そこは秘密の花園
澤田慎梧
そこは秘密の花園 前編
その「花園」を見付けたのは、本当に偶然だった。
いつものように
うちから歩いてニ十分ほどの場所にある、古い倉庫。そこから不思議な光が漏れていたのだ。
不審に思って倉庫に近付いてみる。
窓には板が打ち付けてあって、中は全く見えない。僕の背丈の何倍も高い横開きの扉にも、化け物みたいな南京錠がかかっていて開きそうにない。
でも、光が漏れているということは、中に人がいるということだ。どこかに入り口があるに違いなかった。
周囲をぐるりと回ってみると、勝手口らしい扉を見付けた。
扉には1から9の数字を押すタイプのナンバー錠が付いていたけれども、今は少しだけ開いていて、中から明かりが漏れていた。
――この時の僕はやけくそになっていたのだろう。よせばいいのに、その扉を開いてしまった。
「わぁ……」
中に広がっていたのは、一面の花々だった。
見たことがある花から見たことがない花まで、様々な草花がそこかしこに咲いていた。
草花の上にはLEDライトが設置してあって、光を与えている。殆どは白い光だったけど、中にはオレンジ色や青色の光もある。どこか現実離れした光景だった。
そのまま、物珍し気に中を見て回る。
草花の殆どはプランターに植えられていて、ひび割れたコンクリートの床の上に直置きされている。LEDは電気スタンドみたいな形のものから、プランターから伸びた支柱の上に屋根のように被せられているものまで、多種多様だ。
きちんとした工場というよりは、ホームセンターで材料を集めた手作り感がある。
――と。
「おい、ガキ。なに勝手に入ってんだ!」
「あっ」
背中越しに響いた怒鳴り声に恐る恐る振り返る。そこには、大学生くらいのガラの悪そうなお兄さんが立っていた。
頭は「これでもか!」というくらいの長い金髪だし、白いタンクトップから覗く肩には、左右それぞれ違う模様のタトゥーが入っている。街で会ったら絶対に目を合わせたくないタイプだ。
「ごめんなさい。明かりが漏れてたので気になっちゃって」
「っざけんな! 不法侵入だぞ! ――って、明かりが漏れてた? どこから?」
「正面の窓。道沿いのやつ」
「マジか……。ちっ、外からきちんと確認してなかったか。……おい、ガキ!」
お兄さんが、そこら辺の作業テーブルに置いてあったガムテープひっつかみ、僕に投げてよこす。
コントロールはバツグンで、ガムテープはすっぽりと僕の手の中に収まった。
「目張り、手伝ってくれたら不法侵入は許してやる。手伝え」
黒い画用紙のような束を手に取りながら、お兄さんが言った。
***
「よし、とりあえずこれでOKだな」
「目張り」の作業を終えると、お兄さんは大きなため息をつきながら呟いた。
先程から、お兄さんが画用紙を隙間を覆うように貼り付け、僕がガムテープで留め、二人で外へ駆け出て明かりの漏れをチェックする……という作業を二十回くらい繰り返していたが、ようやく終わりらしい。
「随分、厳重に目張りするんですね」
「……外の明かりが入っちまうと、計算が狂うからな。夜に明かりが漏れてると、ご近所から苦情が来るってのもある」
「へぇ」
「それに、お前みたいなクソガキが、明かりを見て忍び込んでも来る」
ジャリッ、と音を立てながら、お兄さんが僕の方へ歩み寄ってくる。
――そこで初めて、僕は危機感を覚えた。よく考えなくても、こんな怪しさが服を着て歩ているような人と二人きりというのは、危な過ぎる。
けれども。
「まっ、裏口を開けっ放しにしてた俺も悪い。お互い様ってことで、今日のところは勘弁してやる。さっさと帰って、ここのことは忘れてくれ」
ポンポンと僕の頭を優しく叩くと、先ほど入ってきた扉をゆっくりと指さした。「出て行け」ということらしい。
「家には帰れないんです。一晩ここにいちゃダメですか?」
「調子に乗るなガキ。俺の気が変わらない内に出て行け」
「帰ると親父に殴られるんです」
「なら、警察とかジドーソウダンジョ? に行け。俺は知らん」
「警察は前に頼りました。でも、親父は嘘が上手くて外面もいいから、信じてもらえません。跡がつかないように殴るのが上手いんです」
一体、僕のどこからそんな強気が出たのか。気付けば、お兄さんに挑みかかるように顔をグッとよせてまくし立てていた。
気のせいか、お兄さんはちょっと僕に押されているようにも見える。
「……なら、ほら、駅の近くにあんだろ? トー横みてぇな場所。ガキどもがたむろしてるだろ。あそこに行けよ。お仲間がいんぞ」
「あいつら、体売ったり薬買ったりしてるから、ヤダ」
「……マジか。この街も治安が悪くなったもんだな」
「この街も、治安の悪さが服を着て歩いているようなアンタに言われたくないでしょ」という言葉をゴクリと飲み込む。
そもそも、ここで栽培している草花だって健全なものかどうか知れたものじゃない。
でも――。
「あー、確認だが。親父がお前を探しに来たり、警察に連絡したりは?」
「絶対にない。むしろ家にいた方が不機嫌」
「学校とかはどうするんだ? お前、小学生だろ」
「――これでも中学生です。教科書もタブレットも学校に置きっぱだから、平気」
「……しゃーねーな。一晩だけだぞ。あと、水やり手伝え。それが条件だ」
頭をぼりぼりとかきながら、そんなことを口にする。このお兄さんは、見た目とは裏腹にいい人だったようだ。
***
――というのが、もう一ヶ月ほど前。
僕は結局、お兄さんの「秘密の花園」に、ほぼほぼ居座っていた。
親父が仕事やパチンコに行っている間だけ家へ帰り、それ以外の時は、この「花園」へやってくる。
当然、お兄さんは最初の内は入れてくれなかったが、僕が裏口で深夜の鬼ノックをしたら、快く迎えてくれた。
ちなみに、この「花園」の建物は倉庫ではなく、大昔に潰れた街工場の跡らしい。ずっと放置されていたのをお兄さんが買い取って、住んでいるのだとか。
事務所だった部屋を居住空間に改造してあって、一部には畳も敷いてある。煮炊きも出来るし、シャワーだって付いている。中々の快適さだ。
僕も汗をかいた時などは勝手にシャワーを借りて、畳の上でゴロゴロとさせてもらっていた。
「お前さあ。俺が少年を襲う変態だったら、どうする訳?」
ある時、シャワー後のまったりタイムを畳の上で過ごしていたら、お兄さんがそんなことを言ってきた。
「え、僕狙われてるの? いや~ん」
「イガグリ……おめー、絶対にいい死に方しないぞ」
等と、こんな軽口をたたき合うくらいには仲良くなっていた。
それでも、お互いに名前も知らない。きっとそのくらいの距離感が適切なのだと、どちらからともなく感じていたのだ。
ちなみに、僕がお兄さんのことを「お兄さん」と呼ぶのに対し、お兄さんは僕のことを「ガキ」とか「おめー」とか「イガグリ」と呼んだ。
「イガグリ」の由来は、僕の短く刈った髪の毛がイガグリみたいだから、らしい。
「それにしてもさ。この工場、結構大きいよね? そんなのポンと買えるなんて、お兄さんもしかしてお金持ち?」
「んな訳あるかよ。ここ買ったせいで、日々カツカツだ。電気代だって馬鹿にならねぇしよ」
「もしかして、お金の為に育ててるの? 花」
「それこそねーわ。こんなの、金にもなんねー」
「だったら、なんでわざわざ、こんな手間のかかることを」
「……おめーには関係ねぇ」
それだけ言って、お兄さんはその日は口をきいてくれなくなった。
どうやら他人が軽々しく踏み込んではいけない領域らしい。
***
お兄さんは、きちんと何かの仕事をしているらしく、昼間はいないことが多かった。なんの仕事をしているのかは、怖くて訊いていない。
それ以外にも、時折状態の良い花を摘んでは、どこかにいそいそと出かけることもあった。……まさかとは思うが、デートかもしれない。
尋ねれば教えてくれるかもしれないけれど、なんとなく訊けずにいた。
名前以外にも色々と秘密にしている、僕の罪悪感がそうさせているのかもしれなかった。
――そんな、ある日のことだ。
「おめーよ。親父のことはよく話に出てくるけどよ、おふくろさんは? いねーのか」
花に水やりをしながら、お兄さんが突然僕にそんなことを訊いてきた。こんなことは初めてだった。
「あー、それ訊いちゃう?」
「……答えたくねーなら別にいい」
「そういう訳じゃないけど、ちょっと、ね。生きてるけど、死んでるみたいなもん」
「どういうことだ」
「うん。簡単に言うとね、刑務所にいるの」
「……なん、だと?」
「特殊詐欺ってやつ。あと何年かは出れないって」
――ありふれた話だ。
親父の昔の稼ぎは決して低くなかったが、母はそれ以上に浪費家だった。水商売をやっていた頃の金遣いの荒さが抜けず、かといって水商売に戻れるほどの若さも器量もなく、辿り着いた先が詐欺の片棒を担ぐことだった。
僕も親父も気付かぬ内に、母は罪を重ね、気が付けば逮捕され、裁判で有罪判決を受けた。執行猶予は当たり前のようにつかなかった。
それが数年前の話。それ以来、親父は酒に溺れ、僕に暴力を振るうようになった。母に貢ぐことだけが人生の楽しみのような人だったから、壊れてしまったのだ。
そればかりか――。
『お前、
――ぶんぶんと頭を振って、怖気のはしる記憶を振り払う。
ここに親父はいない。大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「おい、イガグリ。顔が真っ青だぞ。大丈夫か?」
「あ、ご、ごめん。ちょっと母のことを思い出して、辛くなった」
「……悪いことを訊いた」
「いいよ。僕が勝手に答えたんだもん。――あ、じゃあさ、代わりにお兄さんの家族のこと聞かせてよ」
「……両親はもう死んだ。妹が一人いる。以上」
実にそっけなく答えるお兄さん。けれども、僕は「妹」という響きにどこか温かいニュアンスがあったことを聞き逃さなかった。
「妹さん! 何歳くらい? 可愛い?」
「……お前と同じくらいだな。世界一可愛い」
「わぁ~! そうなんだ。いいなぁ~」
「ただな、厄介な病気で長いこと入院してんだわ」
「あ、そうなんだ……。もしかして、お花を時々持って行ってるのは、妹さんに?」
お兄さんが、どこか嬉しそうな、けれどもやはり寂しそうな顔をしながら静かにうなずく。
「……僕もいつか、会ってみたいな」
「なんでだよ」
「なんでって……世界一可愛いんでしょ?」
「こら、嫁にはやんねーぞ?」
まるで、出来の悪いコントみたいな会話に、思わず二人で吹き出してしまう。
ゲラゲラゲラと、久しぶりに、本当にくだらないことで、本気で笑った。
穏やかでなんでもない、僕が求めていた日常だ。
――けれども、それも結局は長く続かなくて。
ある日、突然の終わりを迎えた。
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