第13話 七日目 3とエピローグ

 林の中から人が歩いてくる。手を振りながら、歯を見せて笑いながら。


 安曇だった。安曇がこちらへ向かってくる。

 眼鏡をかけていないから、なんとなくいつもとは雰囲気が違うが、間違いなく安曇だ。

 安曇は胸にブブを抱いていた。そして空いた方の手にはペットボトルを持っている。まるで、ちょっと散歩にでも行ってきたといったふうだ。


「おまえ、生きてたのか!」

 首藤が泣きそうな声を上げた。

「安曇! 心配したんだぞ」

 僕も熱いものがこみあげてきて、それ以上は言葉にならない。

「なんだよ、大げさだな。たった一日いなかっただけじゃないか」

「何がたった一日だよ。島中を探してたんだぞ!」

 首藤が安曇にヘッドロックをかけた。それを安曇は笑いながら受ける。

「――どうして?」

 美月さんといえば、ぽかんと、ほんとうに言葉通りぽかんと口を開けて安曇を見つめていた。

 ポエが安曇に駆け寄って行った。まるで安曇を迎えるみたいに、手を取る。

 不敵な笑いを浮かべて、安曇は美月さんを見据えた。

「どういうことなのよ、説明しなさいよ!」

「おまえ、怖かった?」

 安曇はそう言うと、あははははと笑い声を上げた。

「じゃ、美月さんが聞いた声っていうのは、安曇の声だったってわけ?」

 安曇が頷く。と、同時に、首藤が、

「おまえ、林の中でただ叫んでたのかよ。美月さんが聞いたのは、ああーっていう声なんだろ?」

 すると、安曇は、手にしていた二リットルのペットボトルを掲げてみせた。

「これだよ」

 林から出てきたとき、ペットボトルを手にしているとはわかっていたが、気にも止めなかった。

「それが、どうしたんだよ」

 首藤が首を傾げる。

「これで声を出すとさ」

 そして安曇はボトルの口の部分に自分の口を付け、声を出してみせた。

「あああぁああ」

「嘘……」

 美月さんが絶句した。

 よく見ると、ペットボトルの底がなかった。切り取られているのだ。そのせいで、声はボトルの中で反響して奇妙な音に変化する。

 呆れて言葉が出なかった。たったこれだけのことで、美月さんは呪いと勘違いしたのか。

 いや、おそらく、あの岩の隙間のトンネルや洞窟のせいだ。僕たちは薄暗い未知のトンネルを抜け終点にたどり着いた。その時点で、何か得体の知れない恐ろしさを感じていた。そして美月さんは林の中で声を聞いた。呪いの声だと思い込む下地はじゅぶんにあったのだ。

「ポエのおかげなんだ。ポエがこれで遊んでいるのを見て思いついた」

 ペットボトルには、英語のラベルが貼ってある。この島に捨てられているのを拾ったのかもしれない。

 

 僕ははっと顔を上げた。

「もしかして、ポエが海岸でぶらぶらしてたのは」

 安曇が頷き、ポエの頭を撫でた。

「ポエに協力してもらったんだ。俺の仲間がやって来たら、あのトンネルのところまで三人をおびき寄せるようにって」

 何か言いたげなポエの表情が思い出された。日本語が話せたら、僕たちは言葉で誘われていただろう。

「元はといえば、あのトンネルもこの場所も、ポエが教えてくれたんだ。それで、この計画を思いついたってわけ。なんとしてでも美月に一泡吹かせないと気がすまなかったからな」

「そっかあ」

 首藤が頭の後ろに手を組んで叫んだ。

「岩の荒地をポエがぐるぐる回ってたのは、美月さんを林の中で一人にしたかったから」

「ご名答」

 安曇がしたり顔になった分、美月さんは膨れた。唇を噛み横を向いている。

 ポンポンとペットボトルを腿に当てて鳴らしてから、ポエの頭を撫でる。

 僕たちはいっせいにポエを見た。安曇の横でぼんやりと僕たちを見つめているポエが、自分に向けられた視線にちょっとたじろぐ。日本語がわからないポエだが、自分について話がされているのは雰囲気で察するのだろう。安曇を見上げてから、恥ずかしそうに安曇の後ろに隠れる。


「で、丸一日、あの林の中にいたのか?」

 僕は林を振り返った。ヤシの葉が茂る林は、たしかに隠れるには申し分なさそうだが。

「ヤシの木の根元で過ごしたよ。眠るには適さなかったけど、雨が降らなかったからなんとか過ごせた。ここへ来る前に、水や食料はリュックに詰めてきたしね。それでも、丸一日おまえらが来ないとは思わなかったからさ、いい加減不安になってたんだ。戻らないとヤバいぞって思い始めたときブブの鳴き声がした。正直ホッとしたよ」

 僕たち男三人は和やかに笑い合った。安曇が無事に見つかったという安心感が、今更ながらこみ上げてくる。

「騙したのね、わたしを」

 美月さんの怒気を含んだ声に、僕たち三人は笑いを引っ込めた。

 もう、美月さんの頬には涙はない。

「はじめに騙したのはそっちだろ」

「――安曇、知ってたの?」

 驚いたのは、美月さんだけではなかった。僕も首藤も、安曇は美月さんがスケイルマンをでっち上げたのを知らないと思っていたのだ。

「ブブを探しに行くと、ニックの家の近くでブブの声がしたんだ。それでニックを問い詰めたんだけど、知らないと言い張られた。だけど、信用できなくてさ、ニックの後を付けたんだ。そしたら、その途中でアリキに出くわした」

 ニックの後を付けている最中に、安曇は眼鏡を落としたのだ。

「アリキはブブを抱いていた。偶然、ブブを見つけたみたいだったよ。それで、ブブを返せって言ったら、条件があるって言うんだ。何かと思ったら、スケイルマンの出没スポットを教えから金を払えって言われて」

「払ったのか?」

「ああ。ポケットに入っていた小銭をね。そしたら、付いて来いって言われて」」

「だからニックの後に付いていかなかったんだな」

 思わず安堵のため息が漏れた。


「おまえ、命拾いしたよ」

 首藤も言う。

「どういうこだよ」

 安曇は僕と首藤を交互に見る。

 僕は昨日の顛末を話した。島民といっしょに安曇を探しているうちに、コモドオオトカゲの生息地を見つけた。そして夜、僕たち三人でニックの後を追い、ふたたびコモドオオトカゲの生息地へ行った。そこで、ニックが秘密裏にコモドオオトカゲの飼育をしていた。

 話すうちに、安曇の目の色が変わっていった。

「コモドオオトカゲって、あの絶滅危惧種のかよ!」

「そうなんだ。ずっと前に島民のミゲル爺さんって男が、コモドオオトカゲを密輸して飼っていたらしいんだけど、それをニックが引き継いでいたんだ」

僕の返答に、安曇は目を丸くする。

「信じられない。だって、餌はどうしたんだよ。肉食だろ? この島に大トカゲの餌になるような動物はいないはず」

「数年前から、島で飼われていた家畜が盗まれる事件が起きてるんだ。どうやら犯人はニックみたいでさ」

「大トカゲに食べさせてたってわけ?」

 ヒェーッと安曇は細い息を漏らす。

「だから、心配したんだぞ。おまえもニックの後を追って、ニックの飼育小屋に行っちゃってさ、それで食べられたんじゃないかと」

 首藤の真剣な表情に、安曇は色を失くした。

「冗談じゃないよ」

「危なかったと思う。実際、僕たちも襲われそうになって、命からがら逃げ帰ったんだ。逃げ遅れたニックは――」

 そう言った僕を、安曇は食入いるように見つめる。

「まさか、食われた?」

 僕は頷き、ポケットから安曇の眼鏡を取り出した。

「大トカゲの飼育小屋へ行くまでの道で拾ったんだ」

 安曇が呆然と眼鏡を受け取る。

「戻せてよかった」

 眼鏡をかけ、安曇は僕たちの見慣れた安曇に戻った。ちょっと皮肉めいたオタク風の安曇。

「ありがとう」

「彼女にまで礼を言うかね」

 首藤が茶化すと、美月さんはバツの悪そうな顔で安曇に言った。

「それで? アリキとはどこへ行ったわけ?」

「連れて行かれたのは、島に着いたとき行った崖地だよ。ところがそこで」

安曇はさもおかしそうに、続ける。

「崖地に着いたらさ、ちょっと待ってろって言うんだ。その間、アリキはどこかへ行ってしまった。出没スポットに連れて行くから、先に案内代を払えって言われて金を渡していたからさ。俺も言われた通りに我慢して待ってたんだ。そしたら、スケイルマンが現れた。すぐにわかったよ、アリキが扮装してるって」

「ずいぶん雑なやり方だな」

 首藤も笑う。

「美月の指導もなく、金目当てで勝手にやったんだろ。それで、あんな雑になったんだな」

「それって嫌味?」

 美月さんが混ぜ返したが、安曇は続けた。

「詰め寄ったら、アリキはすぐに白状したよ。美月にそそのかされて、ニックといっしょに俺たちを騙したって。で、俺はすぐに美月のところへ行って糾弾してやろうと思ったんだが」

「わたしを騙す計画を思いついたってわけ?」

 美月さんが不貞腐れて言った。

「そう。ポエが崖地へやって来て、ペットボトルの笛を吹いて遊んでたんだ。その奇妙な音を聞いて思いついたんだ。姿をくらまして、美月をおびき寄せてやろうって。だけど」

 

安曇はふうっと息を吐いた。

「ポエに美月たちを見かけたらおびき寄せてくれって頼んだものの、なかなかやって来ない。まさか、俺を探して大騒ぎしてるとは思わなくてさ。それで、一日経っちゃったってわけ」

「で、あの林にいたのかよ」

「そうなんだ。ポエにここを案内してもらってさ。二人でジャングルごっこだよな」

 そうポエを振り返り笑った安曇だったが、僕や首藤、そして美月さんの表情に気づいて、訝し気な目になった。

「なんだよ」

 安曇が訊く。

「おまえ、アリキに何もしてないよな」

 首藤が言った。

「何もって?」

「アリキは殺されたのよ」

 美月さんが言い放つと、安曇はへっ?と裏声になった。


「な、何言ってんの、おまえら」

 安曇は笑おうとしたが、三人の表情を見て口元を引き締めた。

「ほんとなんだ。アリキは」

 僕は安曇の傍らのポエを気にしながら、続けた。

「あの崖地で見つかったんだよ。酷い殺され方だった」

「まさか」

 あの現場を見ていないのだ。信じられないのも無理はない。

「いったい、誰がそんな酷いことを」

「わかってないの。まだ犯人は捕まっていないのよ」

 そう言った美月さんの目が光る。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 慌てて安曇は首を振った。

「俺は知らない。アリキとはあの崖地で別れたんだ。ブブを抱いてポエを連れて」

「ポエも連れていったの?」

 美月さんが、呆れた目で言う。

「ポエにここまで案内してもらったんだよ」

「だって、真夜中だったでしょう?」

「そうだけど、ポエが」

 ブブのリードを引っ張って遊び始めたポエを、安曇は優しい目で見た。

「俺にくっついて離れなかったんだよ。母親の機嫌が悪くてさ、家に帰りたくなかったみたいで、ずっと俺といっしょにいた」

 少女のようなアリキの妻が思い出された。ポエにとっては継母にあたる彼女は、あまりポエをかわいがっていない様子だった。

「じゃ、この子は父親が死んだ事実をまだ知らないのね?」

「――多分」

 安曇に付いて行かなければ、ポエは父親の無残な姿を見てしまったかもしれない。幼い母親のヘレが、息子への配慮ができたとは思えない。そう考えれば、結果オーライだった気もするが。

「よかったよ。父親があんな酷い殺され方をしたのを見たら、ポエはおかしくなってるよ」

 呻くように。首藤が言った。

「酷い殺され方って」

 安曇が訊く。

「喉を掻き切られたんだよ。すごい血の量だった」

 僕が答えると、安曇は絶句したあと、呟いた。

「まるで、アリキに聞いた言い伝えみたいだな」

「ほんとだ。どうして気がつかなかったんだろう」

 僕の声は思わず大きくなった。そして三人を見やる。

「アリキは言い伝えと同じ殺され方をしたんだ」

「どういうこと?」

 美月さんが目を見開く。

「アリキから聞いたこの島の古くからの言い伝えの話だよ。味方に殺された双子の妹のほうは、兄に誇り高く死んでもらおうと声を上げようとして、味方に殺されたんだ。喉を掻き切られて」


「呪いかもしれない」

 首藤が呟いた。

「有り得ないよ。こんなネット環境の整った島で呪いなんて」

 安曇が笑ったが、首藤は納得しない。

「おまえ、本気でそう思ってるのか? 俺たちはスケイルマンがいると信じてこの島にやって来たんだぞ。人知の及ばない力を、俺たちは信じてたんじゃないのか?」

「そういえば」

 僕はアリキが遺体で発見された日を思い出した。

「ニックが言ってた。アリキの遺体を見て、これは呪いだって」

「もう我慢ができないぞ!」

 首藤が叫ぶ。

「こんな島、すぐに出ようぜ。こんなところにいたら、この先何があるか」

「無理だよ。島に貨物船が来るのは、二日後なんだぞ」

 安曇が低く言う。

「じゃあ、どうすんだよ。俺たちもアリキのように呪い殺されるぞ。ワヒネの崖へ行ったアリキもニックも死んだ。次は俺たちかもしれない」

「だけど、首藤。この島から島民に隠れて出て行くのは無理なんだぞ」

 僕も声を荒らげた。

「スティーブンたちは、まだ安曇が見つかったと知らない。もし、安曇がみんなの前に出て行けば、アリキ殺しの犯人にされてしまう」

 スティーブンに、安曇がアリキに会ったのではと報告してしまった。安曇が登場したら、スティーブンや警察はきっとアリキ殺しに関連付けるだろう。

「冗談じゃないよ」

 安曇が悲痛な声を上げた。

「まずいよ」

 首藤がテンパる。僕も焦った。

「状況はどう考えても安曇に不利だ」

「ごちゃごちゃ言わないで!」

 美月さんの一喝に、僕たち三人は驚いて美月さんを見た。

「安曇の潔白を証明するしかないじゃないの! それにはどうしたらいいか。決まってるでしょ。アリキを殺した犯人を見つけ出すのよ!」

 美月さんは、いつもの強気に戻って、僕たちを順に見ていく。

「そんな」

 

 はじめに口を開いたのは、安曇だった。

「美月、気は確かかよ」

「無理無理。警察官じゃないんだから、俺たちは」

 首藤もそう言って、顔の前で手を振る。

「行動を起こしましょ」

「どうするんだよ」

 首藤が訊く。

「奥さんのヘレから、アリキが殺された夜について聞き出しましょ。何か知っているかもしれないわ」

「知ってることがあるなら、警察に話すだろ」

「ヘレはきっと警察官に怯えていると思うわ。ただ、見知らぬ人たちってことだけでね。だから、知ってることがあっても話してないかもしれない」

「一理あるな」

 安曇が言った。

「まず、安曇はもう少し、あの林に隠れてて」

 ええっ?と、安曇から悲鳴に近い叫び声が上がった。

「冗談でしょ」

「冗談なんか言ってる場合? 安曇、捕まって一生南半球で過ごしたいの?」

「まあ、隠れてたほうがいいかもな」

 首藤が頷く。

 僕も同意見だった。アリキを殺した犯人が見つかるまで、安曇は姿をくらましていたほうがいい。

 首藤が安曇の肩を叩いた。

「心配すんな。今日中にもう一度来るから」

「行くわよ。ポエを母親のところに連れて帰ってあげなきゃ」

 立ち上がった美月さんに、ブブがキャンキャンと吠え始めた。

 


 美月さんにはほんとうに驚かされる。

 林に戻っていく安曇と分かれる僕たちを撮影しようと言い出したのだ。


「まだ懲りないのかよ」

 安曇は呆れたが、美月さんはひるまなかった。

「いいシーンになりそうじゃない? 安曇と分かれたわたしたちは、犯人探しに向かうのよ。安曇に約束して、意を決して向かうの。こんな感動的な場面、撮らなきゃもったいないわ」

「ヤラセは気が進まない」

 ぴしゃりと言った安曇に、美月さんは目を丸くする。

「何もでっち上げるって言ってるわけじゃないのよ。動画をわかりやすくしようって言ってるだけ。犯人探しに向かうシーンを撮るなら、分かれるシーンから撮ったほうがいい」

「撮影するって決まってないぞ」

「撮るべきよ。友達の汚名を削ぐため、犯人探しをする動画なら、きっと共感を得られる。UMA探しよりおもしろいくらいよ」

「また金儲けかよ」

「金儲けのどこが悪いわけ?」

「冗談じゃない。こっちは人生がかかってるんだぞ。おまえの金儲けのために、カメラの前で演技するなんてごめんだよ!」

「わたしだって人生かかってるのよ。このままだと借金が返せない。手ぶらで帰るわけにはいかないの!」

「勝手にしろよ!」

 結局安曇が折れて、撮影をすると決まった。僕と首藤が、美月さんに賛同したせいもある。たしかに、美月さんが言うように、いい動画が撮れるかもしれない。

 美月さんは指示を始めた。僕に撮影係を命じ、安曇に指導する。

「なるべく肩を落として、とぼとぼと林に戻って」

 それから首藤に顔を向け、

「大きく手を振ってちょうだい。必ず戻るって約束しながら」

「なんだよ、それ」

 首藤も呆れたが、実際僕たちが洞窟へ足を向け、安曇が林に戻り始めると、美月さんが指示した通りになってしまった。

 安曇は心底心細いのだろう。とぼとぼと肩を落として林に向かい、首藤はそんな安曇に叫んだ。

「おおーーーい、すぐ来てやるからなあああ」

 大きく手を振る。そんな首藤を、僕は正面と横からと、角度を変えて写す。首藤の傍らで、ちょっと泣きそうな表情をした美月さんも入れる。美月さんは、舌を巻くほど演技派だ。

 

 安曇は林に見えなくなり、僕たちも洞窟へ着いた。ここからまた、来たときと同じように、トンネルをくぐって海岸に戻る。

 洞窟に入るためにスマホの撮影を中止すると、美月さんに止められた。

「続けて、撮影」

「ここも撮るの?」

「そうよ。薄暗いし、リアル感たっぷり」

 そしてトンネルの洞窟に下りた途端、美月さんが叫んだ。

「ここは犯人が隠れるには絶好の場所だわ」

 何を言っているのかわからない。この場所とアリキを殺した犯人とは関係ないはずだ。

 思わず立ちすくんだ僕に、美月さんが、

「もう!」

と言ってから、

「峡くん、一旦撮影中止!」

と、怒鳴る。

「何言ってんだよ」

 首藤が訊いた。

「何って、それらしいセリフを言ってるのよ。わたしたちは犯人探しの動画を撮ってるのよ。それらしいセリフを言わなきゃ撮影する意味がないじゃないの」

「また捏造するってわけ?」

「捏造ってことにはならないでしょう? 実際、犯人がどこにいるかわからないのよ。わかっているのは、この島にいるってことだけ。それなら、ここを通ったと仮定しても嘘をついたことにはならないわ」

 それはそうかもしれないけど。

「何か問題ある? 視聴者を音声で導いていかなきゃ、何がなんだかわからないわ」

それも一理あるかもしれない。だが、ちょっと強引すぎないか。

「わかった、わかったよ」

 姿勢を整えた美月さんが、壁に手をやって呟く。

「ここに手がかりがあるかもしれないわね」

 首藤は無視して、トンネルへ入ろうとする。

 

 僕は全員にスマホのカメラを向けた。美月さん、首藤、ポエ、ブブ。プロじゃないし、四つの被写体を追うのは結構大変だ。とりわけ、ブブは難しい。跳ね回るせいで、すぐに見えなくなる。

 といって、ポエのように、カメラを向けると、立ちすくんでしまうのも困る。しかも、ポエがこちらに向ける視線は、なんだか暗い。子どもが子どもらしくないとウケないだろう。

「ポエ、そんなしかめつらするなよ」

 言ってみたが、しかめつらなんて言葉がポエに通じるはずがない。

 諦めて首藤にカメラを戻そうとしたとき、ポエがこちらに向かってきた。そのまま僕の目の前に来る。

「あっ」

 ポエに払われたスマホが、地面に落ちてしまった。落ちた先には岩がったのだろう。カツンと乾いた音がした。

「何するの!」

 美月さんが叫び、慌ててスマホを拾い上げる。

「やだ、やだ。壊れたらどうするのよ」

 言いながら、電源を入れ直す。どうやら無事だったようだ。

「どうしたんだよ、ポエ」

 僕はポエの手を取って顔を近づけた。

 ポエは変わらず暗い目をしたまま、僕を見つめる。

「どうしてスマホを投げたの? スマホが嫌いなの?」

 ポエは頷く。

 僕と美月さんは顔を見合わせた。

「七歳の子どもで、スマホ嫌いなんて。初めて見たわ」

「そうだよね」

 日本の七歳なら、スマホのゲームアプリで遊びたがる。

「いい? 撮影の邪魔をしちゃだめよ」

 ポエはきつく美月さんを見つめ返した。

「わかってるのかしら」

「わかってると思うよ。ポエは英語がわかるんだから」

 なんだか変だ。ポエは怒っているように見える。

 どうかしたかあと、トンネルに入っていた首藤が声を上げた。

 ちょっと待ってくれと返し、ふたたびポエに向き直った。


「ポエ、何かわけがあるなら言ってごらん」

 下手な英語なので、叱っていないというニュアンスが伝わったかどうか。

「父さんが、スマホはよくないものだって言ってる」

「どうして」

 子どもにスマホを与えたがらないのは、世界共通なのだろうか。

「いつも、父さんとママは、スマホのことで喧嘩するんだ。ママがスマホのカメラで映そうとすると、ママを叩いてスマホを投げちゃうんだ。僕にも、そうしろと言ってる」

 どうやら、あまり夫婦仲はうまくいってなかったようだ。まだ少女のようなヘレが思い出された。彼女だって、日本で言えば高校生の年齢だ。スマホが必需品だろう。

「ママは何を写してたの?」

 美月さんが訊いた。

「父さんのこと。父さんがママを殴ると、ママはスマホで父さんを写そうとするんだ」

 僕と美月さんは顔を見合わせる。ふいに、初めてワヒネの崖でアリキ親子に出会ったときことが蘇った。アリキは威圧的な男だった。ヘレもポエも怯えていた。

「父さん、怖いんだ。ママをすごく殴るんだ」

「ポエも殴られた?」

 僕は頷いたポエの暗い目を見つめ返した。

「ママは助けてくれないの?」

 困ったように、ポエの視線が泳ぐ。 

「僕は逃げる。すぐに逃げるんだ。それで家の周りをぶらぶらするんだ。夜中のときはさびしいけど」

 そしてポエは、ほんのわずかに表情を和ませた。

「アズミと会ったときは平気だったよ」

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。美月さんも息を飲んでいるのがわかる。アリキが殺された夜、アリキは妻のヘレと喧嘩をしていたのだ。

「どうして平気だったの?」

「満月だったから」

 そうだ。たしかに、アリキが殺されたのは満月の夜だった。そして安曇がいなくなったのも。

「安曇はアリキ夫婦が争っていたことを知ってたのかな」

 僕は美月さんに顔を向けた。

 うーんと目を細める。

「知らなかったと思う。たしか、安曇は言ってなかった? ぶらぶらしているポエを見かけて声をかけたら付いてきたって」

「家に帰りたくなかったんだな。それで安曇といっしょにあの林にいたんだ」

「ということは、ポエも丸一日家に帰ってないのよね?」

「だろうね」

「それなら、どうして母親は心配して騒がないのかしら」

 たしかにおかしい。七歳の子どもが丸一日家を空けたら、普通大騒ぎになるだろう。


 すっくと、美月さんが立ち上がった。

「きっとヘレは何か知ってるわ」

「どうしたんだよ」

 トンネルから首藤が顔を出した。

「アリキが殺される前、奥さんのヘレと争ってたみたいなんだ。ポエは逃げ出して、安曇に会ったようなんだ」

「ということは」

と、首藤は立ち上がろうとして、

「イテッ」

と、トンネルの天井に頭をぶつけた。

「アリキを殺したのは、ヘレかもしれないってことか?」

 ポエに日本語がわからなくてよかった。こんな会話は絶対聞かせられない。

「ヘレに可能かしら」

 美月さんが疑問を投げかける。

「どういう意味?」

 僕は訊いた。

「だって、ヘレはアリキの暴力にさらされていたんでしょう。突然反撃することなんてできるのかしら」

「とうとう、遂に、反撃したのかもしれない」

 首藤が言う。

「だけど、男の喉を掻き切るなんてできるかしら。アリキは大柄じゃないけど、ヘレはもっと小さいわ。痩せているし、とても腕力があるとは思えない」

「共犯者がいたとか?」

 僕は思いつきを口にしてみた。

「有り得るな。ともかくヘレに話を聞いてみよう」

 僕たちはトンネルに入るためにしゃがみこんだ。



 海岸はひっそりしていた。風が出てきたのか、早朝よりも波が高くなっている。

 まだ、時間は十時を過ぎたところ。それなのに、人の気配はなかった。もともと明るい雰囲気の島ではないが、殺人事件が起きた事実が、島をますます陰気に見せる。

 ニュージーランド警察を乗せてきた船が停泊する湾を通り越して、僕たちはポエの家へ向かった。アリキの家は、ワヒネの崖へ続く海岸線を山側へ入った場所にある。


「あいつ、帰りたくなさそうだな」

 後ろを振り返って首藤が言った。並んで歩く僕たち三人の後ろから、ポエはブブと共に歩いてくる。頻繁に立ち止まり、小石を拾ったり、海に向けて投げたりしている。

「もしかすると、父親の暴力は日常的なのかもね。まだ、父親が死んだことを知らないわけでしょう? 父親を恐れて帰りたくないのかもしれない」

 美月さんが重い口調で言う。

「ポエ、おいで」

 海岸にしゃがみこんでいるポエに声をかけた。渋々といった表情で立ち上がる。

 アリキの家に近づいてきた。美月さんが先頭に立って、進む。辺りはしんとしていた。もしや、スティーブンや警察と出くわしたらと、戦々恐々だったが、彼らの姿はなかった。ワヒネの崖で捜査に当たっているのかもしれない。

 家に着くと、ようやくポエは自分から庭へ入っていった。それでも、家の中には入ろうとしない。

 美月さんが僕の腕を引っ張り、スマホを寄越す。

「わたしがヘレと話すわ。だから、撮影をお願いね」

 僕はぎょっとした。

「また撮るの?」

「アリキ殺害の何か重要な手がかりとなる話が聞き出せるかもしれないのよ」

「そうだけど」

「見つからないように、やって」

 首藤に顔を向けると、首をすくめて同意する。僕はスマホのカメラを回し始めた。

 美月さんが玄関の前に進み、ドアを叩く。


「ハロー」

 中から返事はなかった。だが人はいるようで、音楽がかすかに聞こえてくる。

 ふたたび美月さんが声をかけると、玄関のドアが開いた。

「なんですか」

 ヘレだった。額にかかった髪を払おうともせず、上目がちにこちらを見る。夫が殺されたショックで休んでいたのかもしれない。汚れたTシャツに短パン姿だ。初めて会ったときも幼いと思ったが、今日は一段と幼く見える。

「ポエを連れてきたの」

 ヘレはちらりと庭に視線を投げ、それから興味がなさそうに顔を戻す。

「心配だったでしょう? ポエは元気ですよ」

 すると、美月さんを睨みつけた。

「ポエはわたしの子どもじゃない。アリキの息子だ」

 不快そうな言い方だった。そしてドアを閉めようとする。

「ちょっと待って」

 閉まりかけたドアを、美月さんが掴んだ。

「ちょっと話がしたいんだけど」

「帰って」

 ほかにも何か言ったようだが、早口で聞き取れない。

 美月さんが振り返って、首藤を呼んだ。いちばん英語が達者な首藤なら、ヘレの気を引けるかもしれない。

 首藤は鎮痛な面持ちでアリキの悔みを述べてから、言った。

「葬式はいつですか?」

 僕は島の葬式を思い描いた。以前、ネットで見た憶えがある。船に遺体を積んで、沖で流すのだ。あれはどこの島の光景だっただろう。

「まだ、警察から遺体が帰ってこない」

 ヘレの言う警察とは、役場のことなのかもしれない。検死が行われるとすればニュージーランドまで運ばれるだろう。そうなると、遺体が戻ってくるのはずっと後になる。

「それはお気の毒に。さびしいでしょう」

 ヘレは曖昧な表情で、何も答えなかった。徐々に警戒心を増してきたのか、目つきがきつくなっていく。


「アリキの亡くなった夜についてお話ししてもらえませんか」

 ふたたび沈黙。長かった。首藤がしびれを切らしたように、

「ねえ、ヘレさん」

と、声をかける。

「――何も話すことなんかない」

 ようやくヘレが口をきいた。

「僕たちの仲間の安曇が行方不明なんですよ」

 それが?と言うように、ヘレは目を細める。

 首藤はちらりと、背後のポエを一瞥した。

「ポエの話だと、アリキが殺された夜、安曇はアリキと会っていたようなんです」

 ぎょっとしたように、ヘレの目が見開かれた。

「わ、わたしは何も知らない」

「あなたは安曇と会いましたか?」

 震えるように、ヘレは首を振る。

「見てないんですね」

 ふたたび首を振る。だが、視線が泳ぐ。何か隠しているのだろうか。

 美月さんが、「もっと訊いて」と日本語で言った。

「あの夜、あなたは家にいたんですか」

「いた」

 そう言ってから、ヘレは、

「いない」

と、言い直す。

「どっちなんですか」

「警察には何もできない」

「どういうこと?」

「アリキは呪われた。そのせいで死んだ」

 ヘレは強い調子で言い、バタンとドアを閉めてしまった。

「呪いを信じてるんだな」

 閉じられたドアから踵を返して、首藤が言った。

「無理もないわね。あんな酷い殺され方をしたんだもの」

 美月さんもため息をつく。

 僕は撮影をやめて、スマホを美月さんに返した。

「島民はみんなそう信じてるんだろうか」

「どうだろうな。少なくとも、メアリーさんは信じてないだろ」

 首藤の言う通りだろう。この島の島民のほとんどは、ニュージーランドに生活の拠点を持っているのだ。言い伝えを信じて暮らす島民像とはほど遠いのだ。


「ポエ!」

 僕はポエを呼んだ。かわいそうだが、ブブを返してもらわなくてはならない。メアリーさんは心配しているだろう。

 ブブ抱いて庭を出ると、ポエは家の中に入っていった。



 僕たちはメアリーさんの家へ戻る前に、役場へ寄った。アリキ殺しの犯人について情報を得るためだ。

 

 スティーブンはいなかった。事務仕事を担当している女性に訊くと、まだニックが死んだミゲル爺さんの小屋にいるという。

 

 アリキ殺しの犯人については、何もわかっていないようだった。凶器も見つかっていないし、くわしい調べはこれからだという。

 

 お礼を言って立ち去ろうとしたとき、呼び止められた。

「アズミは見つかりましたか」

 僕たちはギョッとして立ちすくんだ。

「――そ、それは」

 しどろもどろに答える。

 そんな僕を肘で突いて、美月さんが前に出た。

「まだ見つからないんです。こちらには何か情報が入っていませんか」

「ないわ、残念だけど」

 その表情が、心底同情に満ちているように見えたので、僕はいたたまれなかった。  

 善意の人に嘘をつくのは楽じゃない。その点、美月さんは、

「仕方ないじゃない」

とあっさりしていたし、首藤も、

「捜索隊の島民たちには頭が上がらないよ」

と言いながらも、あまり気にしていない様子だ。

 

 メアリーさんの家でも、僕だけがうまく話せなかった。ブブの帰りを喜ぶメアリーさんは、

「アズミもきっと戻ってくる」

 そう言って涙ぐんでくれて、言葉に詰まってしまう。

 メアリーさんに見つからないよう、僕たちは食料や飲料水をリュックにできるだけ詰め込んで、安曇の待つヤシの林へ向かった。

 二度目ともなると、薄暗いトンネルにも不気味さは感じない。まるでもぐらにでもなったように、僕たちはトンネルを抜け、洞窟にたどり着き、崖上に出た。

 林に入って行くと、僕たちの声を聞きつけたのか、奥から安曇が呼ぶ声が聞こえた。声のするほうへ走っていくと、大きなヤシの木があり、根元に安曇が寝転がっている。器用にヤシの葉を重ねてベッドのようにしている。

「腹が減って動けないんだよ」

 動けないとは少々大げさだとは思ったが、空腹なのはほんとうだろう。野外で過ごすと、普段よりも疲労が激しい。

 僕たちは、安曇の手作りベッドの上に、車座に座った。リュックから食料を取り出し、並べる。安曇はガツガツ食べ始めた。その食べっぷりを見ていると、自分たちも空腹なのを思い出して、パンやビスケットを食べた。

 とりあえず空腹が満たされると、安曇はごくごくと喉を鳴らしてペットボトルの水を飲んでから、言った。

「犯人は? 見つかった?」

「まだなんだ。だけど」

 僕はポエの話を要約して伝え、ヘレに会ったときの様子を話した。安曇は驚きを隠さなかった。ポエがアリキから暴力を振るわれていたとはまったく気付かなかったという。ポエもそんな素振りは見せなかったらしい。まるで遊びの延長のように、ポエは安曇と行動を共にしたというのだ。

「よく考えてみれば、一、二度しか会ったことのない、しかも外国人の俺に付いてくるのは変だよな」

 沈んだ表情で、安曇は言う。無邪気に見えるが、あまり笑わないポエが不憫なのだろう。

「な、安曇。おまえがメアリーさんの家を出たところから整理させてくれ」

 首藤が、ビスケットを口にくわえたまま言った。

「ブブを探しにメアリーさんの家を出たおまえは、ディエゴ爺さんの家の近くまで行き、見つからなかったから、更に歩き、ニックのところへたどり着いた」

 安曇が頷く。

「ニックに会ったおまえは、ブブがいないのを知って、諦めてメアリーさんの家へ戻ろうとした。そこで、アリキに会ったんだよな」

「そう。それで、アリキから、スケイルマンを見せてやるからと誘われて、ワヒネの崖に行った」

「ところがワヒネの崖で見たのは、スケイルマンに紛争したアリキだった。おまえはアリキに問い質して、スケイルマンでっち上げのからくりを知った。アリキとおまえは、ワヒネの崖で別れた」

 うんうんと、安曇は頷く。

 安曇と別れた後、アリキは殺されたのだ。何者かが、あの崖へ行ったのだろう。

「アリキと別れた後も、おまえは腹の虫が収まらなかった」

 だろ?と、首藤は安曇に言う。安曇は大きく頷く。

「そこでおまえは思った。美月さんに一泡吹かせる方法はないかと。それでおまえが思いついたのは」

「どこかに隠れて、美月を脅してやろうと思ったんだ」

はあと、美月さんがため息をつく。

「そう思った矢先、おまえはポエに出くわした」

「そうだよ。それで、ポエに、どこか隠れる場所はないかと尋ねたら、この林を教えてくれたんだ」


「ね、安曇。ポエに会ったときのこと、よく思い出してみて。アリキの家の近くからここへ来るまでに、誰かを見かけなかった?」

「それだよ。さっきから考えてるんだけど、誰にも会わなかった。アリキの家から出てくる者もいなかったし、向かっていく者もいなかった」

「ポエは何か言ってなかった? 家に誰か来たとか、来る予定だとか」

「何も」

「となると、やっぱり、ヘレが一人でアリキを殺したのかしら」

「ちょっと無理なんじゃないかなあ」

 首藤がヤシの木を仰ぐ。

「そうだ、安曇。アリキとワヒネの崖へ行ったとき、撮影はしたんだろ?」

「それが」

 安曇が口ごもった。

「忘れたんだよね。ベッドの上にスマホがあった」

 そう言った僕に、安曇がバツの悪そうな顔を向ける。

「ダサいよな」

「ほんと、ダサい」

 美月さんに言われて、安曇はムッとした目を返す。

 僕は間に入った。

「な、昨日のヘレとの会話の動画、見てみようよ」

「そうね。編集したほうがいいわね。あのままじゃ使えないわ」

 ヘレの返答は時間がかかった。編集しなければ、間の抜けた動画になってしまう。

 美月さんがスマホを取り出し、再生を始めた。首藤とヘレのやり取りが映る。

「ここ、少しカットしないとね」

 アリキが殺された夜について訊いたところだ。ヘレは黙って、ただ首藤を見据えている。


 沈黙が長かったせいで、スマホのカメラには、ただ、ヘレとその後ろの部屋の風景だけが静止動画のように映っている。

 その画面を見つめていた美月さんが、あらっと、声を上げた。

「ね、見て」

 指先を画面に載せる。ヘレの右側、部屋の中だ。

「どうかした?」

 僕はスマホに顔を近づけた。首藤と安曇も顔を寄せてくる。

「これ、これと同じもの、どこかで見た憶えが」

 ヘレの背後にある棚に、掌サイズの石が見えた。画面をズームしてみると、ぼやけはするが、石があるのが見える。長方形に近い形で、中央が鼻のように盛り上がっている。見ようによっては、人の顔にも見える。モアイ像と似てなくもない。

「これ、見た憶えがある」

 僕は思わず呟いた。

「な、首藤、憶えてないか? ディエゴ爺さんが持ってたじゃないか。魔除けの石だって」

 首藤があっと声を上げた。

「思い出したよ。たしかにあの爺さんが持ってた」

「ヘレが言ってたよね。アリキは呪われた。だから殺されたんだって。それとこの石が関係あるのかな」

 僕がそう言う間にも、美月さんは、どこで見たんだっけと繰り返している。

「呪いなんか、島の誰も信じてないよ」

 安曇が言ったが、僕はそうは思えなかった。

「ディエゴ爺さんも信じてるはずだ」

 僕は言った。あの奇妙な石が証拠だ。

「そういえばそうだな。それに、ニックも喚いてたな。呪いだ、呪いだって」

 首藤が呟く。

「だから、ヘレだって、呪いを信じてるかもしれない」

 そう返したとき、美月さんが、

「思い出した!」

と、叫んだ。そしてみるみるうちに、美月さんの目が輝いていく。


「わかったわ、わかった!」

 アリキの家の棚に飾られている石と同じ物がどこにあったとしても、それが重要なことなのか。

戸惑う男三人に、美月さんが叫ぶ。

「呪いを信じてる人がいるのよ、もう一人」

「誰?」

 僕は訊いた。

「やっと思い出したの。あの石がどこにあったのか」

「どこだよ」

「スティーブンのデスク。安曇の捜索隊が募られたとき、みんなで役場に集まったでしょう? あのとき、指示が出る前に、わたし、役場のトイレを借りた」

そういえば、そんなことがあった。美月さんが戻るのを待って、指示が出されたのだ。

「トイレの帰りにね、スティーブンの部屋のドアが開いてて、中が見えたの。すてきな部屋だから驚いちゃって、わたし。つい、中に入っちゃった」

「おまえらしいな」

 安曇が言う。

「こんな島の役場だっていうのに、壁は大理石だし、床は毛足の長い絨毯だったのよ。そしてアンティーク調の大きなデスクがあって、イタリア製としか思えない、真っ白な革張りのソファがあった。それなのに、この石がデスクの上に置かれてた。ニューヨークのオフィスばりの室内に、これだけが浮いてたわ」

 それを聞いても、僕たち三人は、何の反応もできなかった。

「思い出して!」

 美月さんは、僕と首藤に顔を向けた。

「アリキが殺されたとき、スティーブンが言ってたこと。アリキを殺したのは、呪いを信じるおかしな連中の仕業だろうって」

 僕と首藤は顔を見合わせた。

「ああ、憶えてるよ。呼び止められて言われたんだ」

 首藤が言う。

「どうして呪いに拘るのか、あのときは不思議だった。でも、今になってみるとわかるわ。スティーブンは、呪いのせいにしたかったのよ」

「アリキ殺しを?」

 美月さんは深く頷く。

「呪いを信じる者のせいにしたかったんだわ。呪いなんて信じないふりをして、島民を扇動していたのよ。だがら、呪いなんて端から信じない外国人のわたしたちに、無闇に動いて欲しくなかった」

「じゃあ、スティーブンが罪を着せようとしているのがヘレだっていうのか?」

「多分。日々暴力にさらされていたヘレは、アリキを憎んでいたはず。でも、あんな酷い殺し方、ヘレには無理だわ。でも、スティーブンなら可能だと思う」

そう言ってから、美月さんは首を傾げた。

「ただ、わからないのは、なぜ、スティーブンがアリキを殺す必要があったかよ」

 ヘレのおどおどした様子が思い返された。


「きっと、ヘレは何か、隠してるわ」

「そうだな。あの様子はどこかおかしかった」

 首藤も言う。

「ヘレにもう一度問い質すべきだ」

 声を上げた安曇を、僕たちはいっせいに見た。

「まずいよ、おまえが出てくのは」

 首藤が慌てて言った。

「そうだよ。アリキが最後に会ったのは安曇だってわかったら、きっと警察に事情聴取を受けるはめになる。下手したら、逮捕だぞ」

 僕も安曇を止めた。おそらく安曇は、この林にいるのが辛いのだ。無理もない。ヤシの葉のベッドはろくに眠れないだろう。シャワーだって浴びたいじはずだ。だが、我慢してもらはなくては。

「美月ならどうする?」

 安曇が美月さんに向き直った。

「犯人でもないのに、コソコソ隠れて、指を咥えて友達が犯人を見つけてくれるのを待つか?」

「わたしなら」

 美月さんの目に強く光が宿った。

「犯人と対決するわね。そして警察に突き出してやるわ」

 もう、美月さんの気持ちが僕に向いていないのはわかっている。でも、この目を見たとき、やっぱり僕は美月さんが好きだ。そう強く思った。たしかに美月さんは美人だ。だが、きっと美月さんの魅力は、その大きな目や高い鼻にあるんじゃない。強い意志の力。なんとしてでも、目標を達成しようとするパワーが、なにより美月さんを輝かせているのだ。

 多分、首藤も同じ気持ちになったのだろう。潤んだ目で、美月さんを見つめている。


「決まった!」

 安曇が叫んだ。

「隠れるのはもう御終いだ。俺もヘレのところへ行く。そしてアリキ殺しの動かぬ証拠を見つけてやる!」

 僕たちは早々に食料を片付け、ヤシの林を後にした。



 夕暮れが迫っていた。

 僕たちは、明日、この島を去る。定期貨物船は、午後いちばんにやって来るだろう。

 ヘレから、スティーブンの犯行を裏付ける何かを聞き出せるだろうか。

 僕たちは不安だった。呪いの石という、ヘレとスティーブンの接点を見つけたが、所詮はまだ憶測でしかない。

 ワヒネの崖に向かう途中の、アリキの家に通ずる道にたどり着いた。山へ入る木立に入り、海を背中に道を進む。時折、波音が高く響く。

 

 アリキの家が見えてきた。と、何やら騒がしい。女の叫び声と、子どもが泣いている声も聞こえてくる。

「ヤバい。あれ、スティーブンじゃないか?」

 首藤が慌てた声を上げた。

 アリキの家の前に、スティーブンの姿が見えた。数人の男たちもいる。男たちは制服に身を包んでいる。ニュージーランド警察の警官だろう。

「逃げよう!」

 首藤が言って、安曇の手を取った。安曇も青い顔で頷く。

 と、スティーブンたちがこちらに気づいた。

「よかった。見つかったのか?」

スティーブンはそう言って破顔した。その顔は、心底喜んでいるように見える。

「どこにいたんだ?」

 隠れていたとは言えない。だが、咄嗟に首藤が機転を利かせた。

「散歩をしていたら、迷子になってしまったようです。それで、そのまま寝入っちゃったみたいで」

「ところで、何をしているんです?」

 安曇が訊くと、スティーブンの目が光った。その間にも、ヘレのわめき声が聞こえてくる。

 スティーブンは首を振りながら、残念そうに言った。

「アリキを殺した犯人を捕まえに来たんだ」

「ヘレですか?」

 僕が訊くと、スティーブンは呆れたふうに答える。

「やっぱり、わたしの思った通りだった。呪いを信じていたヘレが、古い言い伝え通りに夫を殺めたんだ」

「どうして」

「ヘレは結婚してからずっと、アリキの暴力にさらされていてね。とうとう我慢ができなくなったのさ」

 ヘレが警察官に両腕を掴まれて、家から出てきた。そのヘレに、ポエがしがみついている。

「待って! ヘレは犯人じゃないのよ!」

 ヘレを抱き抱える警察官たちに、美月さんが叫んだ。


「お願い、間違わないで。ヘレは犯人じゃない」

 僕はヘレに駆け寄って、警察官の腕から奪い返そうとした。首藤と安曇も加勢する。

「君たち、なんなんだ!」

 スティーブンが駆け寄ってきた。

「いい加減にしないか。いくら観光客だからって邪魔をするなら逮捕してもらうぞ」

 すると、美月さんが振り返って、キッとスティーブンを睨みつけた。

「逮捕されるのは、あなたよ。スティーブン」

「何を言ってるんだ」

 スティーブンはそう言って、片頬で笑い、警察官たちに笑みを送る。余裕のある表情だ。

「ねえ、ヘレ」

 美月さんがスティーブンを無視して話しかけた。

「あの家の棚にあった石。あれはどうしたの?」

 涙で濡れた目で、ヘレは美月さんを見上げる。

「石。あれは、魔除けの石」

「誰かにもらったんでしょう?」

 怯えた目を、ヘレはスティーブンに向ける。

「そうね、スティーブンがくれたのね。なぜ、もらったの?」

「この石には魔除けの力があると。だから、アリキに何か起きても、わたしは守られると」

 ヘレは憎んでいたのだ。心底アリキのことを。

「でも、あなたはアリキを殺してない。そうでしょ?」

 ヘレは頷いた。

「わたしは殺してない。アリキは呪われて殺されたと」

「誰が言ったの?」

「いい加減にしてくれ」

 スティーブンが声を荒らげた。

「もうたくさんだ」

 そして警察官たちを促す。警察官たちは、無表情でヘレから美月さんを放す。

「やめて、放して! アリキを殺したのはスティーブンなのよ。魔除けの石を、呪いを信じそうな島の弱い立場の者に渡して、不穏な噂を扇動したのよ。自分の犯行を、ヘレになすりつけるために」

「もういい、お嬢さん。とにかく宿へ帰るんだ」

 余裕の表情でスティーブンが言った。笑顔さえ浮かべている。


 そのときだった。ヘレにしがみついていたポエがスティーブンを指差して、叫んだ。

「とうちゃんが喧嘩してた」

 瞬間、全員が息を飲んだのがわかった。沈黙が流れる。

 安曇が駆け寄って、ポエの前にしゃがみこんだ。

「それは俺と会った満月の夜か?」

 ポエははっきり頷いた。安曇と出くわした夜、ポエは喧嘩している両親から逃げたのではなかったのだ。スティーブンとアリキの争いから逃げていたのだ。

 安曇がポエを抱きしめて、それから警察官に向き直った。

「アリキが殺される前に会っていた人物がわかりましたね」

 美月さんが、後を引き取った。

「ヘレを逮捕する前に、尋問すべき人物がいるんじゃない?」



         エピローグ



 水平線に、はじめは豆粒のように、そして徐々にヤシの実ほどの大きさになり、やがて船はしっかりと姿を現した。僕たちを乗せる定期貨物船だ。


 荷物をまとめた僕たちは、港で美月さんといっしょに、近づいてくる船を眺めていた。

 空は、曇っていた。風は強くなかったが、別れにふさわしい天気とはいえない。

 いや、この陰鬱な雰囲気が、ラパ・マケ島らしいともいえる。


「またいらっしゃい」

 見送りに来てくれたメアリーさんが、ちょっと湿っぽい声で言った。たった八日間の滞在だったが、様々な出来事があったせいだろう。初めてこの島へ来た日が遠く思える。

「日本に戻ったら、この島のこと、宣伝してね」

「はい、そうします」

 安曇が答えた。

「嫌なこともあったかもしれないけど、素晴らしい島なのよ、ここは」

「そう思います」

 僕も答えた。

 スーツケースを引きずりながら、僕たちは、スティーブンについて、メアリーさんから聞くことができた。島で噂はすぐに広まる。

 スティーブンは、ニュージーランド警察に拘束されて、ニュージーランドへ向かったという。

 メアリーさんによれば、スティーブンはイギリスから出ている島への補助金を、着服していたのだそうだ。それをアリキが嗅ぎつけて脅していたらしい。何度も金品を要求されて、アリキ殺害を計画したのだという。ディエゴ爺さんやニック、そして、ヘレに呪いの石を渡して、彼らがさも言い伝えを信じる愚か者のように見せかけた。 

 自分が手を下したアリキを、呪いを信じた者の仕業に見せかけたのだ。

 島民たちの数が増えてきた。また今回も、日用品や食料が島に運ばれるのだろう。

「乗船が始まったわよ」

 美月さんの声かけで、僕たちは順に船に乗り込んだ。

 先にデッキに上がった安曇が、

「おーーーい」

と、手を振った。安曇の視線の先には、海岸に一人立っている小さな姿がある。ポエだ。


「元気でなーーー」

 首藤も手を振った。

 ヤバい。ちょっと鼻の奥がツンとする。

「いいシーンね」

 横に来た美月さんが言った。

「撮らないの?」

 僕は美月さんを振り返った。ヤラセでもないいいシーンだ。美月さんなら撮りたがるんじゃないか。

 ふふっと笑って、美月さんも手を振る。

「止めたわ、動画のアップ」

「どうして?」

「突飛なことをして稼ごうと思うのを止めたの。元の自分に戻って、地道にアプリの開発をする。いままでそうしてやってきたんだもの。これからもやれると思う」

 また、美月さんを好きになってしまいそうだ。

 僕はポエに大きく手を振って、つい、

「またなーー」

と、叫んでしまった。日本語だったから、ポエにはわからなかっただろうけど。 了                                 

  


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スケイルマン popurinn @popurinn

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