第3話 秘密は金になる

 タクシー内の空気は最悪だった。四人が相乗りしようと合意した時とは雲泥うんでいの差だ。


 オーバーコートの男性が空気をよくしようと仲裁に入った。


「まあ、まあ、……チーズケーキは私もいただいてしまったので、盗られた分の代金は私が払いますよ」


 彼がリュックを開く。


 門河の席からは、その中身が見えた。それは1万円札でいっぱいだった。


「これでいかがです?」


 彼が身をひねり、1万円札を3枚差し出した。


 女性が目を怒らす。その視線は彼のリュックに向いていた。


「被害は100万単位なのよ!」


「全部を門河君が盗ったわけではないでしょう? それに、あなたは売り上げを減らして、損失分を回収しているはずだ。……では、これぐらいで妥協しませんか。あまり欲をかくのは良くない。これでなかったことにしてやったらどうです?」


 彼は紙幣を付け加え、10万円を提示した。


「そ、そうです。僕が盗ったのはたった5個だ。前に盗ったものを含めたって、30個にはならないはずだ。2万円でも釣りがくるはずだよ」


 オーバーコートの男性がかばってくれるのをこれ幸い、自己弁護に走った。


「泥棒が、何をいきがっているんだよ」


 脇腹にイケメン男性の肘が打ち付けられ、グッと息がつまった。


「仕方ないわね」


 女性が10万円をつまみ取り、さっさと財布に入れた。


 門河はほっとした。これですべての罪が消えた。もっとも、盗った時は罪などと考えていなかったのだけれど。


「おじさん、ありがとう」


 形だけだが、オーバーコートの男性に礼を言った。そのくらいの常識は持っているつもりだ。


 するとイケメン男性が前のオーバーコートの肩をトントンと叩いた。


「いいのかい、議員の金を勝手に使って? 横領になるよ」


「エッ?」


 身をよじって振り返る男性の顔が引きつっていた。


「……あ、あなたが、……妻をたぶらかした刑事なのか?」


「たぶらかした、はひどい。秘書さんの奥さんは、犯罪を告発する義務を果たした立派な市民ですよ。議員と一緒になって、国民の血税を〝わたくし〟した犯罪者とは違う」


 ――グッ――


 秘書ののどが鳴る。


「この金は全部、刑事さんにやる。だから、見逃してくれないか?」


「ナイナイナイ、私は政治家じゃない。刑事だよ。金じゃ動かない」


「女なら動くのか?」


 門河が突っ込みを入れるとにらまれた。


 秘書は、正面を向くと筋肉が弛緩しかんしたようになってシートに沈んだ。


「覚悟ができたようだね」


「どうせ逮捕されるのは私だけなのだろう?……先生は罪をすべて私にかぶせ、金と権力と人脈を使って逃げきってしまうのだ」


「それが分かっているのなら、どうして秘書なんかをやっていた? それなりにうま味があったのだろう?……それにしても、金を持ち歩いているとはなぁ。奥さんは、議員が持って行ったと、あんたを庇った。少しは感謝するといい。……その紙幣から議員の指紋が取れたら、物証のひとつになるだろう。あんたのためにも先生をげてやるよ」


 刑事が女性に向く。


「状況はのみ込めたかな? さっきの10万円を返してください。犯罪の証拠品なので」


「い、いやよ。チーズケーキの代金なのよ」


 彼女は胸の前で腕を組んで強く拒んだ。


「まったく……」


 彼が舌打ちをした。


「……どのみち、あなたの脱税も調べさせてもらいますよ」


 彼は門河に向く。


「君の窃盗も」


「たった1万円とちょっとだぞ。そっちのおっさんみたいに、何千万も騙し取ったわけじゃない」


「1円でも1千万円でも、他人の物を盗ったら犯罪なんだよ。そんなことも分からないのか? 政治家以下だな。いや、似たり寄ったりか」


 彼の肘が再び脇腹にあたった。


「女性を色仕掛けで捜査に利用している刑事が、威張らないでよ」


 彼女はふてくされていた。


「そうだぞ! 耳元のキスマークだって、前のおっさんの嫁さんにつけられたものなんだろう」


 彼女と一緒に刑事を非難して、憂さを晴らした。助手席で、秘書の肩が震えていた。泣いているのか、怒りを抑えているのか、背後からは分からない。


 タクシーが小さなビルの前に停まる。いつの間にか都内に入っていたらしい。


 運転席の外にベージュ色のコートを羽織った中年女性がやって来る。運転手が窓を開けると、彼女が微笑んだ。


「ご連絡、ありがとうございます」


 いつの間に?……運転手を凝視ぎょうししてしまう。


「いえいえ、……乗客の皆さんがもめているので、ここが一番だと思ってお連れしました。裏金を持って逃げるところの秘書さんと、脱税している経営者さん、先輩芸人に女性を斡旋する売れない芸人にして無人販売店での窃盗常習者。それと、容疑者の妻や娘をたらしこんで捜査に利用している悪徳刑事さんです」


 運転手が一人一人を指しながら説明した。


「そうですか……」外の女性が4人に名刺を配る。「……週間文潮の記者をしておりますぅ。お話、聞かせていただけますかぁ」


 彼女が満面の笑みを作った。


 タクシー運転手が情報を売っているのは、だ。

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ここだけの秘密 明日乃たまご @tamago-asuno

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