婚約破棄された私の秘密

夕藤さわな

第1話

「キャロライン・オブ・クラーク、お前との婚約を破棄する!」


「はい、喜んで!」


「そして、ここにいるサマンサ嬢と婚約する!」


「はい、おめでとうございます!」


「見苦しいぞ、キャロライン! 私は真実の愛を見つけたのだ! 人形のような愛想笑いしかできないお前とは違って心優しく愛らしい彼女とな! そんなわけでお前との婚約は破棄! これは決定事こ……う、だ……ん? おめでとう?」


「はい、喜んでー!」


 王宮で開かれたパーティが始まってすぐのこと。衆人環視の中で宣言された婚約破棄ににっこり、満面の笑顔で同意した私にフレディ王子はきょとんと目を丸くした。かと思うと奥歯をギリギリ言わせ、見る見るうちに顔を真っ赤にし――しかし、今度はハッと目を見開くとフフン! と鼻で嘲笑ってあごをあげた。


「いつも澄ました顔をしているプライドの高いお前のことだ。みっともなく追いすがるなんてできなくて強がりを言っているんだな。そういうところだぞ、キャロライン。愛する私に捨てられて素直に涙する可愛げがあれば側妃くらいにはしてやったというのに!」


 〝やれやれ、仕方のないヤツだ〟と言わんばかりにため息をつくフレディ王子を前に、しかし、私のにっこにこ顔は止まらない。ていうか、止められない。


「はい、可愛げがなくて申し訳ありませんでした! 真実の愛を育むことのできない不束な婚約者で申し訳ありませんでした! 真実の愛が見つかったようで何よりです! そちらのおっぱいが魅力的なご令嬢とどうぞ末永くお幸せに!」


「お、っぱ……!?」


 七年近くに渡ってみっちり妃教育を受けていたはずの淑女の口から〝おっぱい〟なんて単語が飛び出したのだ。フレディ王子にしなだれかかってるおっぱいが魅力的なご令嬢ことサマンサ嬢も、フレディ王子も、この場にいる貴族の皆々様もぎょっとした。

 でも、今日というこの良き日にちょっとくらいの失言は許してほしい。数年に渡る我慢と努力がようやく実を結んだのだから。

 ただ、これ以上の失言はキャロラインの……可愛い双子の妹・・・・の将来にも関わってくる。楚々そそと口元を扇子で隠すとドレスをひるがえしてパーティ会場の出口へと駆け出した。


「それでは殿下、婚約破棄が悲しくて涙が出ちゃうので私はこれにて失礼いたします!」


「え、ちょっ……おい! スキップで出ていこうとするな!」


「しっつれいいたしまーーーっす♪」


「ツーステップで出ていくな! キャロライン……キャロライーーーン!」


 なんてフレディ王子が怒鳴るのを無視してサンバのリズムとステップでパーティ会場を後にした私はそのままの足で王宮の正門へと向かった。


「そのご様子ですと無事に婚約破棄されたようですね。おめでとうございます!」


「ありがとう、リリィ!」


「馬車は手配してあります。正門でお待ちください」


「さすが気が利く! 大好きだよ、マーガレット!」


「どうかお元気で。いつかクラーク邸にお邪魔させていただきますね」


「楽しみに待ってるよ、メアリ! その時には君の大好きなパイを用意しておくからね!」


 廊下ですれ違いざま、キャロライン付きの侍女たちにお礼やら投げキッスやらをしつつ一路、目的地である正門を目指す。

 キャロライン付きの侍女たちが皆、笑顔なのは王宮の中で彼女たちだけが私の味方だったから。私の秘密を知っていたからだ。


 私の本名はキャメロン・オブ・クラーク――。

 九才の時に面食いのフレディ王子に目をつけられ、半ば強制的に婚約させられ、妃教育を受けるために王宮へと連れ去られ囚われたクラーク男爵の娘キャロライン・オブ・クラークの双子のである。


 厳しい妃教育もさることながらフレディ王子のセクハラやらモラハラやらパワハラやらに、物静かで気弱で身分をわきまえた聡い妹はすっかり心を病んでしまった。一年が経つ頃にはすっかりやせ細ってしまったキャロラインを心配してクラーク家にこっそり状況を伝えに来てくれたのがキャロライン付きの侍女たち。

 そして、双子の兄で瓜二つの私がキャロラインと入れ替わるために手引きし、婚約破棄に至る今日までフォローしてくれたのもキャロライン付きの侍女たちだった。


 田舎の貧乏貴族でしかないクラーク家に王族との婚約を破棄するような力はない。

 かと言って、王族に――それも王と王妃が溺愛する一人息子のフレディ王子に不敬を働けば家族全員処刑。キャロラインと私が入れ替わっていることが……妃教育を受けているのが男の私だなんてことがバレても結果は同じ。場合によっては手引きしたキャロライン付きの侍女たちも処刑される可能性がある。

 だから、人形のような張り付いた微笑みと受け答えで当たり障りなくフレディ王子と接し、真面目に妃教育を受け、人形キャロラインに飽きるか新しくお気に入りの令嬢を見つけてフレディ王子自ら婚約破棄を言い出すよう待つしかなかった。


 王宮の正門に辿り着いた。マーガレットが手配してくれた馬車はまだ来ていない。

 空を見上げると満月が浮かんでいた。それからたくさんの星も。こんなにも晴れやかな気持ちで空を眺めるのはいつぶりだろう。


「今年で十六才。ギリッギリのタイミングだったけど……間に合ってよかったぁ」


 目立ち始めていた喉仏を隠すために最近は常につけていた黒いレースのチョーカーを撫で、私は今更のように胸を撫で下ろした。いくら侍女たちがドレスやメイクを工夫して上手に隠そうとしてくれても、食べる量を減らして成長を抑えようとしても、私が妹のフリを――男が女のフリをするのはもう限界だった。


 いつ男だと気付かれるか。

 いつ処刑を言い渡されるか。


 ここ一、二年は特に生きた心地がしなかった。

 でも、そんな日々も今日で終わる。七年間、一度も帰ることのできなかった我が家に馬車で帰り、ドレスを脱いだら私は双子の兄・キャメロンに戻る。二度とキャロラインになることはない。


「アイツに会うことも……二度とないんだな」


「アイツ?」


「ぎゃっ!」


 独り言のつもりだったのに予想外に声が返ってきて思わず飛び退く。


「なんて声を出すんですか。淑女とは思えない反応ですね」


 潰れたカエルのような悲鳴にくすくすと笑い声をあげたのはライオネル。カートライト侯爵家の子息で王と王妃が一人息子のフレディ王子のためにとあてがった友人。実際のところは子守り兼尻拭い役だ。

 私への贈り物を選び、フレディ王子からだと言って持ってきてくれていたのもライオネル。サマンサ嬢を筆頭にあちこちのご令嬢に手を出し、はべらせてパーティに出席するフレディ王子の代わりに婚約者である私のエスコートをしてくれていたのもライオネルだ。


「聞きましたよ。ついに婚約破棄されたそうですね。おめでとうございます」


「ありがとうございま……じゃなかった! おめでとうだなんてライオネル様ったら意地の悪い。婚約を破棄されて傷ついている私にそんなことを仰らないで」


「じゃなかった、って言ってるじゃないですか。今更ですよ、キャロ」


 口元を扇子で隠し、上目遣いに様子をうかがう。でも、ケラケラと声をあげて笑うライオネルを見ていたら馬鹿らしくなってきた。


「そうですね、今更ですよね」


「そうですよ、僕はあなたの秘密をたくさん知っているんです。フレディの言動に傷付いても家族を守るために上手に笑って見せていたこと。侍女たちに心配をかけまいと庭のすみの生垣の中で泣いていたこと」


「その節についてはご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。できればお忘れください」


「あと一旦、タガが外れるととてつもなく口が悪くなることも」


「……忘れてください」


「キャロのウィットに飛んだ悪口、僕は好きですよ」


「今すぐ記憶から消去してください! でないと私と家族が死にます!」


「それこそ今更ですよ、キャロ」


 青ざめて悲鳴をあげる私を見てケラケラと笑ったあと――。


「僕はあなたの秘密をたくさん知っています。だからこそ心からの祝福を。婚約破棄、おめでとう」


 ライオネルは目を細めて微笑んだ。その優しく温かな眼差しに微笑み返し、ドレスの裾をつまんで優雅に一礼した。


「ありがとうございます。王都から遥か遠くの故郷よりライオネル様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げております」


「まるで今生の別れのような言い草ですね」


 実際、今生の別れのようなものだ。

 この七年間、一度も帰ることのできなかった我が家に帰り、ドレスを脱いだら私はキャメロンに戻る。二度とキャロラインになることはない。

 ライオネルに励まされ、慰められ、愚痴を聞いてもらい、エスコートをしてもらったキャロラインではなく、双子の兄の――男のキャメロンに戻るのだ。

 自嘲の混じる微笑みを浮かべて黙り込む私を見てどう思ったのだろう。


「会いに行きますよ、キャロの故郷まで」


 笑みを深くしてライオネルが言う。


「本当に……遠くて道も悪いところですから」


「それでも会いに行きます。まずは友人として」


 まずは友人として――。

 そのあとは、と考えた瞬間にチクリと胸が痛んだ。続く言葉が恋人や婚約者だとしたらそれこそ無理な話だ。

 きちんとお別れを言わなくては。ここで今生の別れにしてしまわなくては。


「ライオネル……、っ!」


 そう思って開いた私の口をライオネルの人差し指がふさぐ。


「言ったでしょう、キャロ。僕はあなたの秘密をたくさん知っている。フレディの言動に傷付いても家族を守るために上手に笑って見せていたこと。侍女たちに心配をかけまいと庭のすみの生垣の中で泣いていたこと。一旦、タガが外れるととてつもなく口が悪くなること。それから……」


 あっ、と思う間もなくライオネルの手が首のチョーカーを外す。


「自ら身代わりを買って出るくらい妹思いで家族思いだということも」


「……っ」


 チョーカーで隠していた喉仏を指で撫でられて息を呑む。

 いつからかはわからない。でも、ライオネルは知っていたのだ。私がキャロラインではないことに。私が男であることに。


「そんな目で見ないでください。僕自身、動揺しているんです。男だと知ったあとも変わらないあなたへの気持ちに。婚約破棄されたと聞いて――キャロがようやくアイツから解放されたと知ってどうしようもなく浮かれていることに」


 自嘲気味に微笑んだライオネルは顔を寄せると止める間もなくキスをした。

 この王宮に囚われているあいだ、必死に隠してきた成長の証に。ずいぶんと目立つようになった喉のふくらみに。


「会いに行きます、キャロ。まずは友人として」


 耳元で囁いて、いいですか? と問い掛けるようにライオネルが私の目をのぞき込む。

 嬉しいと思う気持ちは〝キャロラインを演じる私〟のモノだろうか。それとも〝キャメロンに戻った私〟も同じように嬉しいと思うのだろうか。ドレスを脱いで〝キャメロンに戻った私〟としてライオネルに会ってみればはっきりするのだろうか。

 〝キャメロンに戻った私〟に会ったとき、ライオネルは今と同じ気持ちでいてくれるのだろうか。同じように言ってくれるのだろうか。


 不安と期待の入り混じる気持ちを抱えたまま、自分の手をぎゅっと握りしめ――。


「……お待ち、しています」


 私は小さな声でそう答えていた。

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