第21話 いつもの日 ~大団円~

 その日、グランベルの官僚達と側用人達は朝から大忙しだった。

 腕によりをかけて晩餐の用意をし、官僚達は他国からの国賓を招いての国事に、何度も手順や来賓の確認を繰り返していた。

 城下はひと月も前から大通りが飾られ、水路は花で埋められて何とも賑やかだ。

 遠く東方から帰還してみれば、グランベル城の前には切り立った断崖が出現しており、北方、シクザール領の方角に見えていたシュテイル山脈は綺麗さっぱりと消えてなくなり、代わりに深い峡谷が出来上がっていた。ヴェルシュテック平原へと出る為に大規模な切通きりとおしの造営工事が五年の歳月をかけて行われ、先だってようやく開通したところである。

 揺籠から招いた技師達の手で、焼石煉瓦で飾られた崖は、切通というよりも岩盤ををアーチ状に掘り進めたトンネルになっており、大型の馬車や竜引きの荷車がすれ違えるだけの幅をもたせてある。左右には水路が切られ、夜でも明るく光を灯す魔導式のランプが一定間隔で据え置かれている。

 トンネルは緩やかに上り、城の手前で地中を抜けて地上路へとつながる。

 開通したてのトンネルを通って、シクザールからの馬車が到着した際には『氷の姫君』をひと目でも見ようと多くの市民が城壁から身を乗り出すようにして待ち受けていたものである。

 準備に駆け回る側近達はバタバタと城内を行ったり来たりしていた。

 自分達がそうして走り回っているものだから、当然、主たるクリスも準備に忙しくしているのだろうと誰もが思っていたのである。式典の主役とも言えるのだ、お抱えの裁縫士が仕立てた礼装が何着も並べられ、どの順番で着替えるかと、そういった準備に忙しくしているはずである、と。或いは、国賓として迎えたシクザールの姫君をもてなしているものだ、と。

 そんなことであったので、午後のひと時、中庭を散策しているのであれば何か軽くつまめる菓子と紅茶でも、と気を利かせて東屋に足を運んだ側近は、そこに二人の人影しかないことに内心冷や汗をかいた。

 日もまだ高い時間であるから、首元までしっかりと覆われた衿高のバッスルドレス(※スカートの後ろ部分に腰当てを入れて膨らませたクラシカルドレス)に身を包んだ若い女性と、東風の緩やかな袍に身を包んだ壮年の男性が、東屋で楽し気に会話しているのが見えた。バッスルドレスの女性はシクザールの皇女エルネスタ、もう一人の壮年の男性は東方から遥々をした蒼王その人である。

 側近の姿に気付くと、蒼王は軽く片手を挙げてにっこり微笑んだ。

 笑うと目じりに皺ができ、それが何とも言えず人好きのする相好だ。

「やあ、寒い中ご苦労様。グランベルの側近達は皆よく気が利くし、働き者だねえ」

 にこにことそんなことを言って、蒼王は手ずから茶器を受け取る。

「恐れ入ります…。あの、それで、その…我らが陛下は一体どちらへ…?」

「クリスならアル君と一緒に城下へ出かけたよ。着せ替えに飽きたんじゃない?」

「客人を殿下に任せて…ですか…?」

「ああ、いいのいいの。俺も勝手知ったる何とやらで好きにしているだけなのだし」

 気さくに話しながら紅茶を注ぎ、蒼王はエルネスタの前にそっとカップを置いた。

「熱いから気を付けて」

「まあ、ありがとう存じます」

 にっこり、とエルネスタが微笑み返す。

 紅茶のカップを両手で包むようにして持ち、彼女は側近にもにこにこと笑いかけた。

「わたくしのことでしたら、お気になさらずとも大丈夫ですよ。クリストハルト陛下にはご挨拶も済ませましたし、中庭を散策する許可もいただいてございますわ。懐かしい方と再会できて、わたくし喜んでおりましたの。本当に、とても懐かしくて」

 そう言ってエルネスタはまた、にこにこと微笑んだ。

「そういうことだから、光栄にも俺がお相手申し上げてる。何、可愛い甥っ子の代わりを務めているだけだよ、心配いらない」

 そう言われて、側近は頭を抱えたい衝動を何とかこらえ、あくまでも礼儀正しく国賓に最上級の一礼をした後、足早に中庭を後にした。


   ***


「本当に良かったんです?」

 ぶらぶらと歩きながら、アルが問う。

 手には棒を指して飴をかけた林檎をひとつ持っている。それをかじりながらだったので、だいぶ、言葉は不明瞭である。

「何だって?」

「すっぽかして、良かったんですか。帰ったらうんと叱られますよ」

「お前、食うかしゃべるかどっちかにしろよ。あ、お姉さん、俺ベリーの。それからオレンジのをこっちの赤いのに」

「はいよ!お姉さんだなんて、若いのに上手いねえ。大盛りにしとくよ。ほら、こっちの坊やはオレンジシャーベットだね。おやまあ、随分上手に染めたもんだねぇ!まるで本物の魔導師様みたいだ。あたしも一回で良いから緋色の天使様をこの目で見てみたいもんだよ」

 うっとり、とした様子でそう語った屋台のご婦人は、クリスに「お姉さん」と呼ばれたことに機嫌を良くして鼻歌混じりにシャーベットを手渡した。大盛りと宣言された通り、クリスの方には器からはみ出しそうな程シャーベットが山になっている。

 二人はお礼を言って大通りをくだり、露店が途切れた辺りで脇道へ入ると、地下の市街へと延びる階段の途中に腰を下ろした。程よく日陰になった階段はひんやりとして、表の大通りの賑わいが少し遠のく。

 ポリポリバリバリと音を立てて飴を噛み砕き、中くらいの林檎を丸々ひとつ食べ終わると、アルフォンスは少し溶け始めたオレンジシャーベットをすくって口に放り込んだ。爽やかな甘みとほんのり感じる苦みが冷たさと相まって非常に美味しい。

「これ、いいですね。うちでも作れないかな」

「氷室があればできるんじゃないか」

「暖炉であったまった部屋で食べると、より一層美味しそうですねえ」

 にっこりとアルフォンスが笑う。

「ご機嫌だな。まあ、いいことだ。それにしても…」

 ベリーのシャーベットを口に含みつつ、クリスはくつくつと笑う。

「緋色の天使様…ぷぷっ」

「その話、まだします? 飽きません?」

「良かったなあ、お前。祭の時はその頭、目立つようで目立たなくて」

 ヴェルシュテック会戦として歴史と記憶に刻まれることになった、あの戦いから既に十年の月日が過ぎようとしていた。

 あれから、グランベルでは短い夏の時期に祭が行われることとなった。

 クリスの在位と、グランベルの国の歴史が守られたことを祝う祭だ。誰が始めたのか、祭の時期になると誰も彼もが髪を『赤い紅茶色』に染めて、救国の英雄である魔導師に敬意を表するのが、グランベルにできた新たな習わしであった。

 十年の間にグランベルとシクザールは国交を再開した。

 シクザールの新帝となったエルネスタは帝位をグランベル王に譲位すると公式に発表したが、クリスはこれを断固として拒否している。

 それ故に、今でも公式にはグランベル王国であり、クリスはグランベル王に違いないのだが、シクザールを始めとする周辺国からは毎年、この祭の時期に献上品を積んだキャラバンが派遣されている。巷では既に、グランベル帝国と呼ぶ者も少なからずおり、後世の歴史学者達の間でも、グランベル帝国の発足をどの時期だと見るかは意見の分かれるところだ。

 それはさておき。

 アルフォンスは二つ名を揶揄って笑うクリスを軽く睨みつけて、冷たいシャーベットを口に放り込む。十年も経つと言うのに、毎年、この時期には二つ名のことで一日に三度は笑うクリスである。

「まったく。飽きもせずよくそんなに笑えますね」

「だってお前、天使…ぷっ」

 噴き出すクリスを、アルフォンスは軽く肘で押す。

「しつこいですよ」

「わかったわかった、俺が悪かったから。機嫌直せよ。何か菓子でも買いに行こう。海蛇の背から宝飾品の行商人も来ていただろう、そっちにするか?」

「そんな、女子供のご機嫌取りじゃあるまいし」

 アルフォンスは甚だ遺憾とでも言いたげにそう言ったが、ぷうと頬を膨らませてそっぽを向く姿は、どう見ても子供である。

 むくれて見せては居たが、本心ではないことはアルフォンスにもクリスにもわかっていた。

「ほら、行くぞ」

「ひとりでも立てますよ」

 そう返しながらも、差し伸べられたクリスの手を握って立ち上がる。

 ぽんぽんと軽く裾をはたいてから、二人は並んで大通りに戻った。

 人々が笑顔で行き交う雑踏に紛れて歩く。赤い髪が目立たないアルフォンスと違って、ターコイズの乗った銀髪はこの国でも珍しい色である。髪が人目に触れないようにと目深にフードを被ったクリスだったが、大通りを城へ向かって戻る最中、一陣の風が吹き抜けて、風をまともに受けたフードがばさりと後ろへ大きくはだけた。

 わああっという歓声と、きゃあああっという嬌声が同時に上がる。

 前者は、大通りの真上を悠々と泳ぐようにして滑空する四本爪の黒竜へ。後者はフードの下から現れた美しいターコイズの乗った銀髪の、美貌の青年へ向けられたものである。

「おっと」

 慌ててフードを被り直そうとしたところへ、大通りの上から「陛下!」「いらしたぞ、あそこだ!」と複数の聞きなれた声が飛んできた。

 見れば側近達がこちらに向かって走ってくる。

 竜だ竜だとはしゃぐ子供達に、陛下だと色めき立つ令嬢達、では隣にいるのが魔導師様かと、大通りは大混乱を極めていた。人混みを掻き分けるようにして走る側近達を確認して、クリスとアルフォンスは顔を見合わせて悪戯っぽく笑い合う。

 ピイイイイと甲高い指笛ひとつで、頭上の大きな黒い影がばさりばさりと高度を下げた。

 大通りには降りきらず長く尻尾を伸ばして滞空する。

 クリスがその尾に足を掛けると、黒竜は心得たように尾の先を背に寄せた。

 その隣では宙に描かれた魔法陣から赤い燃えるような孔雀が飛び出し、赤い紅茶色の髪の少年を背に乗せて、黒竜と並ぶように空へと舞い上がる。

 大通りでは眩しそうに二人を見上げる人々に紛れ、慌てた顔の側近達が何やら叫ぶのが見えた。

 毎年繰り広げられる、いつもの日。

「ずっと、続けばいい」

 この日が毎年、変わりなくやってくるように。

 風に吸い込まれてしまうと思った呟きは、だが、クリスの耳にはしっかり聞こえていたようだ。

「続けるさ。お前が一緒に居る限りな」

 腰よりも長く伸ばしたターコイズの乗った銀髪を風になびかせ、彼はそう言って、いつものようにふわりと笑った。

 アルフォンスには、それがとても嬉しいと思えた。

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【完結】暁天の魔導師 なごみ游 @nagomi-YU

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