ゲッコウの旅人

鳥辺野九

秘密


 おにぎりを握るのにあまり握力は関係ない。里帆は手のひらに美味しい熱を味わいながら思った。むしろ手のひらの大きさ。たっぷりとした物理的包容力が不可欠なのだ。

 先輩学芸員のマルマルマが小さな手でおにぎり作りに苦戦している。手助けしようか。いや、まだだ。自分の手で握ったおにぎりの美味しさを里帆は知っている。だから、先輩だろうが、手のひらが小さかろうが、まだ助けない。

 哺乳類型ウサギ星人は全身に輝く産毛のような体毛が生えている。さすがにあらゆる行動に酷使する手のひらや指先には毛は生えていないが、おにぎりに彼女の体毛が混入しないか、少し不安になる。体毛に纏わせた花のような香水の匂いが新米の香りを邪魔しないか。


「せっかくのコメなのに、ショウユをつけて焼くなんて意味がわからないよ」


 ドーム型発光ソーラーパネルの下、爬虫類型ヤモリ星人は一眼カメラのファインダーを覗き込んだ。循環換気扇のそよ風は温かく、畦道として固めた土の匂いを運んでくれた。土に直で座るのは心地いい。

 炊き立ての艶のあるコメを少し風にさらしてからもっちりと球体に丸める女性が二人、カメラの狭い画角に収められている。


「君は部外者なんだ。興味がないなら外で虫の写真でも撮っていろ」


 ウサギ星人はけんもほろろに言ってのけた。ヤモリ星人は真っ黒い目をさらに大きく黒く見開いてびっくりした表情を作った。炭火の煙が大きな目に染みる。


「そんな仲間はずれにしないでよ。僕だってちゃんとコメの写真を撮って機関誌に発表してるよ」


 モケは涙目になって訴え出た。仲間はずれ発言が相当に堪えたか。炭火の煙が染みたか。チキュウ星人の里帆にはわからない。わからないからこそ、こっちには助け舟が必要そうだ。


「稲作実験の専属カメラマンとしてお仕事依頼してるから、ちょっとだけ関係者かもね」


「そうやってリホはモケを甘やかす。良くないぞ」


 マルマルマはひと仕事やり終えた満足げな顔で不恰好なコメの塊をお皿の上に転がした。ころりと半回転して、里帆が握ったきれいに丸みを帯びた三角形のおにぎりにぴったりくっつく。


「甘やかされたモケ。君も握り飯を握るか?」


 手のひらに残るコメ粒を拾うようにぱくり、マルマルマの口の中に。ふさふさの長い耳がぴんと跳ねる。こんな数粒のコメでこの口の中の存在感。これは、コメの集合体であるおにぎりに否が応でも期待してしまう。しかもショウユをつけて炭火で焼くのだ。焼きおにぎりだ。楽しみすぎる。


「僕はリホのおにぎりが食べたいよ。とてもきれいなカタチしてる」


「あら、ありがと。じゃあわたしのおにぎりはモケが握ってくれる?」


「ええっ、僕が?」


 モケはカメラ越しに自分の手のひらを広げた。指先が潰れた吸盤状で、しわしわの深い手相が刻まれている。指は長く、手のひらはぷっくり。相当大きいおにぎりが製作できるだろう。




 里帆のチキュウ文明再生プロジェクトはいい感じだ。チキュウのニホンでは約五ヶ月近くの長い時間をかけて稲を育てていた。しかしこの惑星の第七自然保護区では二ヶ月で稲穂が黄金色に実る。

 田圃ドーム内には完璧にコントロールされた光、温度、湿度、気圧、そして栄養たっぷりの水がある。

 稲を収穫した後は土壌を洗浄し、新たな栄養を与えて、すぐに二期目の稲作を継続できる。田圃のカエルたちに休む暇はない。収穫したコメが食べられる頃にはすでに次回の田植えも終わっている状態だ。田圃ドーム外から侵入する虫を食べる重要な任務があるのだ。

 収穫したコメを早速味見してみよう。里帆の提案にマルマルマも賛成した。この稲作文明再現実験のプロジェクトリーダーは里帆自身だ。反対する理由もないし、コメも食べてみたい。マルマルマにとって初めてのチキュウの食べ物だ。




「焼きおにぎりの写真を撮ってもいいでしょ?」


 ツヤツヤとしたコメの集合体に刷毛で褐色の液体ショウユを塗る。もっちりとした塊は一粒一粒が適度な圧で吸着していて、それでもそれぞれのコメのわずかな隙間に毛細管現象でショウユが染み込んでいく。

 それを網の上に放置して炭火で熱し、でんぷん質にメイラード反応を発現させる。香ばしく焦げる寸前まで熱を加えろ。これがチキュウの旨味という奴だ。


「撮るなら、サンプルとして理想的な形の方を撮りなさいよ」


 マルマルマは刷毛で追いショウユを這わせた。ブラックホール通信で過去のチキュウ、それも里帆の故郷から取り寄せたショウユだ。里帆のコメに合わないはずがない。

 ころり、里帆がおにぎりをひっくり返す。ショウユが炭火の熱に爆ぜた。焼ける音すら美味しそう。

 丸みを帯びた三角形と歪で小さめな球体、そして力任せに握ったような大きめのやや細長い楕円形。それぞれ二個ずつ焼けている。マルマルマの言う理想型とははたしてどれだろう。

 動物カメラマンは貴重な小動物の生態カメラに収めるように、レンズも焼け焦げる勢いで接写した。コメの表面が焼け、ショウユの水分が蒸発する様子を捉える。


「さあ、いただきましょ。お好きなのをどうぞ」


 里帆にとって十数年ぶりのニホンのコメだ。しかも新米の、炊き立ての、ショウユ焼きおにぎり。形なんてどうでもいい。宇宙に数少なく生き残ったニホン人の血が騒ぐ。


「それにしてもずいぶんと原始的な調理法を選んだものね。せっかく炊いたおコメを火で燃やすなんて」


 マルマルマが興味津々の様子で長耳をぴんと張って言った。普段は無関心で無愛想な先輩学芸員がそんな仕草を見せるなんて。先輩の意外な反応に里帆は笑って答えた。


「プリミティブって言おうよ。土に直接座って、火と水でお米を炊いて、風でシメて、また火を使って焼く。自然と一体化してる。これ以上ないくらい食事の基本だよ」


 そんな女子たちの他愛のないおしゃべりの間に、モケが申し訳なさそうに割って入る。


「あのね、ブラックホール通信端末借りてもいい?」


 真っ黒い目をうるうるとさせてモケが言う。ショウユが焦げる煙に目が染みたのだろう。


「研究部外者の君に特別に貸してあげてもいいけど、何をする?」


「秘密だよ」


 モケは真っ黒くて大きな目で愛用のデジタルカメラを覗き込んだ。液晶パネルの中に、里帆が微笑んでいる。




 宇宙は多元的に回っている。そのため宇宙の重力座標を特定できれば、いつでもどこでも宇宙を旅することができる。ブラックホール通信はそういう仕組みで成り立っている。

 写真を撮る。それはチキュウだけでなく宇宙全般で行われている普通の記録行為だ。しかし、写真を撮ることは宇宙重力座標を固定させることである。それに気付いている宇宙人は少ない。宇宙地図から重力座標を読む。他の宇宙人類よりも何十倍も色彩豊かな視力を持つ爬虫類型ヤモリ星人だけが持つ特殊能力だ。

 宇宙の写真は宇宙の地図。写真の画像を解析すればその重力座標を読み取れる。写真一枚あれば、宇宙のどこでもいつでも旅ができる。チキュウのニホン製のミラーレス一眼カメラが重力座標固定との相性が抜群にいい。それは宇宙でモケだけの秘密だった。

 モケは旅人。重力と時間を旅するヤモリ。




 大陸横断鉄道の乗り心地はあまりよろしくない。むしろ悪い。重力制御船の浮遊感があまりに快適なせいで、乗り継ぎ利用すると居住性の差を歴然と思い知らされるからだ。


「そういえばそうだね。うん、任せて。きれいな田圃仕上げて、立派なトノサマガエルを見つけてあげるよ」


 モケは里帆の曇りのない笑顔にカメラのレンズを向けた。


「とてもいい笑顔だよ。今度こそ、一枚いい?」


 里帆はヤモリに笑って見せた。


「一枚だけね」


 軽いシャッター音。遠い宇宙で、再びこの音に再会できるなんて。写真に撮られた里帆は懐かしさを覚えた。

 モケはカメラの液晶パネルをじいっと見つめていた。真っ黒くて大きい目で、まばたきもせず、里帆の画像から何を読み取ろうとしている。


「モケ? 写真、変?」


「ん? いや、全然いい写真が撮れたよ。今ね、重力座標を読んでいたの。僕だけの秘密の情報旅行だよ」


「何それ。わけわかんない」


 ふと、モケの頭上に黒い穴が開いた。ぽっかりと浮かぶ四角い黒。空間そのものがねじれて穴が開いたようで、黒の周囲の色も滲み、向こう側が歪んでいる。


「この出会いをささやかに祝しまして、宇宙で一番美味しい食べ物をご馳走するよ」


 モケの頭上の極小ブラックホールからにゅるりと一本のヤモリの腕が伸びた。おしゃれなアウトドアジャケットの袖を歪ませて、同じジャケットを羽織るモケに何かを手渡す。

 楕円形の塊が乗ったお皿。焦げた醤油の匂いが何とも香ばしい焼きたてのおにぎりだ。


「何なの、この現象は」


「気にしないでいいよ。それよりも、リホがこの宇宙で成し遂げることの方がよっぽどすごいことだ」


「モケって実はヤバい宇宙人?」


「かもね。リホもヤバいよ。この焼きおにぎりを見てよ。このお焦げ!」


 里帆は目をまん丸くして驚くしかなかった。こんな辺鄙な惑星で、大陸横断鉄道のコンパートメントの一室で、変なヤモリとニホン製一眼カメラと焼きおにぎりに再会するなんて。


「宇宙ではよくあることだよ」


 モケは人懐っこい笑顔で言った。そしてたった一個の焼きおにぎりを見つめて、思い出したように付け加える。


「焼きおにぎり、半分ちょうだい」


 誰かが握った醤油焼きおにぎりはホカホカと湯気を立ち上らせていた。

 宇宙ではよくあることだ。

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