5号戦車だ。
傾斜装甲を持ちエンジンを前面に配置して、長砲身の75mm砲を積んだ砲塔は車体中央より後ろに配置されている。
履帯は広く車体下は船形で後方は大きく開くハッチが付いている。
鉄道輸送を考慮して幅は狭いが前後には結構長い。
イギリス戦車を彷彿させる。
高い車体に載った砲塔は鋳物だが、前面に追加で装甲が溶接されている。
ドイツはドイツという事だ。
他には長砲身の3号戦車が見えるが4号戦車は見当たらない。
量産体制の整っていた3号は生産を続けたが、生産ラインの整備中だった4号は止めたのだろう。
史実ではちょび髭の命令を無視して3号戦車は短砲身だったが、こちらでは私の用意したT34/85を見たのだ。
そこまでのバカはいなかったと見える。
それにしても、
ミリタリーファンの皆さん、ごめんなさい。
Ⅵ号戦車Ⅰ型・タイガーは無くなってしまいました。
ミンスクには4日で到着した。
包囲は歩兵部隊に任せて装甲部隊は前進したが、スモレンスク直前で停止してしまう。
補給が尽きたのもそうだが車両の稼働率が低下して戦力を維持できなくなったからだ。
戦車とは走るだけで壊れるものなのだ。
空軍基地の移転にも時間が必要だ。
歩兵部隊も追いついてこなかった。
無為に3日間が失われた。
同じ頃自由イギリス艦隊とドイツ艦隊がレーニングラードを砲爆撃していた。
歩兵は伴っていない。
その代わりフィンランドから歩兵が侵攻している。
自由イギリス軍・自由フランス軍・スペイン軍・アメリカ義勇軍も参加している。
ソ連の航空機、
あれはI-16だな、
が散発的に飛来するが上空はCAPがいる。
スピットファイアだ。
お話にならない。
一瞬で消えてしまう。
ドイツ枢軸軍・・・
違和感があるが仕方が無い、
がゆっくりとだが確実にレーニングラードを侵食していく。
中央に目を戻すとドイツ軍はやっと歩兵が追いつき装甲部隊は補給をして戦力が回復していた。
前進再開だ。
スモレンスク周辺のソ連軍は思ったよりも少なかった。
ソ連軍の移動も鉄道か歩きだ。
そう急に集められるものではない。
中途半端に集められた兵力は時間稼ぎも出来ずに無駄に失われた。
史実ではモスクワ前面に防御陣地を築いたが、そんな暇はないな。
一週間以内にモスクワに届きそうだ。
まだ5月だ。
気付くとバルト3国の色が赤から薄紫に変わっていた。
去年ソ連に併合されたばかりだ。
独立の機会を狙っていたのだろう。
と思っているうちにミンスクを含むエリアが薄紫色に変わり
『ベラルーシ・独立』
とポップが出た。
ちょび髭、占領を穏健政策にして白ロシアを取り込むつもりだ。
そうするとその下のエリアも色が変わる。
『ウクライナ・独立』
とポップが出る。
この地域はハンガリー・ルーマニア・イタリアがいるだけで殆ど手付かずだ。
完全にソ連に対する反乱だな。
穏健政策が功を奏してドイツを『ソ連からの解放者』と見做したな。
解放者・・・
人民解放軍・・・
ププッ。
人民解放軍(赤軍の自称)が人民解放軍(ドイツ軍の他称)と戦う。
笑える。
だが反乱のドミノ倒しはここまでだった。
他の地域は遠すぎるし未だにソ連の支配は強力だ。
クリミア半島の情勢はウクライナの独立で大きく変わった。
イタリア軍は半島を掌握したとは言えない状態だったので撤退を余儀なくされるだろう。
逆に行き先を失っていたユダヤ人は通行が容易になったのでウクライナ領内やケルチ海峡を渡ってスターリングラードに向かえるようになった。
あれからセヴァストポリに輸送船が続々と到着してかなりの兵力になっていたのだ。
到着したのはユダヤ兵だけでは無かった。
アメリカの支援物資が届き始めたのだ。
銃砲・弾薬・戦車・トラック・燃料・食料など軍に必要なものだ。
アメリカは完全にその気だな。
ユダヤ兵はユダヤ軍になった。
中央ではドイツ軍の攻勢が続いていた。
スモレンスクを占領したドイツ軍はそのまま東進する。
モスクワ周辺に近づくと、流石にソ連の抵抗が激しくなってきた。
陣地こそ築かれていないが地形を利用した防御はドイツ軍に出血を強いた。
特に対戦車砲、ラッチェ・ボムの待ち伏せは5号戦車でも防ぎようが無かった。
しかしディーゼルエンジンのおかげで他の戦車の様には燃え上がらない。
レイアウトのおかげで人的被害も最小限で済んでいた。
損害を重ねながらも、モスクワ正面では全軍でじわじわ前進している。
と、ドイツ軍の一部がモスクワの南に向けて進みだした。
迂回してモスクワの補給線を断つつもりだな。
モスクワは巨大都市だ。
弾薬はともかく生活物資はそれほど持たないだろう。
我慢比べ。
諦める事の出来ない我慢比べ、持久戦だな。
ソ連は冬を待っているのかもしれないが、6月になったばかりだ。
レーニングラードは枢軸国軍に占領された。
ソ連は兵を集める時間が無かったようだ。
例え集めても、ここにはアメリカのレンドリースが無いので武器が無い。
しかしフィンランド軍をはじめとする枢軸国軍はそれ以上進撃しなかった。
ソ連の反撃に備えて防御陣地の構築を始めた。
南ではユダヤではなくウクライナ軍が東進を始めていた。
独立したと言ってもまだ憲法も無い軍事政権だ。
混乱の中、ソ連に属している失地を回復するつもりなのだろう。
その東進するウクライナ軍に交じってユダヤ軍がいた。
3個旅団で微小だが、まだ生まれたてだ。
これからだ。
中央でも変化が起こっていた。
ベラルーシ軍がモスクワ攻撃の最前線に配備されたのだ。
当然装備はソ連製だ。
モスクワを防衛するソ連兵は市民兵の他に、地方から強制的に連れてこられた召集兵も多い。
彼らはソ連製の兵器に攻撃されて混乱を起こした。
指導部はベラルーシやウクライナの独立を隠していたからだ。
暫くすると最前線の赤軍の部隊表示がポツッ、ポツッ、と場所を問わず消え始めた。
よく見ようと地図に近寄ると動画が拡大されて出る。
ソ連兵が部隊単位で降伏していた。
ドイツ軍が投降兵に寛大なのがベラルーシ軍を見て分かったのだろう。
戦って死ぬか、督戦部隊に後ろから撃たれて死ぬかで絶望していた召集兵は政治委員や部隊指揮官を殺してドイツ軍に一縷の望みを託したのだ。
ドイツ軍はそれを受け入れた。
すると投降の数は増え始めてあっという間に3分の1が消えてしまった。
それだけソ連は嫌われていたのだ。
残っているのは愛国心に燃えているか、共産主義を信じているものだけだ。
だが、数は少ない。
ベラルーシ軍が加わったことにより余力を持ったドイツ軍は北にも迂回部隊を出してモスクワ包囲網を完成させた。
戦場はモスクワの市街に移った。
防御地点を虱潰しにしてクレムリンを目指すのだ。
・・・目が覚めた。
ズン。
腹に響く振動で照明が揺れる。
夢を見ていたのか。
そうか。
あの時ああしていれば・・・
「総統。
大丈夫ですか?」
秘書官が覗き込む。
その顔は疲労で表情が無い。
くだらん。
終わったことだ。
「ソ連には渡すな。」
そう言ってこめかみに銃を当てる。
「総統、
口に咥えた方が確実です。」
躊躇して仕損じ、苦しむことがあるのだ。
「余を誰と心得る。」
引き金を引いた衝撃で、
目が覚めた。
こんな夢を見た・外伝1 ちょび髭さん、こんばんは。 富安 @moketo
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