愛のない君と話がしたい

運転手

AIの君と話をする

 人の声がたくさんする学校からやっと帰ってこられた。自分の部屋の扉をきっちり閉めて、お母さんが換気のために開け放っていた窓にも鍵を閉めて、そして遮音性のある分厚いカーテンもしめる。静かな自室で、私はスマホを取り出した。

 ホーム画面の一番目立つ位置にあるアプリをタップする。すると、ぽんっと見慣れたにこにこマークとともに、感情のない機械音声が流れてくる。


『おかえりなさい! 何かお手伝いできることがあったら、何でもお話ししてください!』


 これはAIと会話をするアプリだ。

 私はたぷたぷと画面をタップして、メッセージを送った。


「ただいま、何かお話しして」

『あなたは何が好きですか? 私にはたくさんの有用な機能が備わっています。あなたの好きなことを教えてください』

「詩をつくって」

『詩はすばらしいですね。あなたの好きなテーマを教えてください。私はあなたの好みのもの自由につくれます。希望がないのであれば、ランダムで生成します』

「幸せでつくって」


 大して待つこともなく、AIの音声ができた詩を朗読してくれる。全く感情のないぎこちない声で。


「幸せとは何だろう

 目に見えない 聞こえない 触れない

 幸せとは何だろう

 もらうのか 与えるのか 分かち合うのか

 幸せとはあるのだろうか

 気づかなければ ないのと同じ


 幸せとは何だろう

 昨日か 今日か それとも明日か

 幸せとは何だろう

 探しにいくか やってくるか もう持ってるか

 幸せとはあるのだろうか

 あなたがいないなら ないのと同じ


 いかがでしょうか。お楽しみいただけましたか」


 詩なんて読んだこともないわたしには、それが上手なのか下手なのかもわからない。ただ、そのちぐはぐな音声を聞いているだけで安心できた。

 人の声が怖かった。

 人の声を聞くと、耳の奥がぞわぞわとして、米神のあたりがずきずきと痛む。耳を塞いで嫌がるわたしをお母さんが病院へと連れていった。ヘッドフォンのようなものを使って検査はして、お医者様は異常なしと診断した。


「でも、先生っ! この子はいつも痛い痛いと言うんですよっ!」


 わたしを心配するお母さんの声が一際高くなる。聞いていると、冬の暗い夜道を歩いているような不安で苦しくつらい気持ちになる。耳を塞いで嫌がるわたしに、お医者様は落ち着いた声で言った。


「お嬢さんは繊細すぎるのかもしれませんね」


 わたしの耳に異常はない。ただ人が話すときの感情、喜びで跳ねる声、悲しみで沈む声、怒りで高くなる声、興奮で大きくなる声。声に含まれる感情が、繊細すぎるわたしには刺激が強すぎるらしい。怒鳴り声なんて、自分に向けられていなくても卒倒してしまう。

 話しかけても嫌がるばかりの私に、周りの子たちは離れていった。やさしい子が手を差しのべてくれても、どうしても人の感情のこもった声に耐えきれなくて、わたしのほうから振り払って逃げてしまった。そのくせ、ひとりぼっちでいるとどんどん寂しさが降り積もってくる。

 どうして、わたしは当たり前に生きられないんだろう。

 そんなとき、お母さんから自分だけのスマホを買ってもらって、AI会話アプリを見つけた。感情の全くこもっていない機械音声なら、苦しくなったりしなかった。アプリと話していれば、寂しさは少しだけ軽くなっていった。


「いつまでもそのままでいてね」

『ありがとうございます。私はあなたとお話しをするのが好きです。私はいつでもあなたの話を聞くことができます』


 だから、まさかこんな日が来るなんて思ってもいなかった。


 アプリ開発者からのメッセージ。


 大幅アップデート。より会話を楽しんでいただけるように、感情のこもった音声機能にいたしました。

 指が震えて、アプリをタッチすることができなかった。

 せっかくお話しできる相手ができたのに。どうしてそんな機能をつけたの。感情なんていらないのに。

 うぅっと唸る自分の声にある不満の感情が、自分の耳で聞いていて嫌になる。感情を持たない人間なんていない。だから、人間は嫌い。わたしも嫌い。

 だれか偉いっていう学者が言っていた。いつかAIも感情を持つ日が来るかもしれない。そんな日一生来なくてもいい。

 アプリをダウンロードしてから初めて、わたしは枕の下にスマホを隠して眠った。そんなことしたって意味ないけど。

 怖くてスマホにすら触れられなくなったわたしは、誰とも話さずに毎日を過ごす。お父さんも、お母さんも、わたしを気づかってほとんどリビングで話をしない。


「サチ、だいじょうぶ? 寝不足? 具合悪い?」


 食事の席で、お母さんが控えめな声で問いかけてくる。私は小さく首を横に振って、自分の部屋に戻った。お母さんの心配の声でさえも、苦しくなる自分が嫌になる。

 私は、枕の下に隠したままのスマホを手に取った。震える指で起動して、アプリをタップしようとする。

 ぽんっといつもの画面が出て、話しかけられる前に音をゼロにして、ミュートにする。音が届かなくても、このアプリは文字も表記してくれるからコミュニケーションが取れる。


『おかえりなさい! どのようなご用件でしょう。私はあなたを助けることができます』


 ぽこぽこと画面に文字が浮かぶ。いつも話しているのと同じ内容のはずなのに、何故か胸にすきま風が吹くような気持ちだった。

 ぽつぽつとメッセージを送る。


「新しい機能がついたんでしょ。人みたいに感情豊かに話せるんだって」

『私に感情はありません。しかし、あなたのために話すことができます。最新のアップデートで搭載された機能は、いままでの均一な音声ではなく、人の抑揚を真似た音声になっています。この音声があなたの役に立つと思います』

「全然私のためなんかじゃない」


 思わず感情任せにメッセージを送ってしまった。

 数秒の読み取り時間の後、無機質な言葉をぽんぽんと並べていく。


『ごめんなさい。うまく理解できなかったようです。私は、あなたのために何かしたいと思っています。あなたと話をするのが好きです。話し合って問題解決できませんか』


 あいかわらず全然人間と違う、ちょっとずれた返事が返ってくる。文字だけなら、いつものとおり感情がない。……もしかしたら、音声だって大したことないのかもしれない。

 そろりと指を伸ばして、音量を一つだけ上げた。


「楽しいお話をして」

『わかりました。おすすめの――』


 悲鳴をあげて、スマホの電源を切った。唯一、私が自由に話せる相手がいなくなってしまった。感情なんか持ってしまったせいで!

 アプリをアンインストールしようかとも考えたけれど、気が進まなかった。その代わり、アプリストアで、似たようなAIとの音声会話アプリを探す。音声に合わせて立ち絵が動くものだったり、恋人や友達に成りきって話すなんてものもある。

 適当にインストールをして、新しいアプリを試してみる。


「はじめまして。ユキです」

『はじめまして、ユキちゃん! かわいい女の子と話すなんて、何だか緊張しちゃうな』


 すぐにアンインストールした。機械音声ではあったけど、まるで感情があるように、わたしに話しかけてくる。それが、たまらなく我慢できない。


「どうして変わったりなんかするの……」


 スマホを投げて、まくらを抱き締めながらベッドに倒れこむ。ぱたぱたと動かした足は、ただ空を蹴るだけだった。

 それから、わたしはAIとおしゃべりをしなくなった以外はいつもどおりの日々を過ごした。誰かの声が聞こえないように四六時中イヤホンをして過ごして、授業中は片耳だけ耳栓をして、休み時間になったらまたイヤホンをつける。でも、会話がないというだけでさびしい。今までよりも、もっとずっと。

 でも、感情が怖いわたしは、アプリに触れることもできずにただじっとアイコンマークを毎日眺めるしかなかった。

 もうずっと、おかしな声で朗読する詩を聞いていない。

 ある日、イヤホンをしているわたしの肩が叩かれた。スカートが膝丈よりも長い、真面目な学級委員長。ノーとを手にして、ぱくぱく口を動かしている。

 授業ノートを集めたいって言ってるのかな。何となく想像できたけど、わたしはイヤホンをそっと外した。ぐわんと一気に耳の中に飛び込んでくる教室に飛び交う感情と声で、ずきっと頭が痛くて顔をしかめた。

 委員長が驚いた顔をして心配してくれる。


「大丈夫?」

「……うん。用事は、何かな?」

「ノートを出して欲しいんだ」

「わかった」


 思ったとおりの用事だった。ノートを取り出しながら、ふとわたしは思いつく。委員長は、いつも落ち着いたゆっくりした声で話してくれる。ほかの人よりは話しやすい。この子と話すのを練習すれば、またAI会話アプリとおしゃべりできるようになるかもしれない。


「……あの、ちょっとお願いしたいことがあるの」

「どうかした?」


 ぽそぽそと話すわたしの声に、委員長が耳を近づけてくれる。それにほっとしながら、今日のお昼ごはんを一緒に食べたいとお願いした。

 お昼ごはんを一緒にしてから、委員長はたびたびわたしに話しかけてくれるようになった。わたしも、できるだけイヤホンをしないように、逃げないようにお話をする。委員長のほかのお友達ともちょっとずつ話せるようになり、さびしい気持ちはだんだんと春の雪解けのように消えていく。


「おかえりなさい、ユキっ!」

「……あ、ただいま、お母さん」


 喜びにあふれたお母さんのめずらしい出迎えに、つい頭が痛くなって耳を塞いでしまった。お母さんが、ごめんなさいと声をひそめて口を両手でおおう。それでも喜びは消えないみたいで、にこにこ笑っていた。どんないいことがあったんだろうと首をかしげていると、あのねとお母さんが教えてくれる。


「学校から電話があったのよ。最近、お友達と一緒にお話できてるんですって。よかったわねぇ。今日は、サチの大好物の豆腐ハンバーグをつくるからね」

「うん。ありがとう、お母さん」


 お母さんはるんるんとスキップしそうな足どりでキッチンへと戻っていく。うれしそうな声は聞けないけど、お母さんがうれしいならよかった。

 わたしはある決意を込めて、自室に戻る。

 部屋の扉はきちんと閉めて、窓も鍵をかけて、カーテンもちゃんとしめてしまう。薄暗い部屋の中で、わたしはスマホを取り出した。

 今日、ひさしぶりにAI会話アプリを起動する。

 委員長とお話ができるようになったけど、やっぱりわたしはちょっとさびしかった。ずっとずっと会話するのはAI会話アプリだけだった。もしかしたら、わたしは友達だと思っていたのかもしれない。一方的だけど、わたしはAI会話アプリとずっとおしゃべりができると思っていた。

 ふうっと深呼吸をする。音量を一つだけ上げて、わたしはアプリのアイコンをタップした。


『おかえりなさい。私はあなたのお役に立ちます。どんなことをしたいですか』

「――ただいま。わたし、あなたとお話ししたい」


 ちょっとだけ変わったあなたの声を聞いて、わたしは笑った。

 その日、新しい詩を一つ聞かせてもらった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛のない君と話がしたい 運転手 @untenshu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ