しまいあい
misaka
“内緒”を“秘密”に変えるまで
夕日が差し込むマンションの一室。リビングのソファには、お互いに体重を預け合って座る、2人の姉妹が居た。彼女たちの耳には片方ずつ、イヤホンがつけられている。ソファの前に置かれた座卓にはスマホが置かれており、ラブソングのタイトルが表示されていた。
「
目を閉じ、曲に思いを馳せながら。のんびりとした口調で妹に問いかけた姉の名前は、
先の彼女の発言は、ソファの前にある座卓に広げられた教科書やノートを見て発されたもの。つい先ほどまで、2人は目前に控えた期末テストに向けた勉強に勤しんでいたのだった。
ともすれば糾弾ともとれる姉からの指摘に、しかし、妹の
「脱線させたの、あなたじゃない」
吊り上がった目元をさらに鋭くして、勉強を中断させた犯人である姉を呆れた目で見遣る。濡れ羽色の長い髪に怜悧な目元。気が強そうで近寄りがたい印象の通りに、雫は自分の意見を曲げることが苦手な性格をしていた。しかし、なぜか周囲はそれを嫌味と受け取らず「そうなんだ」と受け止め、孤立することはない。そんな不思議な雰囲気を持つ少女でもあった。
勉強を中断させたのは桜ではないか。そんな妹の雫から呆れ半分、𠮟責半分の目線を向けられて、桜は気まずそうに目を逸らす。
「そ、そうだっけ~?」
口笛を吹くふりをして責任逃れをしようとする桜を、生真面目な雫は許さない。
「ええ、そうよ。勉強が始まって30分。『そうだ、雫! さっき良い曲見つけて』。そう言って、勉強を中断したんじゃない」
お互いに片親同士だった両親が結婚して、義理の姉妹になってから10年以上が経つ。同い年ということもあり、勉強嫌いな桜の面倒を見るのが、今や雫の日課になっていた。
(我が妹ながら、さすが。えげつない記憶力……)
桜自身すら覚えていない「勉強なんかやめよ?」を意味する言葉を、一言一句違わずに真似した雫。そんな妹をちらりと見遣って、桜は内心で舌を巻く。が、桜にも姉としての威厳があった。
「……でも雫も、素直に付き合ってくれたよね? 『へぇ、そうなの。聞かせて』って言って」
すぐそばにある妹の顔を横目に見て、何も自分だけの責任ではないと、責任の分割を図る。この行為に姉としての威厳など発生するはずもない。そう分かっていてもなお、桜が反論してみせた理由。それは……。
「……むぅ」
ふくれっ面で自分を見上げる妹の可愛い姿を見るためだった。
(あぁ。ほんとに、雫は可愛いなぁ……)
見た目と不器用な性格ゆえに、学校では1人で居ることが多い雫。実は同級生たちから陰で“深窓の令嬢”と呼ばれ、ある種の畏敬と尊敬を持たれているからだということは、雫だけが知らない。重要なのは、雫からすれば、自分は孤立しているのだと思っている事だった。
そんな彼女にとって、明るく、誰とでも仲良くなってしまう桜は自慢の姉であり、心の支えでもあった。それこそ、依存と呼べるほどに。どれくらい依存しているかと言えば、高校受験に失敗した桜のためにわざわざ受かっていた進学校を蹴って、桜と同じ学校に通ってしまうくらいには、依存している。
(だから雫は、わたしの言うことを否定できない)
その事実を知っていて、桜は勉強を止めようと言ったのだ。理由はもちろん、大好きな妹と触れ合うため。今聴いている音楽も、本当は適当に見繕った物。桜自身、タイトルもアーティストも全く知らない曲だった。
「これが、桜の好きな曲?」
携帯に表示されている曲名を見ながら、桜に尋ねた雫。首を横に振るわけにはいかない桜が頷いて見せると、
「そう、なんだ……。ふふ!」
そう言って、学校では滅多に見せない笑顔を見せる。あまりの妹の可愛さに身悶えなかった自分を褒める桜。しかし、愛おしさ余って雫に見えない位置で拳をぎゅっと握る。何なら少しだけ、足をバタバタさせる。そんな姉に構わず、
「私、これ歌ってる作者の曲、全部聞くわ」
持ち前の生真面目さをもって、雫は自ら姉の色に染まりに行った。ソファから下りてノートを広げたかと思うと、いま流れている曲を歌っているアーティストの名前を書き写し、手元のスマホで関連楽曲を漁り始める。
「ねぇ、桜はこの曲のどこが好き? 他にお気に入りの曲もあるのかしら?」
「あ、え? う~んと……」
桜からすれば、雫と引っ付く口実として適当に選んだ曲だ。しかも雫との会話や触れ合っていた温もりに満足していたせいで、曲などほとんど聞いていない。好きなところなど、すぐに思いつくはずもなかった。
キラキラした目で見上げてくる雫には、苦笑いを返すことしか出来ない。
(うっ、さすがに罪悪感……)
黙り込んでしまった桜に対して、しかし。
「答えられない、ってことは、曲調とか全体的な雰囲気が好きなのかしら……」
雫は勝手に自分で解釈して、桜と「好き」を少しでも共有しようとする。そんな妹の不器用なまでの真っすぐさが、桜にはただただ眩しかった。
「ねぇ、雫」
「なに?」
ソファに座る桜を、ソファを背もたれにして座る雫が見上げる。自然、上目遣いとなり、普段は凛とした印象の雫の顔が、桜には幼く見える。不思議そうに自分を見上げる雫に、桜は分かり切っていることを聞いた。
「わたしのこと、好き?」
「急ね。……だけど、ええ。もちろん好きよ」
驚きつつも、屈託なく笑って、好意を口にする雫。続いてにやりと笑った雫が、お返しとばかりに桜に尋ねる。
「桜も私のこと、好きでしょう?」
まさか質問が返ってくるとは思っていなかった桜。しばらく雫からの質問を咀嚼したのち、徐々に顔を赤く染めていく。そのまま近くにあったクッションで顔を隠すと、
「……言わせないでよ、ばか」
消え入りそうな声で、言い返した。
「ふふっ、桜が先に言い出したんじゃない」
自分から言いだしたくせに赤くなる姉の姿にクスクスと笑って、再び曲の分析に入った雫。夕日が美しく照らす彼女の横顔にしっかりと見惚れた後、クッションを抱いたままソファに背を預けた桜が天井を仰ぐ。
(きっと、雫と私、同じ好きでも違うんだろうな……)
依存に近い……。子が親を愛するような、純粋な好意。それこそが雫が言った「好き」の正体だと思っている桜。だからこそ、雫は簡単にその言葉を口にできる。
対して自分は、触れあいたい、独占したい。そんな、ひどく汚れた「好き」であると自覚している。そして、自分がいざその言葉を口にした時、雫が断らないことも分かっていた。しかし、桜が自身の好意を口にした時、今の、世間一般から見たときの姉妹関係は終わりを告げる。待っているのは偏見と障害に満ちた人生だ。
(そうなったら、わたしと雫は笑っていられるのかな……?)
今は、桜だけが抱える“内緒”の気持ちで済んでいる。しかし、この汚れた「好き」を口にすれば、それは雫も巻き込んだ“秘密”に変わる。
友人や家族。大切な人にすら話すことのできない気持ちを抱える辛さを、桜だけは知っている。その辛さを、雫にも……好きな人にも強制することになる。果たしてそれで良いのか。考えるまでもなく、桜が出した答えはノーだった。
「桜、どうかしたの? 珍しく、考え事?」
考え込んでいた桜に、きょとんとした顔で尋ねる雫。日本人らしい真っ黒な瞳と、その下にある薄い唇へと桜の視線が吸い込まれる。賢く、理性的で、なのに、桜にだけは幼稚で甘えた姿を見せる。そんな愛おしい妹との日常を壊す勇気を持てない桜は、結局。
「おぉう? 珍しくだとう? 失礼なことを言う妹は……こうだ~!」
「ちょ、やめ……あはは」
いつか、内緒の気持ちが2人だけの秘密に変わる、その時まで。自身の気持ちを胸に秘め、姉妹としての関係を取り繕うのだった。
しまいあい misaka @misakaqda
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