第35話 悪い報告と良い報告2
「希望のある話をしましょう」
会場全体が意気消沈している中、いつの間にか善一に代わり冬真がマイクの前に立っていた。
「皆さんの中で当時の蘆屋充を知る者はどれほどいますか?」
実務部隊は戦闘を伴う危険職である。その分後方支援部隊と違い代替わりも早い。冬真の世代が当時の充と最も対峙していたということは、その世代はいま小隊長やベテラン隊員になっている。その下の世代は知識でしか充を知らないのだ。
「百聞は一見に如かず。つまりこの講堂のほとんどの者が蘆屋充を知りません。勿論皆さんとても勉強熱心なので知識としてはご存じでしょう。凶悪犯である、狡猾で残忍だ、目的のために手段を選ばない、狂っている。どれも奴を形容するのに間違っていはいません。しかし奴の全てを表すには不十分だ。まずは蘆屋充について何も知らないのだということを知ってください」
普段冬真はよく知識の重要性について語るが、今日はその知識が浅薄であると話している。
「私は今、皆さんの頭の中が手に取るように分かります。蘆屋充をまるで魔王のように思い、とても大きな存在だと感じている。そして自分は奴と対峙した時、果たして勝てるだろうか?と自問しています」
隊員たち、特に実務部隊の面々は冬真を仰視している。まさにその通りだからだ。
「その想像に対し私は2点疑問があります。まず蘆屋充は本当に魔王のような強大な存在か?そして何故独りで戦うことを想定しているのか?この2点です」
冬真は講堂内をゆっくり見渡す。そして自分の部隊に焦点を置いてゆっくり話しを続ける。
「まず、蘆屋充は人間です。通常の人体構造と同じで急所がある。股間を蹴り上げれば悶絶しますし、心臓を刺せば殺せます」
ふふっと忍び笑いが漏れた。冬真が股間という下ワードを使うのは珍しいからだ。
「それから、奴と独りで対峙しようなどと考える必要は毛頭ありません。サシで捕縛しようとするのは最も効率が悪い。何のためにバディを組み、班を作っていると思いますか?業務効率化のためですよ」
確かにその通りである。何故自分独りで戦おうとしていたのだろう?
「ここで2つ任務遂行におけるルールを追加しましょう。1つは今後の任務にあたり、単独で行動することを禁じます。班長は必ず2名以上で班員を行動させるようにしてください」
手分けして何かをする時には基本的にバディ単位で行動させろということだ。
「そしてもう1つ。万が一何かしらの理由で独りの時に奴を見かけた場合は逃げて構いません。いや、勇敢な皆さんに逃げると言ったら語弊がありますね。戦わずにどこに奴が出現したか、その情報を一早く持ち帰ってきて欲しいのです。その情報を元に態勢を整えてから奴を捕縛しましょう」
隊員たちが落ち着いてきたのが龍にも雰囲気で感じ取れた。
「続いて当時の蘆屋充を知っている少数の方々にも安心して頂けるように話をしましょうか。あの当時、およそ1年半に渡って蘆屋充及びスサノオが野放しになっていたのは、祓い屋協会と事を構えたくないという上層部の躊躇によって捜査が滞っていたからです」
祓い屋協会との軋轢については先述の通りであり、連続的なプロの手口に人妖警察も祓い屋協会が何らかの形で関与しているという疑念はあったが、なかなか捜査に踏み出せなかった。そうこうしているうちに人妖警察官も襲われるようになり、重たい腰を上げて捜査に乗り出したということなのだろう。
冬真は言外に初動が早ければもっと早く捕縛できていたと言っているのである。
「我々の上層部は安倍晴信をはじめとし当時とは一新されています。つまり、組織の落ち度によるあのような失態はもう起きないということです」
初動の遅さを組織の落ち度と言い切れるのは冬真くらいだろう。
「それでもまだ安心できないなら取っておきです」
冬真は妖艶な笑みで微笑んで見せた。
「私がいます。私が必ず蘆屋充を捕縛してみせましょう」
その笑顔と言葉は誰の心をも掴んだ。
この人がこう言うなら勝てると。
龍もその底知れない笑みにゾクゾクとした。そして直感する。
(蘆屋充と同様にこの人も敵に回してはいけない)
冬真が充と昔馴染みだったということは暗黙の周知の事実であるが、存外似た者同士だったのかもしれないと龍は思った。
集会が終わり、講堂から出る順番待ちをしている最中に暁は訊ねた。
「蘆屋充って現代で最も凶悪な犯罪者と言われている人ですよね?」
「ああ、成宮実務部隊長が詳しく教えてくれたんじゃないか?」
「まぁ一般的なことなら」
暁はそう言って龍に確かめるように自分の持っている知識を話した。
「ん?成宮実務部隊長が捕縛したのは?」
「え?捕縛?」
「え?」
「え?」
龍が何を言っているのか分からず聞き返したら、逆に龍から吃驚した顔をされたので2人して戸惑っていた。
「いや、逆に話したくなかったのではないか?」
ミツがそう言って代わりに説明してくれた。
「蘆屋充は元人妖警察官だが、成宮実務部隊長と旧知の仲だったのだ」
「え、そうなんですか!?元人妖警察官だったっていうのは知ってますけど、知り合いだったとも自分が捕縛したとも言ってなかったですよ」
話してくれれば良いのにと暁が口を尖らせる。
「犯罪者と仲が良かったというのも、ましてやそんな人物を自分の手で捕縛したというのも言い難い内容だったのだろう」
ミツが冬真の考えを推測し、フォローした。
「そうかもしれないですけど…」
冬真が充を捕まえたのが有名な話なら、あの最後の言葉の意味をきちんと理解していなかったのはこの会場で自分だけなのではないかと思えてくる。
今度帰った時に問い質そうと暁は心に決めた。
「リン君は蘆屋充について知っているの?」
綾女がリンに訊ねた。
「こっちに来るときに勉強したからな。一通りのことは押さえてある」
「それにしてもここに隠されている重要な物ってにゃんだろうなぁ。ああやって伏せて話をされると妾の好奇心がウズウズしてしまうにゃあ」
蘆屋充というセンセーショナルな人物よりもシロはそちらの話題の方が気になっていたらしい。
「そうだね。でも伏せているってことは私たちには話せない機密情報ってことなんだろうね」
「お上しか知らにゃい情報かぁ、そそるにゃあ」
「しかも百鬼夜行を行うのに重要な物らしいからな」
リンも興味があるようだ。
「百鬼夜行に必要な物…筋斗雲とか?」
「それは妖怪っていうより西遊記かな?」
綾女が暁に優しく突っ込みを入れてくれる。
「でも、百鬼夜行って聞くと空飛んでるイメージないですか?」
「うーんどうだろ?飛べない妖怪は普通に道を練り歩いているはずだけど」
「妖怪映画とかは飛んでいる描写が多いかもな」
龍が助け舟を出した。
「やっと見つけた。お前たちちょっといいか?」
一向に動かない列で待機していた暁たちを引き留めたのは知世のバディのヤツデだった。
「ヤツデ小隊長。如何致しましたか?」
突然の直属の上司の訪問に一同居住まいを正した。
「そんなに畏まることはない。ただの事務連絡だ」
知世ではなくヤツデが事務連絡に来ることはかなり珍しかった。というか今まで一度もなかった。
ヤツデは少し勤務態度に難があると囁かれる天狗の上司であり、暁は初めて会ったが、一見する限りはきちんとしているように見えた。背は一般男性ほどだが、一本下駄を履いているため見上げる格好になる。当然のことながら身体は完成されており、一部の隙もない。堂々とした立ち居振る舞いだ。背中から生えている黒い翼は艶やかで、中二病男子の憧れの的だろう。手には錫杖を持っている。
「昨日代理で昼に雪女の任務に行き、その流れで夜に緊急任務にも就いたな」
「はい」
「実は知世は夜の緊急出動でお前たちの力量を量ることにした。とはいえ知世は全体の指揮監督で忙しかったからな、代わりに俺がこっそり後ろからついてお前たちの行動を監視していた。まぁ研修の抜き打ち最終試験みたいなもんだ」
どうやらヤツデはヤツデでちゃんと仕事をしていたらしい。
「どうでしたか?」
龍が恐る恐る訊ねた。
「うん。十分主班としての役割も果たせていたし、戦闘も申し分なかった。研修期間を終え、今日から任務に就いても問題ないだろう」
「本当ですか!」
暁は嬉しくて思わず一番喜んでしまった。
「まぁこういうご時勢でもあるからな。戦力増強のために新人にも早く活躍してほしいのさ」
そう言うとヤツデは暁に肩を置いてきた。大きな手で温かい。少し冬真を思い出した。
「お前の活躍は陰からこっそり見ていたぞ。班長と一緒にちゃんと雪女の長を捕縛していたな。ちょっと詰めが甘かったけど」
アキの氷柱の攻撃のことだろう。もしくは口吸いか。
「はい、精進します」
「まぁ及第点だ。たくさんの死線を越えて強く大きくなりたまえ」
肩をポンポンと叩かれた。
それから、とヤツデはリンに向き直った。
「お前、ちょっとこっちに来い」
リンは肩をがっちり組まれて少し遠くの方に連行され、何やらヤツデに話をされていた。
それほど時間を置かず、ヤツデはリンの背中をばしっと叩き、暁たちに向かって「では」と手を挙げて戻っていった。
「なんか、ヤツデ小隊長のイメージが全然違うんですけど。思ったよりちゃんとした方なんですね」
「不思議だよなぁ」
龍も怪訝に思っているらしい。
「何かを面倒がるような御仁には見えぬな」
「爽やかだよねぇ」
「リンは何を言われたんだ?」
気になって戻ってきたリンに暁は聞いてみた。
「んー、よく分からんかった。けど」
リンはヤツデが去っていた方向を見ていた。
「きっと野村小隊長のためなんじゃないか?」
大きな不安と様々な疑念と少しの喜びを持って、暁たちは今日の任務に赴くのだった。
「大演説ご苦労サン」
執務室に戻るとハチは冬真にそう労いの言葉をかけた。
「あれは俺にはできねェ芸当だよ。危険人物であることを上手く隠ししながら士気を上げるなんてな」
ハチは毎度のことながら冬真の口の上手さに感心していた。
「別に隠してませんよ」
しれっと冬真は言う。
充が人間であること、業務効率が悪いから複数で捕縛すること。それはどちらも事実には違いない。だが。
「危険だから独りで戦うなとは言わなかっただろォ?」
冬真は隊員を独りで戦わせないための方便として「危険だから」ではなく「業務効率が悪いから」と伝えた。
「…物は言い様ですよ。要は隊員を独りで戦わせなければそれで良いんです」
ぶっきらぼうに返されたのでハチは慌てて二の句を継いだ。
「別に非難しているわけじゃねェよ。ただお前もしんどいだろォ?」
「私が?」
「物事を婉曲的に伝えるってのは力がいるもんだ。ましてや大演説。精神的に参るだろ」
いつも重たい荷物を背負って、動けなくなるのではないかというほど背負って、それでも根性論で前に進む友人は、自分の精神の擦り切れを厭わないところがある。自覚がないのかもしれない。
「お気遣いありがとうございます」
冬真の表情が緩んだ。ハチはそれを見てまだ大丈夫だと思った。ハチの気遣いを気遣いだと気付いているうちはまだ少し余裕があるということだ。
(人間ってのは難儀なもんだ)
そう思ったが、自分も冬真という人間を面白がってこうしてバディを組んでいるので、妖怪にしては難儀な方だと考え直した。
人間と妖し怪物の決まりごと あいうちあい @krsyizm0909
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