エピローグ ふさわしい陽だまりへ
がくんと肘掛けから肘が落ちて、目を覚ます。
四角い窓の風景が次々と流れては、移り変わっていく。
ここは――列車の中だ。復路の特急の。
……あれから、一夜が明けたんだ。
目覚めて襲いかかる虚無感が、昨日のことも全部夢だったんじゃないかと思わせてくる。
ボクはたった1人乗車席で、ぼんやりと昨夜のことを追想していた――。
昨晩は、アキラくんと宿泊。
最初は当然断ったんだけど、結局アキラくんに押し切られ、泊まることになってしまった。
その際、大量に余ってしまったたこ焼きの生地を使い切るというミッションに
奢ってもらったという事で嫌がるアキラくんを説得し、焼いたのを何個か汰一さんのところに持っていく。汰一さんはなんかいろいろ言ってたけど、満更でもなさそうだった。最終的に汰一さんの家に上がる流れになって、お菓子をつまんで駄弁りそのまま男3人で雑魚寝していた。
それから夜が明けて、駅まで一緒に来てくれたアキラくんに改札で見送られ、特急に乗って現在に至る。
あの時は不快な毒から解放されてすっきりしていたけど、改めて1人になって昨夜の温度を思い出すと愛おしくて――もう戻れないのだと知って、切なくなる。
この手で直に触れていたアキラくんの全てが、もうボクの手に届くことはないんだ、と。
……あんなかっこつけて見守るって約束したのに、1人だと弱気になってしまう。
デニム越しにタバコを握りしめる。タバコは何度か気持ちの逃げ道になってくれた。
荻原さんのお礼は……土産話でいいだろう。散々お金貸してるし。というか、返してもらってないし。
こんな滑稽な話、荻原さんはボクを可哀想なヤツだと笑って蔑み、満足してくれるに違いない。
ボクはもう、アキラくんに単独で会いに行くことはないと思う。体を蝕むほどに肥えた想いは吐き出せたし、ボク自身も納得して満足したから。
これからはナナミと2人で会いに行っても、きっと、大丈夫、だと思う……。
……いや、嘘をつくのはいい加減にやめておこう。
彼への想いは、そんなすんなり消えてくれそうにはなかった。
たぶんしばらくは、アキラくんといるとあの蜜な夜を思い出してしまう。アキラくんだってそうかも知れない。それはナナミに申し訳なかった。
未遂とはいえ、ナナミはボクがアキラくんを犯したなんて言ったら、どんな反応をするんだろうか。
アキラくんは一緒にこの秘密を抱えていくこともいっそ話してしまうことも、いずれにせよ共犯者として背負うと言ってくれた。――どちらを選択するかは、ボク次第だ。これはボクが引き起こした『過ち』なのだから。
黙ることはボクの心が許してくれそうにない。ナナミには既にオンパちゃんの件で疑われているし、まずはオンパちゃんとの関係を説明しなければならないだろう。
オンパちゃんのことも、正直今は具体的に考えられない……けど、いつかは謝罪をしなければと思っている。
落ちぶれた関係に成り下がったのは、ボクにも責任がある。全て彼女のせいにしてしまった自分の無責任さを呪う。
許されるのならば、体の関係抜きの友達に戻りたいけど……これもすぐには難しいだろうな。時間がかかりそうだ……。
こうやって孤独な時間を利用して考え出すと、ボクの中で解決した問題なんてほんの些細で、まだまだ問題は山積みなんだって思い知る。
純粋さと優しさだけでは生き抜けない残酷な世界。だからこそ、美しいものが人を突き動かして心の支えになるんだろうな……。ボクとアキラくんの、遠い日の冒険のように。
それでもボクは、自分のとった行動を何一つ後悔したくない。長い間なおざりにしていた自分にようやく素直になれた証だと信じたいから。
ボクは自ら望んで幼いあの日の記憶に――誰もいない陽だまりにいる。
親友への正しくない慕情、同じ傷を背負っていた同志の愛情、かけがえのない妹の信頼――どれももうじき失われるであろう無人の温もりに。
みんながいたあの頃の幸せな陽だまりが脳裏に浮かぶ。
意志に反してあふれてくる涙に溺れる前にボクは窓際に体を預け、再びまぶたを閉ざして意識を手放す努力を――。
「カイト」
誰も座っていなかったはずの隣の席から、声がする。しかも、よく見知った声。
なんで? ここにいるはずがないのに……ボクは困惑しながらまぶたを持ち上げ通話側の席に顔を向ける。
その人物は、とん、と軽やかなフットワークで席に着く。
藍色のパーカーに、白色のワイドパンツ。
男らしい顔つきに、穏やかな物腰を兼ね備える好青年。
そこにいるのは間違いなくアキラくんで、ボクは目を見張った。
アキラくんはボクの視線の動きを確認すると、脱力したのか前屈みになって大きく息を吐き出した。
「よかった、始発駅だからまだ人少なくて……すぐ見つかった……」
アキラくんがボクを見つけ出してくれたのは、これで3度目。
でもどうして?
アキラくんとは、改札でしっかり別れた。
アキラくんはこれから塾のアルバイトもあるって言ってたし、ここにいちゃいけないのに……。
なのにアキラくんは心配するこっちの気も知らず、呑気にボクの顔を覗き込んで怪訝な顔をしている。
「カイト、もしかして寝てたのか? ……電車駅を出たばっかなのにもううたた寝なんて、昨日やっぱ眠れなかったんだろ。ごめんな」
「い、いや、そんなことよりなんで……どうしてアキラくんがここに? 何してるの? バイトは? 大学は?」
「さっき電話して社員の人に代わってもらった。大学は講義のある月曜までには帰るよ」
「だ、大丈夫なの? 急に、こんな……」
「まあ、塾で授業するには前準備も予習もいるし迷惑じゃないって言ったら嘘になるけど……でも家族のことで実家に帰らないといけないって言ったら、なんとか許してくれたよ。来週の土曜、フルコマで一日シフト入れて恩を返すから安心してくれ」
「……で、でも……なんでそこまでして……」
アキラくんはなんでもないことのようにつらつらと語る。なんで平然と他人のためにそこまでできるんだろう? あ、家族って……もしかしてボクのことだったり? 恥ずかしいから黙っているけど。
アキラくんはボクの問いに迷わず答える。
「カイト、また1人で抱え込むんじゃねぇかなって思って。見送った後、なんかそのまま居ても立っても居られなくなってさ。気がついたら自由券買って、急いで飛び乗ってた。……ナナミに告白した時と、同じだな」
アキラくんはボクの肩に手を回して、明朗に笑いかけてくれた。
「ナナミに話す時は一緒に話そ、な。そんで一緒に怒られて呆れられて、ガチ泣きしようぜ」
「泣いて済めばいいけど……」
「あー……まー……、とりあえず1人で抱えむのはナシってことで。オンパサンにも会わなきゃ、だろ?」
「うん……」
「忙しい土日になるな」
アキラくんはボクから手を離し、うーんと伸びをする。
――アキラくんは、とんだ人たらしだ。
1人ぼっちで生きていくことも覚悟していたボクを、みんなのいる陽だまりにいとも簡単に導こうとしている。
敵わない……たぶん、一生。
ボクはずっとこの人が好きなんだろうな。
守りたい、支えたいと思った。
音楽とともに次駅の到着を知らせるアナウンスが鳴り出すと、アキラくんはそわそわと焦り始める。
「あ、ここ指定席だし、俺このまま座ってたら迷惑だよな……次の停車駅までにはどかねぇと」
「じゃあ、ボク
「えっ、カイトタバコ吸うの? かっけぇな」
「そんなことないよ。悪い先輩からもらっただけ」
ジーンズからタバコの箱を取り出したボクに、アキラくんは目を丸くする。ボクは謙虚な発言とは正反対に、少し得意げに笑い返してみた。
――思い出に縋りつき停滞した日々から、新しい自分を受け入れて前へ。
ボクの人生は、罪と過ちばかりだ。
それでもその度にボクを許し、支えてくれる人がいる。ボクも、そんな大切な人たちのために生きたい。
でもボクにはナナミやオンパちゃん、ボクのことをちゃんと話し、謝らなければならない人がまだいる。
許されるのならば、一緒に……。
「行こうぜ、大丈夫」
「うん」
顔が暗くなっていたのか、アキラくんが声を掛けて励ましてくれる。
そうだ、アキラくんがここまで来てくれたんだ――ボクは1人じゃない。
ボクとアキラくんは揃って立ち上がった。
先に通路を歩み出したアキラくんに続いて、ボクも力強く一歩を踏み出す。
ボクは誰かと笑い合える陽だまりを望む。
その光へ辿り着けるように、まずは目の前の車両の扉を颯爽とくぐり抜けた。
END
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以上で『誰もいない陽だまりにいる。』完結になります。
初BLで、しかも異性愛ありきの設定だったため苦心しましたが、いかがだったでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただけましたら幸いです。
ハートやコメントなどいただけますと、とても励みになります。
当作品をここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
誰もいない陽だまりにいる。 野中りお @nonakario
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