そこは秘密の花園 後編

 ある日の夜のことだった。

 親父が晩酌を始め、暴力の火種を感じ取った僕はこっそり家を抜け出し、「秘密の花園」へと向かった。

 そして、いつものようにお兄さんに出迎えられ、一緒に草花の手入れをしていると――。


 ――ドンドンドン!


 勝手口が強く叩かれる音が「花園」に響いた。

 思わず、お兄さんと二人で顔を見合わせる。


「念の為だ。イガグリは事務所の方に隠れてろ」

「う、うん」


 言われるがままに身を隠し、息をひそめる。

 お兄さんは勝手口の扉越しに外の誰かと会話を続け――やがて、扉が開く音が聞こえた。

 と、同時に。


「あ、こら! ちょっと待ちなさい!」

「うるさい! 止めるな! お前かぁ! うちのをたぶらかしたのはぁ!!」


 聞き覚えのない男の声と、聞きたくもないのに毎日のように聞いている男の声が「花園」に響いた。


(げっ。お、親父!?)


 物陰に隠れながら、ビクッと身を震わせる。もしや、後を付けられたのだろうか?

 恐る恐る、勝手口の方を覗き込み、言葉を失う。

 そこには、やはり親父の姿があった。お兄さんにつかみかかり、「うちのを出せ!」と怒鳴り散らしている。

 けれども、もっと驚いたのは――警察。二人組の警察官の姿があったのだ。


 警察官は必死に親父を制止しているが、捕まえようとしている訳ではないだろう。多分、警察官を連れてきたのは親父なのだ――。


 そこからのことは、よく覚えていない。

 お兄さんに掴みかかるのを止めた親父が、今度は花を蹴り飛ばし始めて。お兄さんがそれに怒って、殴りかかって。

 二人を制止する警察官に混じって、いつの間にか僕も二人の間に割って入っていて。


 そうして気付けば、僕は警察に「保護」されていた。


   ***


「だから! 誘拐なんかじゃないですって!」

「いやいや。彼を庇おうという気持ちは分かるけど、未成年者を保護者の許可なく――」


 警察署に連れてこられた僕は、孤軍奮闘を迫られていた。

 警察のシナリオでは、僕は「お兄さんに無理矢理に連れ込まれていた」ことになっているらしい。

 親父があることないこと吹き込んで、それを鵜呑みにしているらしい。


 親父は興奮してることもあって聴取は同席していない。別の部屋で警官が宥めているらしい。

 そしてお兄さんも、別の部屋で取り調べを受けていた。もちろん、事件の被疑者として。

 僕を聴取している警察官がポロリと漏らしたが、どうやら「違法な植物を栽培した」疑いまで受けているらしい。とんだとばっちりだった。


「いい? 仮令たとえ、君が同意していたとしても、略取・誘拐罪は成立し得るんだ。君は未成年で、まだ判断力も甘いから――」


 警察官が自分達に都合の良い論理を並べ立てる。僕は段々むかっ腹が立ってきた。


「警察は何の罪もない人を犯罪者扱いするんですか? あの人、病気で入院中の妹さんもいるみたいですよ? あの人が捕まっちゃったら、誰が妹さんの面倒を看るんですかね?」


 無駄とは思いつつも、八つ当たり気味にそんな当てこすりを口にする。

 けれども、警察官から返って来たのは、意外過ぎる言葉だった。


「妹? ああ、そんな嘘まで吐いたのか」

「……えっ?」

「あの男の妹は、とっくの昔に病気で死んでいるんだよ。きっと、君の関心を引くために嘘を吐いたんだね。ほら、分かったでしょう? あんな男を庇う必要はないんだよ」


 警察官は、続けてグダグダとお兄さんの人格を否定するようなことを臭い口から垂れ流し続けた。

 僕はそのくだらない言葉を聞き流しながら、彼のことを考えた。


(そっか。お兄さんは僕に嘘を吐いていたんだ)


 ――でも、それは僕も同じだった。僕は肝心なことを彼に黙ったままだ。

 絶対に知られたくなくて、ずっと嘘を吐いていた。自分でも認めたくなくて、ずっと目を背けていた。


 警察官の言う通り、お兄さんには何か下心があったのかもしれない。けれども、僕はそうは思っていない。

 お兄さんの口から本当のことを聞くまでは、絶対に信じない。

 だから――だから、僕は警察官に、とっておきの情報をリークすることにした。


「ねえ、おまわりさん」

「おまわりさんじゃなくて、刑事ね」

「刑事さん。僕、怖くて怖くて、どうしても本当のことが言えなかったんです」

「……いいんだよ。さあ、ゆっくりでいいから話してごらん」


 刑事が優しげな口調で先を促す。大方、僕がお兄さんの犯罪の証拠でも話すと思ったのだろう。

 けれども、僕が今から口にするのは、全く別の犯罪の証言だった。


「刑事さん、父を捕まえてください。あの男は、僕を


   ***


 ――警察での騒動から、早くも数ヶ月の時が経とうとしていた。

 その間に僕を取り巻く環境は大きく変わっていた。


 親父から無事に引き離され、施設に移った。

 元の学校から転校し、新しい生活を始めた。

 そして――。


「久しぶり」

「……お前」


 見慣れた扉が開くと、お兄さんの鳩が豆鉄砲を食ったような顔が僕を出迎えた。

 この数ヶ月の間に少し痩せたらしく、頬がこけて金髪の根元には地毛の黒が目立ち始めている。


「安心して、ちゃんと施設の人にもここに来ること、伝えてあるから」

「……まあ、入れよ」


 数か月ぶりに「花園」に足を踏み入れる。

 そこは、以前のように多種多様な花々が咲き乱れる楽園ではなくなっていた。

 警察に拘束された数日と、その後のなんやかんやの騒動の間は世話が出来なくて、一部の花は枯れてしまったのだそうだ。


「お兄さんには迷惑をかけたから、一度きちんと謝りたくて」

「……未成年を入り浸らせてたのは本当だからな。警察は悪くねーよ。おめーもな」


 以前よりも遠い距離感のまま、お兄さんが答える。

 やはり、もう僕たちの関係は元通りにはならないらしい。


「制服、似合ってるじゃねーか」

「……ありがとう」

「髪もな。イガグリ頭なんかより、そっちの方がよっぽどいいぞ」

「うん。このまま伸ばすつもり」

「……最近は、こういうこと言っちゃいけねーのかもしれねーが、さ。うん、やっぱりと思うぞ。俺の妹もそうだった」


 ――そう。僕がお兄さんに秘密にしていた最たるもの。

 それは、僕の性別だった。


 野球部の男子のように髪を短く刈って、出来るだけ男の子っぽい服を着た。

 全ては、親父の邪な感情を避ける為に。

 段々と母親に似てきた僕を、あの人は何度か、性欲のはけ口にしようとした。

 だから、僕はいったん「女」を捨てた。まだ中学生になったばかりの今にしか通用しない、時間限定の男装だけど、多分そのお陰で僕は親父に汚されずに済んだのだと思う。


 親父の性的虐待未遂の直接的な証拠はなかったけれども、僕が急に男装をし始めたことは学校や同級生たちが証言してくれて、それが証拠の一端となった。

 そこから先は、警察が面目躍如とばかりにきちんと捜査してくれた。以前、僕の話を信じなかったことへの謝罪の意味もあったのだと思う。


「ねえ、お兄さんさ。もしかして、僕が女の子だって、気付いてた?」

「そりゃあな。妹もいたからよ、嫌でも気付くさ。それに……」

「それに?」

「シャワーの後によ、お前かなり油断してだろ。色々見えてんだよ、バカ」

「うわっ、お兄さんのエッチ! ロリコン!」

「バ、バカ! お前みたいに毛も生えそろってないガキをそういう目で見るかよ!」


 お兄さんが真っ赤になって否定する。なんだか、こういうところはとても「お兄ちゃん」に感じてしまう。


「……そういえば、さ。妹さんのこと、聞いた。病気、だったんだよね?」

「ああ……。そうだな。お前には、きちんと話しておかないとな」


 そうして、お兄さんは語りだした。

 この工場は、元々お兄さんの両親が経営していたこと。

 不況による下請け切りで工場が倒産したこと。

 両親がきつい仕事を続けて、二人とも早死にしたこと。

 ――妹が難病にかかって、治療の甲斐もなく亡くなったこと。


「妹の治療の為にあぶねー橋まで渡ったんだぜ? それがさ、全部いらなくなった。したら、この工場が売りに出てるのに気付いてな、買ったんだよ。……せめて、ここで死んでやろうって」

「でも、死ななかったんだよね?」

「ああ。すっかり荒れ果てた工場の脇によ、妹が好きだった花が――雑草なんだけどな――咲いてたんだ。それで、あいつが『いつか色んな花が咲いてるお花畑に行ってみたい』って、入院中に言ってたことを思い出して、さ」


 ――そうして、気付けば花を育て始めていたのだという。

 昼間は肉体労働をしながら、夜は花の世話をする。

 室内でのLED栽培は、働きながら花を育てるのに向いている気がしたからだそうだ。


「ところが、やってみたら花壇で育てるのとそんなに手間変わんねーのな。電気代もかかるしよ。ああ、でも。季節外れの花も頑張れば育つし、開花のタイミングを調節できるしで、もしかしたら商売に出来るかもな」

「……じゃあ、これからもこの花園は続けていくの?」

「おうよ。とりあえず、することもねーからな。今までは、出来がいいのは妹の墓に備えてたけど、ちったぁ商売っ気も出してみるさ」


 ニカっとひまわりのような笑顔を見せるお兄さん。

 なんだか憑き物がとれたような感じだ。


「じゃあ、さ。……優秀な助手はいらない?」

「いらん!」

「そ、即答!? ちょっと、ここは拒否らないでデレるところじゃないの!?」

「バーカ。もちっと大人になってから来やがれ。したら、バイトとして雇ってやんよ」


 ガハハと笑いながら少し歩み寄ると、お兄さんは僕の頭をポンポンとしてくれた。

 ――全く、女の子だって明かしてからも、子ども扱いは変わらないのか。


 どうやら、僕の中に湧いた仄かな感情は、まだまだこの人には秘密にしないといけないらしい。



(おわり)

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そこは秘密の花園 澤田慎梧 @sumigoro

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