第10話 大事なのはメッセージだ
「ここのところを見ろよ」響は暁春が持って来た王羲之、蘭亭序のコピーを手に取り、最初の文を指差した。
永和九年、歳在癸丑、暮春之初、會于會稽山陰之蘭亭、修禊事也。
「永和九年っていう年の晩春に、蘭亭っていう別荘か何かに貴族たちが集まって野外パーティするんだよ。で、その最初に
「ミソギって何ですか?」
香奈美が尋ねる。
「ミソギって水を注いで体を清めることだよ。神社でお参りをする前に、ほら水で口を濯いだり、手を清めるだろう、あれが名残りだよ」
「へえ、どうしてそんなことしたんですか?」
「このパーティを特別なものにしたかったんだろね。ちょっとみんなで人生について哲学的に語ろうぜ、っていう特別な会にしたかったんだろ」
「へえ、昔の人って偉かったんだ」
「うん。貴族って結構こういう文化的なことに熱心なんだよな。日本の平安貴族もそうだろ。和歌を詠んで編纂したりさ」
「あ、その辺は何となく字面で分かりますよ」
暁春が割って入った。
「じゃあ次のこの辺行こうか」
響は別の行を指し示す。
是日也、天朗氣淸、惠風和暢。仰觀宇宙之大、俯察品類之盛、所以遊目騁懷
「この日は天気が凄く良くってさ、風がそよいでいる。仰ぐと宇宙が壮大だ、って思うし、伏して見ると大地の様々なものが生き生きしてる、全く見ていて思いを馳せることができるってさ。
もうこの辺から凄いよね。パーティの最初に天を仰いで宇宙の偉大さ感じちゃうところなんて、ロマンティストだと思わないか?」
「そうですね、こんなの意味を考えて読んだことなかったから、改めて王羲之の偉大さ知りましたよ」
暁春が頷く。
「これ書いた人がものを深く考えていることがわかりますね」
香奈美も同意する。
「じゃあ、ここはどうかな?」
及其所之既倦、情随事遷、感慨係之矣。向之所欣、俛仰之閒、已爲陳跡、猶不能不以之興懷
「こうやって楽しいパーティして美しいものを見ていても、そういう感慨にもやがて飽きは来て、感慨も消えてしまう、ってさ。仰ぎ見たり、伏して見たりしている間にもそういう高まった感情は消え去ってしまうんだって。
人が感じる何かの興奮って儚いんだよな。ライブやコンサートで盛り上がっても、終わってみるとなんかすっごく虚しくなったりすることあるだろ、そんな風に言ってるんだ、この人」
「分かる、アタシ。この前文化祭の時、クラスで打ち上げやった後、すっごくみんなで虚無感感じたもんな、あ、明日からまた授業かあ、うぜえってさ」
「そ、そういう気分言ってるんだ」
古人云、死生亦大矣、豈不痛哉。
「それでね、そういう楽しみも瞬間に去ってしまい、死さえもやってくる。だから古代の人は、それってなんて悲しんだと言ってるのさ」
「なんか虚しいですね、そんなことが書いてあったんですね」
暁春がそういうと、響は笑った。
「暁春さ、こんなことも読まずに今までそれ半紙に書き写してたのかよ」
「だって、この法帖の書法を学ぶのが書道でしょう、いちいち意味なんて・・・」
「暁春さあ、だからそーゆー書道のあり方が問題だって、オレ思うわけ。だって大事なのはこの人が書いたメッセージでしょ」
「だってそんなこと仰ったのは若師匠が初めてですよ」
「いやそれがダメなんだって」
「じゃあ、こんな虚しいことどうして書いたんですか?」p
今度は香奈美が尋ねる。
「あのさ、こういう気づきを私たちがシェアできたことは貴重だったってこの文の最後に書いているんだよ。だから記念にこの書を残しておきましょう。人生が儚いゆえにみんなの気持ちをここに書いて残しておこうぜ、ってさ。
ほら、文化祭で盛り上がった後、その瞬間が儚いゆえに、みんなでピースサインして写真撮るだろ。そういうことだよ」
「分かる分かる、その気持ち。この人もアタシたちも同じ気持ちをシェアできる人間だって」
「で、この書がこんなに流れるように美しく書かれている訳もわかるでしょ。曲水の宴をして美しい水流や自然を愛でて、その後人生論や死生観に自分の気持ちが流れてゆく、その清流のような気持ちの流れを表現するにはこの書き方が相応しいと思わないか?暁春、どうなのよ」
「分かります、今までそんなふうに蘭亭序を見たことなかったけど、師匠がおっしゃる意味はよくわかりますよ」
「良かったよ。で、じゃあ香奈美さんが書いたこの手紙にうつろうか」
響は香奈美の手紙原稿を再び開けた。
つづく
THE ULTIMATE LOVE LETTERーバスキア、ヘリング、ウオーホル、アートラバーによるアートへのラブレター 山谷灘尾 @yamayanadao1
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