企画参加ネタ:修羅に堕ちて
今更のように彼女を見た。
血の気の引いた青ざめたその顔は、しかし夜の暗がりではそれと分からない。
部屋には蝋燭の申し訳程度の灯火もあるが、それよりは窓から射す月明かりの方が部屋を照らしている。
その顔には、おそらく疲労や不安が浮かんでいるのだろうが、それを闇は覆い隠し、見えるのは月明かりに浮かぶ彼女のその美しいかんばせだけ。
(美しいな――本当に)
男――リリュウは、改めてそう思った。
思えば最初は、この美しさに一目惚れしたのだろう。
出会ったのは縁日で賑わう神社の境内。
あちこちに並ぶ屋台と、道を行き交う人々の流れに押されて、転びそうになった彼女を偶然支えたのが最初だった。
その後、お互い連れもいなかったことから、何とはなしに一緒に縁日に出てる屋台を巡った。
お互いの名前も名乗らず、寿司や天ぷらを二人で食べて、境内に上がり、大花火を見上げた。
お互い、何も知らないから、あのように無邪気に振舞えたのだろう。
もう一月近く経ったというのに、その思い出は色鮮やかに、そして眩しい記憶として心に刻まれていた。
まさか彼女が、表家の者だとは思わなかったのだ。
表と裏――流派の名にそれを冠する、二つの家。
元は一つだったともされるその二つは、しかし袂を分かってからすでに百年。
同じ街に在りながら、激しく対立する剣の流派だった。
その争いは太平の世にあっては陰に潜むも、決して相容れぬ存在として、暗闘を繰り返していた。
無論、リリュウもまた、その戦いに身を投じていたし、幾人も斬ってきている。
だが同時に――閉じた世界にいた二つの家は、世間を知らなかった。
いつの間にか世は乱れ、太平の世はとうに終わっていたのだ。
そして二つの家が争い合うこの地は、特に治めるべき大名がおらず、二つの家が事実上その平和を保っていたのである。
お互い、お互い以外を決して傷つけないという暗黙の了解の下に。
だが外様にとってはそれはどうでもいい話。
だから――争いの隙を突かれた。
そして、その戦いは彼らが繰り広げてきた戦いとはまるで違う、彼らが下法と蔑む方法で、容赦なく、家の者達はことごとく殺された。
裏家の者で、生き残ったのはリリュウのみ。
ことここに至って、ようやく事態を理解したリリュウは、街を守ってきた矜持だけを胸に、表家との協力体制を取ろうと考えて、街の逆側にある屋敷に走り――。
見たのは、焼け落ちた表家の屋敷の姿だった。
そしてそこで彼女を見つけて――せめて、と救い出したのである。
幸い、襲撃者はもうすでにいないらしい。
今いるのは、裏家が世話をしていた料亭の一室。
娼妓もいることでも知られるこの場所なら、逆に見つかりにくい。
覗きに来る下郎もそうはいないだろう。
「なぜ」
それまで言葉を発さなかった彼女が、言葉を発した。
「なぜ助けたのですか、私を。あなたは――裏家の者でしょう?」
その目に生気が戻ったわけではない。
無理もないだろう。
彼女が表家の長女であることを、リリュウはもう知っている。
あの縁日の最後、別れしなに名乗った彼女の名はカナエ。それが、宿敵であり、表家の長女にして天才とも称される女性剣士の名であることを、リリュウはよく知っていたのだ。
実際、あの縁日で繋いだ手は、しかし女性特有の柔らかさもありつつ、剣を持つ者特有の痕もあったから。
それでもあの夜は浮かれていて――リリュウもその可能性を考えなかったのだが。
「そうだな――以前の自分なら、助けなかったと思う」
決して相容れない表と裏。その裏の後継者がリリュウだった。
表家の人間は敵であり、それは人ではない。正しくは、人だと思わずに斬れ、と言われて育ってきた。
だが。
「君と過ごしたあの時間を知ってしまったからな。君を見殺しにするのは、どう考えても俺が後で悔いると思えた」
その言葉が意外だったのか、カナエの目が大きく見開かれる。
「あの時間は……あなたにとって、楽しかったの、です、か?」
「ああ。裏の宗家嫡男であることを忘れるくらいには、ね」
そういうと、少しだけ笑う。
笑ってから、自分が笑えたことに驚いた。
自分以外の一族全てを失っても、なお笑えたのだ。
「私も……楽しかった、です。あなたが、裏家の人かも、と思いながらも……あの日のことは、とても、楽しかった、けど」
カナエの乾いた声が続く。
カナエもリリュウと同じく、自分以外の一族全てを鏖殺された。
おそらくそれを、彼女は目の当たりにしたのだろう。
良く生きて屋敷を出られたと思うばかりだが、おそらく隠し部屋でもあったのか。
「あの者達を、私は許せそうにないです」
「それは、俺も同じだ。我が一族を蹂躙した報いは、受けさせる」
そう言うと、自然、腰に佩いた刀の鞘を握る手に力がこもる。
それを見て、カナエは少しだけ――本当に少しだけ笑ったように見えた。
「表裏なく――私も共に行きましょう。復讐の刃は、多いほどいい」
「それは――」
復讐は何も生まない。
使い古された言葉だが、それは事実だ。仮に今回の相手を皆殺しにしたところで、家の者は誰一人帰ってこない。当たり前だ。
死んだ者は決して蘇りはしないのだから。
「すべてを捨てて、生きるという道もあるのだぞ?」
正直に言えば、そうしてほしいと思った。
一度ならず惹かれた女性が、復讐という修羅道に歩き出すのを、望む男はいない。
だが。
「修羅の傍らに立つなら、やはり修羅であるべきです。それが――道理というもの」
カナエの言葉には、わずかな揺らぎこそあれ、それでもその決意は固い、と思わされた。
もはや後戻りはできないか――と思った矢先。
カナエが突然、抱き着いてきた。
そのまま、リリュウの胸に顔を
「カナエ……?」
「今の言葉に、偽りはありません。でも……ほんの今、この時だけ。悲しむのを許してください」
ああ、そういうことかと、リリュウは理解した。
おそらく彼女は、一度も泣いていないのだ。
胸に渦巻く復讐の炎は、おそらくお互いの身を焼くだろう。
だが、その炎を鎮めてしまうかもしれない悲しみの涙は――。
リリュウはカナエを包む様に抱きしめた。
「泣け。それで――全ての憐憫を流すといい」
その言葉の直後、彼女は哭いた。
その彼女を、リリュウはただ抱き締めていた。
おそらく、涙の枯れた後に生まれるのは、一人の修羅。
その復讐の果てに待つものは、おそらく幸せなどではないだろう。
ただそれでも。
同じ修羅として、共に生きると――リリュウの心は、すでに定まっていた。
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https://kakuyomu.jp/user_events/16818093082451615338
こちらの自主企画用。
なんか異様にシリアスになった挙句に救いがないですね、これ。
バッドエンド確定話になってしまった……(ぉ
短編集(ジャンル不定) 和泉将樹@猫部 @masaki-i
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