第2話 どいつもこいつも

「それでは私が……」


 イケメン男性が正面を見据えたまま話し始める。彼の耳の裏側に赤いアザのようなものがある。


 キスマークだな。イケメンは羨ましいや。……門河は、彼の話に耳を傾ける。


「……自分のことではないのですが、今、話題になっていますよね。政治家の裏金問題。……知人の政治家の秘書が現金を預かって隠し持っていたのですが、今度、彼が逮捕されることになりましてね。秘書だから仕方がない側面はあるのですが、すると突然、彼の家に雇っている政治家がやって来て、金を持ち去ったそうなのです。、……ひどいと思いませんか?」


「そいつは悪党だ」


 再び運転手が声をあげた。


「政治家が金に汚いのは今に始まったことではないからねぇ。どうしょうもないのよ……」


 女性があきらめきったようにため息をついた。


「……私の番ね」


 彼女は顎の下に人差し指を当て、しばらく考えた後に話し始めた。


「近くに無人販売店があって、よく商品が盗まれるらしいの。去年なんて損害が100万円を越えたらしいわ」


 飲み屋街の無人販売店?……門河は頭を巡らせた。思い浮かんだのは、花やスイーツの無人販売店だった。心当たりがないわけでもない。


「コンビニやスーパーだって万引きが多くて困っているんだ。無人販売店が万引きにあうのは当然じゃないのかな」


 思ったままを言うと、彼女がうなずいた。


「でね、秘密はこれからよ。そこの社長は、盗まれたのが100万円相当なのに、200万円の被害があったということにして、売り上げを減らして税務申告しているわけ。それが秘密。賢いでしょ、社長?」


「法を犯しておいて〝賢い〟はないだろう」


 イケメン男性が冷笑した。


「政治家は、4千万円ぐらいなら隠しても起訴されないというじゃない。200万ぐらい、法を犯したことにはならないんじゃない。あなた、税務署の人?」


「まさか、自分はただの会社員です」


 彼が拒むように窓に顔を向けてしまった。


 外は道路の街灯があるだけで真っ暗だ。


「門河君。本当は、あなたにも秘密を持っているでしょ?」


「お、俺には、ないっすよ」


「ほら、動揺している。正直に話しなさい。許してあげるから」


 彼女が女神のように微笑んだ。


 きっと一流のホステスなのだろうな。……そう思い、隠さずに話すことにした。


「今日、ナンパしました」


「ナンパ……?」


 オーバーコートの男性が振り返った。


「……おまえが、私の妻を誘惑した刑事なのか?」


「エッ!……何のことですか?」


「夕方から妻が姿を消した。妻を誘惑し、金のありかを聞きだそうとしたのだろう?」


 彼がリュックを胸に抱き忌めた。


「意味が分からない。あんた、誰だ?」


「ホント、何を言うの。この人は芸人って、さっき私が教えたでしょ。全然売れてないけど」


 彼女がクスクス笑った。


 うあっ!……俺、心が痛いぞ。


「……悪かった。刑事じゃないなら、いい。すまなかった」


 彼が前を向いた。


「変な人ね。で、門河さん。ナンパしてどうしたのよ?」


「いや、俺は先輩のために調達しただけッス」


「調達?」


「今頃、楽しいことをしているんじゃないかな。無茶してなきゃいいけど」


「……そうなんだ」


 彼女が冷ややかに言った。


「先輩後輩、芸人も大変だな。まるで政治の世界のようだ」


 イケメン男性が同情していた。


 なにが気に入らないのか、オーバーコートの男性が声をあげた。


「君なんかに、政治家の何が分かるというのだ。……せ、せ、政治家は、天下国家のために……」


 非難めいた声はひっくり返っていた。


「お金を集めているのでしょ……」


 クスクス、女性が笑う。そして真顔に戻った。視線が門河を刺すようだ。


「……でも、違うの。私が訊きたいのは、あなたが先輩に女性を斡旋した話じゃない」


 彼女の態度の変化が理解できない。不愉快だった。


「それじゃぁ……、なんや、分からへん」


「誤魔化さないで。さっき、のことなの」


「チーズケーキ?」


 門河は膝に置いたショルダーバックに視線を落とした。まだ幾つか、それは残っている。


「腐っていたのか?」


 イケメン男性が唇の端を持ち上げた。


「腐っているはずないじゃない。私の店の商品なのよ」


「あんた、社長なのか?」


「そうよ。頻繁ひんぱんに盗まれるから警察に相談したけど、被害届を書かされるだけで警察は何もしてくれなかった」


 彼女が赤い唇をとがらせた。


「それで脱税を?」


「そ、そうよ」


「嘘だな……」イケメン男性が再び冷笑する。「……で、門河君だっけ。君がそのスイーツを盗んだのか?」


 彼の視線が門河のショルダーバッグに注がれた。


「ま、まさか、俺はやってない」


「どうして私が、薄暗い駅の前で、あなたが芸人の門河だと分かったと思う?」


 尾行されたのか?……ショルダーバッグを押さえる手が震えた。


「へえ、聞かせてほしいね」


 イケメン男性が目を細める。


「防犯カメラに残っていた犯人の顔を、ネットで検索したのよ。そうしたらAIがあなたを見つけてくれた……」


 女性は門河に、これまでと違った軽蔑の視線を向けた。


「……そんなことでもない限り、売れない芸人の顔を覚えているはずがないでしょ。盗ったもののケジメはつけてもらいますからね。警察に行ってもらいます」


「このまま行きますか?」


 運転手が尋ねた。


「いいえ、こう見えても私、忙しいのです。こんな人に付き合ってはいられないわ。明日にも自首してください。これに……」


 彼女がスマホを示した。


「……今の会話が録音されています。自首しなかったら、改めて訴えますからね。温情なのですよ。自首したら、罪も軽くなるでしょ」


 彼女は恩着せがましく言った。


「とても忙しそうには見えないが……」


 口角を上げたのはイケメン男性。


「冴えないサラリーマンに言われたくないわ。こう見えても私、店を増やすのに忙しいの。新しい商品も開発しないといけないし……」


「帳簿の改ざんとか?」


 イケメン男性が反撃するように嫌味を言った。


「うるさいわね。帳簿をどうしようが、あなたには関係ないでしょ!」


 図星だったらしい。女性が声を荒げた。


「改ざんはだめでしょ」


 運転手がボソッと言った。

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