みかん星人ミカエル

月狂 四郎

みかん星人ミカエル

 高校で大好きな先輩に死ぬ気で告白してから見事にフラれ、本当に死にたいと思って泣きながら帰宅するとみかん星人がいた。


 沈黙。わたしの脳内で処理が追い付かない。


 でかいみかん顔――そこから細くて黒い手足が生えている。


 わたしが壊れたせいでそんな幻覚を見ているのか、それともガチで異星人がうちにやって来たのかは分からない。


 わたしが呆然と立ちすくしていると、みかん星人が口を開く。


「よっ」


 みかん星人が細くて黒い右手を軽く挙げた。


 いや、「よっ」じゃねえよ。


「あんた誰?」


「俺、ミカエル」


 ……えっと、聖書とかに出てくる人だっけ。


 いや待って。あんたミカエルじゃなくてみかんだろ?


「ねえ、わたしの家で何してんの?」


「いや、ちょっとヨメとケンカしちゃってさ。もう二度と帰って来んなって言うからこっちに逃げてきたの」


「いや、帰れよ」


「言っただろ? ヨメは目下激おこなんだ。今帰っても光線銃で焼きみかんにされて終わりだよ。ほとぼりが冷めるまではここで暮らしていくことにしたんだ」


「いや、暮らしていくことにしてるんじゃねえよ」


 思わずツッコむ。とんだ迷惑だ。


 みかん星人って、言ってみれば宇宙人じゃん。


 この人(?)の場合って、出血したらポンジュースなんだろうか。……ってそんなことはどうでもいい。


「ねえ、帰ってくれないかな?」


「何か問題でも?」


「大アリだよ」


 わたしは混乱している。


 色んなことがいっぺんに起こり過ぎたせいだ。


 まずみかん星人。それ自体が人類レベルの大発見。


 こいつが住み着くとなると、後日マスコミが押し寄せたりするんだろうか。っていうか両親がこいつの居候を許すんだろうか。先々のことを考えると暗澹とした気持ちになってくる。


「まあそう言うなよ。風呂は最後でいいからさ」


 そう言うと、ミカエルはわたしのマンガを読み始めた。待ておい。



 しばらくすると共働きの両親がやって来て、ミカエルにちょっとだけ驚くも、「まあ変な人じゃないし」とそれほど気にしなかった。いや、変な人だろ。


 夕飯の時間になり、ミカエルはお茶を啜っていた。水さえあればいいんだそうだ。


 ビールを呑んで顔が赤くなったパパとミカエルが談笑している。はた目に異様な光景なんだけど、パパもミカエルも細かいことは気にしていない。


 ミカエルは奥さんに叩き出されるまでの話を自虐的に語り、パパはそれを笑いながら聴いていた。思えばみかんの人生相談を受けている人って初めて見るのかもしれない。


 すっかり忘れていたけど、今日わたしは先輩にフラれて死にたいと思っていたはずだった。


 だけど、思い出したところで世界一不幸な女という自負はどこかへ飛んで行った。そんなもんだ。JKの失恋なんて。


 フラれたくせに妙に達観した感じの上から目線で語ってみたが、実のところ傷は癒えていない。でもその傷は誰にも見せようとは思わない。


 ミカエルは本当に私の家に居つくことになった。


 東京の大学へ行った姉の部屋が空いていたので、ミカエルはそこで少女マンガを読みながらゴロゴロしている。地球語がわかるっていうことは結構なインテリなのか。


 日が経つごとに親も近所の人もミカエルに慣れてきた。


 誰一人ミカエルを揶揄する奴なんていなかったし、この町にとけ込んで馴染みの存在となりつつあった。おかげで実家にマスコミが押し寄せるといったこともなかった。



 で、ミカエルは宣言通り、しばらくわたしの家にいた。


 わたしが帰ると大体は姉の部屋で少女マンガを読んでいて、主人公の恋がどこへ向かっていくのかをひたすら追っている。


「ねえ」


「なんだ」


「いつまでいるの?」


「なにが」


「奥さん、心配してるんじゃないの?」


「大丈夫だ。あれはそんなタマじゃない。むしろまだ怒っているところだろう。そこにノコノコ戻って行くなんて、飛んで火にいる夏みかんだ」


「やかましいわ」


 軽口を叩くミカエル。地球語の上達が憎たらしい。


「ねえ」


「今度はなんだ?」


「なんで奥さんとケンカしたの?」


 そう訊くと、ミカエルが一瞬止まった。「あ、地雷踏んだ」って思った。


 ミカエルが居住まいを正す。


「俺は、ミカの気持ちが分かっていなかった」


 文脈的にミカって奥さんの名前なんだろうけど、この星の人たちはみんなみかんに近い発音の名前なんだろうかと勝手に思う。


 そんなわたしの思いは知らずに、ミカエルは話を続ける。


「夫婦っていうのは阿吽の呼吸であり空気みたいな存在だ。だから相手の見てくれはそこまで重要じゃなくて、その人とどれだけ一緒に居られるかが重要になる」


「うん」


 それはなんか納得できる。パパとママも友達の延長みたいな感じだし。


「そこまでは良かったんだ。だが、俺はその空気みたいな関係というのを勘違いしていた」


 ミカエルは夕日を遠い目で見つめる。長い睫毛が夕陽に照らされて輝く。みかんのくせに。


「何があったの?」



「俺は価値観を押し付け合う関係が苦手だ。だからミカにはこう言ったんだ。『君がどう生きようと構わない。だけど俺の生き方や信念については口出ししないでくれ』と」


「うん」


「それはお互いが息苦しくならないために必要なルールだと思っていた。実際に価値を押し付け合うよりは相手を尊重する方が上手くいく。だが、俺はそのルールをはき違えた」


「何をやらかしたの?」


 奥さんを怒らせた原因はまあこいつにあるんだろう。


「俺は会社で働いて、家族を養うための金を稼いでいた。ミカは家事全般を担当して、こっちで言う専業主婦とやらになっていた。そこまではいい。


 だが、人生にはうまくいくこともあればうまくいかないこともある。職場で抑圧的な上司にいびられ、クレーマーみたいな得意先からもボロクソに貶され続けた俺は、次第に酒に頼るようになっていった」


 ……みかんが酒に頼るってどんな状態なんだろうって思ったけど、わたしは話を聴き続ける。


「つらいのは俺だけだと思っていた。なんで俺だけがこんな目に遭うんだ。なんで俺ばっかりが辛酸を舐めるんだ。そういう考えが深まるにつれて、俺はだんだん腐ったミカンになりつつあった」


「それで、どうしたの?」


「どうしたか? ……いや、どうもしなかった。俺は毎日帰ってくると酒を呑み、朝になると二日酔いで出社していった。悪循環だ」


「それで奥さんからキレられたの?」


「それもあるが、それだけじゃない。俺はミカがしてくれていることが当たり前だと思っていた。朝食の作り方は朝起きることだと思っていたし、洗濯やアイロンがけのやり方は服を洗濯機に放り込むことだと思っていた。全部ミカがやってくれていただけなんだけどな」


 ミカエルはまるで告解でもするかのように語る。世界でもみかんの告白を聴く聴罪師はわたしぐらいなもんだろう。


「ある日に言われた。『私はあなたの家政婦じゃない』と。妻は包丁を振り回して、『お前なんかみかんスライスにしてやる』と暴れはじめた。俺は何が起こったのか分からず、ただうろたえるばかりだった。ただ、これだけは確かだった。ミカは俺に色々と不満はあったけど、最後の最後まで我慢していただけだったんだ。その気持ちを知らずに、俺は自分のグチや不満ばかりを吐いていた。最低のみかんだよ」


 ミカエルは俯く。


 熟年離婚を迎える夫婦で、こういうのが積もり積もってとっくに臨界点は超えているんだけど、子供が育つまでは我慢していたっていう話を聞いたことはある。


 そう考えるとうちの両親もそんな部分があるんだろうか。そう考えると少し怖くなった。


「俺には女心が分からない。それをまざまざと思い知らされた」


「それで少女マンガを……?」


 ミカエルは石像のようにずーっと少女マンガを読んでいた。作品を通じて、女心というものを理解しようと彼なりに努力していたのかもしれない。


 ダメみかんだと思っていたけど、ダメみかんはダメみかんなりに頑張っていたんだな。そう思うと少しばかり気の毒になった。


「それで、奥さんは許してくれそうなの?」


 ミカエルは一瞬だけ考え込む顔をしてから答える。


「分からない。どちらにせよ手遅れかもしれない。戻ったところで、以前のようにやっていけるのかも怪しい」


 夕日が沈んでいく。オレンジ色の光に照らされたミカエルが、眩しそうに目を細める。


「怖いんだ」


「ん?」


「怖いんだ。『本当に大切なものは君だって分かったんだ』って伝えても、相手にそんな気持ちが全然残っていなくて、ただ『俺ってバカだったね』ってなる結末を迎える未来が。そんな結末を迎えるぐらいなら、俺は宙ぶらりんのままでいい――そんな気持ちにだってなるのさ」


 ミカエルは自己の中で生まれる矛盾と闘っているようだった。そうか。みかんでも人並みに悩みはあるんだな、と思った。


 ここでわたしはふと気付いた。


 わたしだって先輩にフられた時はこの世の終わりぐらいに感じたし、正直なところ今だってその傷は癒えてない。新たな恋愛に向かって立ち上がれって、他人ならそうやって励ますだろうけど、いざ自分がその立場になるとそうはいかない。傷ってそんなに簡単には癒えないのだ。


 うん。たしかにミカエルが奥さんのところへ戻っても、関係が修復出来る保証は無い。それどころか相手には新しいパートナーがいるかもしれない。


 でもいつかは向き合わないといけない。


 きっとミカエルは少女マンガを読みながら、奥さんに向き合う前段階にいるだけなんだ。そう思うと、彼に頑張ってほしいと思った。


 わたしは無言でミカエルを抱きしめた。ミカエルは少しだけ驚いた顔をして、そのまま佇んでいる。


 夕日に照らされるみかん。ぎゅっと抱きしめると、いい匂いがした。


 奥さんが彼を許してくれるかは分からない。


 でも、彼がその日を迎えるまで、わたしは傍にいてやろうと思った。


   【了】

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