騎士(とも)への追想

夢魔満那子

騎士への追想




***


「聖騎士になりたい」

幼馴染みのリゴーが亡き父と同じ聖騎士を志したのは、彼が十歳の時だった。

ファルスティア王国に属する騎士の中でも、屈強なる精神と肉体を持つ実力者だけが選ばれるのが聖騎士。王国に忠誠を誓い、危機が迫ればその身を犠牲にしてでも護り抜くその姿は、当に騎士の中の騎士だ。

リゴーの父は負傷により辞するまでは聖騎士の中でも名のある騎士だったらしい。その偉大な父の背中を見て育った彼が、聖騎士に憧れたのは道理だった。


リゴーが聖騎士になるべく、首都へと旅立ったのは十七歳の時だった。

「俺は絶対、聖騎士になってみせる。そして、父さんみたいに皆を護るんだ」

夕日が差し込む馬車の荷台。

遠ざかる村の門をどこか遠い目で眺めながら、そう語った彼の姿を俺は今でも覚えている。

彼は村の学校に通い、仕事をしながらも鍛錬を日々欠かさなかった。

その様子はあまりにもひたむきで、少しでも時間があれば、例え雨の日でも、風邪で熱が出ている状態でも、二の腕くらい太い木の棒を持ち出して庭で素振りしていたくらいだ。

村の連中に「聖騎士なんて夢のまた夢さ」「無謀な夢を追うほど虚しいぞ」と言われていたが、気にした様子すら見せなかった。

彼は本当に凄い奴だった。

それに比べて俺は、リゴーと一緒に首都へ旅立ったものの「代わり映えのしない退屈な田舎から飛び出したい」という田舎の若者特有のしょうもない理由からだった。

だから、はっきりとした目的のある彼の意識や姿勢は素直に尊敬していたし、彼には聖騎士になって欲しいと切に願っていた。


***


首都へ来てから二年経った頃だ。

首都で職を得た俺は、仕事の縁である王国騎士団の男と知り合った。

男とは馬が合い、私生活でも度々呑みにいっていたのだが、その時にリゴーに聖騎士としての才が無い事を知った。

まず第一に、彼には剣の才能が無かった。

十歳から一日も欠かさず続けていた鍛錬のお陰で、王国に属する騎士として申し分無い技量は備えていた。

しかし、聖騎士は王国最後の砦。並の技量程度では選ばれることは無い。

そして、今よりも更に技術が向上したとしてもリゴーは「決して選ばれることはない」という。

彼は「見捨てられない」からだ。

聖騎士は王国最後の護り手だ。

王国存続のためには己の身だけでなく、時には無辜の民を見捨てる選択をしなければならない場合がある。

しかし、リゴーはその生来の性格のために、民を見捨てる事は出来ない。

場合によっては、任務達成よりも己の命を犠牲にしてでも人命救助を優先してしまうだろう。

人として正しい。

騎士の在り方としても理想的ではある。

しかし、王国所属の『聖騎士』としては失格なのだ。

仮に『その選択』をしたとしても、彼の心は折れてしまうだろう。

故にリゴーは聖騎士になれないのであった。

……リゴー本人は、それでもなお真面目に聖騎士を夢見ていた。

後ろ盾が無いにも関わらず数々の任務で実績をあげ、間も無く従騎士から正式な騎士へ昇進する可能性があるという。

しかし、「聖騎士に選ばれる事はない」という事実は知らずにいた。


***


首都へ来てから五年が過ぎた。

俺は適当に仕事しながらそれなりの生活を送っていた。生活に変化があるとすれば、酒場で出逢った彼女と婚約したことだろうか。

「へー、結婚するのか。色んな女に手を出しては頰を腫らしていたお前がなぁ。おめでとう」

酒場の机に肘を預けながら、リゴーが祝いの言葉を言った。

この日、俺とリゴーは越した時から行きつけだった店で呑んでいた。任務から帰ってきた彼を労うためだった。

「何か祝儀を送るよ」

「ありがとう」

俺は礼を述べつつ、リゴーの事が気がかりだった。

彼は騎士としての職務に励みながらも、今なお聖騎士を目指していた。

任務先では多くの仲間や国民を助けて実績も上げていたし、俺が「彼の友人」と知ると羨ましがる人間もいたくらいには名も知れ渡っていた。

しかし、聖騎士になれない焦りからか無茶をしているようだった。

危険な任務には率先して挑み、生傷が絶えなかった。特に数ヶ月前は肋骨を折る大怪我をしていたくらいだ。

部隊長の叱責を受けたようだが、それでも懲りていないのか、カウンターの上に置かれた左手には包帯が巻かれていた。

「結婚したら街を出るのか?」

「……まだ分からないが、おそらくな」

「じゃあ、あまり飲む機会も無いわけか」

「そうだな……」

琥珀色の液体に揺れ浮かぶ氷を眺めながら、息をひとつ吐いた。

俺はこの三年間、リゴーが聖騎士になれない事実をずっと伝えられずにいた。

聖騎士はリゴーの夢だ。

その夢を果たせないと知った時に彼の心はどうなるだろう。

鍛錬を続けてきた男だ。何とか立ち直れるとは思うが、そうそう諦めきれないだろう。

寧ろ、意地になって目指し続ける可能性もある。

……だが、このままいけば「いずれ命を落とす」と俺でも確信出来た。

今でこそ運良く怪我だけで済んでいるが、間違いなく危険だ。

「君は聖騎士になれないんだ」と。

ただ一言述べるだけでいいのだ。

解っている。解っているんだ。そんな事は。

だけど、怖かった。

俺はリゴーを傷付けたくはないし、傷も追って欲しくない。

無理ならばすぐに諦めて、日々をなあなあで生きている俺と違って、研鑽を続けているその姿に素直に憧れているのに。

どうしてそんな残酷な事を、夢を追い続ける親友に言い出せるだろうか。

「……そうなんだよな」

俺は鬱屈した気持ちと一緒に酒を共に胃へ流し込んだ。

嚥下した液体が、舌から喉を焼きながら臓腑を熱くする。

口の中には仄かに甘い香りが残った。

もう一度、息を吐いて空になったグラスを眺める。

からり、と氷が中で鳴った。

「……なぁ、リゴー」

「何だ?」

「……もう良いんじゃないか」

「何だよ、急に。あらたまって」

リゴーは笑いながら酒瓶の口を差し出してくるが、俺はそれを右手で制して続けた。

「真面目な話だ」

「お、おう」

面食らいつつも苦笑するリゴーの顔を見る。

頰が仄かに蒸気していて、大分出来上がっている。

……楽しい時間だったんだがなぁ。

「もう無茶はやめろ」

「…………」

周囲の喧騒とは裏腹に俺とリゴーの間の空気が、急激に冷えていく。

「騎士として充分やっているじゃないか。お前は頑張ったよ。本当に」

じっとりとした汗が背中を流れていくのを感じる。

言葉にしながらも、まだ恐怖が胸の内を占めていた。意識しないと声が震えそうになる。

しかし、今ここで口にしなかったら、次の機会はきっと無い。それこそ一生後悔しそうな気がした。

「………………」

「色々と実績はあるんだから、もう少し安全な役職にもつけるだろ」

「訓練教官や王宮警備でも……」と言いかけた所で、「いや、俺は聖騎士になる」と遮られた。

「ずっと夢だったんだ。知ってるだろ。お前も」

「ああ。解っている」

「解っているなら、何故——」

「……お前は聖騎士になれないんだよ」

「————ッ」

リゴーの動きが止まった。

目を見開いているが、その眼は何も映していなかった。

……そんな彼を無視して、俺は続ける。

「……鍛錬を続けているし、実績も残している。でも、お前ならもう理解しているだろう? このままじゃ聖騎士になれない、って」

「……ああ」

「そうさ。だからこそ、今、無茶をしてもただいたずらに怪我を——」

そこまで言いかけた所で、「話は分かったよ。ご馳走になったな」とリゴーは懐から金貨を取り出し、テーブルに叩きつけながら立ち上がった。

「おい。リゴー。話はまだ——」

「黙れ」

厚のある鋭い声が俺の心臓を握りしめた。

動けない。

「まさかお前が、村の連中と同じ事を言うなんて思わなかったよ。そうやって俺の事を馬鹿にしてたんだな」

「違う、そんな事は——」

言いながら、俺は恐る恐るリゴーを見上げた。

彼は怒りと失望の入り混じった複雑な表情で、唇を噛み締めていた。

「あ……」

俺が何も言えないでいると「それじゃあな」とリゴーは告げ、さっさと店を出て行った。

俺は椅子に縛り付けられたまま、動く事が出来なかった。


——この日以降、リゴーと会う事は二度となかった。


***


リゴーからの手紙が届いたのは、彼と喧嘩別れしてから十年以上経ってからだった。

結婚した俺は首都を離れ、妻の故郷で妻と息子、慎ましくも平和に暮らしていた。

そんな時にいきなり届いたものだから、当初は胸が熱くなりつつも面食らったものだ。

手紙の内容はこうだった——。




こうして、お前に言葉を交わすのは、あの酒場以来か。

元気にしているか。俺は今も王都で騎士を続けているよ。

あの後、色々な任務へ赴いて武勲を立てたり怪我したりして、まぁそれなりだ。

……騎士団長から、俺が聖騎士になれない理由をお前が首都を去った後に聞いたよ。

そして、俺が聖騎士になれない理由を「お前が既に知っていた」ことも。

正直、話を聞いた直後はお前に怒りが湧いたよ。

「ああ、ずっと俺の事を馬鹿にしてたんだな」って。

そんな俺の様子を見た騎士団長に喝を入れられたけどね。

「聖騎士になろうと無茶してでも武勲を得ようとする、貴様の身を案じたのがまだ分からんのか」って。

……だんだんとその言葉の意味が分かってきた気がするよ。

特に若い連中の面倒を見るようになってからはな。

「俺もああだったんだな」と思うといたたまれなくなるよ。

……あの時は「村の連中と同じだ」と言って悪かった。

お前は俺を心配してくれていたのに、酷い言葉を投げかけてしまった。

心から謝罪する。

そして、俺の身を案じてくれてありがとう。

最後に。

俺は未だに聖騎士にはなれていないが、まだ諦めていない。生涯をかけて目指すつもりだ。

機会があったら飲みに行こう。もしくはお前の家族と一緒にご飯でも食べよう。

いつかまた会える日を楽しみにしている——。




「リゴーが任務中、魔獣から子どもを庇って死んだ」と知ったのは、この手紙を受け取った三日後の事だった。





『騎士への追想』完

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