婚約破棄された女の子と押し付けられた公爵

@ktsm

第1話

(え?)


 そう思った時には全て終わってた。

 反論は許されず、私は婚約者がある身で『誰か』と浮気した女として捨てられた。


(ニール・スペンスって誰?)


 私はその名前の男にとんと覚えがなかった。

 知らない男とどうやって寝るのだろうか。

 心当たりのない咎を責め立てる婚約者に圧倒され呆然としたまま帰宅する。

 すでに事情を聞いているらしいお父様には罵倒されお母様にはため息をつかれ兄には冷たい目で見られた。


 それから。


 まあ、婚約を破棄された娘を置いておくのは外聞が悪いので、お父様はすぐに次の殿方を見つけてきた。

 ハルシオン公爵。

 私より二十ほど年上の男性である。

 四十路近くなりながらも独身を貫いていたのは、彼が王弟であったかららしい。難しいことはわからない。


「つまり、君の父君はなかなかの地位にいるプライドの高い男なものだから、不出来な娘のせいで家名に瑕疵がつくのを許せなかったのさ。それで、その元婚約者君より位が上の男を引っ張り出してきて押し付けた」


 内情はどうあれ外から見れば、お互いにより良い相手が見つかったから婚約を『解消』したとするためにね。

 豪奢なベッドの上でハルシオン公爵はなんでもないことのようにそう言った。

 さらさらと肩を覆う金の髪を見ながら、私はなるほどと頷く。


「さて、僕らは結婚した。夫婦になるわけだから一応それらしいことはしなければならない」


 ごもっともである。

 私はもう一度こっくり頷く。


「そこで、素朴な疑問なんだが、君」


 なんだろうと顔を上げて、公爵様の琥珀色の瞳を見る。


「『いや』な時はどうやって意思表示をするの? 話せないわけでしょう。手でも挙げる?」


 私は、首を傾げた。

 『いや』な時とは、どんな時だろうか。

 そもそも、嫌だとして拒否は赦されるのだろうか。


「あー、わかんないかんじかあ。そっかぁ。そんな気はしてたんだよなぁ」


 うーん、じゃあまあちょっとこっちおいで。

 ちょいちょいと手招かれたので四つん這いのまま公爵様ににじり寄り、ぺたんとまた腰を下ろした。

 公爵様はゆっくり動いて、長い腕で私の肩を抱き寄せた。

 そのまますとんと押し倒されて背中がシーツにつく。支えてもらっていたから、痛くはなかった。

 真上にある公爵様の顔は静かで、耳のそばにカーテンのように降る金の髪が綺麗だった。

 ぽかん、と口を開ける。


「誘ってる?」


 微笑われて、慌てて口を閉じた。


「ありゃ、嬉しかったのに」


 そ、そうなのか。

 ならば開けておいた方がいいのか。

 しかし、間抜けではないか。

 びっくりすると口が開いてしまうのが癖なのだ。

 口を閉じろと何度叱られたかしれない。

 顔を熱くしたままオロオロしていると、額にキスされた。

 ひょえ。

 家族にも婚約者にだってされたことない。

 他者の唇が額に当たったのは初めてだ。

 こ、こんなかんじなのか。

 耳まで熱くなった。


「大丈夫? これからもっとすごいことするけど」


 もっとすごいことを。

 なるほど夫婦なのだからそうなのだろう。

 私は再び、ひょえええ、と思いながら、きゅっと口を閉じた。

 もぞもぞ、両腕を動かして顔の側で拳を握る。


「『頑張る』って? あはは、そっかあ。そんな純真な反応されると、おじさん照れちゃうな」


 『おじさん』などと自称するが、公爵様は若々しい。たぶん、二十代後半で外見年齢がとまっているんだと思う。


「よし。じゃあ、ひとまず合図でも決めておこうか。僕は、君の手は押さえないようにするから、『いや』な時や『こわい』時は、私を叩くんだよ? 先に言っておくが、恥ずかしいのは我慢してくれ。私も同じだから」


 男性でもこういった行為に羞恥を感じるのか!

 それは知らなかった。

 私のびっくりを察知したのか、公爵様は苦笑して、私の手を自分の胸に当てた。薄い夜着越しに脈打つ心臓に息を呑む。


「ね? これでも結構緊張しているのだよ」


 苦笑されて、衝撃を受ける。

 なぜだろう。びり、と肌が震えて背骨が痺れた。

 後から思い返せばきっとこれが恋に落ちる感覚なのだろう。

 婚約者がいた身にも関わらず私はこの瞬間に初めて恋を知った。

 初めまして恋心。できれば、もうちょっと平静な時にご挨拶したかったです。

 なにせ、今は首どころか鎖骨まで熱くて何も考えられない。

 だから。

 私は公爵様の胸に当てた手で今度はその手を取り頬を寄せたのも、そっと自身の心臓の上に招いたのも、ほとんど衝動に近い動きだった。

 ただ知って欲しかったのだ。

 膨らみの上からでも大きく跳ねる鼓動は公爵様にも伝わるだろうか。


「『一緒』だって?」


 こっくり頷く。

 伝わって。

 顔が熱くして息が苦しい。


「そうか」


 そう言って。

 公爵様は、私の心臓を撫でるように手を動かす。

 二度目のキスはそっと唇に降りてきた。


 結局、その晩、私はたくさん公爵様にしがみついたが、彼を叩くことはなかった。




 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

婚約破棄された女の子と押し付けられた公爵 @ktsm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る