コクハク稲荷

牧田紗矢乃

コクハク稲荷

「……あった。ここが黒白こくはく稲荷」


 険しい山道を歩いていた雫音しずねは突然現れた鳥居の前で足を止めた。


 鳥居の少し先に見える狛犬ならぬ狛狐は右が純白、左は漆黒。

 この狛狐こそ「黒白稲荷」の由来である。


 本来の名はとうに忘れ去られてしまったらしく、神社の名を知らせるものはどこにも見当たらない。


「へぇ……。ネットで見た写真より綺麗かも」


 二体の狛狐の奥に構える小さな社を見つめ、ポツリと漏らす。


 雫音がこの神社の存在を知ったのは、とある動画の中だった。

 投稿者の名前に見覚えもなければ、動画の再生回数は百にも満たない。

 その上、サムネイルで紹介されている神社はどこも無名な場所だった。


 普段ならそんな動画は見ようとも思わないのに、気が付くと再生ボタンに手が伸びていた。

 一瞬の読み込み画面の後に流れ出したのは、道とも呼べないような少し広めの木々の間や、激しい波にさらされる断崖絶壁など一般の人なら立ち入らないであろうところを撮影者が一人で黙々と進んでいく足音と息遣いが続く動画。

 そして、突然現れる朱塗りの鳥居。


 音声なしのテロップだけで紹介される秘境の神社。

 そのうちの一つに目が留まった。


「コクハク」という響きが「告白」と同じであることから、知る人ぞ知る縁結びの神社と呼ばれている場所。

 雫音の地元から車を走らせて一時間ほどで辿り着く登山道のすぐ横に、その神社に続く道があるらしいと知って導かれるようにやってきてしまった。


 しかし、いざ神社を目の前にすると妙な緊張感があって足がすくむ。

 上手く言葉で表すことはできないけれど、空気が違うのだ。

 鳥居の向こう側は別の世界のような……。


「でも、せっかく来たし」


 勇気を振り絞って前へ進む。

 鳥居をくぐり終えた時、突風が吹いた。


「きゃっ……」


 思わず目を閉じて身を縮めた。

 ごうごうという風の音が雫音を包む。

 体をもみくちゃにされるような感覚の後、不意に辺りが静かになった。


「えっ!?」


 目を開けた雫音は驚きの声を上げた。

 正面にあったはずの狛狐も、小さな社も、何もかもがなくなっている。

 後ろにあるはずの鳥居さえ見当たらない。


 少し歩き回ってみたが、行きに通ってきたような道も見当たらない。

 雫音の頭に「遭難」の文字がよぎる。


「そうだ、スマホ!」


 神社までの道中、動画で景色を確認しながら歩いてきた。

 ということはここも電波が届くはず。

 一縷の望みをかけてポケットからスマホを取り出した。


「……あれ?」


 電源が入らない。

 充電はまだ残っていたはずなのに、どのボタンを押してもうんともすんとも言ってくれない。


「こんなタイミングで壊れる!?」


 悲痛な叫びをあげた雫音の視界に白い塊がふわりと現れる。

 右へ左へ揺れながら、だんだんと近付いてくる白いモノ。


「お……オバケ!」

「おむかえにあがりました」


 白い塊は雫音の目の前でピタリと止まると、彼女を見上げて気を付けの姿勢になる。

 よくよく見てみれば白い髪に白い着物の子供だ。


 ――……こんな山の中に子供?


「おむかえにあがりました」


 雫音の思考を遮るように、白い着物の子はもう一度同じ言葉を口にした。


「お迎え?」

「はい。ミナカタさまがお待ちです」


 そう言うと、くるりと後ろを向いて歩き出す。

 雫音の前に現れた時と同じように、右へ左へ揺れながら。

 ついてきていることを確かめるように何度か振り向いて。


 見張られていては仕方ない。

 このまま山の中に立ち尽くしていてもどうにもならないし。

 雫音は覚悟を決めると、子供の姿を見失わないように追いかけ始めた。




 山の中を歩く間、白い着物の子供は無言だった。

 後ろに続く雫音も慣れない自然の地形に翻弄され、息を切らしながらついていくのでやっとのありさまだ。


 ――なんでこの子はこんなにも軽やかに迷いなく進んでいけるんだろう?


 雫音が疑問に思っていると、子供がいきなり立ち止まった。


「どうぞ、おはいりください」


 促された先にあったのは立派な門構えの豪邸だ。

 山を歩いているうちにふもとまで来ていたのだろうか?

 小首をかしげながら促されるままに屋敷に入ると、そこに黒い髪に黒い着物の子供が待ち構えていた。


「おまちしておりました。どうぞ、こちらへ」


 白と黒の子供に前後を挟まれ、雫音が案内された座敷には一人の男が待っていた。

 子供たちとは様子が違い、普段着らしき恰好で困惑したような顔を雫音に向けている。


「ミナカタさま、おまたせしました」


 黒い方の子供が男に頭を下げる。


 ミナカタ……。

 ということはこの男がこの屋敷の主人だろうか。

 それにしては落ち着かない様子だけれど……。


「はじめまして」

「は、はじめまして」

「君はここの人?」


 男から向けられた問いかけに雫音は首を大きく横に振った。


「ミナカタさん? こそここの方じゃないんですか?」

「いや、僕はついさっきここに連れてこられて……」

「私も同じです」


 気が付くと子供たちの姿は見えなくなっていて、雫音はミナカタと二人きりになっていた。

 妙に気まずいこの空間で連想するのは……お見合い。


 ――コクハク稲荷ってそういうこと!?


 雫音は動揺しながら、できるだけそれを顔には出さないように会話を繋ぐ。

 しばらく話をしているとお互いの緊張もほぐれ、共通の話題で盛り上がってきた。


 しかし、それでいてどこか夢の中にいるようなフワフワとした感じがする。

 ついさっきまで盛り上がっていた話がなんだったのか思い出せないような、頭に霧がかかったような妙な感覚だ。


 二人とも話に夢中になっていて頭が冴えわたっているはずなのに、瞼が重い。

 そんなちぐはぐな状態で、雫音の意識はいつの間にか途切れていた。




 気が付くと雫音は車の天井を見つめていた。

 おかしいな、と思いながら体を起こして周囲を確認すると、行きに車を止めたはずの登山道の入り口にある駐車場のようだ。

 点々と設置された街灯の明かりに照らされたその場所で、混乱した頭を整理する。


 靴に泥がついているから山の中を歩いたのは現実で、では誰かがあの屋敷から車まで雫音を運んだということだろうか?

 しかし、あそこにいたのは白い着物と黒の着物を着た子供たちだけで、ミナカタという人は雫音と同じ「迷い込んだ人間」のはずだ。


 うーんと唸りながら考え込んでいると、ポケットの中に振動を感じた。


「そうだ、スマホ!」


 山の中を歩いている時はうんともすんとも言わなかったから壊れてしまったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 画面には「不在着信」の文字。

 同じ番号から三回掛かってきている。


「誰だろう……?」


 電話帳に登録していない番号だけれど、業者の迷惑電話とも違いそうな気がする。

 電話の主が気になった雫音は、折り返しで発信ボタンを押した。


「もしもし?」

「もしもし、ミナカタです。無事に着きましたか?」

「えっ……あ、はい」


 電話番号なんて教えた覚えはないのに。

 恐怖を覚えながら適当に相槌を打つ。


 それからミナカタは嬉しそうにいくつかの話をした。

 けれど、雫音はそれどころではない。

 妙に話の合うこの男のことが不気味に思えてきたのだ。


「あの、私は用事があるのでこの辺で……」


 適当な言い訳をして電話を切ろうとする。

 その時、あの屋敷で感じたようなモヤモヤが再び蘇ってきた。


「そうですよね。今日はいろいろあって疲れたでしょう。ゆっくり休んでください」


 ミナカタの優しい口調にこわばっていた体の力が抜ける。

 頭がボーっとして、考えるよりも先に口が動いてしまいそうだ。


「では、おやすみなさい。僕の可愛い雫音ちゃん」

「はい。また明日、ミナカタさん」

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コクハク稲荷 牧田紗矢乃 @makita_sayano

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