最終話 小鳥に春が訪れる

 突然現れたイオルによって、セルフィアは祭から連れ出された。いつしか必死に歩いていたセルフィアは、ようやく立ち止まって周りを見る。

 心地良い春の風が頬をかすめ、目を細めた。


「ここって……」

「懐かしいだろ? 俺たちがよく遊んだ秘密の場所」

「うん。ここから、王都が見渡せるんだよね」


 二人が立っているのは、小高い丘の上。展望台も近くにあるが、こちらは人があまり立ち入らない何もない空き地だ。芝生のようになった丈の短い草が所狭しと生え、晴れた日に寝転ぶと心地良い。

 幼い頃、王城での勉強などが嫌になって逃げ出したイオルが、セルフィアを誘って見付けた秘密の場所。町の喧騒を離れ、静かに二人だけで過ごせた大切な場所だ。


「ここに二人で来るの、何年ぶりかな? 何となく、一人で来るのは嫌だったから来れなくて。イオルは?」

「俺も全然。忙しかったのもあるけど、セルフィがいないと何となく足が向かなくてな」

「ふふ。わたしのこと『セルフィ』ってイオルが呼ぶようになったのも、ここでだったよね」

「そうだったっけ? ……ああ、そうか」


 幼い頃の思い出だ。イオルは思い出し笑いを漏らし、懐かしくて目を細める。

 当時、イオルが城の中での侍女たちの話を耳にしたことが始まりだった。彼女らは親しい友人のことをあだ名で呼ぶのだと話しており、幼いイオルはそれを特別なことだと思ったのである。


「あの頃からアーロンは傍にいたけど、城の外の友だちはセルフィだけだった。だからお前のことをあだ名で呼びたいって俺が言ったんだったな」

「そうそう。わたしもあだ名で呼ばれたことはなかったから、特別な気がして嬉しかったんだ……よ……」


 特別。その言葉の響きに、セルフィアは自分で言って自分で恥ずかしくなってしまった。これでは、セルフィア自身がイオルの特別になりたいみたいではないかと内心突っ込みを入れる。


(い、一旦落ち着こう)


 頬に手を当て冷ましながら、セルフィアはあははと照れ笑いを浮かべて話題を変えようと試みた。徐々に大きくなる心臓の音を、どうにか抑えなければ。


「ちょ、ちょっと暑くなって来たね。春っていう陽気に慣れないから、体がびっくりしちゃったのかもね」

「……セルフィ」

「ああ、ほら。お祭りの様子がここからでも見えるよ。凄い人出だね」

「セルフィ」

「ミシャ、今何処にいるのかな? そういえば、アーロンやジオリア殿下は……」

「セルフィ、逃げるな」

「……無茶言わないで。名前呼ばれる度に、ドキドキして大変なんだよ」


 手首を掴まれイオルの方に体を向けさせられ、セルフィアは彼の真剣な瞳に射抜かれた。濃い紫の瞳に射すくめられ、目が離せなくなる。


「イオ、ル……」

「前に、お前に言いたいことがあるって言ったのを覚えてるか? それを今日、伝えたくてミシャに頼んだんだ。セルフィを呼び出してくれって」


 イオルが頼むと、ミシャは「頼むのが遅すぎる」と言って笑った。その次にセルフィアとミシャが遊ぶ時は邪魔をしないという条件で、ミシャにセルフィアと祭に行く約束をしてもらったのだ。

 ミシャには感謝している、とイオルは微苦笑を浮かべた。それからまた表情を変え、より真剣な声でセルフィアに語り掛ける。


「……俺は第二王子だから、余程のことがない限りは王座に就くことはない。けど、兄上の手助けになりたいから、これからも学び続けていく」

「ずっと、ジオリア殿下のこと支えたいんだって言ってたもんね」

「ああ。でもそれと同じくらい、大事にしないと後悔するものがあるって気付いた」

「あの、イオル……手、離し」

「離さない。もう、あの時みたいな思いはしたくない」


 二年前の最後の龍の儀で、セルフィアは企てに巻き込まれて贄姫の役割を押し付けられた。更に崖下に突き落とされ、イオルは彼女が死んだと思い、絶望以上の感情に圧し潰されそうになった。

 しかし、セルフィアは生きて目の前にいる。触れれば体温を感じられ、温かい。

 何度かゆっくりと呼吸して、イオルはようやくその言葉を口にした。


「セルフィ、俺はお前のことが好きだ」

「――っ」

「これから先、俺の傍にいて欲しい。好きだ、セルフィ」

「……あ、のっ。わ、わたしも」


 意を決し、セルフィアはイオル顔を見つめる。ドクンドクンと、激しい鼓動が耳の近くで聞こえるように思えた。緊張しているためか、言葉がうまく出て来ない。それでもどうにか声を出せば、それは小さくてかすれた聞き取りづらいものになる。


「わたしも、すき。ずっと、小さい時から、イオルのこと、だいすきっ」

「――っ。可愛過ぎるだろ」

「あっ」


 手を引かれ、一瞬でセルフィアはイオルの腕の中に閉じ込められた。イオルに抱き締められ、口から飛び出しそうな心臓を持て余しながら、そろそろとセルフィアはイオルの背中に腕を回す。

 そうして密着すれば、イオルの胸の奥も騒がしく音を鳴らしていることに気付く。ドクドクドクと脈打つ鼓動を耳にして、セルフィアは自分だけが緊張しているのではないと知った。


「イオル……緊張してる?」

「してる。心臓バクバクだ。でもそれ以上に、セルフィに受け入れてもらえたことにほっとしてる」

「……うん」


 お互いの気持ちを通じ合わせて、抱き締め合った。それがどれほど奇跡的なことなのか、二人は旅を通して誰よりも知っている。


「……」

「……」


 どちらかともなく、見つめ合っていたセルフィアとイオルの顔が近付く。自然と触れ合った唇は、名残惜しそうにゆっくりと離れた。


「好きだよ、セルフィ」

「わたしも、イオルのこと大好き」


 永久の冬は終わり、春が巡る。王国に四季を取り戻した一羽の小鳥は、愛する人の腕の中で幸せそうに笑っていた。

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冬の世界でさえずる小鳥は春を告げたい。 長月そら葉 @so25r-a

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