缶に詰め込まれた想い
蒼井アリス
缶に詰め込まれた想い
新幹線の車窓に雪化粧をした富士山が現れた。
この景色を見るたびに故郷に近づいていることを実感して少しずつ気分が沈んでいく。
地元に帰省するのは何年ぶりだろう。父の葬儀以来だから五年ぶりか。
地元は僕にとって居心地のいい場所ではなかった。いつも本当の自分を隠して何かに怯えながら生きていた。それは僕が同性愛者であることが一因であることは間違いないが、父親との折り合いが悪かったことも理由である。
高校を卒業すると進学のため逃げるように上京した。
都会での生活は気楽だった。隣人の名前さえ知らない人が多い都会では他人のことにあまり関心がない。地元では経験できなかった恋愛も思う存分楽しんだ。真剣に交際をした恋人も何人かできた。
大学を卒業するころ、今後の人生を真剣に考え建築の知識を深めるためイタリアへ渡ることを決意。進むべき道を選び覚悟を決めた僕は、同性愛者であることを両親にカミングアウトした。
父は予想通り激怒し、母は薄々感づいていたのか僕の性的指向を否定することはなかったが勘当を言い渡した父の言葉に逆らうことはなかった。
父は「二度と顔を見せるな!」と怒鳴りながら僕を家の外に放り出した。
父の性格を良く知っている僕には父のこの行動は想定内だったが、それでも悲しさと寂しさが込み上げてきた。
イタリアの現地で学ぶ西洋建築に魅了された僕は益々建築にのめり込んだ。
母の訃報を聞いたのはイタリアでの生活にも慣れてきたころだった。
連絡をしてきたのは母の妹である叔母だった。叔母は僕が勘当されていることを知っていたが母のことが不憫で僕に連絡してきたのだ。
叔母からの連絡を受けてすぐさま父に電話をしたが「俺に息子などいない。お前を葬儀に参列させるつもりはなから来るな!」と取り付く島もなく電話を切られてしまった。
母が亡くなったときに日本に住んでいたのなら父の言葉など無視して葬儀に参列しただろう。だが、あまりにも遠い距離と父の「来るな!」の言葉に打ちのめされ、結局日本へは帰国しなかった。
イタリアでの勉強も終わり日本に帰国しても父には知らせなかった。
東京に自分の設計事務所を構え、大きな案件の依頼も舞い込んでくるようになったころ、父が亡くなった。
喪主として父の葬儀を執り行い、また逃げるように東京に戻った。
父の姿はもうどこにもないのに僕の存在を拒否しているかのような実家は居心地が悪かった。
あれから五年、一度も実家には足を向けなかった。
今回実家に赴くのは、土地も家屋もすべて処分するため。
重要な書類や貴重品はすでに運び出しているので、残っているものは売るか処分するものだけだ。
業者はすでに手配してある。今日と明日で簡単な仕分けをして明後日に業者の運び出しに立ち会えばすべてが終わる。
****
玄関の鍵を開けドアを開けると、実家特有の匂いが押し寄せてくる。
近所に住む叔母に時々風通しをお願いしてあるお陰でカビ臭さはさほどない。
窓を開け風を入れると、家の中の重苦しい空気が少し軽くなる。
仕分けも大方が終わり、父の書斎を残すのみとなった。
この部屋にはいい思い出がまったくない。この部屋に呼ばれるのは叱られる時だけだったからだ。
小学生のころは大人しく父の説教を聞いていたが、中学を卒業するころには己を理論武装し父の説教に対抗していた。高校生になると説教にことごとく反論してくる息子が煩わしくなったのか、この部屋に呼ばれて説教をされることもなくなり父との会話はほとんどなくなった。
本棚の本はすべて古本屋に売り、家具はリサイクルショップに引き取ってもらう。
ノートや資料の紙類はすべて焼却廃棄。それ以外の細々とした物は一般廃棄に仕分ける。
机の中身を片付けようと引き出しを開けると、書斎に似つかわしくない高級せんべいの缶が隠すように奥の方に押し込まれていた。そのまま捨ててもよかったのだが、あの堅物の父が何を隠していたのか気になって缶を開けてみた。
そこには新聞記事や雑誌の切り抜きが無造作に詰め込まれていた。
「何だこれ?」
思わず声が出ていた。
国際建築デザインコンペで入賞したときの記事、商業施設ビルの設計に採用されたときの記事、そしてこれまでに僕が設計・建築した建物の特集が組まれた雑誌の切り抜き。すべて僕の記事だった。
「何だよ親父、こんな爆弾みたいな秘密を隠してたのかよ」
何度も何度も缶から取り出して読んでいたのだろうか、切り抜かれた記事の紙は角がよれて折り目の部分は印刷が剥げかかっている。
「愛情表現が不器用すぎるんだよ親父は……不器用なのは僕も同じか」
憎しみもわだかまりもすべて捨てよう。
「悪いな親父、この家も遺品も全部処分するよ。でもこの缶だけはもらっとく」
僕は静かに書斎を後にした。
End
缶に詰め込まれた想い 蒼井アリス @kaoruholly
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